幕間劇 冒険者セリューの場合
ここまでのお話
ようやく到着した迷宮群落の前には市場が出来ていました。
「ハァハァハァ……」
「こんなところで死んでたまるか」
この世界では月並みとされる台詞が、板張りの暗い廊下に響く。幾つかの行灯の明かりのみが照らす廊下。その左右には障子戸が並んでおり、白銀に輝く洋風の鎧を装備した冒険者達には似つかわしくない背景だ。
彼らは迷宮群落に挑んで3日目のパーティだった。だが、既に5人のメンバーのうち2人を失っている。
「やっぱり『水差し』を手に入れた時点で戻るべきだったのよ!」
典型的な魔法使いの恰好をした女性が、リーダーらしき剣士に対して怒鳴る。
「この程度の魔道具じゃ全員が一生遊んで暮らすには足りないって、最後はお前も同意しただろ!」
彼女が言う水差しとは、一行が古代遺跡を思わせるゾーンにて入手したアイテムだ。水を無限に供給可能な魔道具であり、確かに貴重な品ではある。高額で売却できることは確実だろう。とは言え、怒鳴り返した剣士の言葉のように、パーティ全員が余生を過ごすには足りない。
「ハァハァ……もうどっちから来たのかも分からねぇな」
並走する髭面の大男が吐き捨てるように呟く。
彼らが冷静さを欠いている原因は明確だ。必死に廊下を走って逃げる彼らの後ろから、ゆっくりと追いかけてくる存在。裏返った悪霊だ。
始めにそれが出現したとき、セリュー達には普通の上位悪霊の群れに見えた。
部屋の中に5体ほどの半透明な霊体が空中に浮かんでいる。その虚な眼孔の奥には、悪霊特有の生ある者への憎しみを湛えた赤い光が宿っていた。
もちろん簡単な相手ではない。だが、冒険者として名を馳せているセリュー達ならば、負けることもない相手のはずであった。この1つ前の階層での戦いがそうだったように。
だが、セリュー達は逃げるべきだったのだ。
セリュー達が聖光矢や霊斬撃などの対アンデッド攻撃を用いて群れを殲滅しようとしたとき、その上位悪霊と思われていた霊たちが次々と裏返り始めたのである。
「エググググ……グガェ……」
口を限界以上に大きく開き、そこから袋を裏返すかのように体の内面が外側へとめくれていく。逆に、これまで外見を形作っていた表側は、次第に新たな外面に覆われていき、遂には赤黒い泥のような体表を持つ存在へと変貌してしまった。顔には歯が剥き出しの口だけが見える。
「こいつら、上位悪霊じゃねぇぞ!?」
セリュー達がそう気づいたとき、一瞬の隙を突かれて仲間の腕が喰い千切られた。
悪霊系の魔物の攻撃は、精神に影響を与えるものが中心だ。そのため、隣の仲間が取り憑かれそうになった時にすぐに気づいて対応できるように、仲間同士が密集する陣形を取るのがセオリーとされる。その他にも氷系魔法による攻撃も行ってくることがあるが、それは耐寒防護魔法などで防ぐ。
だが、目の前の裏返った悪霊は、物理攻撃を仕掛けてきた。それもかなり凶悪な一撃だ。本来ならば、ヒットアンドウェイで戦うべき相手と思われる。密集するべきではないし、囲まれるべきではない。
だが、セリュー達は既に囲まれていた。上位悪霊相手と思って組んだ陣形が命取りになった形だ。
ライオンに囲まれた草食獣の群れのように、セリュー達はじわじわと追い詰められていく。まず、腕を失って動きが鈍くなった仲間が喰われ、続いてようやく相手を1体屠るのと引き換えに、もう1人が犠牲になった。だが、その犠牲のおかげで残りのメンバーは囲みを突破して、逃げることに成功したのだ。
どれだけ逃げただろう。悪霊たちの執拗な追跡がようやく止んだようだ。
「ハァハァ……導士霊の類だったのかしら」
「もっと性質が悪いぞ、あいつら……くそっ、1体倒すのがやっとだった」
セリューも今までに仲間を失ったことがないわけではない。だが、一流の冒険者として名を知られるようになってからは、久しく味わっていなかった感覚だ。口の中が渇き、舌が口蓋に張り付く。無理矢理に唾を飲むと鉄の味がした。
