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第七話 ~戦後~

2017 3/18

 本来は六話にそのまま同梱するはずだった話です。文字数上限が空白や改行含めて七万文字だったため、泣く泣く遠心分離→もともと三ページほどだったのをこれ幸いと増量しまくったものがこちらになります。

 文字数は一万文字と、連載ものにおいて自分が設定している最低限文字数です。まぁ、少なくとも前話より短いことだけは保証します。




Zehn Jahre nach ~十年後~




 後の三十六艦隊には不思議な噂がある。

 曰く、艦長はシートに座らない。

 別に座らなければいけないわけでもないし、他の士官が全員立っている中で一人座っている状態が居心地悪いからというわけでもない。そもそも今時の戦艦では座り仕事のほうが多い。機関室や厨房などは例外だが。

 ただ、そんな中で彼女は一人だけ立っているのだ。それこそ噂されるレベルで、頑なに。


「ほんとだったねぇ……」

「うん。退室されるまでずっとシートの横に立ってたね」


 ヒソヒソと内緒話のように話し合う彼女たちは、噂が本当だったことに喜べばいいのやら戸惑えばいいのやら、なかなかに反応に困っていた。

 それもそうだ。他の情報の確認で艦長が担当士官のモニターを覗き込むのが珍しくないとはいえ、何の用もないのにいつまでも立ったままで特に命令らしい命令があるわけでもない。少なくとも新任の彼女たちにとっては身の振り方に大いに戸惑う職場だったのは間違いようがなかった。

 そこに二等海佐の階級章の付いた上着を着用した男が近づいてくるのに片方が気がつき、急いで敬礼する。

 それでもその男は『敬礼はいい』と言いながら、彼女たちの話していた内容に突っ込んでくる。そもそも興味がないとでも言うかのように。


「――あぁ、君たち新任だったね。そりゃ知らないのも無理は無いか」

「どういうことですか、田中二佐」

「――彼女は、待ち続けて居るんだよ。いつか彼女が帰ってくると信じて……」


 要領を得ない言葉に首をかしげる彼女たちに、あまりおしゃべりが過ぎたと内心自嘲しながらも、彼、田中徳太郎“二等海佐”は口の端を綻ばせながら戸惑っている彼女たちに艦での身の振り方を教える。

 とはいっても、もともと彼女のやり方を反映しているだけあって仕事をしっかりとこなすのなら基本は自由だ。敬礼も外ではやる必要があるが仲間内ではあまり必要がないことも伝える。

 普通に考えればあまりにもおかしな職場だが、それがこの艦隊において当然である以上郷に入れば郷に従え。楽なところに配属されたと思えばなんてこともなかった。







 先生、やお父さん、と呼ぶ声が聞こえて彼は目を覚ました。


「あぁ、悪い悪い。どうにも日差しが気持ち良くってな」


 脇で一緒に寝そべっていた子供たちの頭をなでながら、彼は木漏れ日の中を、その先に広がる小さな青い空を見つめた。


 玄武との取引でどうにか孤児院の経営は軌道に乗った。裏では新政権が後ろ盾に付いてくれたからしばらく報道関係マスメディア誤報ゴシップを流すこともないだろうと思えば、この程度の平穏は対価としては十分なのではないかと思えるほど安穏として落ち着いた日々だった。

 姪との関係も修復され、今ではここの職員として働いてくれている。たった二人だけだが、それでもここに集められる少年少女たちにとっては大人数よりは最小限の人数のほうがましだろう。


「さっき弥生やよいお姉ちゃんが来てね、義手直してくれたんだ!」

「そっか、良かったな。それと、しっかりお礼言ったか?」


 元気に返事する少年の頭をなでながら、内心彼は玄武に頭の下がる思いだった。

 いくら彼が“孤児院を経営する代わりに、玄武には違法研究所の子供たちを助けてもらう”という契約であろうとも、彼女がそれを律儀に守り、補償の対象外の仕事をする必要などないのだから。

 そのうえ手足をなくした子供たちに彼女は無償で義手や義足を手配した。それらの維持整備のノウハウも、年長組に教えて居る。感謝してもしきれない恩があった。


 カサカサ、という草を踏み分ける音に反応して子供たちから目を離した瞬間、世界は色をなくし、時が止まったかのように動きの一切が止まった。

 孤児院のそばにある沢が、その向こうにあってなお音を響かせる渓流が、または目の前を落ちようとしている木の葉が、風に煽られたまま元に戻る様子のない稲穂が、はたまた元気に遊びまわる子どもたち。そう、全ての動きが止まり、この世界で動くことを許されているのは己と目の前の彼女だけだった。


