第98話 悪意!仕組まれた暴走!
「で、最初の問いだ。お前が意図的に暇をあの男に喰わせ、肉塊に変じさせたのだな?」
異世界の黒猫は抑揚のない声でインウィデアへと問いかけた。その黒い毛並みはビロードのように滑らかで、妖しく夕日を反射している。
「あぁ、その通りだ。貴殿も知っているとは思うが、あの暇という男には、異世界のものと思われる強大な呪いが施されていた。いや、呪いと呼ぶのも馬鹿らしくなるほどの禍々しいものだ」
インウィデアは黒猫の問いをあっさりと肯定し、そのまま説明を続けた。事実、インウィデアが見た暇という男には、インウィデアがこれまでに見たことがない程に、禍々しい呪いがかけられていた。
そんなインウィデアの言葉に対して、シュレディンガーは軽く頷くと、尻尾でくるりと円を描いた。
「もちろん、我はヤツの受けた呪いを知っている。ヤツがある世界の主神を滅ぼした際に、滅びゆく主神があの男に与えたものだ。暇が決して滅ぶことのないようにする不滅の呪いだ」
「なるほど、異世界の主神が呪者だったか……。道理で異常な程の呪力だと思ったわ」
意外なところで、暇の呪いの正体が発覚して、インウィデアは納得の声を上げた。異世界の主神が、その身が滅びゆく中で与えた呪いだとしたら、強力なのも当たり前であろう。
むしろ、どのように暇が主神を滅ぼしたのだろうかという点も気になった。インウィデアが知る限り、暇は不滅ではあるが、さほど強くはなかったはずだ。もしかすると、その世界だけで有効な特殊能力を持っていたのかも知れない。
そんなインウィデアの疑念を他所に、シュレディンガーが話を続ける。
「で、貴様は暇に施された呪いを知った上で……」
シュレディンガーの言葉をインウィデアは引き継ぐ。
「ああ、金属塊に封じられ、海に沈められていた彼を引き上げ、金属塊のままでグリ・グラト……あらゆるものを食すと言われるドワーフに喰わせた」
皇国内で捕えられ、某貴族の怒りを買った暇は、その不滅性ゆえに殺すことはできず、金属塊に固められて、海へと沈められた。だが、インウィデアは、暇を……正確には、彼を封じた塊を引き上げてきて、グリ・グラトに喰わせたのだった。
「あの呪いはグラトの能力を持ってしても制御はできないというのが私の見立てだった。そして予想の通りにグラトの能力は暴走を始めた」
インウィデアはまるで手品のタネを明かすかのように、楽しげに説明を始める。青い皮膚をした両の手を組み、左右の人差し指をトントンと合わせている。
「七極でもあるグラトの能力は、喰った対象の能力や加護を貯め込んでおくことができるというものだ。しかも、必要なときにその力を解放して、自身に反映させることができる。一時的ではあるが、数百の魔物の能力や生命力、数多の加護を併せ持ち、無類の強さを誇る大巨人となるのだ」
「そのグラトというドワーフの能力が、暇の呪いを処理しきれず、結果として暴走しているということだな」
シュレディンガーがここまでの話をまとめる。グラトの能力は、暇を喰らうことで、彼が受けていた呪いの力を取り込もうとしたのだろう。だが、あまりに呪いの力が強く、逆に「喰らう」能力の方が侵されたのだ。
「不滅性……言葉を変えれば強力な再生能力を与える呪いが、グラトの中に眠っていた様々な能力を一気に活性化したようだな。その影響であのような化け物に変じてしまったというわけだ」
インウィデアの言葉を受けて、シュレディンガーは目を細め、インウィデアの方を見た。
(こやつ、グリトの中に溜め込まれた能力や加護が暴走するとどうなるかを知っていたな……)
インウィデアの口調には、暴走の結果としてグラトが化け物へと変じたことへの驚きは微塵も含まれていなかった。少なくともシュレディンガーには、そう感じられた。恐らくは、暇を喰わせることで、グラトがこのような変化を遂げることを予想していたのだ。
「で、どうする? 暇とやらの復讐として、私を殺すかね?」
インウィデアは、自身を見つめるシュレディンガーに対して、そんな問いを投げかけた。シュレディンガーの方を向いたローブの奥には白い仮面が見えるが、その奥の表情は不明だ。
