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拾いモノと失くした記憶1

 彼らは戦が終結したばかりの地を箱馬車に乗って訪れた。


「思った以上に酷い状態ですわね」

「手は尽くしている。でも限界があるんだ」

「本当の戦いはこの冬を越えることでしょう」


 かつて独立した国家であった西部の地は独立派と穏健派が対立し、些細なきっかけから内戦状態となった。彼らの活躍により、戦いは終結したが、西部に住まう人々の地獄はまだ終わらない。内戦によって荒れた田畑から収穫できるものは何もなく、人々を飢えさせた。

 この戦いの英雄である彼らに向けられる視線は「この飢えをどうにかしろ」という非難だった。


「英雄様! お願いだっ! 妹が病気なんだ! 癒しの力で治してくれ!」


 馬車の前に若い男が立ちふさがり、そう懇願する。すぐに護衛の騎士たちに排除された男の姿を馬車の中から見つめることしか彼らにはできない。

 限られた者しか使えない癒しの力でも、病気を治すことは不可能だ。そして魔力を大量に消費するその魔法は、同情だけで無秩序に使っていいものではない。

 連行されようとしている男の姿を見つめながら、彼らはただ、自分の無力さに押し潰されそうになるのを耐えることしかできなかった。


「くそぉっっっ!! お前らは英雄なんかじゃねぇ! 単なる人殺しだろうがぁ!」


 捕えていた騎士たちを振り払い、男は馬車に向けて炎を放った。男もこの戦いに関わった魔法使いだったのだ。治安の悪い西部を訪れるのだから、当然馬車は様々な対策がしてある。男の放った魔法が馬車を傷つけることはなかった。

 再び捕らえられた男に、護衛騎士たちは容赦をしない。馬車の中から彼らはただそれを見つめていることしかできなかった。現実から目を逸らさぬこと、それだけが今の彼らにできることだった。



***



 夕食の後、ロゼッタは青年の寝ているベッドの横にある机に腕輪を置き、ひたすらそれを『視て』いた。魔力を込める作業はロゼッタの得意とする分野だった。彼女は制御する力が未熟だが、魔力そのものはあり余るほど持っているのだ。


 少し吊り上がった瑠璃色の大きな瞳で腕輪についている水晶を『視る』。そうしているうちに水晶は輝きだし、まるで自身と一体になるように馴染み、瞳と同じ色に染まるのだ。染められた水晶を見ていると、部屋にいるはずの自分自身が意識だけどこか遠く、宙の彼方へ行ってしまったような気分になる。ロゼッタはその感覚が好きだ。


「綺麗な青ですね…………」


 低く穏やかな声がロゼッタの頭に響き、彼女の意識を現実へと引き戻す。

 気が付くと、金髪の青年が体を寝かせたまま頭だけを動かして、ロゼッタの方を見つめていた。

 しっかりと開かれた瞳は、澄んだ秋の空のような青。少し癖のある耳にかかる長さの金髪に彫の深い精悍な顔立ちの青年が、ロゼッタの瞳の色を確認するように見つめている。


「目が覚めたんですね? 体調はいかがですか?」

「……あなたは?」


 青年はロゼッタの問いには答えず、逆にそう尋ねた。森では「赤の他人に名前を教えたりするほど間抜けではない」と言ってしまったが、王太子からの問いに答えないのは不敬である。


「私の名前は、ロゼッタ・デュトワと申します。母はその昔、王都で名をはせた――――」

「ロゼッタさん! 素敵なお名前ですね」


 ロゼッタの名前を教えるより、有名人である母や母の生家の名前を伝える方がいいだろうと考えた彼女の言葉は、青年の明るい声に遮られる。青年はロゼッタの手を取り、熱を帯びたような視線で彼女を見つめる。


「ロゼッタさん……」

「お、おおおおっ、王太子殿下っ?」


 急に手を握られ、ロゼッタは驚き、どうしていいかわからなくなった。普段のロゼッタなら、すぐさま振り払い平手打ちでもしているところだが、青年はこの国の王太子で不敬なことなどできるはずもない。


「……誰ですか、それは?」


 王太子と呼ばれたことに青年はきょとんとし、ロゼッタに問いかける。


「大変失礼ですが、あなたは、この国の王太子様……イルミナート殿下ではないのですか?」

「…………さあ? どうでしょうか」

「さあ? って、どういう意味ですか!?」

「今、私の心にあるものは、私を癒したあなたの魔力とあなたの綺麗な瞳の色だけです。私の全てはあなたに支配されています」


 青年のわけのわからない言動に、ロゼッタは戸惑うばかりだ。優しそうな印象の空色の瞳は少し潤んで、ただひたすらロゼッタを見つめている。血をたくさん失ったというのに、頬は少し赤く染まっていて、彼の言葉は愛の告白のように聞こえた。


「はぁ? な、な、何言っているんですかっ!?」

「…………つまり、それしか記憶にないということです」

「はいぃぃぃっ!?」


 青年が覚えていることは、体の痛みと凍えるような寒さ、呼吸ができないのに逃れようともがいても体が動かない苦しみ、そこから救ってくれた小さな手のぬくもり、ここで死ぬなと優しくも力強く励ます声と潤んだ瑠璃色の瞳――――それが青年の一番古い記憶なのだという。