 いつもの外套を脱ぎ、サバイバルゲーム用の玩具おもちゃのガスマスクも被っていない、笑顔を張り付けた少女。その姿は何も知らなければ癒しに相違ない朗らかに過ぎる気持ちの好く笑顔で、本人の言うところではこれ以外の表情に変化しないらしい。

 二十代中盤としてはまだ少々あどけなさが残るが、くるぶしはおろかかかとあたりまでを覆うパンツとピシリとしたジャケットは見かけの年齢とは対照的に大人な印象を抱かせる。総じて彼女は見かけと服装の差異から一種の不可思議ミステリアスな雰囲気を纏い、ここにいる。


「君の役割は、ここで彼らを癒してあげることだよ」

「――珍しいな。いつもの玩具のガスマスクを被っていないなんて」

「ふふっ、僕だっていつも同じマスクじゃ飽きるからね。それに外でお面なんか被って歩いていたらお巡りさんにつかまっちゃうよ」


 こんなことを言ってくるのは、きっと彼女も望んでいるからだろう。彼女が子供たちを養育する海崎隼人に要求するもの(愛情という牢獄)と同じものを求めているからだろう。

 狂わずにはいられない地獄を彼女もまた経験してきて、今もなおその後遺症によって顔には出ないが辛い思いもしてきている。そんな彼女だからこそ彼らのために私財を投げ打ってまでこんなことに手を貸している。酔狂で、そして渡辺明野二等海佐と同じタイプの馬鹿だ。


「そうか。お前も一応結婚してるんだもんな。妙に波風立てるわけにもいかないか」

「ただの殺し屋としてやっていける時代は過ぎ去ったということさ。まぁ、おかげで楽させて貰ってるよ」


 口では軽口を言い合っているが、彼女の真意は、秘めた意を汲み取れないほど短い付き合いではない。

 初期段階の資金援助に子供の確保、お偉方への繋ぎと触られたくない腹(有力な情報)の確保に老人共からの支援の取りつけ。その全てに彼女が一枚と言わず二枚三枚と噛んできたのだ。今更やめるつもりなどないし、許されるとは思っていない。

 所詮は自己満足に過ぎないと分かっているし、ここにいる子供が世界のうちのほんの一握りにすぎないことも、良く理解している。それでも彼は、心の底から彼彼女らを愛していた。ここで手を離すことは、裏切りに相違ない。裏切りたくは無いし、裏切るつもりもない。裏切られる辛さは良く理解しているつもりだったから、だから裏切るよりは裏切られる方がましだ。


「――裏切らないよ。俺は絶対にこの子たちを見捨てない。いくら親が愛していないからって人体実験だとか違法ポルノやらで人生台無しにする権利は、俺たちにはない」

「……それが分かってるんだったら、なおのこと君に任せて良かったよ」


 やがて景色が動き出すと同時に玄武と呼ばれた女は子供たちの輪の中に突撃していった。少なくともその笑顔は、普段彼に見せるような取り繕ったようなものではないと、他ならぬ海崎隼人はそう感じて居た。


 積乱雲のごとく巨大な入道雲が、一足早い夏の訪れを知らせてくれる。海崎隼人は思い出した。そう、たしかあの小さな戦争も、ハジマリはこんな日だったと。







 夕暮れの中、小高い山の崖の側にあるフェンスに掴まりながら、姉弟と思しき少年と少女が遠目に見える海上基地メガフロートに寄港する艦の姿を見てはしゃいでいた。

 いつか佐世保にいた姉弟と何処となく似た面立おもだちの少年と少女は威風堂々とした雰囲気のくろがねの城を見て、遠目からも一目瞭然なその圧倒的な姿を脳裏に焼き付けて居た。いつかの日とは違い、限りなく幸福で、そして心地のいいまるでまどろみの中にいるような幸せな家庭の中で。


