第129話 ホラー? 皇都の夜の怪異
前回のお話
フローラはクローリアの姪だった。
ユキト達がハルシオム皇国へ訪れて3日目。この日はアスファール王を歓迎するための晩餐会が予定されていた。
この晩餐会には、アスファール王とお付きの文官貴族だけでなく、ユキト達も参加する。ユキトやファウナ、フローラ、セバスチャンのみでなく、アルマやストレィの席も用意されていた。
なお、ファウナの養父でもあるバイオムは「孤児院を長く空けるわけにもいかない」と孤児院のある街へと戻ってしまった。彼は、軍の指南のために月に何度か皇城を訪れているそうだが、それ以外は孤児院のある近隣の街で暮らしている。
「ユキト殿。フローラさんだけでなく、ファウナも宜しく頼むぞ。王国も皇国も、貴族の重婚は可能だったはずじゃからの。ハッハッハ」
バイオムはユキトに対して、そんな言葉を言い残していった。後半の発言のせいで、ユキトとしてはなかなか軽々しく「任せろ」とは言えないわけだが。尤も、ファウナがその気であればやぶさかではないけど……などと考えている。
だが、いずれ発生するかもしれない結婚イベントはともかく、喫緊の問題は晩餐会だ。そんなわけで、ユキトとファウナは大慌てでフローラから晩餐会のマナーを習っていた。
「まず、最初に挨拶と会話です。配膳がなされる前に参加者同士で挨拶を交わして、簡単に話をしておきましょう。これは以前にお伝えした儀式前の顔合わせなどと同じです。
次に杯や皿が運ばれてきましたら、ここで『貴族の権利』と呼ばれる手順があります。これは端的に言えば、毒見です」
「毒見が標準的なマナーに組み込まれているとは、流石は貴族だな」
フローラの説明を受けて、ユキトは感心してみせる。少なくとも現代日本では、サーブされた料理に対して、毒の混入を疑うなんてことをしたらマナー違反だろう。
「陛下の料理の毒見はハンドラ伯爵が行われると思いますが、我々の毒見はどうしましょう。セバスチャンも簡易的な毒見の魔法は可能ですが」
フローラがユキトに尋ねる。
少なくともサブシアでは毒見はアルマに全て任せていた。今回もそれで良いだろうとユキトは判断する。どうやら、毒見をしなくてもマナー違反にはならないらしいが、ユキト達はアスファール王国の重要人物でもある。念のために行っておくべきだろう。
「アルマ、頼めるか?」
「はい、マスター。メンバー全員の料理を確認致します」
人造生命体……というよりもSFのロボットに近いアルマは、視認対象を分析する能力を有している。そのあたりの具体的な理論はユキトにも不明だが、ストレィに言わせると光学的な分析と魔術的な分析を合わせた手法だそうだ。
この手法は、毒成分だけでなく、魔術的な呪詛なども検知可能だ。セバスチャンも「私めの毒見の魔法よりも随分と精度が高いようですな」と言っていたので、任せてしまって良いだろう。
「では、次に乾杯の時は……」
フローラ先生の講義は3時間ほど続いた。
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晩餐会は、皇城の高層階にある食堂で行われた。高層階ということもあって、そこまで広くない部屋だが、大きな窓から皇都を広く見渡すことができる。家々の灯している明かりが、まるで地上の星のようだ。
「では、アスファール王国とハルシオム皇国との今後の末永い友誼を願って……」
「「「乾杯」」」
一同の乾杯の声で、晩餐会が開始された。
乾杯用の杯に満たされているのは深紅の色をしたワイン。地球のお高めのワインに比べれば、洗練されていないワインであったが、ユキトはワインの味がイマイチ分からない。こんなものかな程度の感想しか出てこなかったが、それも仕方ないことだろう。
もちろん、この乾杯用のワインについても、事前にアルマに毒見をさせている。この世界の毒見は、専用の魔法によるものが一般的だが、アルマは料理や飲料を一瞥するだけで可能だ。
とはいえ、呪術的な手法を用いる暗殺者の中には、単品では無害な呪いを施した料理を、テーブル上に魔術的に配置することで、印を構成して標的を呪うという手法を用いた者もいるらしい。
暗殺用の毒や呪いについては、地球でいうコンピュータウィルスのように、防御策を講じれば、それを突破する方法が講じられるという、まるでイタチごっこの様相を呈している。
