深夜、巨大水槽前にて
月以外にこれといって光源と呼べる物はなく、目の前の巨大な水槽のみがぼんやりと、立体的に浮かび上がっている。
水槽に満たされたエメラルドグリーンの中に、得体の知れない何かが弛立っており、水槽の足下から無数の電極や、コードが伸びている。
そこはかつて、遊園地のアクアリウムだった場所。
遊園地が廃園した今となっては、訪れる者は殆どいないがーー
だからこそ、彼女達は此処を選んだのだ。
暗がりから、白衣を着た女性が現れた。
彼女は、巨大水槽の様子を窺いつつ、その正面に置かれたデスクトップコンピュータに電源を入れる。慣れた手つきだ。
そして、デスクの前に腰掛けると、コンピュータに保存されていたファイルを開いた。
嗚呼、今宵もまた、始まるのか。
ゴポゴポと、水槽の中で気泡が発生する。
すると、その内部に取り付けられた装置が何やら反応を示し、アクアリウムの前に設置されたコンピュータにデータを送る。
それを眺め、白衣姿の女性は満足げに笑った。
暗闇の中で、カタカタとキーボードを打つ音が響く。嫌な音だ。
女性が、データの編集・整理をしているのだ。
装置から絶え間無く発信され続ける文字列を、彼女は只管に捌いていく。
モニターの上に視線を滑らせる瞳は、冒瀆的な知識欲が満たされる溟い歓びと、ある種の狂気に塗れ、興奮故か頬は紅潮している。
口許は三日月の形に弧を描き、その端からは湿った、熱い吐息が漏れる。
彼女は集中する余りコンピュータに向かってつんのめり、頭の両側で束ねられた細い髪が顔にかかっている。
女性はそれすら気に留めず、一心不乱にキーボードを叩いていたが、不図背後から何者かに声を掛けられて、その手を止めた。
声の主は、彼女と組んでいる如何にも令嬢らしい少女だった。
彼女も、コンピュータの前に座る女性同様、仄暗い、狂気を孕んだ目をしていた。
女性は、いいところを邪魔された、とでも言いたげに軽く鼻に皺を寄せたが、少女が何言か囁くと、途端にパッと表情が明るくなった。
あの、濁った目が大きく見開かれ、口角が妖しく吊り上がる。
青白い光を放つモニターに照らされたその顔は、非常に美しかったが、同時に見る者を陰鬱な気分にさせた。
女性の反応にご満悦といった風の少女は、ヒラヒラと手を振って、女性の背後に広がる宵闇に溶けていく。
何がそう嬉しいのか、知りようもなかったが、まぁどうせ、碌でもない事だろう。
その予想は、見事に当たった。
間も無く、令嬢然とした少女がブルーシートを担いで戻ってきた。
彼女の持つブルーシートから、あからさまに人間の腕らしきものが伸びている。肌は土気色で、所々まだら模様が見える。どう考えても、生きているとは思えなかった。
少女がブルーシートを地面に降ろすと、白衣の女性が待ってましたとばかりに駆け寄っていく。
まるでプレゼントを貰った子供のように、興奮した手つきで慌てシートを引き剥がす女性。
此処から全ては見えないが、やはりブルーシートの中身は死体らしい。
そんなものを見て、はしゃぐ彼女達の心理は、想像もつかない。
暫く、ブルーシートの中身を弄り、あれやこれやと調べていた女性だったが、やがて調べたい事の確認が終わったのか、常人の正視には堪えないであろうそれを、再び包み始めた。
包み終えると、女性の横に控えていた少女が、ブルーシートを何処かへ運んでゆく。
その行き先は、知る由もない。
ブルーシートの中身のチェックが済んだ女性は、相も変わらず薄気味悪い笑みを張り付けて、此方に向き直る。
知識に貪欲な、熱っぽい女の視線。
こうしてまた、終わらない夜が更けていく。
ところで、語り手が"何"か分かりましたか?