第177話 天罰覿面?ファウナの見た景色
前回のお話
暇は異世界を好き勝手に回っていた。
タタタタタタッ
街の中でも人気の少ない区域。その薄暗い路地を女性が走っていた。低階級者らの家の裏手にあたる道であり、壊れた木箱や樽が転がっている。
「待ちやがれ」
背中に男の声を受けながら走る彼女が身に纏っているのは、場違いな高級感がある服、ただし使用人であることを示す服だ。
彼女は背後をチラチラと確認しながら、路地を抜け、人通りがありそうな通りへ抜けようとする。だが彼女が通りへ出る直前、その通りへの出口に大きな人影が出現した。逆光で顔が見えないが、その輪郭はごつい男のものだ。
「おっと、残念だったな。ここは行き止まりだぜ」
野太く粗野な男の声。それを聞いた女性は、慌てて身を翻し、今しがた走り抜けてきた路地を戻ろうとする。だが、数歩進んだ段階で立ち止まった。そこには既に2人の男が立ち、路地を塞いでいた。
「おい、騒ぐんじゃねぇぞ」
男達は、逃げ場をなくした女性を左右からゆっくりと追い詰めていった。
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その光景を、路地の遥か上空から見降ろしている存在があった。その名はファウナ。金色の髪が風になびき、その長く尖った耳は彼女がエルフであることを主張している。
ファウナの位置はかなりの高さであるので、路地から空を見上げても、その姿は小さな点としてしか認識されないであろう。
「全く……本当に遊ぶのが好きなんだから」
空中に浮かんだまま、男達が女性を襲おうとしている様子を眺めている彼女だが、どうしたことか女性を助けに向かう気配はない。
(それにしても……)
ファウナは冷静に自分の状況を考える。異なる世界から転移してきたというユキトから、加護を付与されたことにより、彼女の力はこの世界でも指折りのものとなった。そもそも、その指がほぼ全てユキトの身内であるわけだが。
「最近は慣れてきちゃったけど、こんなふうに空を飛んでいるだけでも、充分にとんでもないことよね。私ってエルフやめちゃってるんじゃないかな……」
闘気をコントロールすることで、空を飛ぶ。誰もいない大空。多少の独り言は問題ないだろう。この飛行もファウナにとっては簡単なことだ。ファウナがその気になれば、音速を超えた速度で飛び回ることもできる。山と言わずに大陸を、いや天体をも吹き飛ばすことすら可能だろう。完全に世界観が違う存在になっている。
「もし、ユキトと出会わなかったらどうなっていたかな」
ファウナは仮に自分がユキトと出会わなかったらどうなっていただろうかと考える。ユキトと出会えなかったら、この身に宿るとてつもない加護も得られなかったはずだ。普通の冒険者として経験を積み、北の大陸を回り……今頃はC級冒険者になっていただろうか。あるいはどこかで命を落としていたかもしれない。
「ダンジョン制覇にはじまって、ドラゴン倒して、戦争を止めて、七極もやっつけて……ユキトと一緒にいると、ホント退屈しないわよね」
冷静にこれまでの冒険を思い返すと、信じられないイベントばかりだった。そして、それらの戦いの中で、ファウナはユキトの力になってきたつもりだ。一番最初のパーティーメンバーという自負もある。
「ま、ユキトにもらった加護のおかげだけど。それにしても、外見がゴツくならないのはありがたいわね」
ファウナは自身のスラリとした腕に目を向けた。ユキトと出会う前から冒険者をしていたこともあり、その腕は華奢というほどではないが、それでも女エルフのそれである。山すら持ちあげられるような怪力には見合わない太さだ。
そもそも、物理的に山を持ちあげることを実現するための筋肉量は、ムキムキというレベルでは済まないはずだ。加護の仕組みは不明だが、闘気によって筋肉の質そのものが強化されているのだろう。
そして、その闘気により向上させた身体能力により、ファウナは遥か眼下の人間の声も拾うことができるのである。
「なぁに、お前にはちょっとご主人様へのプレゼントになってもらいたいだけだ」
「プレゼント……!? 何をする気ですか!」
