第161話 来訪!お客人は爬虫類?
前回のお話
暇は、前支配者の娘を元兵士とつなげてムカデ人間にしてしまった。
ユキト達がその人物の来訪を知ったのは、昼過ぎの時間帯だった。領主館を警備していた歩哨が「怪しい男が館の正門前に倒れている」と報告してきたのだ。
「いや、こちらで対処すべき事案なのですが、どうも妙なことがありまして……」
ユキトが領主館に歩哨を置いたのは最近のことだ。だが、この世界でも最強の戦力が集まるサブシアの領主館。そこに警備や歩哨が必要なのかという話はあった。
もちろん、この領主館に正面から攻め込む馬鹿はいない。サブシアの戦力は一国の軍勢を上回るという事実は広く知れ渡っている。では、こっそりと忍び込み、領主の暗殺を謀ろうとする者がいた場合はどうだろう。
その場合も実現は非常に難しい。仮にそれを達成しようとするならば、客人であるアウリティアの張っている結界を解除し、メイドロボであるアルマのセンサーに感知されず、更にはメイドをやっている女神様にも気付かれないように隠れ通す必要がある。そんなことが可能な人物なら、貴族のお抱えの暗殺者などやってはいないだろう。
そのような理由で、サブシア領主館の歩哨や警備は、あくまでも対外的なポーズの側面が強い。警備がないからと甘く見て侵入したコソ泥が、ファウナやアルマ、イーラあたりに囲まれるという惨劇を回避するための存在なのだ。
それゆえに、歩哨である彼らの問題対処能力は普通の住民と大差はない……とは言え、倒れている男1人の対処が出来ないとは思えなかった。
「妙って、どういうことだ? 行き倒れなら、医者にでも連れて行けば良いんじゃないか?」
ユキトは至極真っ当な意見を述べる。館の前に人が倒れているから医者に連れて行こう。これは自然な流れのはずだ。
「それが……我々では倒れている男を門の前から僅かも動かすこともできず……」
歩哨の男は、困惑した表情でそう答えた。
先の理由から、いくら高い戦闘力が要求されていない歩哨とはいえ、普通の成人男子である。その彼らが数人がかりで移動させようとしても、倒れていた男は微塵も動かなかったのだという。見た目よりも遥かに重いのか、さもなければ、魔法だか特殊な加護だかの効果かも知れない。
「ふむ。ま、今は時間もあるし、ちょっと様子を見てみるか……」
困惑する歩哨を前にしていても事態が解決するわけでもない。ユキトがそう言って移動を始めると、その後ろからファウナとアウリティア、アルマにクレアが付いてきた。ファウナとアウリティアは暇を持て余していたようだ。メイドコンビは、何か面倒事があった時に対処できるように、ということだろうが、クレアに限っては興味本位のような気もする。
「こちらです……」
「おぅ……こいつは、行き倒れって雰囲気ではないな……」
「これって死んでるわけじゃないのよね?」
歩哨に先導されつつ、領主館の正門まで出向いたユキトの前には、頭上にまっすぐに両手を伸ばした旅装束の男がうつ伏せで倒れていた。いや、その服装から男と評したが、顔を伏しているので、性別も明確ではない。
「どういう姿勢なんだ、これ?」
「ん~、倒れているんじゃなくて、五体投地っぽくないか?」
倒れている人物の奇妙な姿勢へのユキトの疑問に対して、アウリティアが横から口を挟んだ。五体投地とは、主に仏教において行われる、五体すなわち両手、両膝、額を地面に投げ伏した礼拝ポーズだ。最高クラスの敬意を表す体勢である。尤も、普通の五体投地は倒れっぱなしではないのだが。
「五体投地?」
あまり聞き慣れない単語を聞いて、ユキトはそれを復唱した。耳にしたことくらいはあるが、普通に生きていると詳しく知る機会もない単語だ。ファウナに至っては頭上に「?」を浮かべている。
「ああ、五体投地ってのは、このように両手を――!? こ、この魔力は……?」
