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さよならからはじまる恋。  作者: 川上桃園
さよならじゃ終わらせない。
4/29

後編

前話含めてのコンラート視点の前後編です

五話目まで少し修正が入っております。内容はほとんど変わりません

「どうしようもない男だわ、お前」


 酒盛りで同僚につい口を滑らせてしまったことがある。少し年上で既婚者の彼は、せっかくいいところのご令嬢を嫁にもらったのに夫婦仲がとうに冷え切っていることで有名だった。お世辞にもコンラートの苦い過去を鼻で笑う権利はなさそうなものだが、相手は頓着しなかった。


「好きだって言ったのかよ。ぜってー、その口の悪さからするに言わないどころか、かえって印象悪くするようなことばっか言ったんだろ、ええ? 昔はさらにひどかっただろ、上官に向かっても生意気に口ごたえばかりしてさぁ」


 けっけっけ、と彼は並々つがれたビールを一息で飲み干した。ついでに近くを通った給仕の女の子の尻に触るのも忘れない。彼女はきゃあ、と言ってそそくさと逃げた。


「お前はー、あれだ。俺と仲間だな、こりゃ」

「あぁ? なんで。俺はあんたみてーにそこかしこで女と遊んでないぞ」


 夫婦仲がとうに冷え切っているわけは、互いの浮気だということも広く知られていた。どちらが先、ということもわからない、同時にということかもしれなかった。


 友人としては気のいいやつだったが、コンラートにひいきの娼婦と娼館を紹介してくる限り、男としては尊敬できない。


 男とは、一人の女性を大事にしてこそである。


 かつてその大事な女を修道女にさせてしまった過去を持つコンラートは、女性関係の上でも慎重の上に慎重を重ねていた。結局、深い関係になった女は一人もいなかったが。


 彼は再び、けっけっけ、と笑う。


「俺もお前も、一人の女をしつこいぐらいに引きずっていてさ、ずっと後悔してるところだなー」

「はあ? なんだよそれ」

「失っちまったってことさぁ」


 相手はささくれだらけのテーブルに突っ伏した。彼が覗き込んでみれば、ぐずぐずと鼻をすすっていた。


 ごめん、クローディア、と女の名前も呟いていた。もちろん、コンラートの知る同僚の妻の名前ではない。彼は何とも言えない気分で、酒盛りを終えた。


 それからしばらくしてクローディアと名乗る女性に会った。場所は墓地。約束もしていたわけもなく、ただ偶然、同じところに行きあっただけだ。けれども、ある意味、互いを結びつける縁だけはあった、ということかもしれない。簡素な墓石に刻まれた名は、件の同僚のものだったからだ。


 彼の死はあっけないものだった。訓練中の落馬だ。打ちどころが悪く即死だったという。


 死因も知らなかった彼女は、コンラートの話を聞きながら感謝していた。そして誰かに話したかったのか、その同僚との仲のことも話していった。


 世間ではよくあることだ。自分の将来のためになる縁談が来て、男は元々いた恋人を捨てた。三文芝居にも使い古されているようなたわいもない話だ。


「私を捨てた男の成れの果てを見に来たのよ」


 彼女は涙一つ見せなかった。


「出世したい、金持ちになりたい。そんなふざけた望みを実現させたのに、それを貫けもしないでうじうじしていたろくでなしだったのよ」


 墓石を寂しそうに見つめていた彼女は、やがてコンラートを見つめた。


「あなたは若いんだから、こんな馬鹿な男と同じようになっちゃだめよ」


 彼は答えないまま、どこかへ去っていくその後ろ姿を見つめていた。







 その頃、彼には出世の話を持ってきた上官がいた。何でも自分の娘と一緒にさせて、跡を継いでほしいという前途ある若者としては申し分のない話だった。その上官に恩があったコンラートは何日か考えさせてほしいと言ったものの、答えは自分の中ではとうに固まっていた。


「すみません、ありがたい話ではありますが、自分にはできません」


 数日後、自分の立場が悪くなるのを承知で深々と頭を下げた。


「一番大事にしたい女性がいます。彼女が幸せじゃないと、自分も幸せにはなれません」


 もうユリアとは何年も会っていない。年齢も互いに二十歳を越えてしまったから別れた時から面差しや容姿も変わったかもしれない。会わない年数とともに容赦なく互いに変化をもたらしているのは間違いない。


 その間、何度諦めようとしたかしれない。不毛だと言うのも百も承知で、虫のいいことを考えていることもわかっている。これまで何度後悔したかしれなくて、彼女にとって自分が「不幸」の象徴であったとしても——会いたい。


