幕間劇 行商人トネコルの場合
「ここがサブシアか……」
行商人であるトネコルがサブシアを訪れたのは、記憶にある限りでは3回目である。前回、ここを訪問したのは5年ほど前だったはずだ。確か、いつもの行商ルートに盗賊団が出没するという噂を聞いたため、やむなくルートを変更し、その際にサブシアで一泊したのだ。それから5年。
「いやはや、変われば変わるものだな」
トネコルの記憶では、サブシアは村というにはちょっと大きい程度の、これと言った特徴もない典型的な街道沿いの町であった。農業と狩猟、鍛冶、交易と産業の種類だけは揃っていたが、逆に言えば、どれも突出したものがない平凡なものだった。
トネコルがサブシアについての噂を耳にしたのは、最近になってからのことだ。曰く、サブシアの農作物はとてつもなく高品質である。曰く、サブシアではこの世のものとは思えないほどに美味い料理が食べられる。曰く、王都にも勝るほどの立派な建築物が並んでいる。曰く、非常に高品質の鉄を使った武具が手に入る……等々。
「あのサブシアが?」
元のサブシアの姿を知っていただけに、当初は疑っていたトネコルであったが、シジョウ冒険爵という英傑が治めるようになってから発展したという話を聞き、ピンと来るものがあった。
「この発展ぶり……やはり、シジョウ冒険爵は『まろうど』ということか」
行商人という職業をしていると、各地で様々な情報に触れることも多く、またその情報こそが商売のタネでもある。トネコルの父も行商人であり、王国中の様々な情報に触れていた。その父から言われていたことがある。
「トネコルよ。異世界より来るという『まろうど』の話は御伽噺だと思われがちだが、彼らは実在するのだ。全員がそうというわけではないようだが、彼らの中には特別な加護を得ていたり、我々にない未知の知識を持っていたりする者がいる」
そんな父の言葉もあり、トネコルはサブシアの急速な繁栄がシジョウ冒険爵の『まろうど』としての知識にあるのではないかと当たりをつけていた。
それが事実かどうかはともかく、商売のタネを逃すわけにはいかない。同業者の中でも耳が早い者は、既にサブシアに向かっている。
そうして、今日ようやく到着したサブシアの町……いや街と表すべきその領都は、トネコルの想像を超えるものだった。
行商人として王都にも何度も足を運ぶ彼だが、その彼の目から見ても、一部の建築物は王都をも凌駕していると言わざるを得ない。なにしろ、市井の人々が暮らしているであろう建物の一部が、3階建て以上の高層建築となっているのだ。道は綺麗に舗装され、大通りには活気があり、今も多くの建物が建設中であった。
「さて……ここでは食糧を広く買い求めているということだったが……」
トネコルもプロである。手ぶらでサブシアに向かうはずもない。だが、サブシアで何が求められているかというのは難しい問題だ。なにしろ、美味い農作物、高品質の武具、高水準の文化が揃っている街なのだ。
だが、その答えは簡単だった。サブシアでは食糧が不足しているという。トネコルは以前に恩を売ったことのある行商人の仲間から、事前にその情報を得ていた。
領主であるシジョウ冒険爵は、高品質の作物の種子や苗を農家に配布し、その栽培を奨励している。それらの作物の収穫量は、普通の品種を大きく凌駕しているらしいが、種子や苗が無尽蔵にあるわけではなく、旧来の作物からの転換はまだ途中だ。
一方で、周囲からの人口の流入もあり、サブシアの人口は大きく膨れ上がっていた。そのため、サブシアでは高品質の作物を売却し、それと引き換えに各地から食糧を購入している。
簡単に言えば、美味い食糧を高値で売って、普通の安価な食糧を大量に買っているのだ。もちろん、これにはサブシアの作物の価値を広く知らしめて、より価値を高めるという狙いもある。
「まずは商業ギルドに行ってみるか」