顔を伏して倒れている男に近づいたアウリティアは、何かに気づいた様子で眉を寄せた。そしてそのまま、クレアの方を振り返る。
一方のクレアも、何やら得心した表情で倒れている男を眺めている。どうやら、この二人は倒れている人物について何か知っているらしい。
「おいおい、何か知っているなら……」
ユキトがアウリティアとクレアに話を聞こうと口を開いた瞬間、倒れていた人物がガバリと顔を上げ、クレアをその目に捉えると大きな声でこう叫んだ。
「おおおおお!!! 創造の女神様ぁぁぁぁああ!!!」
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「果てさて、人間風情に名乗るのも勿体ないことであるが、余の名はスペル・ビアス。竜族を束ねし者也。この地に神が降臨されたことを感じ取り、御挨拶に参上した次第」
領主館の前でゴタゴタやっていると、無駄に衆目を集めそうだったので、一向は館の中へと場所を移すことにした。そこで件の男が名乗ったのが『スペル・ビアス』というユキトも聞き覚えのある名だ。
「おい、アウリティア。スペル・ビアスって確か……」
「竜神スペル・ビアス。七極の一角だね」
ユキトの確かめようとした内容をアウリティアが肯定する。確か、竜の神位体であり、七極でも最も強いと言われていた存在のはずだ。
「……っても、どう見てもそんな感じに見えないんだが」
ユキトの目の前の竜神はソファにも座らずに、クレアの方向に向かって土下座のような姿勢で固まっている。先程の偉そうな名乗りも、その姿勢で行われたものである。威厳も何もあったものではない。
「マスター、スペル・ビアスの外見は人間となっていますが、質量は竜と同等のようです」
「なるほど、そりゃ歩哨じゃ動かせないわけだな」
アルマの計測結果を受けて、ユキトは納得した顔で頷いた。どうやら、スペル・ビアスは姿を人間に変えているようだが、その重量はドラゴンそのままらしい。
竜神などという大層な二つ名を持つだけあって、人間に姿を変えることくらいは簡単なのだろう。やっていないだけで、その気になれば重量も人間レベルまで減らせるのかもしれない。
ユキトがそんなことを考えながら、土下座スタイルの竜神を見ていると、唐突にその竜神が言葉を投げかけてきた。
「おい、人間よ。なぜ、女神様の隣に腰掛けておる。神の御前でその態度は些かならず不敬であろうぞ」
「え? いや、そう言われても……」
突然、竜神から女神への不敬を指摘され、ユキトは困惑を隠せない。ある意味ではビアスの言うことは正しい。何しろ、クレアことクレアールはこの世界で最も偉い。五体投地で敬意を示してもおかしくない相手なのだ。だが一方で、クレアは領主館のメイドなので、ユキトは彼女の雇い主でもある。
「エルフの! お主もだぞ」
今度はアウリティアの方に視線を送りつつ、スペル・ビアスは糾弾するような口調で告げた。その言葉を聞いて、アウリティアも苦笑いを浮かべる。転生したことで正式にこちらの世界の住人となっているアウリティアにとっては、創造の女神への敬意は、ユキトのそれよりも強くあるべきだろう。
「あ、2人は旧友だから良いの」
ユキトとアウリティアが困っているのを見て、クレアがようやく助け舟を出してくれた。クレアの言葉に、ユキトとアウリティアは無言で何度も頷く。
実際、このような取り扱いはクレアから望んでやってもらっているわけで、ユキトとしても率先してこの世界の最高神を蔑ろにしたいわけではない。
むしろ、一見おちゃらけているようなクレアが、実際にはこの世界のことをしっかり考え、愛し、信じていることに対しては、大いに尊敬もしているのだ。
(でも、旧友だから良いって理由で、竜神さんが納得するとも思えないんだがなぁ……)
ここまでのスペル・ビアスの異常なまでのクレアールへの敬意を見ると、クレアの簡単な言葉に納得するとは到底思えない。「ならば、それに相応しい実力を示すがいい!」などと戦いを挑まれたらどうしようか……などと心配になる。だが、ユキトの予想はあっさりと外れた。
