2
前話の最後に場面が付け加わっておりますので、まずはそちらからご覧ください。
まとめて三話ほど投稿します 1/3
「ユリア! 何があって……まあ、男がいるわ!」
「悲鳴があがったようですが……あら、こんなところに若い男が」
「ひいいいぃ、男ですわ! 神聖な女子修道院に下賤の男がおります、院長にお知らせしてきます!」
「ユリア、なぜ男と一緒にいて、しかも血で汚れて……まさか」
常ならば静謐に包まれているはずのスキウィアス女子修道院がにわかに喧騒に包まれた。次々と応接室前を訪れた修道女たちがユリアとコンラートの組み合わせを見て騒ぎ立てる。女子修道院は基本的に男子禁制、修道院長の許可がなければ立ち入れない禁域だからである。
ほとんど扉を開け放った姿勢のまま固まっていたユリアは気が遠くなる。もう何も考えられない。ユリアとちょうど見つめ合う形になったコンラートも呆然自失状態であった。
そしてコンラートの手には落とした雉の他にもあと三羽の雉を縛っている紐が握られ、青い眼だけが気づかわしげに、かつ忙しげにユリアの方に向けられた。
「よ、よう……」
コンラートが片手を上げれば、紐で繋がった雉の身体もぷらぷらと揺れる。目玉も揺れた。
先ほどはこんな感じで挨拶しようとして、ちょうど雉の頭がユリアの眼の位置に来てしまったのだろうか。
「みやげ、雉、食べろ」
突然言語に不自由になったコンラートが、ユリアに紐ごと雉を押し付けた。ユリアの手元でぷらぷらしだす雉の死体、三羽分。
「コンラート……」
「な、なんだ……」
ユリアは辛そうな顔で相手を見上げる。
「泣いてもいいかしら」
雉の眼が怖い。ついでにコンラートも怖い。なぜか急に雉を持ってくるその発想が怖い。
しかも雉、重い。
「お、えっ」
慌てだすコンラート。
「お前、肉好きだったろ! 昔はあんなにぱくぱくと美味しそうに……」
おしゃべりしだす口を押しとどめるように――さすがに衆人環視の状況ぐらいはわきまえていた――ユリアは残念そうに首を振る。
確かにユリアは肉が好きで、年に一度だけ雉肉を食べられる大祝祭日を楽しみにしていたが。……本当に、残念なことなのだが。
「肉、食べられないのよ。――ちょうど、今日と明日は肉食を禁じられている日だから」
節制も修道女として大切な理念である。過ぎる贅沢は禁止されているのだ。
いろんな意味でユリアは泣きたい。目の前にあってもすぐに食べられずにお預けだなんて、コンラートはなんてひどいことをするのだ。やはり昔とちっとも変わっていないじゃないか。
ひそかに落ち込むユリアに、さすがに自分のしたことはかなりまずかったと自覚しているコンラートはぱくぱくと口を開閉させて、
「……ご、ご、ごめん……」
蚊の鳴くような声であったが、素直に謝った。けれど不幸なことに、ちょうど回廊から歩いてきた甲高い音に紛れて、「ごめん」の「ご」の音しかユリアは聞き取れなかった。
「騒がしいですね。皆、それぞれ割り当てられた奉仕を放っておいてはなりませんよ。早く持ち場に戻りなさい」
足音の主は修道院長であった。彼女の言葉にほとんどの野次馬たちはアリの子を蹴散らしたようにささっとどこかへ行ってしまう。修道院長の後ろには厳格と評判の修士長がおり、コンラートとユリアを睨み付けていた。
「マティルダ。こんな野蛮な者をなぜ門のうちに入れたのですか。我が修道院は男女の逢引きの場にいつなり果てたというのです?」
「逢引?」
修道院長は聞き返すように片眉を上げた。
「見てわからないのですか、二人の間には血を流している雉が横たわっているではありませんか。わたくしにはどう見てもこの状況でロマンスが生まれるというよりも、馬鹿な男が間抜けな場面を演じたようにしか見えませんね。そうですね、ユリア? あなたは純潔の誓いを破っていませんね?」
