第163話 暇!襲来
前回のお話
ワサビを買いに行ったアルマとクレアール。自身に心はあるのかと相談するアルマ。
そんな相談に乗っていたクレアールに、天から声がかけられた。
市場にいたクレアールへと話しかけてきたのは、慈雨を司る神『ベル』であった。ベルは農作物の実りなどについても管理している。それゆえに農村などで特に篤く信仰されている女神だ。
そんな彼女は、久々に人間界と神界がつながったことに喜び、人間界の様子をつぶさに観察していた。そして、全くの偶然でジコビラ連合国を眺めた際、そこにおぞましい光景を目撃したという。
「あれはこの世界に禍をもたらす存在……クレアール様にお伝えせねばと思いまして」
彼女の報告によれば、この大陸とは海で隔たれているジコビラ連合国の大きな街の一つにおいて、全住民が異様な姿に成り果てていたという。その詳細を聞いたクレアールも思わず絶句してしまった程だ。
皆殺しという類であれば、まだ理解できただろう。長い歴史の中では、何度も引き起こされた例がある。だが、その報告にあった光景は、もっと狂気に包まれたものだった。
クレアールにはそのような状況を引き起こすような存在の心当たりはない。悪魔の仕業と言いたいところだが、この世界には悪魔、魔族といった存在は設定していないはずだ。また、神々の中にも争いを望む者がいることは知っているが、彼らがそのように無駄かつ狂気めいたことをするとは思えなかった。
(私が眠っている間に、そのような習性を持つ魔物が生じた? いや、それはない。私は目覚めた後、1度は世界の状況を把握するために世界をスキャンしたはず……その際に、そんな魔物の存在は感知していない)
クレアールは頭の中で様々な可能性を検討する。少なくとも、この世界において、自身の知らないとんでもない何かが起こっていることは間違いないようだ。
「クレア? どうかしましたか?」
突然、考え込んでしまったクレアールに対して、アルマが怪訝な口調で話しかける。ベルとクレアールは念話のような方法によって会話していたため、ベルの声はアルマには聞こえていないのである。
「ちょっと、他の神から気になる報告を聞いてね……私の直感では何かヤバいことが起きてる」
そう述べるクレアの表情は、先程のまでのお気楽メイドのソレとは明確に異なっていた。それは世界に対して責任を負う者の表情であった。
(もう少し人間生活を楽しみたかったけど……)
クレアの口元にきゅっと力が入る。購入したワサビで蕎麦を楽しむことはできそうになかった。
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数日後――
「さて、ジコビラ連合で何が起こってるかはまだ不明なわけだが……」
場所は領主館の会議室。イーラも含めたサブシアメンバーが顔を揃えていたが、スペル・ビアスとアウリティアの姿はない。
「アウリティア様とお客人はお帰りに?」
ユキトの言葉が途切れたタイミングで、セバスチャンがユキトに確認する。
「ああ。クレアが……いや、クレアール様が世界に何かが起きつつあるって警告してくれたからな。アウリティアも竜神様も自分の治めている所へ戻った」
最近のアウリティアはほぼサブシアに住み着いていたので忘れがちであるが、ちゃんと自らが治めるエルフの里を持っている。また、スペル・ビアスも竜族の頂点に立っている存在だ。普段は人里離れた場所にある、多くの竜族が集う場所を治めているらしい。
領地を持つということは、有事の際には同胞をまとめ、敵に立ち向かう必要があるということだ。カレーが美味しいとか、神様が降臨しているからという理由で、サブシアに滞在し続けるわけにはいかないのである。
「それにクレアールが神界に戻ったから、竜神様はここに留まる理由はないだろ。いや、トンカツが食べられなくなることは残念がっていたけど」
そう述べたユキトは、スペル・ビアスのトンカツへの未練が溢れんばかりの表情を思い出して、思わず苦笑した。あの様子では、クレアールがいなくなったサブシアへも、トンカツのためだけに再訪するかもしれない。
「クレアもカレーが食べられなくなって残念がってるんじゃない? 教会にお供えしておかなくていいかな?」
ファウナはクレアールにカレーを届ける方法として、教会へお供えを提案する。だが、教会にお供えすることで、神界にいる神に料理が届くのかは微妙なところだ。教会の聖職者が代理として胃に収めてしまうような気もする。
そんなファウナの提案に、ツッコミを入れようとユキトが口を開こうとした時、全員の脳内に声が響いた。
(お供えは大丈夫。禁断症状は出てないし、教会にお供えしても届かないと思うから。それにしても、カレーのために神の責務を放り出すわけにはいかないのが、女神業の辛いところだなぁ……)
内容は残念であるが、最高神たるクレアールによる念話だ。脳内に直接話かけられたことで、その場の全員の視線が何となく天井の方を向いた。
(もう少し、人間の生活を楽しみたかったのに……)
残念そうな彼女の愚痴が続く。クレアールは、今回の事態に対応するために人間の身体から神の姿へと戻っていた。人間の姿では、神の力を万全には使えないためだ。女神へと戻った今は、神界から神の力を行使して、ジコビラの様子を確認しているはずであった。