とは言っても「王城や皇城といった場所であれば、二重三重の警戒がなされていますから、ほぼ安心のはずですわ」とフローラが述べていたので、ユキトとしてもさほど心配はしていない。安心して料理を楽しむことにする。
コース料理のように前菜から順番に出てくるわけではなく、何度かに分けて、数皿の料理がまとまって供されるスタイルである。数人分をまとめて大皿でサーブされる料理もある。
料理には、異国の雰囲気が漂う食材が使われている割合が多いようだ。輸送に高いコストがかかるこの世界の高級料理とは、産地が遠国である食材を使ったものになるのだろう。
「窓からの眺めはいいけど、料理はサブシアの方が美味しいわね」
目の前に並べられた料理を口に運びつつ、ユキトの隣席のファウナが小声で話しかけてくる。確かにファウナの言う通り、料理の味はイマイチであった。
もちろん、この世界の基準では十分に美味しい料理のはずなのだが、様々なスパイスや良質の食材を用いているサブシアの料理……特にユキト達が食べていた料理に比べると、味が平坦である。調理法もかなり大雑把なものだ。
「異世界あるあるだなぁ」
ユキトはそんな感想をつぶやく。元の世界で読んでいたラノベに出てくる異世界の料理の水準は、どうも地球の中世の料理よりも劣るケースが多かったように思う。その方が、ラノベの展開が作りやすいからと言ってしまえば、その通りなのだが。
「それでも、そこそこイケるのもあるな」
ユキトが興味を示した料理は、魔物の肉を焼いたものだ。牛肉や豚肉とは異なった味わいで、脂とは違った方向性、つまり赤身肉としての旨味が強い。ユキトとしては、霜降りの牛肉は当然美味いものだが、赤身にも赤身の美味さがあると思っているだけに、嬉しい逸品であった。
(こうやって見ると、王国ではあまり見かけない食材も多いな)
ユキトは興味を持って異世界の料理を観察していく。
だが、続いてサーブされた料理を見て、ユキトは首を傾げた。カップ状の器の中に、黄色くプルプルした豆腐のようなものが入っている。プリンにも見えるが、器は温かいようだ。そしてユキトはこの料理に見覚えがある。
「これは……茶碗蒸し?」
思わず呟いたユキトの声は、ハルシオム4世の耳に届いたようだ。ツァーリは感心した表情をユキトに向ける。
「流石はシジョウ卿。エルフ料理のチャワームシュをご存知とは」
「あ、これはエルフ料理でしたか。いや、以前に食す機会がありまして」
そう回答したユキトだが、エルフ料理と聞いて、このチャワームシュという料理の出所に見当がついた。
(これは間違いなく、紺スケが広めたな)
紺スケが苦労の末に再現した豚骨ラーメンに比べれば、茶碗蒸しは簡単な料理ということになるだろう。もちろん、茶碗蒸しには繊細な味の調節はあるだろうから、あくまでも手順を再現する難しさについての話だが。
そんなことを考えながら、ユキトはプルプルしたチャワームシュを木匙ですくい、口に運ぶ。久々の茶碗蒸しに期待は高まるが、異世界であることを考えると同じ味を期待して良いものかは疑問だ。
(む……こういう味か)
エルフ料理だというチャワームシュの味は、ユキトが日本で食べ慣れていた茶碗蒸しよりも、よく言えば濃厚、はっきり言えば大味であった。出汁の繊細さが欠けている代わりに、具材から染み出した味が強く感じられる。だが、不味くはない。及第点だろう。
「これは珍しい料理ですな。それに触感が面白い」
アスファール王はこのチャワームシュが気に入った様子だ。木匙をせわしなく動かしている。
それを見たユキトは「いずれサブシア産の茶碗蒸しを献上した方がいいかな」などと考えていた。
だが、ここで異変が起こった。
燭台の蝋燭の火が「ボボボ」と音を立てつつ、急に小さくなっていく。
そして、それを疑問に思う間もなく、ユキトの見ている風景がぐにゃりと歪み、そのままユキトの意識は暗転した。
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「…………
…………
……!?」
ユキトが意識を取り戻した時、周囲は真っ暗であった。どの程度の時間が経ったのかは分からないが、ユキトの主観としては数十分程の感覚。身体にも異常は感じられない。
「場所は……元の食堂となっていた部屋だな」
