第六話 ~決戦~ 下
第六話の下部分です。改稿済みですので安心してお読みください。
PM15:00 第二新東京都伊豆諸島沖合にて
水平線の向こうからやってくる艦の影を確認したのと同時、相模湾より集結していた艦は軒並み戦闘態勢に移行し始めた。
帝國軍と上層部がシンパであったばかりに作戦に組み込まれた第十五強襲制圧艦隊は、帝國軍の新型空母、武御雷型航空母艦一番艦伊都尾羽張を尻目に、艦載機の発進を進めようとしていた。
「艦長、伊吹より通信です!」
「つないでくれ」
かなりの年齢の老人、艦長と呼ばれた男は億劫そうにしわがれた声で伝えると、無気力にシートに凭れる。
横須賀の工廠施設、港湾設備を守るために配備されていたのを帝國軍に買収された指揮官のせいでこんな乗り気のしない任務に就くことになった。だからと言って手を抜くつもりはなかったが、あの放送を聞いた後では消沈するのも無理はなかった。
日本はいつの間にこんなにも馬鹿ばかりの国になってしまったのだろうか。なぜこうも愚かなものばかりが政治に深く結び付くような位置に座っていられるような国になってしまったのか。
無駄に語彙力と中途半端な世界史、日本史的知識を持った歴史修正主義者がホテル経営を私物化したり、一流大学を卒業したという割に三流大学卒業生よりも知識に劣る者もいれば、ブラック企業を超えるダーク企業と呼ばれる業種まで増えて来るようになった。
あらゆる税金が増税され、そのうえで給料を底上げしたところで保険料やら税金で結局は元の黙阿弥だと気がつかない政治家もいる。
相対的に日本は、国民はおのずから考えようとする人間が減っていった。その弊害が、今の世の中なのかもしれない。
あんな放送で何かが変わるなどとは信じていないが、あそこまで言い切った少女を殺さねばならない。孫と同じくらいの年齢の少女のその道を阻み、その首を刈り取らねばならない。
だが、話してみる価値はあると思った。
『第十五強襲制圧艦隊に告げる。我々は我々の道を阻む者すべてを撃沈するつもりでいる。だが無用な戦闘は行いたくない。そのうえで問う――退いてくれないか』
これが敵国の兵士であれば男は話も聞かずに通信を切っていただろうが、こんなバカな命令に付き合う義理もないだろう。それで罰されるというなら、全て自分が被ればいい。そういうある種の諦観があった。
「全艦砲雷撃戦および航空戦闘用意! 目標、帝國軍所属伊都尾羽張! ――――我々は何も見て居ない。なにも通っていないのだから、無駄弾を撃つわけにはいかんし、反動主義者にはある程度の処罰が必要だろう」
『――協力感謝する』
気まぐれだった。いや、気まぐれと言ってはなんだが、言ってしまえばダメージコントロールの問題だ。今ここで三十六艦隊に強襲制圧艦隊を、それも一艦隊分失った場合の損失と彼女らの後ろで動いている東郷兵十狼の思惑に乗るのと、どちらの方が日本の国益にかなうか。ただそれだけのことだ。
まぁ、情が一欠けらも入っていないかと聞かれれば、おそらく一ミクロン単位で入っているのかもしれなかったが、男にそれ以上の回答は不要だった。
「艦長、よろしいので?」
「なに、責任なら私がすべて引き受ける。それで責任追及されるなら、日本も終わりだということになるが……な。それに皆も、気乗りしない仕事よりも、やりがいのある仕事のほうがよかろう。違うかね?」
これでゲームのような国家解体戦争がおこるなら、それも良いだろう。その時は腹をくくるだけだ。
要するに、この男に大義と言えるものはない。ただ間違っていると思うから排除する、間違っていると思うから従っているふりして裏切る。
とはいうが、大勢から見て間違っているか居ないかという問題であって、ただ独断専行しているわけではない。ある程度の判断材料があるが、それに沿うのはあくまでも大勢側、というだけの話だ。
「あたぼうです。何故にうちの娘よりも年下の娘っ子を殺さにゃあならんのですか」
「その返事が聞けて安心したよ――さぁ、無駄口をたたくのは終わりにして、お仕事の時間と行こうか」
「えぇ――各戦闘機は発艦後は三十六艦隊を援護、その後は各空母、各パイロットの判断のもと柔軟に行動せよ。繰り返す――――」
副官の彼としては、個人的にいえば確かに帝國軍の言うことに頷くことはできる。頷くことは出来てもやることなすことが過激なだけの老害では、日本を引くことはできない。それは高校時代に学んだ世界史の授業だけでもいやというほどに理解できていた。
