第32話『疾斗の個別レッスン』
「なぁ、心優。ちょっと訓練に付き合ってくれないか?」
そう何気なく誘った。
闇雲に練習してみたものの、ちっとも成果が出ないんだ。
心優を助ける時は、自分でも完璧と思えるほど上手くいったけど、今同じことをやっても全然上手くいかねー。
何故か、どうやったか思い出せないんだ。
彼女は上下パジャマ姿だ。
下半身だけシーツに包まれながら、ベッドで本を読んでいた。
伊達メガネを外し「い、いいわよ」と答える。
ん?
何か引っ掛かったけど、まぁ、いいか。
心優はベッドの脇に置いてある小さなテーブルに本を置き、替わりに水の入ったコップを手にする。
「こっちに来なさい。」
彼女はまだ調子がイマイチだ。なので無理をさせて回復が遅れてしまう事は避けなければいけない。
それに、俺からの頼みだし、彼女の指示には従おう。
ベッドの隣までくる。
「疾斗には集中力が足りないわ。」
「そぉかぁ?いつも集中しているつもりだけど?」
「全然駄目。」
「全否定かよ!」
「そうよ。んー。そうだ。このコップはね、オーダーメイドで1個10万するの。」
「そんなに高いコップなんてあるんだ…。」
「上を見ればキリがないわ。」
そう言うと彼女はコップを持った右手を水平に真横に突き出す。
「何やってんだ?」
心優はおもむろにコップを離す。
当然コップは落ちていく。
「!!」
俺は思わず孤高の流星を発動した。
両手を突き出し力を込めると、コップは床上スレスレで静止したぜ。
「なんてことするんだ!」と言ってやりたかったが、声が出せないほど気が緩められない。
緩めた途端、能力の作用が弱まりコップが落ちてしまいそうな感覚が腕から伝わってきている。
「ほら、出来るじゃない。」
「………。」
心優の声が全然頭に入ってこないほど集中している。
「そのまま水だけ取り出しなさい。」
自分で能力を鍛える特訓を申し込んでおきながら、何でそんな面倒なことするんだよと思った。
だけど深く考える余裕も無く、言われるがままにコップの中から水だけを取り出す作業をすすめる。
取り出された水は空中で静止しながらコップに入っていた時の形を維持していた。
「コップはテーブルに置いておいて頂戴。割ったら10万弁償よ。」
俺が落としたんじゃないのにと一瞬思ったが、そう思った次の瞬間には、そんなことも忘れるほどの集中力が出ている。
ゆっくりとコップだけ上に上昇させる。
その間も水は空中に静止させたままだ。
これは案外難しい。
水とコップと両方に集中しなければならないからだ。
最初は両方同時に持ち上げたり、コップを持ち上げている最中、水が知らず知らずのうちに落ちていったりと苦戦した。
少しずつコツを掴んでコップだけ上昇させテーブルの上に移動させる事に成功した。
コトッ
優しく丁寧にコップをテーブルの上に置く。
そしてようやく水だけに集中出来る状態となった。
「次は水で文字を書いてみなさい。」
「何の文字だよ。」
集中力を切らさないよう注意しながら訪ねた。
「そうねぇ。自分の名前でいいわ。『疾斗』って漢字を水で作りなさい。」
イメージし易いように名前にしてくれたのだろう。
今は深く詮索する余裕もないため、無我夢中で自分の名前を水で作っていく。
一部が細くなったり、奥行きが分厚くなっていたり、線がガタガタになったりしている。
「ほら、『斗』の漢字、点が一個多いわよ。」
心優は不自然なところを指摘しながら、時々俺の表情を覗き込んでいた。
何故か楽しそうだ。
徐々に文字の形を整えていく。
そして、その形をキープすることにも成功している。
これはさっきコップと水を別々に操ったよりも難しい。
水全体、そう、細部まで注意しなければならないし、おかしい所を修正している時にも、他の正しい部分は、正しいままキープし続けなければならないからだ。
どこか手を抜いた瞬間、文字は形を崩してしまう。
「護や夕美の話を聞いて気が付いたのだけれど、能力というのは、所謂見えない力なの。」
「み、見えない力?」
俺は水と格闘しながら辛うじて答える。
「そう。色んな作用方法があると推測されるわ。例えば力音や瞬間移動でのあなたの力。それは見えない力が体に作用して、普段では出せない力を出している、又は起こせているの。」
「なるほど。」
「護や夕美は、その見えない力を操っているわ。」
「操る?」
「そうね、空気や水、煙でもいいわ。そういった感じの見えない能力の塊を自在に操ることで、壁や矢を形成している。恐らくイメージし易い物にすることで、瞬間的、直感的に操っているんじゃないかしら。どう?イメージ出来る?」
