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さよならからはじまる恋。  作者: 川上桃園
さよならのつづきは。
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14

時系列戻ります

 当事者のマルガレーテは強く主張していた。頻繁に見る妙な夢が本当に「幻視」だったとしたら、少しは修道院を守るために使いたいのだと。


 ユリアは彼女の熱意に押されながらも反対していた。マルガレーテの身体は弱い。もし「幻視」だったとしても、下手に身辺が騒がしくなると、身体に障る。修道院を思うのはいいことだが、自分でも調べてみるからもう少し待って、と。


 ユリアは写本の隙間を縫って、図書室にある様々な書物を読み漁ったが、成果が芳しくない。二人で抱え込んだ秘密は、段々と二人を追い詰めていった。ユリアはマルガレーテに何も言えなくなっていった。結局のところ、ユリアの存在はマルガレーテの役に立たず、実際に夢を見ているのはマルガレーテだったから。


 そんなときに現れたのがグレゴールという知識豊富な修道士の存在だ。


 マルガレーテが熱心に相談したいというものだから、ユリアも同意した。彼女の告白の場に、ユリアも居合わせるつもりだった。


 けれど間の悪いことに、ユリアがいない間にマルガレーテはグレゴールに行き合って、たまたま二人だったものだから、ぽろっと夢のことを零してしまったのだという。


 グレゴールは大変な興味を持ったらしく、そのまま同室のベレンガリアがいない自室に押しかけ、それをおしゃべりなバフィンに目撃されてしまい、あっという間に修道院中に話が伝わってしまった。やましいことは何もない、とマルガレーテが主張するために、彼女たちにも「夢」のことを話さざるを得なかったという。


 石像のように青白い顔色をしたマルガレーテは、そのままグレゴールのいう「幻視者になるための訓練」を行いたいと言った。


「グレゴールさまが言うには、もっと精度を上げられるのですって。聖女となった幻視者の女性たちの例を色々引用されて、私に勧めてくださったの。私、やってみるわ。修道院を守るためだもの」

「マルガレーテ。いくら修道院を守るためと言っても。そこまで切羽詰まっているわけではないのだし……」


 マルガレーテは口元を引き結び、ううん、と首を振った。


「ユリアは知らないでしょうけれど、ここの修道院はもうすぐ無くなってしまうかもしれないの」

「……え? ちょっと何を言っているの。待って、そんなはずない。財政がそこまで悪いの? そんなこと聞いていないわ」

「もう何年も前からひそかに交渉が進められているわよ。一部……いえ、ほとんどの修道女たちが承知している話よ。知らないのは、あなたとエレオノールぐらいでしょうね」


 淡々とした口調は、真実味を増していた。ユリアの体の芯がさっと冷える。


「町中にあるヘドウィグ男子修道院が、手狭になったから新しい土地が欲しいのですって。


あなたも知っている通り、この修道院は元々そのヘドウィグ修道院が持っていたもので、資金不足のために建設途中で放置されていたものを、聖ユリアが自分たちのための女子修道院として完成させたの。


だから、歴史的な正当性はこちらにあるって……あちらの修道院長は主張し続けていたわ。


もちろんうちの修道院長は実家の伝手なども使われて反対していたけれど……修士長のリウトガルドは賛成派よ」


 頭の中で必死に状況を整理するユリアは辛うじて、「なぜ?」と尋ねた。


「代わりにヘドウィグ修道院が私たちのために用意される土地が、修練にはうってつけのとても厳しい環境だから。あの方はより自分を追いこむ場としての修道院を目指しておられるのは知っているでしょ? 


もちろん孤立した土地だから、盗賊に襲われて命を落とすことも承知なのですって。あの方はそれを神に対する殉教だと考えている。……でも、私は嫌よ」


 彼女は胸元のペンダントを握り、すぐに放す。


「知らない土地に行くのは嫌。死んでしまうのはもっと嫌。ユリア。私たちは誰もかも望んで修道女になったわけじゃないのよ。リウトガルドのように信仰心に篤くもなければ、ユリアのようにどうしてもやりたいことがあったわけでもない。やむを得ない事情があるの。


……だから私は時々、修道女でも純潔の誓いを破る者がいたと聞いても仕方がないのだと思うの。私たちは修道院という檻に囚われているけれど、だからこそ、せめてその中では自分たちの権利を守って戦いたい」


 ねえ、とマルガレーテはユリアの方を向き直る。


「実家の方から時々そういう話を聞かされているのよ、私たちは。あなたが知らないのは……ご家族が事情を知る立場にないから。エレオノールの場合は理解しようとしていないから。あなたがこの修道院を愛しているのはわかっている。……けれど、あなたには帰っても待っていてくれる人がいるから羨ましい。あなたはここにいる誰よりも自由で……妬ましいわ」


