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前々話の最後に新しい場面を付け加えました。まずはそちらをご覧ください。
まとめて三話追加しております。2/3
別室移動、といっても、修道院長が入ったのはその隣室の何もない小部屋である。彼女はユリアに丸椅子を四つ用意させ、それからおのおのが座る。
部屋の奥から修道院長と修士長が並んで座り、入り口が近い方にユリアとコンラートだ。
「さて、騎士コンラート。まずはお伺いしたいのですが、あの雉は何です?」
やはり修道院長もそこが気になったらしい。ユリアはちらっと隣のコンラートを窺った。
「喜捨です」
コンラートは先ほどまでの粗暴な雰囲気は何のその、背筋をぴんと伸ばして、まっすぐに相手と向かい合っていた。
「ここにいる修道女ユリアに読み書きを教えていただくということで、何かお礼を差し上げなければと思いましたが、あいにくと今物入りなのでお渡しできるだけの金銭もないので、狩ってきました」
「修道女ユリア」なんて言われるとは思わなくて、ユリアは新鮮な気持ちになった。時間とは偉大なものだと思う。コンラートが少しだけかっこよく見えた。内容そのものは「お金がない」という大層情けないものだったが……と。ユリアはかすかに引っかかる。狩って……? 買って、ではなく?
修道院長が尋ねた。
「狩猟を行った、ということですか」
「朝早くに、森で」
「それは大変だったことでしょう」
二人のやり取りを聞きながら、ユリアはぽっかりと驚きのあまり口を開けた。そしてまたそっと手で塞ぐ。
コンラートが、狩猟。騎士というものは狩猟で雉を何羽も捕まえることができるのだろうか。猟師でなければ、貴族や騎士ぐらいしか狩猟なんて行わない。狩猟とはそういう優雅な印象を持つものであり……子どもの頃、いかに少ない小石で街中の鳩に致命傷を負わせるかというおぞましい遊びに凝っていたコンラートとはなかなかつながりにくい。
「そのようなことは」
そしてコンラートはユリアをちらちらっと見た。一方の彼女は不思議そうに首を傾げる。
「今後もどのような努力をいとわないつもりでいます」
つまり、狩猟の努力を怠らない、ということか。ユリアは地獄を見つめているかのような雉の目玉を思い出し、とても嫌な気分になった。狩猟自体に反対するつもりはないが、雉を何羽も押し付けられるのは迷惑である。多少なりともユリアを思ってくれるならそんな努力いらない。
「それは立派なお心がけです。スキウィアス修道院を代表して院長のわたくしが御礼を申し上げます。騎士コンラートのおかげで我が修道院の修道女たちはまた一日長く生き延び、神への奉仕へと身を捧ぐことができます。騎士コンラートに神のご加護がありますよう。……ただ」
もったいぶったように修道院長は言葉を切り、神妙な面持ちで話を聞くユリアと微妙に事情を把握していないコンラートの二人を眺めて。
「喜捨には喜捨のための順序というものがあるのです。まずは当たり前ですが、食物であれ、金銭であれ、必ずわたくしの所に伝えること。事前にある程度把握して、受け入れるかどうかを修道院内において……特に院長であるわたくしと、ここにいる修士長のアデルバイト、さらにもう一人、修道次長の承諾を得るというのが慣例になっております。特に食物などはありがたいことではありますが、わたくしども修道女には特別な暦によって、食べられないものがある日がございます。……俗世にいらっしゃる方にもご存じでない方がいらっしゃるようですが」
当てこすられたコンラートがぴくりと身体を身じろぎさせた。
「今日と明日は食肉を禁じられており、代わりに魚を食する予定だったのです。そのようなときにわたくしたちに無用な試練を与えるのはおやめいただきたいのですよ。おわかりですね?」
コンラートはさっと立ち上がり、拳で胸とお腹を一度ずつ打った。騎士の理解と謝罪を表すための作法である。
「非礼をお許しください。スキウィアスが寛大なお心で未熟者を罰しますように」
「受け入れます」
修道院長は胸の前で右手を一直線に払う仕草を取る。これでコンラートが起こした一連の騒動に収まりがついた。
「今後もここに出入りなさるつもりであるならば、節度と品位を保ってくださるように。そして、わたくしたちのしきたりにも従っていただきます。喜捨についても同様に願います」
「はい」
ユリアからすれば胡散臭いほど従順なコンラート。父親にさえ反抗してばかりだった彼からこんなきびきびとした「はい」を聞ける日が来ようとは思わなかったので、ユリアはまじまじとその横顔を観察してしまう。さながら野原で一風変わった花を見つけた時と似ている。自分の知っている花々の知識と照らし合わせて、今まで見たものと違っているのだと確かめているような。
「今回のところは少し慣例に反してしまいますが、せっかくのご厚意ということで喜捨は受け取らせていただきます。春の初めなのでまだそこまで傷みやすいということはないでしょうが、明後日までもちそうになかったら、当修道院にいる女性たちへの御馳走にいたします。夫から逃げてきた彼女たちには守るべき戒律もありませんからね」