「それって、数時間前の記憶じゃないですか!」


 ロゼッタは思わず叫んだ。たった数時間前のことだというのに、もうすでに美化されていることはこの際どうでもいい。問題は彼がそれしか覚えていないということだ。


「記憶喪失ということでしょうか?」

「そうかもしれませんね……。ああ、こんなにも心が満たされるのなら、過去など要りません!」


 青年は穏やかに微笑み、握っている手の力を強める。


「そんなわけないでしょ! 離せっ、この浮気男――――ッ!!」


 ロゼッタは全力で青年から逃げた。彼はこの国の王太子で既婚者だ。それもロゼッタの従姉の夫なのだから、いいはずがない。


「浮気男? あなたは私を知っているのですか?」

「直接は知りません。でも既婚者だということだけはわかります!」


 そう言ってロゼッタは彼の右手を取り、手のひらを上向きにさせる。


「これは『契約の紋章』でしょうか?」

「そこは覚えているんですね! それなら話は早いです。『契約の紋章』を持っているのですから、あなたは既婚者です!」


 青年は明らかに落胆の表情を浮かべる。そして、胸に手を当てて思い出せない過去をどこからか引き出そうとする。


「…………全く思い出せません」

「ちょっ、そんな簡単に諦めないでください!」


 騒がしい会話を聞きつけたアレッシアとラウルが、客間へ入ってくる。ラウルは仕事着の上からエプロンを着けて、粥と少しの果物をお盆に載せて持っていた。粥からは湯気があがり、食欲をそそる香りが立ち込める。


「起きたのかしら?」

「はい、母様。大変なんです! 王太子殿下は記憶喪失だそうで……、私が助ける前のことを覚えていないと言うんですよ」

「そうですの……?」


 ロゼッタが慌てて状況を説明するが、アレッシアが動じることはない。彼女は目の前の青年を穴が開くほど観察した。


「なるほど……。この方の正体はともかく、本名でお呼びするわけにはまいりませんわね。それに我が家にいる間は、王族として扱うこともいたしません。後で記憶がお戻りになっても、不敬罪に問わないでいただけるかしら?」

「尊い身分であるという自覚は全くありませんが、仮にあなた方の言っていることが正しかったとして、恩人にそのようなこと……ありえません。……ところで、名前ならロゼッタさんがつけてくれますか?」

「そうですわね。これも拾った者の責務ですわ。そうしておあげなさい」


 ロゼッタは困惑するが「殿下」と呼ぶことも、本名の「イルミナート」という名で呼ぶこともできないのはよくわかる。


「うーん」

「偽名なら、あまり大層な名前にしても目立ちます。面倒なら動物にでも例えておきなさい」

「動物……? やっぱり獅子でしょうか? ……それならレオナール、レオさん……というのはどうでしょうか?」


 青年の耳にかかる金髪や精悍な顔立ち、長身で騎士のように鍛えられた体つきから連想される動物は獅子だった。獅子を表す「レオナール」「レオ」という名前はありふれていて、偽名としてはちょうどいい。


「一生の宝物にします!」

「そんなこと、どうでもいいから早く思い出してください!」


 ここにいる間はただの「レオ」でいいと彼が承諾したことで、ロゼッタは少し強気になった。記憶喪失の彼は最初に出会ったロゼッタにかなり執着している。それは動物が最初に見たものを母親だと思ってどこまでもついて行くのと同じことだ。

 けれども彼は既婚者で魂の(つな)がる『伴侶』を持つ身だ。このままでは『伴侶』を裏切ったことになり『紋章』が彼や彼の伴侶を(むしば)む。そんな事態は絶対に避けなくてはならない。


「……粥が冷める」


 レオに簡単な状況説明を終えると、ラウルが彼に食事を勧めた。彼の傷はロゼッタの過剰な魔法によりほぼふさがっているが、流れた血や失われた体力が戻るわけではない。きちんと食事をしてそれらを回復させねば身動きが取れない。


 ラウルから粥の乗せられたお盆を受け取ったレオは、木製のスプーンを手に取り、口元へ粥を運ぼうとする。けれど手が痺れているように震え、すんなり運ぶことができない。


「あぁ! ……こんな軽いスプーンもまともに持てないだなんて……」


 レオはよく懐いた飼い犬のような目でロゼッタに食べさせてほしいと訴える。


「わかりました。……本当に世話の焼ける方ですね」

「何から何まで、申しわけありません」


 いかにも申しわけなさそうにしているが、ロゼッタにはわかっていた。これは甘えであると。ついさっき彼女の手を握った手は力強く、木製のスプーンが握れないはずがないのだ。


「じゃあ、父様、食べさせてあげてください!」

「……わかった」


 レオよりもさらに一回り大きなエプロン中年が彼に迫り、スプーンに乗せられた粥をフーフーと冷ます。


「……あーん」

「やっぱり、自分で――――」

「手が震えて食べられないのでは? ま・さ・か、私に嘘を!?」


 だったら軽蔑します。ロゼッタは少しつり上がった大きな瞳でレオのことを(にら)み、暗にそう伝える。そして観念した彼が、顔を引きつらせながら大人しく屈強な大男から食事を与えられる様子を見つめて微笑んだ。


(勝った。私は勝ったわ! レオさんがいくら迫ってきても、既婚者浮気男なんかにほだされたりしないんだから!)

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