第184話 高嶺の花!フローラの人気!
前回のお話
暇の深層心理の奥には、深淵さんがいた。その力は7つの世界を統べる女神ですら、一瞬で消してしまうほどのものだった。
ユキト達が南大陸においても、その圧倒的な英雄っぷりを発揮して、その名を広く知らしめたという噂は、アスファール王国のみならず北大陸中に広がった。
なにしろ娯楽と言うものが少ない世界。吟遊詩人による英雄譚などは人々にとって大きな楽しみとなっている。しかも、それが神話の時代の話ではなく、まさに今この時代に生きている英雄の話となれば、人々を興奮させるに余りあるというものだ。
「向こうでは山のように巨大な魔物を退治したそうだ」
「世界樹という天まで届く巨木を救ったらしい」
「南大陸中の武芸者が集まる大会を制覇したとか」
普通、噂話と言えば尾鰭がつくものだが、ユキト達に関する噂はかなり精度が高い。これは意図的にユキト側が情報を広めているせいでもあるのだが、そもそも元となる事実が現実離れしているため、わざわざ尾鰭をつける必要がないのである。
「ターレン子爵。王国中の兵士を集めても、シジョウ卿の配下1人に勝てないという話ですぞ」
「はっはっは、シジョウ卿の配下がいくら強いと言っても、そんな馬鹿な話があるものか! 俺が化けの皮をはがしてやる」
そう言って、シジョウ卿の英雄譚など捏造だと決めつけた田舎貴族が手勢を率いて挑戦したようだが、サブシアの重臣でもある美しい女エルフに簡単にひねられてしまったらしい。
得物も何も持たない女エルフが、何と一歩も動くことなく、田舎貴族の手勢を全員戦闘不能に追い込んだというのだから驚愕だ。
「ユキト~!! あいつら私のこと化物扱いするっちゃけど!!!」
「お、落ち着けファウナ。耳がピコピコしてるぞ」
「…ピ、ピコピコなんてしとらん!!!」(ピコピコ)
普通の兵士が束になっても到底敵わないファウナであるが、やはり化け物扱いされると精神にダメージが入るようだ。そんな時は長めのエルフ耳がピコピコと揺れる。
もちろん、シジョウ卿の強みは武力だけではない。シジョウ卿の領都であるサブシアからもたらされる技術や農作物の価値は値千金とされている。
だが、サブシアから輸出される農作物にも上限というものがあるわけで、少しでも自領に多く回してもらえるように、各貴族が鎬を削っているのだった。
また、何故か教会もサブシアを聖地のように扱っており、大司教をはじめとした聖職者は朝夕にはサブシアの方角を向き、礼拝を行っている。
サブシアを特別扱いするのは、教会だけではない。アスファール王も「この国で一番偉いのはサブシアにいるメイド様である」と述べたらしい。世間では、英雄達のお世話をするお役目に敬意を表した王の冗談だと考えられているが、なぜか公爵の一部が苦笑いしていたという。
そんなサブシア勢の中で、特に年頃の男性貴族から注目されているのがフローラである。
アスファール王国の英雄の1人であり、美しさもお淑やかさも兼ね備えているフローラは、王国において高嶺の花と見做されていた。それでもなんとしても妻に迎えたいという男達からの見合い話が、父親であるウィンザーネ侯爵の元には山のように届いている。
「侯爵様、また書状が届きました。今度はカロライナ家からです」
「カロライナ家か……あそこの長男はまだ独身だったな……どうせフローラと見合いをしたいという話であろう。適当に断っておけ」
「承知しました」
「娘がユキト殿とくっつくかは分からぬが、フローラはサブシアの重臣としてもパーティーメンバーとしても良く務めておるようだ。
そんなフローラをわざわざ他の男と見合いさせる貴族がおるものか。親としてもウィンザーネ領主としてもそんな失策はとれぬ」
このように父であるウィンザーネ侯があらゆる見合いの話を断っているため、高嶺の花は売約済みという噂も生まれている。すなわち、フローラは既に英雄の総元締めであるシジョウ卿のお手付きなのではないかと疑われているのだ。