「それで結構です」
「そしてもう一つ。読み書きを教えることで当修道院が報酬を要求することはございません。わたくしたち修道女は読み書きを神聖なものと考えております。必要に迫られない限り、報酬をいただくことはありません。騎士コンラート、あとはあなたの自由意志に任せます。善き判断をされることを祈っております」
「それはつまり……」
修道院長の意味深な発言に、コンラートは顔をしかめるが。
「あとでユリアにお聞きなさい。彼女の声の方があなたも覚えやすいでしょう」
反射的にユリアを見たコンラートは、同じくコンラートを観察していたユリアとばっちり目が合った。ぐぎっと首の音がしそうな勢いで彼はそっぽを向く。
「ユリア。あなたはすでにこの修道院に身を置いてすでに十年近くになりますから、わたくしが言っている意味がわかりますね」
さっと目を伏せたユリアは、はい、と答えた。
「……騎士コンラート。スキウィアスでは浅学の身の上ですが、この修道女ユリアが後ほど説明させていただきます」
「う、うん……」
コンラートは目を伏せたユリアの頭頂部分をひたすらに眺めている。ユリアがせっかく改まって「騎士コンラート」を呼んだのに、その返事が「う、うん……」という動揺甚だしいものだったので、内心、ユリアは大丈夫だろうか、と心配した。さっきから騎士らしいんだか、騎士らしくないんだか、わからない。そもそもユリアは騎士が身近にいたことがないので、本の知識でしか持ち合わせていないのだが。
「そして修士長。あなたはユリアよりもこの修道院に身を置いて長いのですから、ユリア以上に理解できたのではありませんか? わたくしが、なぜ騎士コンラートの出入りを許すのか」
ついと急に視線を向けられた修士長は唇を硬く引き結んでいる。
「修士長の理念は修道院そのものとして、ある意味とても正しくて、尊いものです。ですが……」
「わたくしたちは弱いのだとおっしゃりたいのね、マティルダ」
修士長はゆるく首を振ってから、立ち上がる。そしてコンラートの方をきつく睨み付けると、
「わたくしなら、間違ってもこの騎士を出入りさせませんわ。……ユリア、あなたがそこの男に心を寄せるなら、あなたとは永遠に袂を分かたねばならなくなるわ。そうならないことを祈っているけれど」
そういって、小部屋を出ていく。修道院長は軽く溜息をついた。
「騎士コンラート。この修道院ではああいう反応は普通ですよ。俗世の男に対して非常に危機感を覚えるのです。覚悟なさい」
「ああ、だがあれぐらいは、別にどうということも……」
彼は本気でそう答えた。時に喧嘩や暴力を交える男同士のやり取りに比べれば、怖がられ、逃げられたりするのは格段に優しいとさえ言える。それに、コンラートがわざわざ関わるつもりもない。ユリアと話ができればそれでいいのである。
「あなたからすればそうでしょう。ですからお願いしております。ここにいる修道女たちに不埒な気持ちで近づかないように。……これはユリアにも当てはまります。彼女が自らの意志でヴェールを取り払わない限り、指一本でも触れることは許しません」
「なんだと!」
コンラートがいきりたつが、修道院長は鋭い眼光で「続きをお聞きなさい」と黙らせる。
「騎士コンラート。先ほどから、いいえ、本日こちらに訪ねていらしてからの態度は、随分と品性に欠けていました。未熟とはいえ、野蛮な振る舞いをする者にどうして挨拶の口づけのための手を差し出せましょうか。『本物の騎士』にはほど遠いようですね」
コンラートは凄まじい顔をして修道院長を睨む。横にいたユリアも怖くなるぐらいだが、心配もしていた。一介の騎士が修道院長に喧嘩を売ってもいいわけがない。
「コ、コンラート……?」
恐る恐る話しかければ、彼はユリアの方を見て、はっと何かに気づいたように怒りを収めた。
一連の出来事にもまったく動じなかった修道院長は丸椅子から立ち上がる。
「わたくしもこれで失礼しますよ。まだやらなくてはならないことが残っていますからね。ユリア。そろそろ応接室の方も片付けが済んでいるでしょうから、今日からそちらで授業を執り行いなさい。次の鐘が鳴るまでには終わらせるように」
「かしこまりました」
老婦人のゆったりとした足取りが小部屋から遠ざかるのを聞いたユリアはやっと人心地ついた気持ちになる。そしてそのままコンラートと目が合って。
「……え、と」
「……あ」
そういえば、今日はじめてまともに話をするのだった、と思いだす。途端に重くなる口。コンラートの方も貧乏ゆすりなどして落ち着かなさそうにしていた。強気そうな青い目も、元気がないように見える。
互いの丸椅子がぎしっと音を立てるのも部屋に大きく響いていた。
「移動しましょうか……」
「……わかった」
ぎこちなさの抜けない事務的な会話から始まった交流。どうにも幸先が悪かった。
修道次長……経済面の管理者。財産なども管理する