第130話 判明! 眠神の脅威
前回のお話
皇城での晩餐会中に突然、皇都は暗闇に包まれ、人々は意識を失った。
唯一、意識を取り戻したユキトは、皇都の道を進む、怪しく光る人影を見たのだった。
妖光を発する謎の人影は、次第に遠ざかり、やがて姿を消した。それと同時に、ユキトの眼下に広がる街に光が戻り始める。その怪異が去って行った方向とは逆側から、次々と住居に明かりが灯っていった。
その波は、やがて皇城にも及んだ。ユキトのいるこの室内においても、蝋燭がボボッと音を立てると、燭台に再び炎が灯った。
「ここにも明かりが戻ったけど……」
ひとりでに火がついた蝋燭を見て、ユキトは狐につままれたような気分だった。そもそも、どんな原理で勝手に火がついたのだか、さっぱり不明である。
更には、今までユキトがどんなに揺り動かしても目覚めなかった人々が、一斉に目を覚まし始めた。皆、顔を上げると、まだ半開きの目でキョロキョロと周りを確認している。
「……むぅ、何が起こった?」
「これは……いったい」
全員が混乱しており、当然ながら、誰も状況を把握していない。
ユキト自身も脳内は?マークでいっぱいなのだが、この場で最も現状を理解しているのは、ユキトで間違いないだろう。
「あれ? ユキト、私……寝ちゃってた!?」
「ああ、可愛い寝顔だったな」
「な!!! なんばいいよっと!?」
「ま、それはそれとして……」
ユキトはファウナをからかいつつも、場を落ち着かせるため、自身が見た事をアスファール王とハルシオム4世に説明することにする。
「陛下、私を含めて皆が突然意識を失ったようです。私が意識を取り戻したときには、この室内は真っ暗で、陛下をはじめ、ハルシオム陛下や他の参加者、見張りの兵、給仕に至るまで全員が眠っているかのような状況で、何をしても覚醒しませんでした。
さらに城全体、街全体からも明かりが失われておりました。恐らくは住民も全員が意識を失っていたものと推測します。さらに街に怪しい人影が――」
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怪異の正体はあっさりと判明した。ハルシオム4世がこの現象を知っていたためだ。眉を寄せつつ、皇国のツァーリは現象の原因であろう者の名を告げる。
「眠神スロウの仕業であろう。数十年前にも同じような事件が発生したことがある。皇都の教会にもスロウに関する資料があったはずだ」
眠神スロウ。七極の一として数えられる者。日本でいう行逢神のような存在として捉えられており、この神が通るところ、全てが眠りにつくと言い伝えられている。
今回の皇都全域が眠りについた現象は、このスロウによるものであろうというのが、ハルシオム4世の考えだ。
その後のハルシオム4世の行動は素早かった。晩餐会から即座に中座すると、臣下に対して城内や皇都に被害が出ていないかの確認を指示し、医療部隊を待機させた。
スロウの能力の凄まじさゆえか、火をも含む全ての動きが止まるため、火事の心配は少ない。だが、意識を失った場所が高所や水辺などであれば、そのまま命を失う可能性はある。例えば、はしごの上で作業している途中に意識を失えば、落下は免れないだろう。
「前回、近隣の都市バフュラホイでこの現象が起こった際には、3名ほどが命を落とし、数十名の負傷者が出たと記録されている」
ハルシオム4世はそのように述べたが、転倒等による軽いすり傷等を含めればもっと被害があっただろう。急に意識を失うということは、かなり危険なことであるのだ。
そんなわけで、もう夜が深まりつつある時間帯ではあったが、皇国の兵士達は町中を走り回り、被害の確認に努めたのだった。
翌朝、皇都の被害状況が明らかになった。
結局、幸いにも死者こそ出なかったものの、18名の負傷者が確認された。もし、日本であったら入浴の時間が夜なので、風呂で溺れる者が出たかもしれない。だが、異世界では中世の欧州と同様に、朝の入浴が一般的であったため、溺死者はいなかった。
「それにしても、スロウの眠りの呪いを退けるとは、流石はシジョウ卿だ」
これは、ユキトが先に目を覚ましたことに対する皇国貴族達の評価である。尤も、ユキトもなぜ自身が先に目を覚ますことになったのか分からない。それに、目覚めたのが早かったというだけであり、一旦は皆と同様に眠ってしまっているので、「呪いを退けた」と評されるのは、過大評価だと思っている。