商業ギルドは、行商人も加盟している王国全土に広がる組織である。領主による食糧の買取となれば、商業ギルドが代行しているはずだ。
「アイツから色々聞いておいて助かったぜ」
トネコルに情報を教えてくれた行商人のホーマは、たまたまサブシア経由のルートを使っており、サブシアにしばらく滞在したことで、ここが今後の行商人のトレンドになることを確信したそうだ。
「トネコル、サブシアで気をつけるべきことはさほど多くない。なにしろ、治安も王都並みに良いんだ」
ホーマはそのように述べていた。
人口が流入してくるような街では治安の悪化がつきものなのだが、ここサブシアは周辺の都市よりも治安が良いというのだ。
一時期は、サブシアの繁栄に目をつけた盗賊団が流入したこともあったようだが、シジョウ冒険爵とそのパーティーメンバー数人によって完全に壊滅させられて以降は、武力にモノを言わせるような悪党は街に近づかないようになったという。
それでも、詐欺師や人攫いのような犯罪者の中には、目立たぬように街に紛れ込んだ者がいたようだが、気軽に街中を散歩しているというシジョウ冒険爵に肩を叩かれ「ウチであまり悪いことしないように」などと声をかけられれば、青い顔で逃げ出すしかなかった。
「シジョウ冒険爵は相手の心が読めるという噂すらある。まさかそんなはずはねぇだろうが、踏んできた場数なのかねぇ。不心得者を見抜くっていうぜ」
そんな噂もあって、犯罪者はサブシアで仕事をすることを避けているのだ。それゆえ、治安については心配する必要はあまりない。だが、その代わりとなる暗黙のルールがあるという。
「いいか、トネコル。1つ、サブシアで金髪の美女エルフをナンパしてはいけない。1つ、銀髪の長い髪の美女をナンパしてもいけない。1つ、青いローブの幼女に偉そうな口を聞いてはいけない。この3つは守った方がいい」
ホーマからその注意点を聞いた時、トネコルも思わず「なんだそりゃ?」と口に出してしまった。しかし、金髪のエルフがファウナ、銀髪の女性がフローラ、青いローブの幼女がイーラと聞いて、トネコルは深く頷く。
トネコルもその手の話を聞かないわけではない。街によっては、暗黒街の顔役の愛人といったような、気軽に触れてはいけない美女が存在するものだ。余所者がなにも知らずにその手の女性を口説いて、後日近くの森で骸になって発見されたという話も耳にしたことがある。
そもそも、ファウナとフローラと言えば、先の戦争でハルシオム皇国の軍隊を壊滅させたという剛の者であるし、イーラと言えば七極の1柱である。暗黒街の顔役と喧嘩した方が、まだ勝ち目はあるというものだ。
しかも、この街ではそんな領主直属の強者が気軽に街中を散策しているらしい。場合によっては街中の工事や農地の開墾を手伝ったりもするという。尤も、この点は領主であるユキトが気軽に出歩くのが原因であるのだが。
「しかし、ファウナ様とやらもフローラ様とやらも、今はシジョウ卿と一緒にハルシオム皇国まで王様の護衛でお出かけらしいな。気をつけるべきは七極のイーラ様だけか」
トネコルが街に入った段階では、ユキト達は既にハルシオム皇国へ向けて旅立っていた。噂の美人エルフと銀髪美女を見る機会がなくなったことを少し残念に思いながら、トネコルは商業ギルドへ向かった。
なお、既にイーラの外見は幼女ではなくなっているのだが、噂がアップデートされるまではまだしばらくかかるだろう。
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「思ったよりも良い値段で買ってくれたな」
商業ギルドで食糧を現金に換えたトネルコは、持ち込んだ食糧が予想よりも高値で売れたことにホクホク顔だ。背中の背負子もすっかり軽くなった。この背負子は、父の形見の魔道具の一種であり、見た目の4倍程度の容量がある。
