第182話 侵入!暇(いとま)の精神世界
お盆休みで少し間が空きました。
ラストに向けて更新していきます。
「…………」
異世界に転移した者が最初に目を覚ますようなお約束の白い空間において、暇が顔を伏せて倒れていた。大量の血が流れており、浅くない傷も見える。
驚いたことに、暇の身にかかっていたはずの不滅の呪いも綺麗に消失していた。異世界の主神が世界とともに滅びる際に、その全ての力を呪詛へと変えて放ったという禍々しい呪いだったはずだ。
「身の程知らずな人間種が」
意識を失っている彼の前にはゾッとするほどに美しい女神が1柱立ち、冷たい視線を彼の後頭部に向けていた。だが、それはただの視線ではない。対象の精神に侵食し、暴き、破砕する魔力が込められていた。
「どれ……人間種の分際ではあるが、貴様も永き時を生きてきたのであろう。このキュラスメヒンツァを楽しませる記憶の1つくらいは持っていような?」
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キュラスメヒンツァは7つの異なる世界を管理する女神である。
その優美な外見に反して、世界を畳むことすら可能な強大な力を有しており、各世界の聖伝に伝えられる慈悲深い姿とは異なって、実際は非常に冷酷な性格だ。
彼女は7つの世界を統べているのだが、唯一神キュラスメヒンツァの名で崇められているのは5つの世界においてであり、残り2つの世界ではベールグ・ガールマ及び魔神ベマとして祀られていた。
キュラスメヒンツァが2つの世界で偽りの名を用いているのには、もちろんそれなりの理由がある。その2つの世界を操り、自身の治めている他の世界に対し攻撃を仕掛けさせているためだ。攻撃を指示する神と、防衛側の神が同じ名前では非常に具合が悪い。
ではなぜ、そのようなことをするのか?
それは世界の性質にあった。いわゆる『ダンジョン』と呼ばれる魔物と同様に『異世界』という存在もある種の生命である。財宝を餌に冒険者を呼び込む『ダンジョン』と同じく、『異世界』はその内側に魔物を生じさせ、チートスキルなどを餌にして他の世界から俗に言う『勇者』を呼び込む。それもこれも、争いを産むことが目的だ。『異世界』は平穏な状態を長く保っていると、内部エネルギーの停滞を招き、全体的な活性が低下するのである。
世界に生きる様々な生命を互いに争わせ、切磋琢磨させ、弱肉強食の中で多くの敗者と少数の勝者を産み出してこそ、正負のエネルギーが満ち、世界全体の魂の質も向上する。そうやって、世界は虚無に対抗する力を保とうとする。
そのことに気付いたキュラスメヒンツァは、まず自身が支配していた世界で、そこに暮らす人間種と魔族種を交互に興廃させ、大きな戦争を幾度となく発生させることで、世界の力を高めることを狙った。
キュラスメヒンツァはこう振り返る。
「なかなか難しかったぞ。片方の種族のみを過度に廃れさせれば、そのまま滅びかねんからの。そうなれば、待っているのは永き停滞。特に人間種は脆弱でな。ヤツらの滅びを避けるため、魔族種にはいろいろと制限を加えたものだ」
やがて、自身の世界の力が充分に高まったことを悟ったキュラスメヒンツァは、ようやく唯一神として人間種と魔族種をまとめあげると、近隣の異世界へのゲートを開き、その異世界を侵略させた。侵略先では、キュラスメヒンツァの名を広げ、元の神に対する信仰を忘れさせることで、先住神の力を削ぐ。
「侵略先の世界の神? もちろん最終的には全て消したとも。神は私だけで充分」
そうして、彼女は自身の支配する世界を2つ3つと増やし、自身の力も蓄えていった。今では、キュラスメヒンツァが単独で異世界に乗り込み、世界を乗っ取ることが可能な程度の力を得ている。
更には、7つの世界を互いに争わせることで、各世界の力を向上させているのだ。そうやって、彼女は自身の力を向上させ続けている。
「本来、異なる世界の神が他の世界を乗っ取ろうとしても、余程の実力差がない限りはその世界を支配している神を排除することはできぬ。神は世界を支配するが、世界もまた神に力を与える。自身が治める世界内では、神は何倍もの力を行使可能だ。
だが、既に7つの世界を従えし我は、その異界の神を屠ることすら可能なのだ……分かるか? 貴様の身に纏わりついていた呪いの主……そやつもかなりの実力のある神だったようだが、我に敵うほどではない」
キュラスメヒンツァは、目の前に倒れている暇へ向かってそう述べた。
暇がキュラスメヒンツァの支配する世界へと渡ったのは、いつも通り異界漂流のスキルによるものだ。異なる世界へとランダムに移動するスキルなので、その結果は全くの偶然と言えよう。