 まだ何もはじまっていなかった。ユリアはコンラートの気持ちさえ知らないのだ。せめて自分の心を吐露する機会が欲しいと願った。


 願い事は確かに叶えられた。気まぐれに覗いた大祝祭日の広場でユリアを見た。仮面をかぶっていても一目でわかった。コンラートは他の誰かに取られる前にと夢中で人混みをかきわけて、彼女に手を差し出した。


「……どうぞ」


 余計なことを言うまいと、意識して抑えたその言葉。


 それがコンラートの精一杯の勇気だった。











 久しぶりに会った修道院長は、しっとりとした笑みをたたえている。


「これはまた、懐かしい顔ですね。そうですか。出世なされたのですね。随分と立派になられたようでなによりです。それで本日はどのような御用件でいらっしゃったのでしょうか」


 縁談は蹴ってしまったが、功績を積み重ねて運よく騎士に上がったコンラートは、さすがに修道院でも一概に無視できないぐらいの身分になっていた。


 コンラートは真新しい青い騎士服を身に纏い、いささか緊張した面持ちで座っていた。


「ユリアに会わせていただきたいのです」


 礼儀正しい言葉もこの数年で身につけた。昔の知り合いなどに会えば、いまだにぼろが出る程度のものではあったが。礼儀もへったくれも知らなかった昔の自分はいかに浅はかだったのか、今になって戦慄している。そもそも修道院長になるような人物は、元が貴族の奥方だったような人なのだ。コンラートの目の前にいる老婦人がそうであるように。


 彼女は口元をゆるめた。


「昔、大人になっていたあなたにも言いましたね。……ユリアは修道女なのです。神にお仕えするのが仕事で、あなたには会いたがらないでしょう。答えは以前とまったく変わりありません。無理ですよ」


 きっぱりと言われたが、これで諦めたコンラートではない。わかりました、と表向きはあっさりと立ち上がる。


「また明日も参ります」

「明日も返事は変わりませんよ」

「だったら明日は修道院でのユリアの話をしてください。そのために来ます」

「それでも駄目だったらどうしますか」

「何度でも。……自分はユリアにずっと伝えていないことがあるので、伝えるまでは何度でも。叶えられるまではユリアの話を聞きたい。どういう数年間を過ごしたのか、聞いておきたいのです」


 コンラートも言いながら自分でも驚いた。予想以上に自分はユリアのことが好きすぎていたようである。


 はぁ、と修道院長がかすかに溜息をついていたのが印象的であった。








 修道院でのユリアの様子を聞きながら、コンラートの修道院日参は何日か続いた。毎回熱心に話を催促する彼に、修道院長はとうとう折れた。


「よろしいでしょう。面会するのを許します」


 この言葉に一瞬喜びを浮かべるコンラートだが、前々から考えていたあることを口にする。


「一つお願いが」

「なんです?」


 老婦人はうんざりした顔をもう隠しもしなかった。


「自分、これから読み書きができるようになりたいのですが、教師を探しており……」

「わかりました。ユリアにその教師をお願いしたいというのですね。話は通しておきましょう」

「お願いいたします」


 疲れ切った風情で院長が立ち上がり、去り際に釘を差すことも忘れない。


「あなたの熱意に免じてユリアの前にあなたが立つことは許しますが、彼女の意に背くようなことがあったら……わかっていますね」


 コンラートは深々と頭を下げた。







 次の日の午後、修道院の応接室にコンラートはいた。そわそわと落ち着かなさそうに、袖口だの座り方だのを直し、柄にもなく緊張している自分に舌打ちをした。


 情けねえ、と心の中でぼやく。ぼやいてみたところで、手足の震えが止まるわけでもないが。


 しばらくして応接室の扉をノックする者がいた。失礼いたします、と涼しげな声がした。


 ユリアが姿を現す。ユリアは、きれいになっていた。美人になっていた。可愛くなっていた。……彼の貧困な語彙力ではこれぐらいしか表現できなかったが、自分で思っていた以上の「ユリア」が出てきて、コンラートは頭が真っ白になった。するとコンラートの繕った騎士の仮面が粉々にぶち壊れ、中から昔のコンラートが顔を出す。


「元気そうで何よりだな、ユリア」


 第一声に出てきたのは、昔と同じような話し方だった。とにかく話さなければという焦燥感の産物である。


「どう、して……」


 ユリアはその場にたちすくんでいた。そのことになんとも情けない気分になるけれども、コンラートはどうにかまともに話をしようと試みた。


「お前、この間の祭りにいただろ?」


 ユリアが引きつった笑みを浮かべる。自分の失敗を悟ったコンラートだが、どうにも上手く立て直せない。気持ちだけが先走っていく。


 見間違いだと言い張るユリアに、嘘だ、と突きつけ、足は勝手にユリアの方に向かっていく。


「俺がユリアを見間違うはずがないだろ。……待てよ」


 彼は精一杯優しい声を出したつもりだが、無駄かもしれなかった。若い女性を問い詰めながら、強引に身体を引き寄せれば、どんな優しい声だって威圧的に聞こえるものである。


 さらに悪いことに彼はほっそりと自分の腕の中に納まった華奢なユリアに舞い上がっていた。もうずっと手が届かないと思っていた幼馴染が戻ってきた。だが歓喜と同時に、自分とのことをなかったことにしようとしているユリアに腹が立ってきた。ここからはもう、目も当てられない。