「普通は安く買い叩かれるところなんだが。それだけ余裕があるってのかねぇ」
サブシアを訪れる行商人はどんどん増えつつある。もちろん、彼らが手ぶらで来るはずもなく、近隣から物資をたくさん運んでくる。だが、自身を含めて、狙いはこの街の産物を仕入れることだ。となると、サブシアに持ってきた物資は多少安くとも売り払うしかない。
そのような場合には、多少は足元を見られるものである。2割程度は値を下げられるのは普通だ。原価ギリギリまで買い叩かれることもある。だが、ここの領主は適正な値段での買い取りを指示しているらしい。
(領主様が『まろうど』なのかどうかは分からねぇが、ありがたいことだ……さて、財布は膨れたが、今度は腹が空いたな)
トネコルは十分に温かくなった懐を撫でさすりつつ、その一方で腹の方はすっかり空腹になっていることに気づいた。時間的には食事時を外れているから、店も混雑していないだろう。
「さて、この街で何を買っていくかを判断するためにも、美味い飯とやらを食べてみるか」
そう考えながら通りを見ると、見慣れぬ料理名を掲げた店がいくつも並んでいた。
『ハンバーグの店 ポタラ』
『オムライス専門店 パレイド』
『とんかつ屋 マルコ』
「うーん、こいつらは1つの料理しか出さない店なのか?」
ユキトの提案で、いくつかの料理については専門店という制度を取っている。これはユキトが開示するレシピをより有効活用してもらうための制度だ。たくさんの料理を扱うよりは、数少ない料理に集中してもらった方が習得も早く、味も確かになる。まだ供給が少ない食材のコントロールもしやすい。
「んじゃ、このとんかつ? とやらにするかね」
中身を知らない以上は迷っても意味がないだろう。トネコルは己の直感に従ってとんかつ屋という店に入ることにした。ホーマはどの店でも美味いと言っていたので、ハズレることはないだろう。
「いらっしゃい」
広めの店内の内装は王都の大衆店と大きくは変わるところがない。テーブルに椅子がそなえられている普通の店内だ。ただ、清掃が行き届いているのか、清潔な印象を受ける。飯時ではないのに、席が半分ほどは埋まっていた。かなりの人気があるようだ。
「こちらへどうぞ」
店員に促されるままに椅子へと腰掛け、その場にあったメニューに目を向ける。
「ええと、じゃあこの……うおっ、高いな! あ……いや、大丈夫だ。 これを1人分くれ」
一般的な飯屋の料理の10倍程度の価格に驚きつつも、絶対に食べるべきというホーマの言葉を信じて、トネコルは『とんかつ』なる料理を注文する。
やがて、店の奥の厨房からジュワーと何やら聞きなれない音が響き、何やら香ばしい匂いが漂ってきた。自分の注文したものか、他の客のものかは不明だが、期待が高まる。
(値段は高いが、これは期待が持てそうだな)
トネコルは空腹を訴える腹を撫でながら、謎のとんかつなる料理が配膳されるのを待った。
さて、結論から言うと、『とんかつ』はトネコルがこれまで食べた料理の中で最も美味いものだった。
どうやって焼いたのかは不明だが、サクサクした衣が肉を包んでおり、噛みしめると甘い脂がジュワッと口の中に広がる。そこに塩をつけると、その脂の甘さがより引き立つのだ。また、黒い色をしたソースをつけると肉の旨みに複雑な酸味と甘味が加わって、立体的な味となった。
美味い。美味いとしか感想が出てこない。あまりの美味さに涙が滲んできたのには、トネコル自身も驚いた。出てきたときには茶色の土塊のような印象だったが、皿の上から消え去った今では、黄金にすら思える料理だ。
「ふぅ……これはもう数日程、色々な料理を確かめても損はないな」
食事を終えたトネコルは、食材の買いつけは後日に回し、明日もサブシアの街を見て回ることに決めたのだった。
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