故にか、副官は今の政治家にはかけらも期待していなければ、なおのこと帝國軍に期待してもいなかった。
そういう意味でいえば横須賀の司令官も同じ気持ちだろう。だが彼は目先の欲に囚われ、政治闘争の快楽を知ってしまった。おそらく帰ってくることはできないだろう。人は勝負がリスキーであればリスキーであるほどにハマりやすい生き物だから。
場所は変わって千歳型航空母艦一番艦千歳の甲板上にて。
「お前はどうする?」
「どうするって、決まってるだろ」
「すまん。余計な言葉は不要だったな」
はたから聞けば意味の不明瞭な会話でも、彼らにとっては意味のある会話だった。
言ってしまえば死地に飛び込みに行くようなものだ。そんな彼らにとって、その会話は覚悟をきめるのに十分な力を持っていた。
最初からおかしいと思っていた。報国のために戦った少女らがしばらくもたたないうちに蜂起するなどとんでもない。真実御国のために身を粉にして戦ってきた彼女らが、一体何の心変りがあってそんなことを起こすものだろうか。起こすはずがない。必要がない。
だというのにただエリートと言う肩書だけの官僚が側面から見ることもせずに、目に見えるモノだけを鵜呑みにした結果がこれだ。
国家はとうの昔に腐敗し、これでは自壊するのも時間の問題だった。ある意味で帝國軍とそれを討伐する三十六艦隊という構図は、その事実を知らしめるために誂えられたかのような、そんな作為すら感じる。
とはいっても、彼らは航空自衛軍士官。空の人間にしか分からない物があるように、海の人間、陸の人間にしか分からない理屈というものもあるだろう。理解しようと動くことこそ重要だが、あまり深く立ち入るべきではない部分もある。
ゆえに彼らは先ほど下った命令を実行すべく、前時代よりも明らかにコンパクトになったパイロットスーツの前部分のファスナーを締め、ウェアラブル端末をスーツと接続した。
「なぁ、一つ勝負をしないか」
「ほぅ。どうしたんだ急に」
「なぁに、験担ぎみたいなもんさ――お互いの撃墜数を競い合うってのはどうよ?どうやらあの武御雷型空母ってのにはどえらいお宝があるみたいだからよ」
お宝というのはあれだろう。片割れの男は目をつぶりながらその光景を思い出していた。
以前武御雷型空母、伊都尾羽張か神武か武御雷か、どれだったかを男は忘れたが、甲板上で見たこともない戦闘機の整備をしていたのを覚えている。なまじ特殊な設計の艦である以上他の空母と見間違えるなどあるはずがない。
通常、空母の艦橋と言うのは右端に配置され、他の対電子戦用の機器を配置するものであるが、武御雷型はそれらを丸々無視した良く分からない設計になっている。
というのも、まず艦橋が艦尾側に取り付けられている。彼らに航空母艦の設計と言うのはあまり気にすることのない事柄ではあるが、通常とは違うその配置は目を引くものがあった。
その艦橋を軸とするようにアングルドデッキが採用され、三本の線を描くように各方向に三つずつの合計九本の電磁射出機が使用されている。
そして何より目を引くのは戦艦空母と同等くらいの巨大さを誇ることだろう。
彼らが知る由もないことであったが、次世代戦闘機開発計画で開発された一番機であるダインスレイブ、二番機であるスピア・ザ・ルイン、開発が断念された三番機であるティルヴィングを含む同型機を500機製造する予定であった。
その次世代戦闘機を高効率運用するための三隻であり、そのためにこれほどまでに巨大化し徹底的に積載数と輸送能力を強化した艦が、この武御雷型空母だった。ゆえに戦艦空母と同等の巨大さになるのはある種の必然だったと言えたし、それ相応の自衛用装備が施されるのも自明だった。
武御雷型空母の艦尾側には伊吹に採用されているものと同じ三十連VLSが50セルの三倍で150セル装備され、対空機銃がアイランドとデッキの一部に隠すように配置されている。これは発艦の邪魔にならないようにとの配慮からだが、これによって艦尾側は埋め尽くされており、対電子戦防御の要であるレーダーやソナーなどはすべて艦の内部に配置されている。いろいろな意味でそれまでの軍艦の造りとは違うものだった。
そして、そんな不確定情報しかない提案に知らず知らず高揚する自分も、結局のところは男でしかないということか。
まだ見ぬ戦闘機をいち早く撃墜する心象と、その戦闘機との駆け引きを切望する本能。これを無鉄砲、無謀、馬鹿と言わずしてなんというだろうか。
彼は自嘲を多分に含んだ笑みで隣の男に顔を向けた。