「で、女神様の力で観測したジコビラの様子はどうなんだ?」
さっそくユキトがクレアールに尋ねる。まずは状況を把握しなければ話は進まない。
(それがおかしいの……その街の様子が全く見えなくて)
「見えない?」
見えないと聞いて、ユキトが怪訝そうな表情で言葉を返す。他のメンバーも似たような表情だ。
「クレアール様の力でも様子が分からないということでしょうか?」
ユキトの言葉に続けて、フローラも不安げに問いかけた。世界に対する『管理者権限』を持つクレアールの力を持ってしても、街の様子が分からないというのは、明らかに異常事態である。
(そう。私の神の力を行使しても、今のその街の様子……いや、その対象とする街の様子だけじゃなく、それに関する時間的な記憶すら遮断されてて……)
「時間的な記憶? なんだそれ?」
(神の力を使えば、過去に起こったことも確認できるはずなんだけど、それも見えないってこと。つまり、何者かが情報を完全にシャットアウトしている)
クレアールの言葉の通りだとすれば、そのような真似が出来るのは、この世界の外から来た存在である可能性が高い。何しろ、クレアールはこの世界のトップである創造の女神だ。この世界の存在であれば、女神の力に抗うことはできないはずである。
慈雨の女神が目撃した際には、対策を取っていなかったのだろう。その後、神界から見られることに気付いて、情報を遮断したのだ。
「他の偉い神様の仕業ってことはないのか?」
無いとは思いつつも、ユキトは念の為に確認してみる。クレアールに匹敵するクラスの神様の仕業であれば、女神様の目を誤魔化すことも可能かもしれないと思ったのだ。
(確かに何柱かの神が力を合わせれば、私の目から隠れることも不可能ではないと思うけど、有力な神々は神界から動いていない……いや、騒乱の神の姿が見えないけど、彼が一柱では私の力をここまで妨害することは無理だから)
やはり、他の神の仕業ではなさそうだ。そもそも、神様にはジコビラの都市に被害を与える動機がないのである。
「……となると」
ユキトは一人の男を思い出していた。慈雨の女神が見たというジコビラの様子を伝え聞いた時から、ユキトはその男を疑っていたのである。その男は、不死であり不滅であるという圧倒的な能力以外には、目立った力を持っていなかったと記憶している。だが、奥の手を隠していた可能性もあるし、何らかの新たな力を得た可能性もあった。
「ユキトは、あの男の仕業だって言うの? だって、アイツは迷宮の奥でユキトが……」
ファウナが眉を寄せつつ、ユキトの方へと顔を向けた。
「いや、アイツが死んだという保証はどこにもない。あの時、俺が付与した加護は『死を望んでいる』ことを前提とした加護だったからな。正直、あの男……暇が自分から死を望んでいたとは――」
「思えなかったでしょ。だって、そんなこと思ってなかったからね」
ユキトの言葉を引き継いだ男の声は、驚いたことに会議室の内部から響いてきた。
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バッ!!!!
ファウナが、ユキトが、セバスチャンが、アルマが、反射的に声の発生源から距離を取る。その際に、フローラやストレィの腕を引き、身体の背後へ隠すことも忘れない。声の発生源から最も離れた位置に座っていたイーラも、厳しい表情で立ち上がっていた。
「貴様ッ!! どこから入った!!」
セバスチャンの声が室内に響く。
会議室の隅。先程まで確かに誰もいなかった位置に『その男』が姿を現していた。
「虚井……暇……!」
男の姿は異様だった。まず衣服を纏っていない。そして、その尻に少女と思われる人間がくっついていた。いや、くっついているというよりは顔の一部が融合しているようだ。そして、その少女の下半身には別の中年男性が、その中年男性にはまた……というように、3人ほどの人間が数珠つなぎになっている。
「本当はもっとズラーっと続いている作品なんだけど、この部屋に入りきらないだろうから、置いてきたんだ。あ、神様からも見えるようになったと思うから、詳細はコビルの街を確認してね」
全裸のままで、両手を広げながら、まるでアート作品を紹介するかのような口調で言葉を吐く暇。
「お前、何をした……いや、何を考えている?」
静かな口調で問うユキトの声色には、若干の怒気が混じっていた。暇に接続されている少女の目から涙が溢れているのが見えたのだ。
「んー、何を考えていると言われると難しいけど、やろうとしているのはただの遊びだよ」
「……狂ってるな。 とにかく、まずはその娘達を解放してやれ」
「ん? この娘? いいよ。ボクの作品の形は壊れたから、もう用済みだしね」
ユキトの要求に、暇はあっさりと頷いた。彼は無表情のまま後ろを振り返ると、自身の背後に向かって、ゆっくりと手をかざす。
「おいっ!? ちょっと待……!!!」
ユキトの言葉が終わらないうちに、暇の掌から強力な黒い光が放たれた。その黒光は哀れな少女達を飲み込み、領主館の壁を貫き、そのままサブシアの街を断ち切った。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
金曜に更新するつもりが力尽きていました…。