とはいえ、噂は噂に過ぎない。ユキトとフローラが婚約したと正式に発表されない限りは、フローラ人気が衰えることはないだろう。
だが、人気の一極集中は、様々な人間関係に歪を生じさせる……
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「どういうことですか!!」
アスファール城の一室に女性の声が響く。20人程が入れる会議室のようだが、長机の側に立つ人影は2名だけだ。
そのうちの1名であるコンスタンツェが大声を出した相手は、彼女の婚約者であるメハール侯爵家の長男、カスト=メハールである。明るい茶色の癖毛に整った顔の控え目に言ってもイケメンの部類だ。
「私が……私がフローラに劣ると言うのですか!!」
「大声を出すな。単なる言葉のアヤだ。
それに、お前が男勝りな性格であるのは事実だろうが」
カストは、コンスタンツェを怒らせたことに気まずそうな表情を浮かべつつも、彼女を咎めるような口調でそう述べた。
アスファール王国において、軍事面の重鎮であるブレイブリー公爵家。そのブレイブリー公爵家に次いで軍事の中核を担うセントワルド侯爵家の長女が、コンスタンツェだ。
このコンスタンツェも凛々しく美しい女性だ。だが、武芸に力を入れていたこともあり、その性格は『お淑やか』とはとても言えない。彼女の性格は、女性のそれよりも軍人のそれに近いと陰口を叩く者もいる。
貴族学校を卒業した後、コンスタンツェは王軍の幹部候補として、王城にて勤務している。王城への出入りが多い婚約者と顔を合わせる機会も少なくない。婚約者として憎からず思っている男と顔を合わせれば、当然会話もする。
今日も、カストと王城内の廊下で顔を合わせ、会話をしていたのだが、そのうちに口論となってしまったわけだ。
「だいたい劣る劣らないで言えば、フローラ嬢は世界的な英雄でもあるのだ。いくらコンスタンツェが武勇に優れているとは言っても、及ぶ相手ではない。それにも関わらず、彼女は、お淑やかな女性らしい性格だと聞く。
……全く、こんなことなら貴族学校にいるうちに俺が口説き落として……あ、いや。忘れろ」
感情のままに喋っていたカストは、コンスタンツェの表情が変わるのを見て、慌てて言葉を切った。流石に失言であったと気まずそうな表情で部屋から立ち去っていく。その後ろ姿をコンスタンツェは下唇を噛みながら黙って見つめるしかない。
「フローラ……」
貴族学校に通っていた時のフローラは、ほとんど魔法を使うことができず、無能呼ばわりされていた。唯一の攻撃魔法が火球だったのだから仕方がない。対するコンスタンツェは剣の腕も魔法の技術も、同学年の生徒の中で群を抜いて優れており、周囲の生徒達からの扱いもフローラとは対象的だった。
だが、フローラを蔑む貴族の子弟達の中で、コンスタンツェ自身はフローラに平等以上に接していたつもりだ。
そんなフローラが、英雄となった。人知を超えた威力を持つ炎系の魔法を扱えるそうだ。シジョウ卿より与えられた加護のおかげらしいが、そのシジョウ卿が言うには、相当の努力がなければ扱えない力だという。
(確かにフローラは、唯一使える攻撃魔法である火球を繰り返し練習していた。その努力は私も知っている……)
周囲から馬鹿にされていた努力家の友人の成功。それは喜ぶべき出来ごとのはずだ。
だが、妬ましいのだ。悔しいのだ。
コンスタンツェは英雄譚の中の姫騎士に憧れをもっていた。女性の身ではあるが、いつか自身が英雄になれればと思っていた。アスファール王国の軍制では、英雄になれるか否かはともかく、女性でも活躍の場は閉ざされてはいない。
(いつかの日にか、王国の民衆を外敵から救う英雄となる)