 ユリアはもうマルガレーテの目を見ていられず、逃げた。


 同じ修道女だと思っていた。出身は違っていても、皆平等に同胞の一人で。


 秘密を共有するなら、皆で。……その「皆」に結局ユリアは入っていなかったのか。


 誰もかもが、何も考えていないユリアを笑っていたのか。


 憐れまれていたのか、ユリアは。


 一人になりたくて、ユリアは図書室に行く。


 先客は泣いているユリアに目を丸くして、すぐにハンカチを取り出した。


「お辛いことがあったのですね、修道女ユリア」

「いえ、お構いなく、グレゴールさま」


 美形の青年が微笑みながら差し出すハンカチをどかして、ユリアは自分のもので目元を拭く。


「……マルガレーテさまのことですか。あのことでしたら、私でよければ精一杯力になりますよ。いずれ、聖女になられる方かもしれませんからね」

「そうですね」

「修士長からも頼まれました。もしもマルガレーテが幻視者として大成するようならば、修道院の誉れですし、より意識の高い修道女たちも集まってくるだろうと。皆も喜んでいるようです。……でもあなたは違うようですね」


 とても悲しいことです、とグラゴールは眉を下げて、その場を去った。


 一人になったユリアは本棚の一つにあった大型の本を読書台で開き、そこに挟まった冊子を見つけ出した。ぺらりと開いて、その中身を朗読する。


「――あなたが絶望した時、この言葉を贈ります。『あなたは変わらなくてもいい』のです。あなたが修道女を志願した時に思いました。いつかあなたは周囲との距離に悩むことになるだろうと。


まず一つはあなたの出自のために。そしてもう一つが意識の差のために。


それは仕方がないのです。私ももう何十年と悩んできましたが、仕方がないとしか言えません。周囲から疎外される思いをするのはもうたくさんだと、ひたすら写本や読書に没頭できたらどんなにいいか。


でもそのために自分を見失ってはいけません。色々な修道女がいたって構わないのです。古代の修道院は様々な出自の人間がそれぞれの背景を抱えて修道生活に入り、共同生活に入りました。衝突だって一つや二つあったことでしょう。


だから、私は周囲がどれだけあなたの在り方を否定したとしても、肯定しようと決めています。もう一度、周りを見てみなさい。一人ぐらい、あなたをまるごと受け入れてくれる人がいるのではありませんか? その人を大切にするのですよ」


 それはユリアの師匠であるアッタが遺した冊子だった。修道女たちへ、と表向きは書かれているが、それは明らかにユリアに当てた私信のようなものだった。彼女の死後、ユリアが読みかけていた書物にこれが挟まっていたのを見つけた時、どうして直接口にしなかったのだろうと思っていたけれど、それはアッタの心配の表れだったのかもしれない。今になってようやくアッタの遺した意味がわかったのだから。


 ユリアはそこから、一枚、二枚、と頁をめくっていく。すると最後の項目に「修道女が恋に落ちてしまった時」なんてものもあった。下手に見つかれば、焚書になるような代物だ。


 近頃はグレゴールも出入りしているのだから、隠し場所を変えようと思いながら、久しぶりに続きを読む。


――その殿方はどんな方ですか。優しいでしょうか。あなたを思いやってくれるでしょうか。もしも優しくもなく、思いやってくれる人でもなければ、やめておいた方が賢明でしょう。修道誓願を捨てるに値しない男ですよ。


――財産はありますか。あなた一人ぐらいは養うぐらいの甲斐性は必要です。自分を安売りしてはいけません。


――あなたが修道女だと知っていますか。これに「はい」と答え、それでも触れようとする殿方がいれば、やめておいた方が賢明でしょう。それはあなたのことを考えていないからできることなのです。「いいえ」であれば、すぐに告げなさい。それは不幸の元です。修道女と知らずに恋に落ちる男が気の毒です。


――そして大事なこと。修道院を出れば、もう本に触れることは叶わないでしょう。今まで築き上げたすべての生活も捨てなければなりません。あなたの中の「何か」は必ず変わるでしょうし、周囲から必ずしも祝福されるわけではありません。そうなっても構わないでしょうか。恋という熱に侵されていませんか。あれは大抵幻想に終わりますからね。


――じっくりと冷静になって考えましたか。よろしい。行っていいでしょう。


――あなたの幸せを祈っています。


 不思議なことにユリアは相手にコンラートを真っ先に思い浮かべていた。そもそも想定できるだけの相手はコンラートしかいないのだ。他の幼馴染たちは皆結婚して、子どももいるに違いない。夫や妻と支え合い、子孫を繋いでいく。それはユリアが以前、決して選ばなかった道だった。


 けれどもそれが今は少し羨ましい。


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