「でも、何で俺だけ目覚めるのが早かったんだろうな?」
「ユキト、朝は起こしてもなかなか起きないのにね」
「それは今は関係ないだろ。とにかく、俺以外の全員は目を覚ます気配が全くなかったんだ。休日の朝の俺よりもぐっすり寝込んでたぞ」
あの時、ユキトがどんなに揺らしてみても、ファウナもフローラも、アルマですらも目を覚ます気配はなかった。スロウが近くにいる間は、眠らせる力が永続的に働くのだろう。単純ではあるが、実に恐ろしい能力だ。ユキトはそう考え、スロウへの警戒を強めておく。
それにしても、ハルシオム4世の話では、皇都内の教会にスロウに関する資料があるということだが、近づくと眠らされるような相手の情報を、誰がどうやって取得したのか気になるところである。見た者は死ぬ系の怪談がなぜ衆人に伝わっているのかと同じような謎だ。逆に言えば、資料を確認すれば、スロウの能力の回避手段が分かるかもしれない。
そんな謎の資料を確認しに行く前に、ユキトは先にアウリティアに相談してみることにした。こんなこともあろうかと、緊急用の遠隔通話の魔道具を持参していたのである。皇国行きが決まってから、アウリティアに作ってもらったものだ。
ユキトは自分に割り当てられた室内で、荷物の奥からカップ状の魔道具を取り出した。糸電話に使う紙カップのような形状であるが、陶磁器のような材質で出来ており、表面には縄文土器のようなゴテゴテした文様が刻まれている。
「あー、あー、こちらユキト。アウリティアか誰かいるか?」
ユキトはカップの口に向かって声をかける。
「……ん? なにか、聞こえたような気がするな。
……あ、通信か!? ……あー、あー、こちらアウリティア、どうした? この魔道具は急いで作ったものだから、そんなに何度も使えないぞ」
「いや、実は変な事件が起きて――」
ユキトはアウリティアに昨晩の怪異について説明する。七極のことは七極に尋ねるのが賢いというものだ。
「……スロウに遭遇したのか。普通、七極と出会うなんて、一生に一度あるかないかだってのに、運が良いんだか、悪いんだか」
「お前もその七極だろうが……。そもそも遭遇したというよりは、見かけたって程度だ。それでスロウについて知っていることがあれば、教えて欲しい」
「眠神スロウか……俺も直接会ったことはないぞ。何しろ近づいた者はことごとく眠らされるからなぁ」
「七極同士でも能力が効くんだな」
どうやら眠神という名は伊達ではないようだ。
「スロウは神の一種、もしくは亜神と呼ばれる存在らしい。創造神が自身の眠気から産み出したとも言われていて、この世界のあらゆる存在……眠らぬはずのアンデッドやゴーレムまでも眠らせ、さらには物理現象まで鎮静化させるという話だ」
「……チートかよ。それで、アルマもスリープモードになっていたし、火が一時的に消えたりしたんだな」
非生物についてもスロウの能力からは逃れられないと聞き、「無茶苦茶なヤツだな」とユキトは内心で溜息をつく。
「しかし、『この世界の存在ではないヤツ』には、ヤツの能力も完全には効かなかったようだな。本来はヤツの近くにいる間は、目が覚めないはずなんだ」
「ん? ……なるほど、だから俺だけ目を覚ますことができたのか」
アウリティアの指摘通り、確かにユキトは「この世界」の存在ではない。よって、異世界人であるユキトに対しては、この世界の眠気の権化であるスロウの力も十全には発揮されないということだろう。その点、アウリティアも出身はユキトと同じであるが、彼はエルフに「転生」しているので、この世界の存在になったと言って良い。
「つまり、スロウが近づいて眠らされたとしても、異世界人の俺だけは目を覚ますことが可能ってことか」
「まぁ、今のところは仮説に過ぎないけど、状況的にはそう判断できそうだ」
この仮説が大きく外れていることはなさそうである。先の状況もその仮説を支持していた。
「ところで、スロウがこんな現象を引き起こしたのは、俺を狙っていた可能性もあるか?」
イーラ、インウィデアと七極に命を狙われた経験のあるユキトとしては、スロウの目的を明確にしておきたいところだ。また命を狙われる展開は勘弁して欲しい。
「うーん、数十年単位で居場所を変えるヤツだから、単に移動経路上に皇都があっただけだろう。
スロウってのは、とてつもない怠け者でな。特定の誰かの命を狙うような、そんな面倒臭いことをするヤツじゃないぞ」