子どもじみた夢であることは承知していた。だからこそ、かつて自身が手を差し伸べていた相手であり、無能と呼ばれて周囲から蔑まれていた友人が、その夢を叶えてしまったことを消化できないでいるのだ。しかも、その事実を婚約者から突きつけられたのが、余計に悔しいのだ。
「私は……こんなにも狭量な人間であったのか」
なにより、コンスタンツェは自身の気持ちの醜さにも気付いていた。それが彼女の心を更に苦しめているのだ。
このところ、カストがコンスタンツェとフローラを比較するような発言をするたびに、彼女の心はギリギリと締めつけられるような痛みを覚えている。
「私とて才能に胡坐をかいていたわけではない……フローラ並みに努力もしてきたのだ……と言っても詮無きことか。 ……む? 誰か来たか?」
カツカツ……ガチャ
部屋に向かってくる足音が響き、先程カストが出て行った扉が再び開かれた。
コンスタンツェは慌てて表情を消す。自身の嫉妬や妬みに苦悩する表情など他人に見られたいものではない。
「カスト様がこの部屋から慌てて飛び出してきたみたいだけど、この中で何か……って、コンスタンツェ様!?」
「む、お前は……マイトだったか?」
部屋に入ってきた男は、最近カストと一緒にいることが多い男だった。なんでも、王城内で知り合った仲らしい。片田舎の男爵家の長男らしいが、カストとは馬が合うらしく、行動をともにしていることが多い。
「いや、コンスタンツェ様がいらっしゃると分かっていたら、この部屋に立ち入るなどしなかったのですが……知らなかったもので、申し訳ございません」
コンスタンツェが察するに、マイトは部屋から出て行ったカストの様子がおかしいことが気になって、好奇心から部屋を覗いてみたのだろう。だが、その顔には「なんだ、痴話喧嘩だったのか。失敗した」と書いてあった。
「ふん、構わん。お前の想像通り、カスト殿と口論をしてしまっただけだ」
コンスタンツェはあえてマイトの想像を肯定する。誤魔化す必要などないらしい。こういった男らしい態度が、コンスタンツェが軍人の心を持っていると言われる所以である。人前では、婚約者であるカストを「殿」付けづけで呼ぶ点もそうだ。
だが、続いてマイトの口から出た言葉が、軍人と呼ばれるコンスタンツェの心臓をキュッと締め付けた。
「ははぁ、さてはフローラ様のことですか」
「……なんのことだ」
「いえ、最近のカスト様はフローラ様のことばかりお話しされていましたので……見当違いでしたら御容赦下さい」
聞くべきではない。聞かない方が良い。コンスタンツェはそう思いつつも、その震える口からは真逆の言葉が紡がれていく。
「カ、カスト殿はなんと仰っていたのだ……」
「え、それは……」
マイトは多少の逡巡を見せたが、すぐさま続きを口にした。口の軽い男だ。
「……フローラ様は美しさと強さの両方を持っておられる。まさに王国の民を救う英雄そのものだ。あのような女性を伴侶に迎えられたら幸せだろうなと、おっしゃ……あ、あわわ! し、失礼しましたっ! ひぃ」
コンスタンツェは表情を変えないように努力していたつもりだった。だが、コンスタンツェの目に溢れ出た激情を見たマイトは、逃げるように部屋から出て行ってしまった。
「……くっ」
ドンッ!!!
再びコンスタンツェ1人きりとなった部屋に、拳を机に叩きつける音が響く。俯いたコンスタンツェの表情は見えないが、ギリギリと歯を食いしばる音が聞こえるかのようだ。
だが、コンスタンツェは知らない。婚約者であるカストに対して、フローラの魅力を説いているのがマイトであることを。この男が、巧妙にカストの思考を誘導し、カストにコンスタンツェとフローラを比較させることで、コンスタンツェへの不満を高めていることを。
そしてなにより……マイトという男の正体は、男爵家の長男などではないということを。
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