スキルでこそないが、暇のもう一つの特徴として、呪いによって自身が滅びることが禁じられていることが挙げられる。斬ろうが焼こうがすり潰そうが、すぐに元に戻る。精神的なダメージに対しても同様で、狂って自我を失うこともできないはずだ。
吸血鬼の不死などとは、次元が違うレベルで存在が強固に固定されており、消失系魔法や次元魔法でも、この男を消し飛ばすことできない。
その呪いは、異界の主神が自身の滅びと引き換えに与えたものである。そんな禍々しいものを纏った男が自身の治める世界に紛れ込んだのであるから、大いなる力を持つ女神の目に止まらないはずはなかった。
「それにしても、お主……我が世界で随分と好き勝手に暴れてくれたな。それだけならばともかく、余計なことまで喋ろうとしたのぅ」
この世界に降り立った暇は、裏でキュラスメヒンツァが糸を引いている世界間大戦に首を突っ込んだ。侵略軍の邪魔をしたかと思えば、次は防衛側の勇者を欺き、どちらの味方になるわけでもなく、目的らしい目的もなく、両陣営を愚弄した。
強いて言えば、無残に散っていった名も無き兵や一般人の魂を回収していたようだ。どうやら、何も出来ずに死んだ者に興味があったらしい。それだけなら女神からも見逃されていたのだろうが、そのうちに彼は次のようなことを喋り始めたのだ。
「君たちは哀れな将棋の駒だねぇ。しかも、対局ですらなくて、1柱の神様が自分で2役やってる将棋だよ。あ、将棋ってゲームを知らない?」
世界の重要な秘密を明かそうとする者に、キュラスメヒンツァは容赦をしない。すぐに自身の元へと暇を強制転移させる。
更に、キュラスメヒンツァは暇の身にかかっていた呪いを強制的に剥ぎ取った。暇を殺すにしろ、白痴にするにしろ、この呪いは邪魔だ。もちろん、通常の神では不可能な芸当だが、7つの世界を統べるキュラスメヒンツァの力をもってすれば可能だった。
そんな過程を経て、暇はキュラスメヒンツァにより殺されかけていた。僅かに意識はあるようだが、大量に失血し、既に四肢は動かない。まだ殺されていないのは、複数の世界を渡り歩いてきた暇の記憶に対して、キュラスメヒンツァが多少の興味を示したために過ぎない。
「このキュラスメヒンツァを楽しませる記憶の1つくらいは持っていような?」
キュラスメヒンツァはそう述べると、暇の精神を侵食していく。神の力により、暇の心の中へと降りていく。精神世界に乗り込み、相手の記憶を読み上げ、そして最後には破壊するのだ。
「ふむ……ゴチャゴチャしておるな」
暇の精神世界へと降り立ったキュラスメヒンツァは、その光景に呆れながらもそう呟いた。普通の人間種の精神世界の表層は、その人間が誇りに思っているものや、大事にしているものの姿が見えるものだ。
だが、暇の精神世界の表層部は、様々なもので溢れかえっていた。無造作に散乱している玩具や宗教的なモニュメント、機械、道具……
「この男はあらゆるものに価値を見出しておらぬということか」
全てに対して価値を認めていない。全てに対してあきらめている。表層を一瞥しただけで、キュラスメヒンツァは暇に対して、そんな感想を抱く。
「だが、深く潜ることで、本性が見えてくるというもの。さて、この男はどのようなものかの」
女神はそう呟くと、右側に掌を向ける。更にスッと目を細めた瞬間、その手から強風が吹き出し、その方向に存在する雑多な物を吹き飛ばした。剣やフラスコ、コイン、人形、鳥居、鈴、更には何に使うか分からない謎の道具類が大量に宙を舞う。やがて、ガラクタに埋もれていた地下へ続く階段が姿を現した。
女神はその階段をゆっくりと降りていく。
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「でさ、林のやつが女連れてたから、ちょっと脅かしてやったんよ」
「はぁ、あんな陰キャラが?」
「駅前のタピオカのお店行った?」
「えー、そんなの出来たの?」
「ふむ? ここは……どこかの学び舎の記憶かの?」
女神が降りた場所には、いわゆる学校の教室の景色が広がっていた。キュラスメヒンツァには、地球の学校の知識はないが、揃いの制服や規則的並べられた机、同じ年代の男女が集められている状況などを見れば、自身の世界にもある学び舎や貴族学校と同じような場所であることは見当がつく。
「……ここが学び舎とすると、あの男が学び舎にいた時の記憶か。ふむ、あの影がそのようだな」
精神世界の記憶では、自分自身が明確な姿で描かれることはほぼない。それは、自分の姿については、自分自身では捉えていないためだ。人間が記憶しているのは、大抵は自分から見た世界の姿だ。鏡でも見ていない限りは、そこに自身の姿はない。
それゆえに、その記憶を再現する精神世界では、自身の姿だけは、半透明のシルエットなどで表現されることが多い。
