12
表向きは大人しく門のところまでやってくる。そこには気の強そうな若い修道女がいて、明らかにコンラートに秋波を送っていた。さすがに見かねて声をかける。
「エレオノール、自分の仕事はどうしたのですか。勝手に外に出ていいと言った覚えはありませんが」
彼女はユリアを無視して、コンラートの前に立つ。両手を組み合わせて、目を潤ませた。
「騎士さま。どうか可哀想なこのわたくしを救うと思って! ここから連れ出してくださいませ!」
ユリアはあきれ果てて物も言えない。この娘には見境がないのだろうか。
「……エレオノール」
二人の間を遮るように、ユリアは前に出た。
「可哀想? 何が可哀想なのですか。貴族の家に生まれ、衣食住が保障された生活をし、ここで奉仕も行わず好き勝手やっているあなたのどこが可哀想なのですか」
「……わたくしは、コンラートさまに言っております。あなたは黙りなさい」
「黙るのはあなたの方です。これ以上、この修道院の名を貶めるような恥知らずな真似はやめなさい」
エレオノールの眼光を負けじと見つめ返すユリア。彼女も修道院に入ってから強くなったのだ。
二人のやり取りを見ていたコンラートは確認する。
「ユリア。……『喧嘩相手』か?」
「そう」
ふうん、とコンラートはその修道女を改めて観察し、
「エレオノールさま」
「はい」
名前を呼ばれて、彼女は嬉しそうにはにかんだ。しかし次の一言で表情が凍り付く。
「自分はユリアの味方です。……どこまでも」
意味深な視線を投げかけられたユリアは身じろぎした。エレオノールはその仕草でさえ忌々しそうに眺め……ユリアの持つ金の入った袋を見つけた。
「お前が持つべきものではないわ! わたくしに渡しなさい!」
「やめなさい、エレオノール」
彼女の手がユリアの袋の端に引っかかり、どちらも引っ張り合って……袋が弾けた。
じゃらじゃら、と金貨が散らばる。とても大きな金貨だった。ユリアも修道院の会計の手伝いでしか見たことのない大きな金貨。コンラートは先の試合で随分と稼いだようである。
「おや、そこで何をなさっているので?」
さらに間の悪いところへ話しかけてきたのは、かの修道士グレゴールである。彼の緑の眼はユリアとコンラートとエレオノールの三者の組み合わせを興味津々と言ったようにきらめかせた。
美形ぶりに当てられたコンラートはうぐ、と喉を詰まらせたような音を立てた。
「失礼。金貨を拾うのを手伝いましょう。申し訳ありませんが、ユリアさま、両手を椀の形にしていただけますか?」
「は、はい」
反射的に手の形を作ると、グレゴールは一つ、また一つと金貨をユリアの手のひらに乗せていく。途中からはコンラートも加わったが、どちらかと言えば拾うことよりもグレゴール本人に興味を持っているようだった。
あらかた拾い集めたところで、またグレゴールは声をかけた。
「さて。そこの騎士さまにお尋ねいたします。金貨は元々何枚だったでしょうか?」
「……用意したのは二十枚だったと記憶している」
そうですか、とグレゴールは言い、再びユリアの手から金貨を一枚一枚抜き出して数えようとする。それをコンラートが止めた。
「俺が自分で数える」
グレゴールはあっさりとコンラートに出番を譲る。コンラートは金貨を数えた。一枚、二枚……。
金貨は十八枚だけだった。
「残り二枚は散らばった時にどこかに行ってしまったのかもしれませんね」
そうのんびりというグレゴール。だがコンラートは違った。
「おい、お前」
堂々とその場を立ち去ろうとしていたエレオノールの手首を掴み、捻りあげた。
「きゃあっ」
女らしい叫び声をあげるエレオノールだが、その場にいる人の目はエレオノールの手から零れて地面に落ちたものに向いていた。
グレゴールが拾い上げる。
「これで、金貨は十九枚……ですね。エレオノールさま、いくら欲しくても人の手から盗むことは主神もお許しになっていないことですよ」
目の覚めるような美しい青年に注意されたエレオノールは恥ずかしさで顔を真っ赤にさせた。ついで、お前のせいだとばかりの鋭い視線がユリアに向く。ユリアは答えた。
「……エレオノール。院長さまたちにも報告させてもらいますから」
「いやっ」
「嫌も何もありません。盗みは俗世でも立派な犯罪です。身分は関係ありませんよ。まして、修道女がこのような浅ましい真似をしてはいけないのです」
「お、お前だって、人のこと言えないわよ! いつも男といちゃいちゃなんかして! だったらわたくしだって許されるはずだわ!」
「……論をすり替えるものではありません」
ユリアは低い声で断言すると、放してあげて、とコンラートに告げた。
「いいのか? 逃げるぞ?」
「構わないわ」
ぱっと、エレオノールの手を放すコンラート。エレオノールは逃げ出した。……修道院の内部へ。駆け去っていく背中を見ながら、彼女は呟く。
「エレオノールは逃げない。何の伝手もない貴族のお嬢様だった人が俗世で生きていけるはずがないの。勝手に帰ってきても、家族は受け入れてくれないから。誰か生活力のある人に頼るしかない。……わたしのように逃げられないのよ」
逃げて修道院に入ったユリアと修道院から逃げられないエレオノールでは、考え方の根本が違うのだろう。彼女には救いでも、エレオノールにとっては地獄と同義なのかもしれないと思うことがある。憐れまれていると知ったら、エレオノールは怒りに打ち震えるのだろうか。
コンラートは黙り込んだ。思うところがあるのかもしれない。ユリアはまさにコンラートから逃げようとしたのだから。
「修道女エレオノールの心に安らぎと平穏が訪れることを祈りましょう」
グレゴールは胸元のペンダントを握りながら、ぶつぶつと祈祷の文句を口にする。ユリアもそれに倣う。
「グレゴールさま、エレオノールのためにありがとうございます」
「いえ。私もそれぞれの修道院の事情は知っています。どこにでもいるものですよ。ああいう……自分の境遇を受け入れきれない方がいることも」
それでは私はこれで。グレゴールも去っていった。
コンラートは再びユリアに金貨の袋を渡した。
「用意した金額よりも一枚少ないが……まあ、いいだろ。元々十九枚だったことにしとけ」
そんなことはできないわよ、とユリアはちょっと笑い、
「今度こそ、ちゃんと修道院長にお渡ししておくね。じゃあね、コンラート」
そう言って帰そうとするユリア。けれどもコンラートは帰ろうとしない。彼はグレゴールが去った方向を忌々しそうに眺めていた。
「……さっきから気になっていたんだが、あいつ、誰だよ。いけすかねえ。一人だけ聖人みたいな顔しやがって」
「それは嫉妬?」
コンラートが途端に目を彷徨わせる。なるほど、とユリアは納得した。
確かにあんな綺麗な顔の男がいれば、傍にいるだけで気おくれしてしまうだろう。ユリアも同じである。強いてグレゴールの顔を見ないようにしているぐらいだ。
コンラートにも男の沽券があるはずだ。ユリアの父も言っていた。男には男なりのプライドがある。それを女に刺激されたくないし、いつでも「かっこいい自分」でいたいと願うものだと。
ユリアはコンラートのフォローに入った。
「大丈夫。コンラートの方が腕っぷしがあるわ」
「お、おう……」
微妙な顔をするコンラート。上手く意味が通じていなかった。