だがハッキリしているのは、どうやらインウィデアは、シュレディンガーを暇の仲間だと考えているらしいということだ。仲間をグリトに喰わせて、その復讐を考えている可能性を疑われたのだろう。
シュレディンガーとしては無駄な戦闘は避けたい。そもそも、シュレディンガーの種族は、戦闘能力も決して低くはないのだが、そもそもは空間移動や空間操作などに長じた種族なのだ。暇などのために余計な戦いをするつもりは毛頭ない。
「勘違いしているようなので言っておくが、我に暇という男の復讐を果たす動機はない。そもそも我の世界は暇によって滅ぼされたのだからな」
シュレディンガーは、暇との関係を簡単に説明した。恨みこそあれ、仇討などをする関係ではない。
「……暇という男は随分と無茶なことをやってきたようだな……まぁ、喰われて肉塊の一部になったという点も自業自得というわけだ」
さしものインウィデアも、暇が主神殺しに加えて、異世界を滅ぼしたと聞いて、半ば呆れたようだ。若いころは、ちょっとヤンチャだったとかいうレベルではない。
復讐を否定したシュレディンガーは、さらに話を続ける。感情の乗っていない声で、インウィデアに尋ねる。
「ドワーフの能力を暴走させた目的は?」
元々、暇が何をしでかすのかを観察するために同行していたシュレディンガーであるので、好奇心も強い。インウィデアがそこまでして、グリトを暴走させ、肉の化け物へと変異させた理由が気になったようだ。
「私がこの世界の支配権を得るために、シジョウという『まろうど』がちょっと邪魔になりそうでね」
インウィデアから発せられたのは、そんな言葉だった。
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「どういうことだ!?」
夕刻、ユキトが宿屋の自室で珍しくのんびりと過ごしていると、別室のアウリティアの声が響いてきた。この宿はかなりの高級宿であるので、防音性は悪くない。にも拘わらず、ユキトの部屋まで聞こえてきたということは、かなりの大声である。何かあったのだろうかと、ユキトは訝しむ。
やがて、足音がしたかと思うと、ユキトの部屋の扉が乱暴にノックされた。
「はいよ」
相手が誰であるかはほぼ見当がついているので、ユキトは軽い感じで返答した。
「入るぞ」
ユキトの返事が終わるか終らないかというタイミングで、ドアを開けて入ってきたのは、やはりアウリティアだった。なにか焦っている様子で、近くの椅子に座りながら、口を開く。
「エルフの里が危ない。謎の怪物が出現したらしい」
ユキトが説明を求めるまでもなく、アウリティアは緊急事態であることを告げた。その表情は真剣で、ドッキリを仕掛けに来た様には見えない。
「謎の怪物って何だよ? ゴジラでもあるまいし……」
アウリティアの言葉に、ユキトは故郷で最も有名な怪獣の名を思い出した。この異世界には、様々な魔物が存在している。ひょっとすれば、名を挙げた怪獣のような存在も実際にいるかもしれない。
だが、そういう危険な魔物であれば、その名を知られているのが普通だ。滅多に出現しない怪物であっても、その情報は伝承、伝説として残される。それが、魔物が存在するこの世界の知恵というものだ。
しかし、謎の怪物ということはアウリティアもその正体を知らないということになる。尤も、情報が不足して正体が判明していないだけなのか、未知の怪物なのかは不明だ。
「そもそも、エルフの里が危ないってのは?」
ユキトは根本的な質問をする。エルフの里というのは、恐らくはアウリティアの治めている里やその近辺の集落のことを指すのだろう。だが、その場所は遥か離れたエルム山地にあると聞いている。手紙でも来たのか……あるいは……
「緊急通信用の魔道具があってな。回数制限はあるが、里と交信ができる」
アウリティアの説明によれば、どうやら電話のようなものがあるらしい。その魔道具を介して、アウリティアに連絡が来たようだ。回数制限があると言っているので、それだけ緊急事態なのだろう。
「謎の怪物はグリ・グラトの可能性があるらしい。ユキト、お前も一緒に来てくれないか?」
アウリティアはそう言うと、ユキトに向かって頭を下げた。
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