実際、多くの少年少女達に混じって、机に座って本を読んでいる黒い影が1体ある。恐らくは、それが暇を示しているのだろう。
「ぎゃははは、それひどいな!!」
「あいつ、マジ泣きしてたからな!!」
その本を読んでいる暇の近くでは3人の男子生徒が下品な笑いをあげていた。その会話の内容や服装などから、キュラスメヒンツァはその3人が粗暴な性質を持つことを見抜く。学び舎のような青年が集まる場所には、そのような未熟な人間も混ざるものだ。
「で、無理矢理脱がせてやったらさ」
3人の1人が暇の机にドンと手をついた。暇は気にすることなく本を読み進めている。というよりも、本に夢中で気が付いていないようだ。
だが、暇が全く気にしなかったことが、その男子生徒には気に入らなかったようだ。彼からすれば、暇が少し怯える姿が見たかったのだろう。
クラス替えの直後であり、男子生徒は暇のことを良く知らない。いや、知っていたとしても、何も変わらなかっただろう。これまでの暇は大人しめの生徒だった。少なくとも、皆はそう思っていた。
そんな大人しいはずの生徒が自分を無視した。それが彼の気に障ったようだ。男子生徒は机から手を離し、その手を暇の頭に手を乗せると、頭髪をぐしゃぐしゃと掻き乱す。
「ああ、悪い悪い。ちょうどいいところにあったから、手を置いちまった」
「はははははは!!!」
「ぜってぇわざとだろ!!!」
男子生徒達が盛り上がる。完全に相手を馬鹿にし、自分達の優位を示す行為だ。
「どこの世界の人間種も変わらんの……」
女神は冷めた目でその光景を眺めている。
だが、暇は完全に男達を無視したまま、本から視線を動かさない。意図的に無視しているのか、本当に本に夢中になって気が付いていないのか。
「てめぇ!無視すんじゃねぇ!!!」
格下の相手に無視されることは、彼の沽券に関わることだったらしい。暇に絡んだ男子生徒は大声を上げて、暇を真横から蹴り飛ばした。暇は座っていた椅子ごと倒れる。
ガタンッ!!!
男子生徒の怒声と椅子の倒れる音で、教室の他の生徒達の視線が集まった。
「あれって」
「黒木達じゃん。前のクラスでもああやって弱そうなのに絡んでたわ」
「蹴られたのって……ええと、虚井?」
そんな中、当の暇は床に倒れた姿勢のまま、更に本を読み続けていた。驚くべき態度である。横倒しにこそなっているが、机で書籍を読んでいたのと同じような姿勢だ。
「は、ふざけてんの?」
そのような暇に対して、完全に怒りを露わにした男子生徒。残りの2人はニヤニヤしながら、眺めている。
ガスッ!!!
男子生徒が倒れている暇の顔を勢いよく踏みつけた。教室内のどこからともなく「やりすぎだろ」という声が囁かれる。だが、男子生徒はそんな声を気にする素振りもなく、そのままグイグイと体重をかける。暇の頬が靴の下で歪む。
ここでようやく、暇がチラリと視線を動かした。見下している男子生徒と目が合う。だが、それも一瞬だった。すぐに本へと視線を戻す暇。彼にとっては、今読んでいる本の方が大事なようだった。
「は? お前ぇ、死んでみるか?」
もちろん、その態度は男子生徒を激昂させるに十分だった。男子生徒は暇の手にある本を奪い取る。
「おい、てめぇ。二度と俺に舐めた真似できねぇように、って……!? がああああああああああああああああ!!!!!!」
「ほう……」
男子生徒が叫び、キュラスメヒンツァが思わず感嘆したのも無理はない。
暇は素早く起き上がり、その奪われた本を取り返そうと手を伸ばした。だが、男子生徒が本を奪われまいと動いたのを見て、暇の手はターゲットを変えた。何のためらいもなく、暇は男子生徒の目を抉ったのだ。
「ごく自然な動きで目を抉りおった。見たところ、ここは学び舎。あの男の一方的な悪意があったとはいえ、敵という間柄ではなかろうに」
キュラスメヒンツァから見ても、暇は普通の人間種に比べて、倫理的な何かが欠如しているように見えた。もちろん、神であるキュラスメヒンツァであれば、あのような無礼な人間など即座に消すところだ。だが、この記憶の中の暇は普通の人間だ。それが、あのような思い切った行為に出るのはなかなか出来ることではない。
しかも、目を抉った暇は、男子生徒が取り落とした本を拾うと、再び机に座って、続きを読み始めたのである。
「なるほど、自分の人生にすら期待をしていないというわけか」
キュラスメヒンツァは静かにそう呟いた。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
ブクマや評価も感謝です。大変励みになります。
遅くなりましたが、誤字脱字の御報告もありがとうございました。
出来る限り誤字なども減らせるよう気をつけたく存じます。