「ねえちゃんねえちゃん!あれ『伊吹』っていうんだって!この前ニュースでやってた!」

「おっきくてカッコイイね!」


 フェンスに体を預けながら姉弟の視線の先のそれは、艦尾からドックに侵入する姿は壮観としか言いようがなく、それが艦首までをドックに突っ込むまで、飽きずに眺めていた。


 時間にして十五分ほどだろうか、少年は何かに気がつくとゆったりとした動作で緩慢に横を向いた瞬間、何か自分たちの良く知る、そして本来自分たちの居るべきではない世界に迷い込んだかのような錯覚を覚えて不意に目をこすった。

 それは少女だった。赤のような色の黒髪を持つ、東洋系と言うよりはタジキスタンなどの中東系の顔立ちを持つ、何の変哲もない民族衣装に身を包んだ少女。少年は自分の“勘”が外れたのかと訝しみながら霧散して嗅ぎ取れない血の臭いを思い出さないようにしながら、少女に話しかける。


「……こんにちは?」

「コ、コンニチワ……」


 誰か似た姿を追ってきた迷子のような、けれども同時に何かが欠けていると感じさせる、懐かしい気配。自分たちが生まれるより以前、続けられてきた激しい暴力を思い出しそうになったところでそれは現れた。

 姉弟よりも幾分か背の高い、それでもまだ子供と言えるような年嵩に見える少年。どことなく目の前の少女と似た雰囲気で、少年は目の前の二人もまたもともとの自分たちと同じような存在なのだと気がついた。こことは違う、暗く光の射し辛い場所で生きる人間なのだと。


『ナシム!逸れたら駄目だってマスターが言っていただろ!』

『ごめん、ファティマ――あの子たちが危なっかしくって……』


 ナシム、と呼ばれたのが少女のほうで、ファティマと呼ばれたのが少年のほうだと何となく気がつくと、いつの間にか横にピタリと並んでいた姉のほうを見て、また少年たちのほうに目を向ける。

 やはり、違う。彼らもまた、同じであり違う存在なのだと何となくで達観出来てしまう、そういう臭いの濃淡があった。少なくとも堅気ではないことは確かだった。

 やがてお互いに見つめあうようになると、これまた何となく通じ合ったような気がして、それに集中するうちにファティマと呼ばれた少年の後ろからヌッという擬音がつきそうなほど突然に、後ろから音もなく男は近寄って――


『ファティマ、ナシムを探してくれたのはありがたいけど、見つかったのなら渡したインカムで報告してくれないと困るだろう?――ナシムも、あまり知らない場所にホイホイと行かないように』


 日本人らしい保護者らしき男もまた堅気とは思えない雰囲気で、けれども筋肉の付き方も中途半端なら背も大体成人男性の平均。あべこべ感は否めなかったが、どちらにせよこの男も裏の人間だということを姉弟は肌で感じ取っていた。

 あまり手入れされているように見えない適当に切られたと思しき髪の毛が若干掛かっている目からも、それはありありと見てとれる。

 まるで観測者のように第三者から見て居ると直感で思わされる、暗い瞳。きっとこの男は自分と自分を取り巻く周囲を守ること、それだけなのだろう。


「君たち、二人の相手をしてくれたんだったら、ありがとう。些少さしょうだけど、受け取って貰えるかな。二人の相手をしてくれたお礼とでも思ってくれればいい」


 懐から出てきた海外の封筒は少しの厚みがあり、この男が日系人ではなく日本から海外に渡航した人と考えるならば、その中身の価値を知っていてこともなげに安売りしているのだと、子供ながらにすぐに理解できた。

 よく大人びているなどと言われるのはこういうところだろうと思いながら、姉のほうは弟のほうを少し後ろに下がらせてその封筒と男の顔を見比べていた。

 困ったな……と言いながらもさほど困っていなさそうに見える男は、けれど頭をポリポリと掻いて苦笑している。

 そんなところに、また別の人物が現れた。姉弟の後方から気配を隠すでもなく足音を消すでもなく普通に気付かれず・・・・・に近づきしゃがむと――


明理あかり永輝えいき。どうしたんだ二人とも。遅いから心配したじゃないか」


 長く伸びた髪を後ろで一本に束ねた髪型の、黒髪の美しい痩せ形の女がしゃがみ、姉弟の肩のあたりを後ろから軽く押す。

 突然の感覚にびくりと跳ねるのは肩だけでなく彼らの小さな体すべてで、まるで体全体で『驚いている』と示すようなそれを目の当たりにして女はクツクツと笑いを堪え、やがて姉弟の頬を突っつき始める。