見れば、朽ちた木箱や樽が積まれた裏通りの隅で、3人の男が女性を完全に取り囲んでいた。男達の風貌だけを見ても、充分に犯罪者風であるのに、1人は短剣まで抜いている。完全に事案であった。
「俺達の団がお前の主人にやられてな。俺らはたまたまアジトを離れていて助かったが、このまま許すわけにはいかねぇ。礼をしたいんだよ。で、お前の首をプレゼントとして御主人様に送りつけてやれば、少しは喜んでもらえるんじゃねぇかと思ってな」
「そ、そんなことをすれば、御主人様はあなた方を許しませんよ!」
女性の強気な言葉に、男達は下品な笑いを返す。彼らは壊滅させられた盗賊団の残党だ。復讐を果たすために、この女性を狙っていたらしい。
「首は木箱にでも入れて、夜のうちに宿の前にでも置いておくさ。朝になる頃には俺達はもうこの街にゃいねぇって寸法よ」
「お前の御主人が、どんなに強いって言っても、犯人が誰かも分からなけりゃ、手の打ちようもないだろうさ」
男達の手が伸び、グッと乱暴に女性の腕を掴む。
「でもよぅ。その前に少しくらい俺達を楽しまてくれよ? ぐへへへ」
男の1人がそんな下卑た言葉を口にすると、男達の瞳に好色な光が宿った。
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――同時刻
「はぁ……」
アルヌは溜息をついて、裏通りを家に向かって歩いていた。彼は15歳の鍛冶見習いだ。
「どうすりゃいいんだ……」
家で臥せっている病気の母のため、彼は薬を必要としていた。霊芝とマンドラゴラ、更に幾つかの薬草から精製されるその薬は、非常に高値で取引される。おまけにその高価な薬ですら、母の症状を一定期間だけ抑える効果しかないらしい。医者からも完治は難しいと言われていた。
「くそっ、本当なら今日は薬を買える予定だったのに」
少しずつ溜めた給金が今日には薬の代金に届く。そのはずだった。
だが、今日の仕事中にアルヌが大きなヘマをしたせいで、親方が打っていた剣をダメにしてしまったのだ。当然、親方からは殴られた。それに加えて、損害の一部を弁償する羽目になってしまったのだ。
とはいえ、この世界の師弟関係としては、そこまで厳しくない処置である。全額賠償の上、クビというケースもある。それに比べれば、むしろ温情のある措置だ。
だが、タイミングが悪かった。母の病状はかなり悪化している。早急に薬を飲ませなければ、命が危ないかもしれない。再び貯金が薬の代金に達するまでに、どのくらいかかるだろう。
「おふくろには薬を買って帰るって言っちまったし、どこかにすぐに金になりそう……ん?」
アルヌが途中で独り言を止めたのは、その視界に嫌なものが映ったからだ。金策を考えて、何かないかとキョロキョロしていたせいだろう。この裏通りから更に横道に入った先、路地の奥で男達が誰かを取り囲んでいた。男達の隙間からチラリと見えた服装は女性ものだ。
「ちっ……」
アルヌは助けを求めるべく、周囲を見渡した。だが、この辺りは寂しい裏通り。歩いている人間はいない。それに相手は複数の暴漢だ。女性を助けるにも、それなりに腕に覚えがある人間でなければ厳しい。
しかし、ここからアルヌが衛兵の詰め所まで走っていては遅いだろう。衛兵達が到着するのは、恐らく女性の尊厳が踏みにじられた後になるはずだ。
「……くそっ、女を襲うにしても俺に見えないところで襲いやがれってんだ」
アルヌは思わず自分の運の悪さに悪態をつく。
この女性を助けても利益があるとは思えない。だが、このまま身捨ててしまえば、アルヌの精神衛生上の負担となるのは確実だった。
「あーあ、なんて日だ」
ここで見て見ぬふりをするのは容易い。横道を無視して、このまま進むだけだ。だが、工房で大失敗を犯して自尊心が傷つけられていたアルヌとしては、自分を許せないような行為を犯すにはなれなかった。また、少々自暴自棄になっていたところもある。
気がつけば、アルヌは暴漢らの背中に向かって大きな声を出していた。
「お前らっ! 何してやがる!! やめろ!!」
「……あ?」
アルヌの声を受けて、男達がゆっくりと振り返る。男達の目に宿っているのは、衛兵を呼ばれる恐れではなく、自身の嗜虐的な楽しみを邪魔された怒りだ。忌々しげに顔を歪めている。