アウリティアはユキトを狙った行動ではないと言い切った。スロウの怠惰っぷりは七極内で有名のようだ。
「敵ではないなら良かった。……あ、さっきスロウは、神様もしくは亜神って言ったよな?」
「ああ、そうだ。確か、ハルシオム総教会に収められていた古文書にそう書いてあったと記憶している」
アウリティアが言うのは、ハルシオム4世が言及していた教会の資料のことだろう。やはり、後で確認しておく必要がありそうだ。
「亜神ってインウィデアも似たような存在なんだろう? それなら、スロウに尋ねてみたら、インウィデアがどこに潜んでいるか分かったりしないか?」
ユキトの命を狙ったインウィデア。ユキト達と交戦して手傷を負い、今はどこかに隠れ潜んでいるものと思われる。こいつにトドメを刺しておかなければ、ユキトも安心できないというものだ。
「確かに知っているかもしれないけど、どうやってスロウに近づくつもりだよ。安眠を邪魔しに来たと思われたら、流石に攻撃されるぞ? スロウの戦闘力は高くないらしいが、眠っているところを攻撃されたら……」
「眠らされてもすぐに目を覚ませばいいってわけだろ。俺にちょっと考えがある」
ユキトが軽く笑みを浮かべる。
「分かっていると思うが、目覚まし時計とか作っても、スロウに近づけば動かなくなるぞ? ホントに大丈夫か? 十分、気をつけろよ。不死の加護はなくなってんだからな」
「多分、いけると思うんだけどなぁ。でも、無理はしないようにするわ。 取り合えず、色々分かった。サンキュー」
ユキトはアウリティアに礼を述べると、通信を終了させた。流石にアウリティアは極魔導士というだけあって、物知りだ。古典の徒然草にも、良い友は「物をくれる友」「医者」「知恵ある友」だと記載がある。
(上手くインウィデアの居場所が聞き出せれば、心配事の大本を潰せるかもしれない。さて、そのためにも、教会の資料とやらを確認する必要がありそうだ)
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「これが、その古文書でございます」
皇都の中心部に聳え立つ教会。そこがハルシオム総教会だ。白く端正な神殿を思わせるこの教会は、この大陸で最も権威ある教会とされており、創造の女神クレアールを中心に、多くの神々を祀っている。
その教会の高位司祭の1人が、いかにも古そうな羊皮紙の巻物をユキト達の前へと持ってきた。もちろん、事前にハルシオム4世に紹介状を書いてもらっている。国のトップからの紹介ということもあり、異国の貴族であるユキトでも簡単に古文書を見せてもらえることになったのだ。
「それではシジョウ卿、私は部屋におりますので、終わりましたら声をお掛け下さい」
「分かりました。ありがとうございます」
ユキトは司祭に例を述べると、手元の巻物を確認する。
「それなりにぃ、古いものみたいねぇ」
「そうね。何か有益な情報が書いてあるといいけど」
今回の同行者は、ファウナとストレィだ。フローラも同行したがっていたのだが、残念ながら彼女はアスファール王の護衛シフトであり、お留守番だ。
(何かお土産でも買っていってやるか)
一緒に行けないと分かった時のフローラの泣きそうな顔を思い出しながら、ユキトはそんなことを考える。
「ユキトくぅん、何考えてるのよぉ。ちゃんと古文書を確認しないとぉ」
ユキトが別のことを考えていることを察知したのか、ストレィがユキトの腕に絡みつきながら、自身の方へと引き寄せる。
「おい、ちょっと……って、これ……あの、当た……」
この体勢は、ストレィの豊満な胸部が自然とユキトの肘あたりに密着することになる。思わぬ柔らかさに焦るユキト。それが面白いのか、ストレィは更に強めにユキトの腕に抱き着く。
「お、おい……ストレィ……そんなにくっつくと」
「あらぁ、どうしたのぉ? クスクス」
教会の蒐集物ということでストレィを連れてきたのだが、人選を間違えたかもしれない。だが、この場にいるのは、ストレィだけではない。ユキトの横に立っているエルフの拳が闘気で光り出す。
「ちょっと。二人とも、イチャついていないで真面目にやりなさい」
イーラの氷結魔法もかくやと思わせる冷たさを纏ったファウナの声を受けて、ユキトはヒィと震えながら本来の目的である古文書へと向き直るのだった。
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