「――こんなことに一喜一憂する俺も、そしてお前も、ともに小さいな、器が」
「この世に大きな人間なんていないさ!居るとしたらよほどの馬鹿か、それとも――」
「それとも――?」
「いや、もしかしたらいるのかもな……って思ってな」
「……なるほど――彼女たちにとって見ても同じだったのだろうさ。ここが、俺たちの魂の場所だ。それだけは違っちゃいないのだろうさ」
魂の場所とは何たる皮肉か。いまだにほんの少し自嘲の残る笑みを浮かべる隣人を見ながら、彼もまた苦い顔を作ると視線の先に見える三十六艦隊を見据えた。
申し訳ない、と言えばいいのか。何故子供たちが安穏と暮らせないような世の中になっていくのか。確かにただ安穏とするだけではいけないが、こうも殺伐とした社会、胸を張って子供たちに譲れやしない。そのうえ大人の事情に巻き込んでこんなことになってしまった。尻拭いさせるようで、なおさらに申し訳なかった。
「――――」
「なんだ。まさか今から臆病風にでも吹かれたか?なら、楽勝だな」
「勘違いするな。ただ申し訳なく思っただけさ」
「――そうかい」
それを合図に、男たちは発進準備の終わった自分の愛機に向かって、背を向けあいながら互いを鼓舞するように声を上げた。
不思議なものだとどちらともなく思う。こうして話しているだけで気が紛れてしまうのだから、人間同士のコミュニケーションというのは侮れない。
声を張り上げれば張り上げるほど際限なく昂ぶっていくかのようで一種の快楽すら感じる。ただ単に感覚が麻痺していると言えばそれまでだが、それでは些か芸がないように感じられた。
「じゃぁ――――」
「そうだな――――」
『いっちょブチかましていこうか!』
ただ一つ分かるのは、彼らが最高にハイな気分であるということだけだ。
きっと死ぬだろう。生きては帰ってこれぬだろう。それはそうだ、エースではないのだから。死亡フラグとやらだってバンバカ立ててやった。だからなおさら、どちらが先に死ぬかのこのチキンレース、負ける気がしなかった。
好きなように生きて、その先がこういう戦いであるならば本望だ。戦いの意味は自分たちで決める。命令は絶対だろうが、その意味合いを決めるのは結局のところ自分の勝手だ。ゆえに死に場所も死に方も、自分たちがすべて決めた。納得しているのだから誰にも文句は言わせない。
ここが彼らの魂の戦場だった。
□
海戦が始まった。
爆発音、炸裂音、そして炭酸の泡のような音に混じるビームの発射音が海を揺らし、街にその轟音を響かせていた。それは新横浜や新房総と呼ばれる海上都市、東京や埼玉、北の果てには栃木、南の果てには大阪にまで伝わっている。
戦闘機から発射される中距離対艦誘導弾“ゲイ・ボルク”三発がそれぞれ帝國軍側に与する駆逐艦の方向に向かって飛んでいき、近接信管だったのか至近距離で爆発。
艦橋の外殻を大幅に溶かしながらも主砲である小口径20.7cm砲を溶解、爆風をまともにかぶっていないはずの副砲はおろか魚雷発射管まで巻き込んで爆散する。
どこもかしこも数多の死者を出しながら、その屍の道を三十六艦隊は突き進んでいく。
いや、正確にいえば屍ではない。あらゆる艦の骸と言った方が正しいか。
ミサイルの打ち込まれた艦はすべて無人となった艦か、あらかじめ無人が確認されている艦のみで、伊吹の攻撃性能が高すぎるがゆえにいまだに直近の艦以外はとことんまで武装を削り取るような攻撃を余儀なくされていた。
それは各戦闘機パイロットはもちろん離反した艦隊の艦の乗組員も理解しているのか、それに協力するように機銃、主砲、魚雷発射管、VLS用のデコイを発射するなど、彼女たちに従うような戦い方を見せている。
だがやはり正規艦隊。各パイロット、各艦の連度は凄まじいものがあり、少なくともこの戦場において彼女たちの出番はほぼないと言っても過言ではなかった。
戦闘後、伊吹が横浜の方面に舵を切ると一つの問題が上がることとなった。
いくら地球温暖化によって海水面が上がり湾が広がったからと言って、伊吹のような超大型戦艦が伊豆諸島の沖合を抜けて相模湾、続く横浜港を潜るには些か湾が小さかった。
いや、確かに戦艦が通るには必要最低限以上のスペースが用意されていた。都市跡はきれいに掃除され必要最低限以上の喫水を確保できる深さがあったが、大型航空母艦や駆逐艦、戦艦空母や巡洋艦によって構成される艦船が何十隻と通るにはスペースが圧倒的に足りなかった。
