第131話 パードゥン? 大聖堂での呟き
前回のお話
皆が眠ってしまった怪異は七極のスロウの仕業であった。
「さて……真面目に調査を始めるか」
ユキトは巻物に結わわれた紐を解くと、慎重に巻かれた羊皮紙を広げていった。ベリバリと音を立て、時を経て色褪せたインクが露わになっていく。
『眠神スロウ
スロウは眠神にして七極。創造の女神が自身の欲する眠りを神としたものなり。
此れと行き逢いし者、全てを眠らせる存在。
人、亜人、鳥獣虫魚は言うに及ばず。火を消し、風をも止めん。
創造の女神に作られし者に例外なし。
眠神は神域を定め、其処で長い時を眠り続けん。
数十年の時を寝て過ごさば、漸く目を覚まし、神域の場所を移さんとす。
古来より、幾度も幾十度も幾百度も、寝ては移るを繰り返しけり。
眠神は喧騒を嫌うものなり。
眠神の神域は人里から離れし深き森に定められん。
神域の内は禁足地と心得るべし。
其の地に踏み込みし咎人は、眠神の怒りを買わん。
渡り歩く眠神の3里の内は、神の呪いが及ぶものなり。
眠り伏す眠神の1里の内は、神の呪いが及ぶものなり。
……』
古文書の序文にはそのような内容が記されていた。
「この記載を読む限り、昨日の事件は眠神様が次の寝床を求めて移動しただけみたいだな。その通り道にたまたま皇都があったと……」
ユキトはそう結論付ける。
その後の文には、スロウの寝床たる神域がどこで確認されただの、誰それが神域に迷い込んでいなくなっただの、各地の伝承のようなものが幾つも記載されている。
インクの濃さや色が違うところを見ると、時代ごとに少しずつ書き加えられていったものだろう。その最後には、数十年前に皇国内で起こったという事件について、比較的新しいインクで記されていた。
だが、ユキトが特に気になったのは、それらの中に混じっていた次の文だ。
『眠神の外見、人型にして浮浪の者に似る。白き頭髪が長く顔を覆い、風貌定かにあらず。声色は老人のごとし。闇においてはその身より淡き光を放ち――』
「これはスロウに会ったヤツがいるってことだよな」
外見だけであれば、遠見の魔法などを使うことで近づかずとも確認できる可能性はあるが、声の特徴まで記載されているとなると、この情報を伝えた者はスロウに会ったと考える方が自然だ。
もちろん、このような伝承の類は、適当にでっち上げられた可能性もあるわけだが、最後の淡き光を放つという説明は、ユキトの目撃した特徴と一致している。信憑性は高い。
「うーん、スロウに近づくと眠っちゃうわけよね。そんなヤツと会うって……どうやったのかしら」
「確かに気になるわねぇ。不眠症だったのかもぉ」
ファウナの疑問も当然である。まさか本当に不眠症くらいで能力から逃れられるとは思えない。
「司祭ならば詳しいことを知っているかもしれないな。帰る前に聞いてみるか」
どうせ帰る前には一声かけるように言われている。巻物には一通り目を通したことであるし、声をかけるついでに疑問点を尋ねてみるべきだろう。
「おや、もうよろしいので?」
ユキトが司祭の執務室をノックすると、すぐに先ほどの司祭が顔を出した。人当たりの良さそうな面長の老人だ。
「ええ、色々と知ることができました。感謝、申し上げます。ところで一つ伺いたいのですが」
「はい、私で分かる事ならお答え致しますよ」
「巻物にスロウの外見が記載されていましたが、目撃した人はなぜ眠らずに済んだのでしょうか?」
司祭はユキトの質問を聞くと、頷きながら口を開いた。
「ははは、やはりそこが気になられましたか。いや、私も初めてその記述を読んだ時には同じ疑問を持ちましてね。そして当時の司祭長に尋ねたのですよ。
司祭長が言うには、その目撃談は異世界から来た『まろうど』の方によるものだそうです」
「なるほど『まろうど』ですか。異世界からやってきた『まろうど』だと、スロウに近づいても眠らずに済むんでしょうか」
ユキトは内心では「やはりそうか」と思いつつも、表情には出さずに質問を続ける。
「はっきりとは分かり兼ねます。私も司祭長にそう聞いただけですから。
ただ、眠神は世界の創造主である女神クレアールが生み出した存在と記述があるくらいなので、この世界ならざる世界からやって来た者は、その力の範囲外にあるのかもしれませんね」
「参考になりました。ありがとうございます」
「いえいえ、お役に立てたなら光栄です。
……あ、もしお急ぎでないようでしたら、我が教会の自慢の大聖堂にもお立ち寄り下さい。アスファール王国への土産話にはなるでしょう」
「では、帰る前に覗いていくことにします。それでは失礼します」
ユキトは司祭に別れを告げながら、得られた情報を元に自身の考えをまとめる。
(やはり異世界人にはスロウの能力は完全には効かないみたいだな。昨日の実績を考えても『まろうど』である俺は、能力下でも目を覚ますことができそうだ)
ユキトの思案顔を見て、ファウナが心配そうに声をかける。
「ユキト、スロウに会いに行くつもり?」