こんなことであれば、迷宮群落ではなく、龍神谷へ向かうべきだったかもしれない。竜族の神位体であるスペル・ビアスが棲むという渓谷には、様々なドラゴンが集っており、このダンジョンと同じく非常に危険とされる。だが、落ちている竜鱗を集めて持ち帰ることができれば、一財産を築けるとされていた。
だが、いまさら後悔しても遅い。生きて地上へ戻ることが今の目標だ。
「アイツらのためにも生きて戻るぞ……」
「ええ」
セリューが自分自身に言い聞かせるように言葉を吐き、魔法使いのイザベラも小さく応える。だが……
「待て、前方からも何かが来る」
悪霊達を振り切って、気合を入れ直していた2人に対し、髭面のガドルが警戒を促した。確かに前方から何者かの気配が近づいてくる。
ミシリ……ミシリ……
木製の床が軋む音が響く。間違いなく何者かの足音であろう。
「くそっ、次は何だ!」
「前の階層のギガロートゥくらいなら、どうにかなるけど……」
セリュー達の緊張が高まり、掌にじっとりと汗が滲む。
「ん、あれは……人?」
意外なことに、薄暗い廊下の奥に姿を見せたのは魔物ではなく人間だった。いや、見た目は……と言うべきだろう。中肉中背の黒髪の男だ。ひどく軽装で、およそ冒険者らしくない。
(魔物の擬態か?)
セリューは近づいてくる男に対して警戒レベルを引き上げる。こんなところに一般人はいないはずだ。
「やぁ、こんばんわに」
セリュー達を認めた男は片手を上げると、ダンジョン内には似つかわしくない、にこやかな表情で挨拶をする。実に不気味だ。
「そこで止まれ」
セリューは強い口調で男を制する。先程、外見に油断して判断を誤ったばかりだ。ここで同じ轍を踏むわけには行かない。剣の切っ先を男に向けて、その正体を探る。
「お前は何者だ……いや、コードワードを答えろ。月」
セリューが問いかけたのは、迷宮群落に入る際に、冒険者を識別するために教えられる合言葉である。迷宮群落には、冒険者に擬態する魔物も存在する。そのため、合言葉を使って、ダンジョン内で出会った者が人間であるか否かを確かめるのだ。魔物が合言葉を覚えないようにするために、合言葉は定期的に変更されている。
「えーと……きつつき」
目の前の男は、少し考える素振りをして正しい単語を返答した。どうやら少なくとも人間であるようだ。
「次はそちらの番だ」
片方が正しい答えを返せば、もう片方が問いかけるのがルールだ。問いかけた方が人間に擬態した魔物である可能性もあるため、当然である。実際、合言葉を答えられずに正体を見破られて逃げ出した魔物が、次の冒険者に出会ったとき、先んじて合言葉を尋ねるのはよくあることらしい。
「……じゃあ、クビツリ杉」
「……趣味が悪いな……銀鮭」
この合言葉の仕掛けは単純で、問う側の単語が『天体』だったら『鳥の名』を答え、『植物の名』だったら『魚の名』を答えるというように、問いかけの単語の種類に対応した回答の単語種類が指定されている。あとはシリトリで答えれば良いだけだ。もう少し細かいルールもあるのだが、ここで詳細は省く。
「どうやら、人間らしいな」
「そうね。冒険者ではなそうだけど」
セリュー達も、目の前の男が人間であるとは信じたようだが、まだ完全には警戒を解いていない。彼の正体が分からないからだ。
「あれあれ? せっかくコードワードを答えたのに警戒されてるなぁ。まぁ、人間ってのは理解できない存在を警戒するものだから仕方ないか」
一方で、警戒されている側の男は気楽な口調でそう述べる。セリュー達の警戒する態度を全く気にしていない様子だ。
「まぁ、ボクを警戒するのはいいんだけどさ。それよりもボクが来たあっちの方にヤバいのがいたから、それが来る前に早く移動しない?」
そう述べると、男は人差し指を自身の背後へ向けた。どうやら、彼の背後の廊下の奥に何か魔物がいるらしい。
(こんな胡散臭いヤツの言葉を信用すべきか?)