ユリアはコンラートの肩ごしに見える院長に向かい、すぐに両手を組んで顔を伏せた。
「はい、院長さま。私とここにいるコンラートはたった今顔を合わせたばかりです。それにここは外からすぐに中を覗き込める一階にありますので、とてもではありませんが、そのようなご心配は無用だと存じます」
彼女の言葉に院長はそうでしょう、と鷹揚に頷く。
「いいえ、それだけでは疑惑は晴れませんわ! 人はその気になればどこでも事に及ぶもの、口にするのもはばかられるようないやらしいことの数々をすでにされていても不思議ではありません!」
「ではあなたはユリアの信仰を疑うのですか?」
修士長は言葉に詰まるが、
「わ、若い修道女というのはそれだけ誘惑が多いものですわ。何も知らない無垢な修道女たちをみすみすとけがらわしい肉欲の世界へと突き落とすわけには参りませんもの。その芽はできるだけ摘み取られなければなりませんわ」
「それだったら、時折こちらに喜捨してくださる伯家の皆さまも、地域との折衝をしてくださっている修道院の司祭様も、純粋に学問の追及に来られた修道士も、すべて排除しなくてはならなくていけませんね」
潔癖にすぎる修士長にため息を隠さない修道院長はさらに続ける。
「修士長、彼……騎士コンラートにはわたくしの方から許可を出しました。それに、応接室を含めた門近くのこの区画だけは外部の者にも男女の別なく入ることができると定められておりますから、彼を追い出したいなら、修道院規則を改定するか、わたくしをこの地位から蹴落としてからになさって」
「そのようなことは主神に誓って考えておりませんわ、マティルダ。ただ私はこの修道院をもっと厳しい修行の場として機能させたいと考えているだけで……」
「修士長……アデルバイト。神は知り得た真理をしゃべり過ぎた者を罰していますよ」
黙るようにと婉曲に言われた修士長はまだ言い足りないようだったが従った。
「あなたとの革新的で有意義な話合いはまた今度。今はこの修道院の第二の責任者として事情を知りたいでしょう。同席なさい」
「かしこまりました」
「それと……マルガレーテ」
彼女はずっとこちらを伺っていた小柄な修道女の名を呼んだ。
「そこの雉は厨房に持って行きなさい。ヴェラなら多少は日持ちさせるように計らってくれます。その後で、こちらの掃除を頼みます」
「……かしこまりました」
マルガレーテはちょっと困ったようにユリアをちらっと見てから頷いた。
「そして、騎士コンラート……それにユリア。あなた方には詳しい事情を聞きますので、わたくしと共に別室へと来ていただきます。よろしいですね?」
有無を言わさない口調である。ユリアは緑色の目が爛々と輝いているのを見ながら、今すぐに逃げ出したい衝動にかられた。怒りに任せた暴言よりも、時に理屈詰めの淡々とした口調が心に傷を負わせることもあるだとユリアは修道院長のために思い知った。
「いや、それなら別にここでだっていいだろ」
戦場を知っているコンラートなので、血の一滴や二滴を気にするはずもない。彼としては余計な時間を取られて、ユリアと満足に話せないのは勘弁してほしかったための発言だったのだが。
「騎士コンラート。ここにいる修道女たちは血を日常的に見ることなどありませんし、来客が来ることもある応接室に血が流れていたら一体どうしたものかと思うのが普通でしょう。……わかってくれますね?」
ユリアはその時、修道院長の口許がぴくりとひきつったのを見て、慌ててコンラートの腕を叩いた。院長様に従って、という合図である。
コンラートは意味が分からない様子でユリアに叩かれた腕を眺め、お、おう……と何ともしまらない返事をした。
修士長……院長の代理で修道女たちの利益を代表する。この作品だとNo.2ぐらいの立ち位置