「祭りの夜に、一緒に踊った。相手は俺だ。忘れたとは言わせないぞ、ユリア。お前はどうしていつもそうなんだよ! いつもいつも俺から逃げる! 俺との結婚がそんなに嫌だったのか!しまいには修道院にはいっちまって、俺の面会希望を全部はねつけて! 俺とは一生関わらないつもりだったのかよ! ふざけんなよ!」


 彼の言葉はほとんど思い付きのまま、口からついて出てくるままだった。


 来る前はあれを話そう、これを話そうと順序立てていたにも関わらず、この時にはすっかりと抜け落ちてしまっていたからである。


 それだけ彼は必死だった。


「なんなんだよ、お前は! そんなに「本」を読みたかったのかよ、俺よりも! 俺との将来よりもさ! ずっと追いかけているこっちの身にもなってくれよ! 苦しいんだよ、辛いんだよ!」


 ずっと心のうちにあったものを吐きだしたせいか、涙がぼろぼろと出てきた。

 苦しいんだよ、と言えば、苦しいことを思いだすし、辛いんだよ、と言えば、辛いことを思いだす。

 言葉にするたびに、記憶の断片がどうしようもないやるせなさをはらんで、彼を苛む。


「もう何度も忘れようと思ったかしれねえ! 昔からいつも俺のことなんか素通りで、別のもんばっか見ててさ、こっちもいやんなるんだよ! おとなしく他の女と結婚すりゃあいいのによ! 結局、諦めが悪く想い続けて! むなしいったらありゃしねえ! 俺が馬鹿みてえじゃねえか!」


 この現実が嘘じゃないだろうか。ユリアの存在を確かめたくて、強く強く抱き込んだ。


 あ……と呟いてユリアが身じろぎした気がしたが、その仕草でさえも彼を嫌がっているとしか思えなかった。


「なあ、昔から一緒にいたんだ、ちょっとは気づいてくれよ! 修道院に入っちまって、面会まで拒絶されたら、俺には何の手も打てねえんだぞ! どんだけ悔しかったかしれねえのに、お前はひょこひょこと祭りにやってくるし! どんなにうれしかったか……」


 全部が全部、勝手な言い分である。世迷言だった。コンラートはもはや自分を制御できる自信もない。

 嫌がられているのはわかっていて、それが自業自得であることも知っている。数年間、もっともコンラートを責め続けたのは、コンラート自身であった。


 彼はいつも失ってから後悔する。


 ぽつり、とユリアの声がした。


「ね、ねえ、コンラート……どうして泣いているの」

「お前のせいだよ、馬鹿っ」


 反射的に返せば、ユリアの肩がぴくっと揺れる。コンラートは完全に我に返った。落ち着け、落ち着け、と心の中で繰り返しながら、ユリアを慰めようと髪を撫でた。実際に効果があるかは試したのがはじめてなのでわからない。ただ、以前よりも段違いのユリアの髪の短さに寂しさが募る。


 正真正銘の馬鹿はコンラートの方である。


 コンラートは心の底から泣いた。外聞などはもう意味をなさないことぐらいわかっていた。


 これが、きっと彼に許される最後の機会になる。ここでユリアを振り向かせられなければ、すべてが終わる。もう、恥ずかしいだの、カッコ悪いだの言っていられないのだ。


 彼はユリアの茶色の虹彩を見つめながら、一番言いたいことを告げた。


「愛しているんだ」


 驚いたように目を瞬かせるユリアに、彼は重ねて懇願した。


「俺と結婚してくれ。頼む」


 最上級の謝罪と、求愛を込めて跪いた。ユリアが明後日の方向に助けを求めて視線を投げているが、コンラートの意志自体はこれ以上ないほど伝わったはずである。





 それからもコンラートが昔の口の悪さをいかんなく発揮したものの、できない口説き文句をどうにか無理やりひねり出し、ユリアの前向きな返答を得ることができた。


 頬を少しだけ上気させたユリアは躊躇いがちに答えた。


「そうね。……そういうのもいいかもしれないわね」


 それはお世辞にも結婚したいという意味ではなかったが、彼は飛び上がるほど嬉しかった。

 会えなかった時より、数十倍マシな結果なのである。

 数年かけてやっとのことで、いじわるな幼馴染から、一歩だけ進歩することができたのだから。


ありがとうございました。

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