幸いにして大きな窓から見える遠景は、先ほどと同じだ。窓から入ってくる月の明かりのおかげで、室内の様子もぼんやりと見えてきた。
「皆、いるみたいだな」
晩餐会の出席者は、全員が自席に座ったままであった。だが、椅子の背もたれに身体を預けたままの者、机に突っ伏している者。体勢は様々だが、動いている者は誰一人いない。
壁沿いには、給仕や護衛が倒れている。室内は静寂が支配し、物音一つしない。いや、この部屋だけでなく、城の中全体が静まりかえっているようだ。
「おい、ファウナ。おい、しっかりしろ」
ユキトは隣の席で机に伏せているファウナの肩を揺り動かした。
だが、反応がない。ユキトの心に焦りが生じてくる。
(まさか……全員、死んでるってことはないよな)
ユキトは、ファウナの口に手を近づけ、呼吸があることを確認する。
「息は…………良かった。呼吸はあるみたいだな」
幸い、ファウナの呼吸は止まっておらず、その息を手の平に感じることができた。自発呼吸がある。つまり彼女は生きているということだ。
「フローラも大丈夫か?」
ユキトは席を立って、ファウナの奥に座っていたフローラの呼吸も確認する。
「スゥスゥ……」
「こっちも大丈夫みたいだな」
フローラにも自発呼吸が確認できたことで、ユキトはひとまず安心する。どうやら、全員死んでいるわけではなさそうだ。
念のため、セバスチャンやストレィの状態も確認していくが、状態は同じであった。全員、意識がなく眠っているようであるが、どんなに揺り動かしても目を覚まさない。
「アルマもか?」
ユキトは席の末端に座っていたアルマに近づき、肩に手をかけた。だが、アルマが動く様子はない。
「アルマ、お前はロボットだろうが」
ユキトはアルマに声をかけてみる。だが、返答はなかった。どうもスリープモードと呼ばれる状態に入っているらしい。スリープモード時のアルマは、人間と違って呼吸をしていないので、死んでいる状態との区別が難しいところだ。
「ロボットのアルマもダメか……あ! 陛下を忘れてた」
ここでユキトは、臣下としては一番先に安否を心配すべき人物のことを思い出す。姿はあったので、攫われていないことは把握していたのだが、息があるかは確認すべきだろう。
「狙われるとしたら陛下だよなぁ」と呟きながら、ユキトはアスファール王の呼吸を確かめる。どうやら、他の人間と同様に息はあるようだ。同じくハルシオム4世も確認したが、どちらも目を覚ます気配はない。
「いったい、どうなってんだ? 例の貴族が何かやったにしては、意味が分からない」
ユキトはこの不可解な現状について考えこむ。そもそもアルマを含めて、この場の全員の意識を奪うことなど可能なのだろうか。不気味な現象であり、人間業とは思えない。
それに、このまま全員の意識が戻らないようであれば大問題ではあるが、それならばどうしてユキトだけが回復したのだろうか。
「静かだな……城全体がこんな状況になっているのか?」
ギギギギ……
出入り口付近の床に倒れている護衛の兵士を踏まないように避けながら、ユキトは食堂の扉を開けてみる。見える範囲の廊下は真っ暗で、物音は聞こえない。
「悪夢を見ている気分だな……」
ユキトは食堂内に戻ると、窓から外を眺めた。月明かりが街を照らしている。そして、あることに気づいた。
「これは……」
皇都の街もまた、真っ暗な闇の底に沈んでいた。晩餐会が始まったときには、家々に無数の明かりが灯っていたはずだ。それが、どの家にも光を見ることができない。静かに月光が建物を照らしているだけだった。
だが……
「あれは……なんだ?」
ユキトはそれを見つけたとき、背中に冷たいものを感じた。静寂が支配する街の中に何かがいる。
皇都の中心を貫く目貫通り。その通りの、城からかなり離れた位置に淡緑色の光が見えた。その光はぼんやりと人型を形作っているようだが、距離があるので明瞭ではない。ゴーストのような淡い人影は、ゆっくりと遠ざかっているようだ。
アレはこの現象と関係があるのだろうか。
(関係ないとは思えない……がアレに近づくのはヤバい気がする)
全ての人間が静まりかえった夜の都。目抜通りを進んでいく怪しい人影。ユキトの周囲で何かが起こったことだけは確かなようだった。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
ブクマや評価もありがとうございました。感謝申し上げます。