心優のヒントを聞いて、今、自分が何をしようとしているか実感出来る。
「なんとなく…、見えてきた…。」
言われてみれば、見えない力を操っていると実感出来る。
空気、水、煙…。俺が感じた印象は、煙が近い。
モワモワッとした物を自在に操る事が出来て、その煙で包むことで物が動かせたり、複雑な形を形成出来たりしている。
だが、今やっているように同時に細かく沢山のところを別々の動きをさせるのは難しい作業だと思った。
水で作った文字が空中に浮いている。
やってみて思ったが、細部を気にするのではなくて、ある程度ぼんやり見つめながら大雑把にイメージした方がやりやすい。
上手くイメージさえ出来れば、そのイメージにそって能力が勝手についてきてくれる感じだ。
微調整は、その後にやれば早い。
「その水、一口私に頂戴。」
大きな飴玉ぐらいのサイズの水を分離させ丸めると、彼女の口の中へと移動させる。
ゴクリと飲むと、
「残りはコップに戻しなさい。次の段階よ」
と告げられた。
言われるがままに移動し終えると、ちょっと疲れを感じる。
だが、心地よい疲れだった。
「だいぶ疲れているようね。やれる?」
「いいぜ。かなりコツを掴んだ気がする。」
「あなたは本当に珍しいタイプだわ。」
「そうか?」
「実践でいきなり実力を伸ばせるタイプって少ないのよ。だいたい予習して試行錯誤しながら1段ずつクリアしてくものでしょ。」
「まっ、習うより慣れろってヤツだ。」
「そう言ったってね、そのやり方は簡単じゃないわよ。慣れる前に諦めるほどの壁にぶつかる方が多いからね。でも、疾斗は違う。」
「違う?」
「ぶっつけ本番で完璧に乗り越えた。」
アークエンジェル襲撃事件のことを言っているな。
「心優の命がかかっていたからな。」
「ありがと。」
「ん?」
「ちゃんとお礼言ってなかったからね。」
「何言ってんだ。当たり前の事をしただけだ。」
「そ、そう…。」
髪をいじりながら、何故かちょっと照れていやがる。
「さて、次だったわね。私をこのまま持ち上げてみなさい。」
「えー。そんな重いもん…。」
「重くはないわ!」
「あー、体重の事を言った訳じゃ…。」
「わ、分かってるわよ。さっ、やってみなさい。」
そう言って彼女はベッドに腰掛けた。
俺はさっきやっていたように、能力を心優の周囲に展開する。
彼女は気付いたのか、キョロキョロと周囲を見渡していた。
「能力が見えるのか?」
「違うわ。私も能力を周囲に散布しているの。だから、違う能力が触れると分かるのよ。へー、これが疾斗の能力なのね。」
「何を言っているのかイマイチわからんが…。」
「あなたも感じるでしょ。自分の能力とは別の力があるって。」
そう言われれば、違和感を感じる気もする。
だが、よくわからない。この違和感が何によるのか。
心優が言うように、他人の能力が干渉しているのだと言われれば、そんな気もするが断言は出来なかった。
「わかんねーや。」
「今はそれでいいわ。直に嫌でも分かるようになると思う。」
それよりも俺は、心優の下に椅子をイメージし、彼女が腰掛けるベッドに重ねる。
そして徐々に力を込めていく。
とはいえ、これは物理的に持ち上げているわけではないと感じた。
力を込めるというのは、能力の濃度を上げるということだと思う。
そうすれば、多少重い物でも…。
そう思った瞬間、ゆらゆらっと彼女の体が少しだけ浮いた。
「あら、もう濃度の調整も出来るのかしら?」
どうやら心優は分かっていたらしい。
ちぇっ、分かっているなら、先に教えてくれよ。
「どうせあなたに説明しても、犬が月を見ているようで、何も理解出来ないでしょ。」
「………。」
言われてみればそうかもなと思ってしまう自分が悲しい。
更に濃度を上げる。
まだまだイケる手応えはあるな。
バランスを取りながら30センチ程度は浮かす事に成功した。
「良い感じよ。そのままそっちへ連れていって。」
言われるがままに、心優をゆっくりと自分の方へ近づけていく。
「ふふふっ。ちょっと面白いわ。」
何だか楽しそうだ。
こっちはそれどころじゃねーぞ。
いよいよ目の前まで来る。
「では、90度回展させて、向きを変えて頂戴。」
今は俺と正面を向いている彼女を、どうやら回れ右すれば良いようだ。
回転という新しい動作に手間取りながらも、何とか横を向ける事に成功した。
「もっとそっちに近づけて…。」
チラッとこっちを向きながら、少しうつむく彼女。
何だろ?
やはり何かが引っ掛かったが、詮索する余裕は殆ど無い。
少し近づけたが、「もう少し」と言われ、更に距離が近くなる。
おいおい、このままだとぶつかるぞ。
!?