 愛おしそうに頬を撫でながらも時折プニプニと柔らかく程よい肉付きの頬をツンツンと触り、また愛おしそうに撫でる。赤ん坊にするみたいでくすぐったくて、けれど心地よかった。

 そんな二人をお構いなしに、彼女はこともなげに問いを投げた。


「そこの二人は友達か?ふふっ、外人と触れ合うのも良い刺激になっただろう?――それとそこの――……っ!」


 面白そうに眼を細めながらも頭を撫でられる感覚は単純に快楽と言い換えて良く、包み込まれるような温かさはまるで縁側で昼寝しているときのような安らかさがある。

 姉弟に目を向けながら目の前の男たちに礼を言おうとしたのだろう、撫でまわしていた手を下ろすとそれを名残惜しそうに見る姉弟のことは気にせずに女は立ち上がって男たちのほうに目を向けると、何かに気がついたかのように瞠目した。

 信じられないと言ったように目を見開き、やがて落ち着いたのか笑顔を繕って、それも底冷えがする方の威圧的な笑顔を形作って男に流暢なドイツ語で話しかけた。

 子供たちに内容を知られないための配慮なのかは分からなかったが、男はそれに倣いドイツ語で返す。これだったら押しつけるように封筒を渡せばよかったなどとはかけらほども思っていなくもなくもない。


『――そこの方、うちの娘と息子がお世話になりました』

『いえいえ、こっちも子供たちを探しているところだったので、息子さんたちと遊んでいてくれていたおかげで探す手間が省けました――唐突で悪いのですが、少々お時間を頂いても?』

『えぇ、構いませんよ』


 冷や汗をかきながら男は今度は英語で自分の隣にいる少年と少女に話しかけると身ぶり手ぶりを交えながら指示のようなものを出し、それに彼らは淡々とうなづくと姉弟の手を握って少し離れた場所で遊び始めていた。


 それを見守る視線が二つに分かれたのを確認してから、女は男を伴ってフェンスに身を凭れながら先ほどとは打って変わって馴れ馴れしい砕けた口調で話しかけた。

 姉弟に見せていたのと同じ自然体の笑みに、男は目をそらしながら聞いていた。


「今ではマスター、か。偉くなったものだな、お前も」

「お前も今じゃ二等海佐って、随分と昇進したみたいじゃないか。知ってるか、お前ってドイツとか北欧諸国とかのあたりで戦乙女ヴァルキューレ認定されているんだぜ」

「さて、誰のことかな。今は朱里しゅりと名乗っているのでな」


 お互いがお互いに死んだと思っていた。何の間違いかと思ったが、十年という歳月を経ても全くお互いに衰えは無く、逆に充実しているもの特有の余裕があって……だからだろうか、お互いを認識することが出来たのは

 ある種の奇跡だ。戦闘地域と認定されアメリカ空軍の爆撃にさらされながらもしぶとく生き残った。そして彼女はタジキスタンでも話題になったあの一撃を生き延びたというのだから、これではまるで物語のような作為的な何かを感じさせられる。

 生きているだけ儲けものと思って生きてきても、やはりあれには相応の衝撃がある。インパクトが強すぎて忘れようにも忘れられない。

 それでもその奇跡を起こした“玄武(非常識の塊)”には頭が上がらず、また死神部隊としてのらりくらりとただの傭兵として各地を転戦してこれたのだから感謝もしていた。


 一拍。


 間が開いて、耐えられなくなったのか明野がまた口を開いた。

 たった十年、されど十年。お互いにこれまでの何を話すべきなのかを迷い、当たり障りのない話をしようとしても謀ったかのように暗くなってしまう悪循環だった。

 やがて落とし所を見つけると、彼女はため息を一つ吐くと遠慮することを辞めたように話し始める。


「死神部隊全員を引率して、結局は公安に睨まれたか」

「まぁな。うちがよく利用してるタイの偽造パス屋、珍しくミスったみたいでな。おかげで弱み握られ金をチラつかされ、だよ」

「――いつ帰ってきたんだ?」

「一昨日あたりだな。今日までは観光で、明日からは依頼だ」

「なるほど。だから子供たちのほかに公安の人間が来ているのか」


 ちらりと目を向ければ、明野たちがいる場所から離れ、この小高い丘の小さな休憩所のような場所で一人黙々と自撮りしている風を・・・・・・装った・・・女と目がばっちりと合い、腹に一物据えた者特有の胡散臭い愛想笑いを浮かべるのを無視して男のほうに顔を向ける。