(あっ、やばい)
男の1人が手に持つ短剣の輝きを見て、アルヌは冷静さを取り戻した。後悔と同時に背中にジトっとした汗が噴き出す。
「普通に歩いていりゃ、こっちの路地の奥まで目は届かねぇはずだがな」
「この小僧は何で見つけちまうかねぇ」
男達のうち2人が、ゆっくりとアルヌの方へと近づいて来る。
(どうする……? 逃げるか? 逃げれば、男達は俺を追って来ずに、あの女性のところへ戻るんじゃないか? そしたら、女性はどうなる? ……短剣を握っているってことは、暴行だけじゃなくて殺す気かもしれない……でも、俺が戦っても勝てるはずないし……)
アルヌも男達が近づいてくるのに合わせて後ずさるが、なかなか逃げ出す決心がつかない。基本的に彼は善良であった。合理的な選択としては、逃げるのが正しいのだろう。アルヌが戦っても殺されるだけだ。それはアルヌも分かっている。失われる命が2つよりは1つの方が良い。だが、そう割り切れるものではなかった。
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「うんうん。まだまだ世の中、捨てたものじゃないわ」
アルヌ達の頭上、遥か上空からファウナはその様子を見ていた。彼女の長い耳がピコピコと揺れており、機嫌が良さそうである。
ファウナの眼下の街で、女性を襲おうとしている暴漢らを1人の青年が大声で制止した。青年に武芸の心得があるわけではなさそうで、その身体は恐怖に震えている。今にも逃げ出しそうではあるが、だからこそ、青年の優しさが伝わってきた。
「さて、ウチのメイドさんはどうするのかしらね」
ファウナはこの状況でもまだ動こうとはしない。どうやら、見物を決め込むつもりのようだ。
「……やっぱり、ユキトと一緒に冒険するようになって、一番の驚きはあのメイドさんよね」
彼女がそう呟いたとき、脳内に声が響く。
(よりにもよって、私を襲うなんて……とんでもない暴漢ね)
盗賊団の残党らが襲っていたのは、噂に名高い英雄ユキトのパーティー付きのメイドだ。その名はクレア。その正体はこの世界の創造神かつ最高神である。
「ホント、運が悪い盗賊というか何というか……っていうか、クレアも楽しんでるでしょ? そんな演技までして……」
ファウナがそう呟くのも無理はない。純粋に物理的な破壊力だけで言えば、クレアよりもファウナの方が上なのだが、クレアことクレアールはこの世界を創造した神でもある。時間操作や空間操作、法則操作をはじめとした様々な事象に通じており、この世界で恐れられている七極すら足元にも及ばない存在なのだ。普通の人間と比べれば、象と蟻以上の差がある。
つまるところ、ユキト達に仲間を一掃された盗賊の残党は、ユキトのパーティーの中で一番弱い存在を狙ったつもりで、最も手を出すべきでない存在に手を出したことになる。まぁ、普通はパーティーにいるメイドが最高神であるとは思わないだろう。
(だって、せっかく受肉までして人間として同行しているんだから、こういう人間らしい体験も悪くないと思って……)
「いや、確かに神様は路地裏で絡まれる体験とかしないと思うけど、だからと言って、その体験は断じて人間らしい体験じゃないわ」
ファウナも当初こそ創造の女神様ということで恭しく接していたが、クレアの希望もあり、今では軽口を叩くこともできる仲だ。
そもそも、クレアは自分の作った世界を人間として体験したいといって、この冒険についてきた面がある。暴漢に絡まれるのも、彼女にとってはその一環なのかもしれない。
(でも、あの勇気ある青年のためにも、そろそろ天罰を与えないとね)
最高神様の言葉に苦笑いが浮かぶファウナだった。
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その日、英雄ユキトが宿泊した街では3名の盗賊団の残党が捕まり、1人の女性の病気から回復した。教会の大司教ですら癒すことが難しいと言われていたその病気を、一瞬で完治させたのは、高級なメイド服に身を包んだ女性であったという。
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