そう思った瞬間。
「おい!?」
心優は俺の首に手を回し、抱きつくような格好になる。
突然のことでビックリした俺は、能力の操作があやふやになる。
「あぶなっ!」
咄嗟に手を回し、所謂お姫様抱っこの状態になる。
「やん…。」
「!?」
初めて聞く、女の子らしい言葉に驚いた。
「疾斗がお尻触った…。」
「あっ…、いや…、突然で…。ごめんな。」
「うーそ!」
「はぁ?」
「ふふふふふっ。」
ニコニコ笑うと、俺の首筋辺りににコロンと頭を乗せる。
「こうやって抱っこされるのも、何だか面白いわ。」
「そ、そうか?」
俺はいつもの彼女とは違う雰囲気に振り回されっぱなしだ。
「ねぇ、ベッドまで連れていって。」
「あ、あぁ。」
能力は使わず、そのまま連れていく。
そしてそっと横に寝かせ…。
「!?」
彼女が、俺の首に回した腕を解いてくれない。
その為、顔と顔が近づいたまま俺も少し倒れこんでしまった。
「疾斗って大胆…。」
「!?!?」
お前がそうなるようにしたんだろ!と突っ込みたかったが、どう考えても俺が押し倒し、心優が腕を回してきたという状況にも見える。
何故だが体が火照ってくる。
正直、こんなシチュエーションは初体験だからだ。
「この間のお礼に、私のキスをあげようか?」
「!?!?!?」
ちょ…、ちょっと待ってくれと言おうとした。
だが、彼女の瞳が、優しく俺を見つめている。
口元が照れ笑いをし、その唇に吸い込まれそうになる。
少しの間、俺達は見つめ合っていた。
心臓がドキドキしてきている。
「まっ…、待ってくれ。」
辛うじてそう答えた。
「お礼だから、気にすることないのよ?」
「そ、そんなつもりで助けた訳じゃないし…。」
「勿論分かっているわ。だから、お礼だと言っているじゃない。ご褒美よ。」
「で、でも…。」
「もう…、そう言いながら欲張りなんだから。」
「?」
よく見ると、上下パジャマのような格好をしていたはずだが、いつの間にかズボンがなく、白い下着が見えている。
「!!!!!」
心優は腕を解き、口元に右手を、左手はまくらの端を親指と人差し指で摘んでいた。
あれ?
違和感に気付き、思わず注視してしまう。
シャツのボタンが1個ずつ、いつの間にか外れていく…。
このままでは上半身も露わになってしまう。
「ちょっと待った!」
「疾斗が能力でズボンを脱がしたり、ボタンを外したりしてるんじゃない…。」
彼女は視線を外しながら、何故か無抵抗で受け入れている。
俺が…?無意識に…?
ハァ…、ハァ…。
二人の熱い吐息が混ざり合う。
視線を落とせば、心優の肌が少しずつ露出していくのが分かる。
頭がクラクラする…。
ボタンが全て外れ、下着の一部が見えていた。
鼓動は頭のてっぺんにまで登ってきた。
自分が自分でなくなってきている。
いつもなら蹴りを入れてきそうな場面なのに、無抵抗な心優。
その無抵抗感は、支配感、独占欲を掻き立てる。
彼女を俺のモノにしたいという欲求が、ふつふつと湧いてくるのが分かる。
でも…、いいのかよ…。
どうすんだよ…。
その迷いは、下半身の疼きが消していく。
「疾斗の好きにしていいよ…。」
優しい口調が、理性という最後のブレーキを解除しようとする。
バツンッ
突然ブラが緩くなる。また無自覚で、ホックを外したみたいだ。
二つの柔らかそうな房を辛うじて包んでいるだけになっている。
その房の間には、外れたホックがあった。
それを少しずらせば、彼女の胸が露わに…。
あれ?何故かホックが前にある。
後ろにあるもんじゃねーの?
そうか!
「ちょっと待った。」
俺は一気に冷静になっていく。
「心優。孤独な皇帝使っただろ。」
顔を紅く染めながら、チラッと俺の顔を見て直ぐに視線を外す。
「だめぇ?私は構わないよ…。」
甘えたような声に、再びムラムラする。
ついつい彼女の体を見てしまう。
もう房の先端が見えてしまいそうだ。
でも…。
「駄目だよ。」
「意気地なし。」
「そうじゃないんだ。」
「………。私のこと、嫌い?」
「それも違う。だけど、心優はまだ中学生じゃないか。やっぱり駄目だよ。」
「じゃぁ、明日から大学に飛び級する。そうすれば女子大生になるわ。」
「待て待て。言いたいことは分かっているだろ?」
「むー。変なところで意地っ張りね。」
「ケジメだと思っている。」
「分かったわ。というか、襲わないって思ってた。」
「ちぇっ。」
誂われた…、わけではないか。
俺はベッドから離れ、回れ後ろする。
「ちょっとトイレ行ってくる。その間に、服を着ておいてくれ。」
「出してくるの?」
「小便をな!」
俺はそそくさと部屋を出る。
フラフラッとし、廊下の壁に手を付いた。
危なかった…。
ギリギリだった…。
これで良かったよな?
というか、突然なんなんだよ。
これから増々危険な状況になるって言ったのは心優じゃないか…。
でも、そんな危険な状況だからこそ、誰かを求めたくなる気持ちも分かる。
俺はバカだから、つまんねーことでサックリ死んでしまうかもしれない。
だからこそ、やれることは全部やって、後悔だけはしたくないんだ。
不意に振り返る。
敵はもう背後まで来ている。
そんな直感がしていた。