 これまた面倒くさそうなものに目を付けられたものだと思いながら、彼女以外に監視がいないことから気にしないことにしたのだ。明らかに周囲に溶け込む気のない自己主張の激しい女が目障りだったというのも多分にあるだろうが……。


「まぁ、所謂お目付け役ってやつだ。国に逆らわないか見張ってるんだろうさ」

「良いのか、そんなことをべらべらと――信用が命だろう、そういう業界は」

「良いのさ。お前の身辺を探ったところであいつらが消されるだけだ。こっちには何も損は無い」


 生存している、というのは国にとっては寝耳に水だ。七年たって死亡扱いにした人間が、実は生きて別の地方で結婚していたというのは珍しくない話だ。

 それと同列にしていい話ではないが、死んだからこそ価値があると目されている存在は、生きていてはいけない。死を実践して見せたからこそ意味がある。生きていては邪魔なのだ。だからこそ東郷兵十狼は別に戸籍を用意し、朱里という名前を与えられたのは結婚相手の談だ。

 そんな存在のことをおいそれと探れば、まず間違いなく隠したいはずの人間たちによって消されてしまうだろう。

 よしんば消されなかったとしても、口止めや監視がつくのは間違いようがない。なるほどそう考えればデメリットは大したものではないように感じられた。


 一人納得している風な女を無視して、女がそうしたように男もまた唐突に話題を変えた。

 ずっと気になっていた。彼みたいに戦場で拾ったのとは違い、自分の腹を痛めて産んだのだ。老婆心のようで嫌気が差す。相手が誰なのかも、また知っているうえであえて聞いた。

 別に彼女のことを狙っていたわけではないし、幸せならばそれで良いと考えているが、気になってしまうのは仕様のないことと言えて、男はなんて言おうか迷いながら女に問うように言葉を重ねる。


「――あいつと結婚したんだな」

「あぁ。わざわざ婿養子に来てくれて、子宝にも恵まれた。おかげ様で充実しているよ」

「……やっぱりお前、髪長いほうが似合ってるよ」

「母にも言われた。女っ気がなさすぎる、とな」

「言えてるな。もう少し落ち着きというか、淑やかさと言うか――」

「母にも全く同じこと言われたよ。化粧までは求めないからせめて格好だけは女らしくしろとな――まぁ、子供たちがいる手前今みたいに粗野な言葉遣いはできないが」


 変な影響を受けてはたまらんしな、と言いながらカラカラ笑う姿は最後に見たときよりも女っ気が出ていて、『これが母親ってものか』と思いながら、男はその変化を嬉しく思ってもいた。

 以前の彼女は、少なくとも第三十六女子前線艦艇科決戦艦隊を率いるようになった当初の彼女はまだまだどこか危うい感じを内に孕み、彼女を放っておけなかったのは仕方のないことだった。傍目にハラハラして見ていた。だからここまで精神的に落ち着き、そして軍神とまで讃えられるようになった女の変化を手放しに喜べた。


「――永治に言っておこうか?あいつも口には出さなかったがかなり心配していたんだぞ」

「いや、いいよ。それに俺を助けたのとお前を助けたのも、多分同じ奴だろうから」

「――そういうことか……。あいつのことなら後で絞っておこう」


 女からしてみれば当然の気遣いと言えたが、けれど男にはこうして生きているカラクリの大体が予想できていたため、あえてそれは必要ないと言った。予想通りなら、生きていることを知っているはずだからだ。

 おそらく女も同じはずだと言うと、女のほうも不自然な自身の生存に考えが至ったのか、ほんの少し影の射したその顔は見る人が見れば般若のようだと形容したかもしれない。

 余計なことを、と思わなくもなかった。あの場で死んでいられればどれほど楽だったのかと思いながらも、ここ十年間楽しく過ごさせてくれたのも、子宝に恵まれたのも彼のおかげだと思えばそういう考えは鳴りを潜めてしまったのだ。