セリューは悩む。このダンジョンにおいて、大した装備もなく、単独でそれなりに深いところまで潜ってきた男がただの通りすがりなわけがない。男の服装はズタボロであるが、身体に傷一つないのも気になる。ひょっとしたら魔物の位置を探知できる加護持ちなのかもしれない。
それに自分たちが来た方向に戻れば例の悪霊達がいるのだ。再び鉢合わせた場合、命を落とす可能性は高い。
「ちっ」
セリューは小さく舌打ちすると、魔法使いのイザベラに対して、廊下にある障子戸の一つを指差した。彼の動きを受けて、イザベラは即座に探査の魔法を展開し、中に何もいないことを確認する。この辺りの一連の動作は、彼らが錬度の高いパーティであることを伺わせた。
「大丈夫、魔物はいないわ」
「よし、この部屋の中でやり過ごすぞ」
彼らが逃げ込んだその部屋は、奇妙な部屋であった。床には植物を編み込んで作ったと思われる1×2メタほどの長方形の板が敷き詰められている。部屋の壁や柱には、異国の文字で書かれた呪符のような札がびっしりと貼られていた。
「魔物の気配はしないけど……この部屋、不気味ね」
イザベラが怯えの色を含んだ視線を、壁や柱へと走らせる。セリューもガドルも無言で肯定を示した。イザベラが何も言わない以上は、呪いの結界等の罠ではないのだろうが、気持ちの良い部屋ではない。
「少しくらい不気味でも仕方ない……とにかく気配を殺せ」
セリューは、首を横に振りながらそう述べると、皆に息を潜ませるように指示を出す。
そして、それと時を同じくして遠くから足音が聞こえてきた。
ミシリ……ミシリ……
何かが廊下をゆっくりと近づいて来る。足音の感じからして、人間よりも大きい。
ミシリ……ミシリ……
少しずつ近づいて来る何かは、もうこの部屋の近くにいる。セリューもイザベラもガドルも息を潜めている。その横で、謎の男は普段と変わらない表情で立っている。
ミシッミシッ
やがて、廊下の行燈が障子戸にそのシルエットを映し出した。上半身が異常に膨れ上がった人型の魔物だ。オーガのような巨体であるが、オーガよりも更に上半身が大きく、身体が捻じれたような歪なバランスをしているようだ。毛髪なのか触手なのか不明だが、細長い何かが何本も身体から伸び、周囲を伺うように蠢いていた。
「ゴクリ……」
思わず唾を飲む音も大きく聞こえる。戦ってはいけない類の魔物であることをセリューは直感的に感じ取っていた。下手なドラゴンよりも遥かに強いだろう。
化け物はセリュー達が隠れている部屋の前でしばし立ち止まっている。人間の匂いに感づいたのだろうか。セリュー達は息を潜め、脂汗を浮かべ、ひたすらに化け物が通り過ぎるのを願う。
その時、セリューが背後の壁に置いていた左手にイザベラの右手が触れた。セリューはそのまま彼女の震える手を掴み、ぎゅっと握りしめる。心細そうに彼を見たイザベラに対して、セリューは力強く頷く。
(こんなところで死んでたまるか)
セリューはそんな決意を込めて、障子に映るシルエットを睨みつけた。
やがて――
ミシリ……ミシリ……
再び化け物が移動を始めた。部屋の前の廊下を更に奥へと進んでいるようだ。障子戸に映っていた影も消えつつある。
(助かった……のか)
何としても地上へ戻ろう。そしてイザベラと2人で……そうセリューが考えた時、それは起こった。
今まで黙っていた黒髪の男がとんでもない行動に出たのだ。
「いや、思いっきり死亡フラグだよね」
突然、音量を絞ることなく声を発した男に対し、セリュー達は信じられないという目を向ける。確実に魔物に聞こえたはずだ。いったいこいつは何を考えて――
次の瞬間、障子戸を突き破り、何か恐ろしい存在が部屋に飛び込んできた光景を最後に、セリューの人生は幕を下ろしたのだった。
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