「ははーっ! 左様で!!」
クレアの言葉を受け、畏まってしまう竜神。
「いいんかいっ」
その流れに思わず小声で突っ込んでしまうユキト。竜神はそれを聞き逃さずに言葉を返してくる。
「良いも悪いもなかろう。創造の女神様が斯様に仰っているのだ。そこにウロコを差しはさむ余地などない」
どうやら、スペル・ビアスはクレアの言うことは絶対主義のようだ。
(はぁ、敵対されるよりは有難いけど、これはこれで面倒なひと……いや、竜が来たもんだな)
ユキトは心の中で大きく溜息をついたのだった。
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そんなサブシアから遥か遠く。コビルの国にある城の尖塔の頂上に一匹の黒猫状の生物が座っていた。
生物は夜天を映した瞳で、眼下に広がる城下街を眺めている。
そこでは異常な事態が進行していた。首都の住民と、そこに向かって攻め寄せたはずの兵士達。その全員が服を剥ぎ取られて『1列に接続された状態』で、四つん這いの姿勢のまま、街の路地を縫うように行進している。
路地には所々で篝火が焚かれており、彼ら彼女らの蠢く影を路地の壁へと照らし出していた。
この行進を辿っていくと、城の周囲を一周し、同じ路地へと戻ってくるようになっていた。つまり、この狂気の行列は巨大な輪になっているのである。それは同時に、犠牲となっている人数の多さを物語っていた。
更に理解しがたいことに、首謀者である虚井 暇自身も、この行列に加わっているのである。だが、その口は『接続』されているため、喋ることはできない。そんな状態で、ムカデ状の人間達はもう数日間もグルグルと城の周りを回り続けていた。
尖塔の頂上で、生物はジッとその様子を見つめている。
「この光景、シュレディンガーくんの目にはどう映るのかな?」
その声は唐突に生物の背後から聞こえてきた。
「……深淵か?」
シュレディンガーと呼ばれた黒猫状の生物は、首を動かすこともなく返事をした。その返事を受けて、シュレディンガーの背後に真っ黒い人影がその姿を形作る。その輪郭は暇のものに良く似ていた。
「そう。ボクは深淵。シュレディンガーくんとお話をしてみたくて出てきたんだ」
「その名は……暇の知識か」
シュレディンガーは振り返りながら、その瞳を細めた。元々、彼を『シュレディンガー』と呼ぶのは暇のみであり、彼に勝手に付けられた名前でもある。
「ああ、ボクはこの世界に実体化する際に、暇クンを媒体に意識を作ったからね。彼の知識や考え方などはある程度は共有している」
「それは、あの碌でなしが2人になったということか?」
シュレディンガーは呆れたような口調で言葉を紡ぐ。だが、その一方でシュレディンガーは脳髄が底冷えするような感覚を感じていた。全てを虚無に帰す、いや帰すべき虚無そのものを相手にしていることに対する根源的な恐怖かもしれない。
「碌でなしが2人か。ははは、なかなかヒドイことを言うね。まぁ、否定はしないけど、ボクも深淵の化身だからね。暇クンをベースにしても、彼のコピーというわけにはいかないんだよ。彼の知識、考え方を道具として使うだけさ」
「その化身が我に何用だ? 流石に暇に付き合いきれなくなったか?」
傍から見ると、尖塔の上に猫の影が、その後ろに人の影が浮かんでいるように見えるだろう。だが、いずれも外見からはかけ離れた存在だ。
「いやいや、ボクは気が長いんだ。全てが虚無に帰るのを待てるくらいにはね」
そう言うと黒い人影は、口を三日月のようにしてニイッと笑った。
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インフルが流行っている様子。皆さまもお気を付け下さい。