「ほどほどにしておいてやれよ。あいつもあいつなりに俺たちのことを想ってのことだろうからよ」

「分かっているとも。あのままだったら私は間違いなく死んでいたのは、私自身が一番よく理解している」


 お互いに好き合って、あの日庭先で接吻を交わした。あの不甲斐なさを繰り返さないために一層訓練に身を入れ、そして結婚した。彼が好いた名前とは別の名前になったうえ、お互いの家の人間だけで行われた質素な結婚式だったが。


 それからまたしばらく談笑していると、日はさらに傾き周囲は少しずつ闇に包まれていこうとしていた。遊び疲れたらしい子供たちが互いに手を握り合ってこちら側に向かってきているのが見えて、どちらからともなく話を切り上げた。

 普通に挨拶して帰ろうと思った男だったが、しかしあることを思いついてニヤけながら女を見下ろして唐突に敬礼する。

 お互いに若いころ、任務中ならば飽きるほどにやったやり取りだ。十年経っても体は覚えて居るみたいでおかしくって――男は吹き出しそうになるのをこらえながら当時のように挨拶して見せた。


「では、私はこれで。お元気で、渡辺明野二等海佐」

「あぁ、ではな。それと、その名で呼ぶな。今の私は渡辺朱里だ。階級もない。自衛軍士官から一般市民に戻っただけだよ――子供たちによろしくな。古畑智第三十六前線艦艇科決戦艦隊先任伍長」

「お返しかよ……俺からも、子供たちによろしくな。…………あぁそれとこれ、子供たちが受け取ってくれなくてな、受け取ってくれ」


 奇麗な答礼をしながら、女はお返しと言わんばかりに前の階級で男のことを呼んだ。もはや何の意味もないものだが、ふざけるにしたって丁度よかったのだ。

 悪態をつきながらも男、古畑智は憑き物の取れたような顔をしながら女に封筒に入った百万を渡した。先ほど子供たちに警戒されて渡せなかった百万円だ。本当は渡さなくてもよかったが、いつも苦労させられているのを楽させてもらったお礼だと言って、女、渡辺朱里の手に封を開けた状態で渡した。


「こんなに……良いのか、受け取っても?大事な収入だろ」

「良いんだよ。ナシムを探して三時間も東奔西走していたのを引き付けてくれていただけでも僥倖だ。いつもはナシムを探すのだけでかなり時間を食うからさ」

「――――そういうなら、貰っておこう。後で返してくれと言っても返さんからな?」


 悪戯したような笑顔を浮かべる姿も、ほんの十年前には見られなかった姿だ。それをこれからも拝むことのできる東風谷永治、いや渡辺永治を羨ましく思いながらも、男は『そういうことで良い』と捨て台詞のように言い残し、インカムに手をやりながら朱里に背を向けた。

 その背が休憩所から消え去り、公安か外務省あたりのお目付け役(監視)にどこへともなく行けと手を振ってやってから、彼女もまた彼らが向かっていった方向に背を向けて、子供たちのほうに歩を進めた。

 どちらからともなく縮まっていく距離は、最終的に朱里が姉弟を抱きとめることでゼロとなり、三人の人影は一つに混じり合っていた。


「お母さん、なんのお話しだったの?」

「うちの子供たちは可愛いな、って話だよ」

『ニャハハハッ!』


 抱きしめながら頭を撫でられ、その突然の温かい感覚に思わず声が漏れる姉弟。その子供特有の体温の高さが、自分のはらの中に宿り出てきた者だと思うと一層愛おしく感じられ、姉弟が聞き取れないくらい小さな声で彼女、朱里は呟いた。

 親から愛されることなく十代までを過ごしてきた。だから、子供たちにはそんな思いをさせたくなかった。これほど暖かいぬくもりを、放したくなかった。

 病んでいると分かっていても、けれどこの思いを持ってしまって何が悪いというのか。生まれてきてくれた奇跡が、より一層奇跡のように感じられて――







「生まれてきてくれて……ありがとう――――」







 次回はエピローグの投稿となります。エピローグはElfen Liedを意識している、かなりシュールな内容の一人称です。少なくとも他の話よりは読みやすいはずです。

 エピローグ投稿後は幕間を二話書ききり次第投稿していこうと思いますので、設定資料集の投下は今しばらくお待ちください。

 新規の方も、そうでない方も、これからも魔弾の射手をよろしくお願いいたします。

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