「それは危ないわよぉ。晩餐会の時はユキトくんもぉ眠っちゃったじゃない。永続的な効果がないとしてもぉ、目を覚ます前にスロウから攻撃されたらどうするのぉ? 神域に踏み込んだらぁ、怒りを買うって書いてあったでしょう?」
ストレィの指摘通り、異世界人たるユキトは、スロウに近づいても眠り続けるわけではなさそうだが、それでも最初の睡眠効果までは防ぐことはできない。その間にスロウ側から攻撃を受ければ、死は免れない。
「誰かに起こしてもらえば良いんだよ」
「その『誰か』も眠っちゃうでしょ!」
ユキトの答えにファウナがツッコミを入れてくる。
「でもぉ、距離を開けて尾行するならぁ、先を進んでいるユキトくんが眠っちゃっても、後ろから石でもぶつけて起こせるかしらぁ」
ストレィがそんな案を出したが、ユキトとしては石をぶつけられるのは勘弁して欲しいなぁと思う。それにこの案にも欠点がある。
「いや、スロウが寝床にするのは深い森って古文書に書いてあっただろ。森の中じゃ距離を開けて追うのは厳しいし、スロウの力が特定の距離ぴったりで発動するかも不明だからリスクがあるな」
ユキトが眠ったのに合わせて、尾行している人間も一緒に眠ってしまうのは避けたい。ユキトが目を覚ますまでの間に、スロウに攻撃される危険がある。やはりユキトが眠った時には、すぐに起してもらう必要があるのだ。
「まぁ、俺に考えがある。例の能力を使えば、どうにかなるだろ……ちょっと気が進まない点もあるが」
ユキトはそう言うと、軽く苦笑いを浮かべたのだった。
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ハルシオム総教会に併設されている大聖堂。外観はパルテノン神殿に良く似ており、三角形の屋根を多くのエンタシスの柱が支えている構造だ。その床や壁は、氷長石を思わせる半透明の白い鉱石で覆われ、各所に大理石で掘られた彫刻が配置されている。
半透明の鉱石で覆われていることで、聖堂全体が淡い光に包まれているように見え、その美しさは皇城にも匹敵していた。
「わぁ、すごく綺麗……」
「噂には聞いていたけどぉ、見事なものだわぁ」
女性2人組は大聖堂の放つ、優美にして荘厳な雰囲気に感動しているようだ。ユキトも、確かに司祭が勧めるだけのことはあると認めざるを得ない。
「立派な聖堂だな。ここは何か有名なのか?」
ユキトはストレィに尋ねてみる。胸が大きいし、言動はアレだが、これでも彼女は王都の総教会の司祭という経歴を持つ。いや、胸は関係ないが。
「ハルシオム総教会の大聖堂は聖域とも呼ばれていてぇ、毎年クレアール祭が開催されるのよぉ」
ストレィの説明を聞き、ユキトは以前に聞いた話を思い出した。確か、眠りについた創造の女神を覚醒させるために、その御名を呼ぶという儀式が聖域で行われているのだったか。
(インウィデアが神の世界との門を閉じているから、声も届いていない可能性があるなぁ)
尤も、神の世界の門が閉じていることは世界の重要機密であるため、迂闊に口にするわけにはいかない。そんなことを考えながら、ユキト達は大聖堂の内部へと足を踏み入れる。
聖堂の内部も外観と同じく、白を基調としたデザインで、床にはツヤのある白い鉱石が、壁には半透明の鉱石が使われていた。
一番奥には祭壇が設けてあり、祭壇上には左右に開かれた大きな扉の彫像が備えられていた。その開かれた扉の彫像の間に、1体の女神像が安置されている。
(扉の奥に女神様か。まるで仏壇みたいだな……ん、ひょっとしてあの扉は神の世界との門を表しているのか?)
仮に扉に見える彫刻が、神の世界への門を表現したものだとすると、その奥に女神様がいるのも理解できる。ユキトが思っている以上に忠実な構成であるらしい。
「じゃあ、せっかくだからお祈りしていきましょうよ」
「それがいいわぁ」
ファウナの言葉にストレィが同意を示し、2人は女神像へと近づいていった。
ユキトも二人を追う形で祭壇の正面まで歩みを進める。近づいてみると、女神像は3メタ程の高さがあったが、その表情は自愛に満ちており、威圧感は感じられない。
ファウナとストレィは目を閉じて、そんな女神像に向かって祈りを捧げ始めた。
(女神を目覚めさせるために、その名前を呼ぶ……か)
ユキトは二人に倣って女神像に祈りを捧げながら、こっそりと「クレアール……」と創造の女神の名前を呟いてみた。『まろうど』たる自分が名前を呼ぶことで女神が目覚める展開があるかもと思ったのだが、何の変化も生じない。
そして少しの間を置いて、ユキトはさらに何かを呟く。
「……スフジカ」
ユキトの隣にいたファウナは、その呟きを耳にしていた。聞こえたのは後半だけだったが、意味が分からない単語だ。何かのおまじないだろうか。
「ユキト、今何て言ったの?」
「いや、何でもない。それに……どうやら違ったみたいだ」
ファウナがこの呟きの意味を知るのは、しばらく経ってからのことになる。
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