さらに彼らに取っていやなことは、艦を進めようとしても座礁したり轟沈することも迎撃することも儘ならない無人艦艇が邪魔をしてうまく行軍しにくいことだった。
ただでさえ障害物となり得る伊豆諸島の沖合でこれらの障害は艦隊を――少なくとも全員仲好く、というわけにはいかないのは確かだった。
それは最初から予想できていたことであったし、だからこそ戦闘機部隊と空母には独自の判断による行動を第十五強襲制圧艦隊旗艦の艦長は許した。
本来は内輪でこんな揉めているわけにはいかないから爆雷による掃海は行いたくなかったが、やがて一機の戦闘機が急降下しながら何発かのミサイルを発射すると、それに従うかのように他の艦も轟沈しきれなかった艦を掃除していた。
「――全艦、全戦闘機は横浜方面を警戒しつつも進軍を始めた模様」
「――――伊吹の方はどうなっている?」
「は、どうやら機銃による援護以外は一度も戦闘に参加せず、傍観を決め込んでいた模様。――やるつもりがあるのでしょうか?」
それもひとえにこれまでの戦闘記録から精神分析済みの答えだった。
相模湾沖、それも千葉と横須賀の合間に第二陣が展開している。そして本丸である旧横浜大丸山付近には第一艦隊が待っている。人死にが確実に出るだろう。彼女はそれをどう乗り越えるのだろうか。見られないことが一重に二十重に残念だった。
「――どうやら彼女らは無駄な人死にを嫌うようだ。まるで北欧神話の戦乙女のようではないか」
「寝とられる話じゃないのですか、それ。それにそもそもあれって死んだ英雄をさらにこき使うために戦争郷に連れて行くっていう設定だったと思うのですが」
「――――――そうだったかの?」
「そうですよ――と言っている間にも、艦隊のうち航空母艦二隻、駆逐艦二隻ならびに巡洋艦二隻が三十六艦隊についていくようですよ」
今か今かと攻め込む時を見計らっているアメリカ機動艦隊を牽制するためにも、本来は無駄に艦隊を割く必要はなかったが、好きに動けと言ったのが悔やまれる。しかしそれが彼らの選択ならどうこう言う筋合いはないだろう。
革命の乙女と言えば格好は付くが、要するに軍部の落とし前を軍部が付けに行くという状態だ。日本は再び軍部による、それも頭の堅い自衛軍中将のせいで国を傾けかけたのだ。
本来は大人がやらなければならないのを押しつけるかのようで後味が悪かったが、だからこそ問題を解決する力を持つ彼女たちに任せる。この艦も、前任が深く後追いしようとしたから艦本式主推進装置とアポジモーターと補助推進装置を損傷した。それだけで済ませてくれたのだ。その恩に報いなければいけない。
「総員傾注。我々は帝国軍シンパの艦隊とアメリカ機動艦隊を牽制するためにこの海域を周遊する。彼女たちにことの解決を頼むのは心苦しいが、我々は我々のやるべきことを全うするまでのこと。今まで以上に職務に励んでもらいたい」
もちろんこんなことで士気が上がるなどとは思っていないし、今ここに集っている艦はこれがすべてだ。
こんな事態であろうと本営は通常営業であろうし、一つでも艦を動かすにはそれだけでも膨大な書類を処理しなければならない。自発的に動こうという艦隊、艦隊と言わずとも艦がどれほどいる物か。
きっと寡兵になってしまうだろう。護国の鬼にならねばならん時が来るだろう。だがそれでもまだ20にも満たない少女らに情けない姿だけは見せたくないからこそ戦い抜く。それが艦隊の総意だった。
「総員にその場で三分間、三十六艦隊に敬礼することを許可する――総員敬礼!」
それは伊吹の艦上からもしっかりと確認されていた。そして見えていないことを知っていながら三十六艦隊もまた、第十五強襲制圧艦隊に答礼していた。
しばらくの航海、その道程を阻むものは何もなく、水平線に敵艦隊がうっすら見えることを除けば平和な航海と言えた。うっすらと敵艦隊が見えている時点ですでに平和ではないが。
「全艦戦闘準備。UAVを射出後、伊吹の主砲を斉射、敵本拠地を覆う巨大な中間子防御フィールドを飽和させる。その後各艦艇は重巡洋艦を中核として五つの艦隊に分かれ敵艦隊を各個撃破。第十五強襲制圧艦隊には要救助者の救護をお願いする」
『あららぁ、オレちゃんの仕事はどこですかぁあはははは』
『少佐は少し自重を覚えてくださいよ』
明野の指示から数秒と待たずに送られた少佐の乗るダインスレイブからの通信。すでに少佐も戦艦空母比叡に乗り移り出撃準備を整えて居たところだった。
とはいっても、少佐の言うことはその通り。対中間子防御フィールド用の振動弾頭の威力は佐世保沖でありありと見せつけられた。以前の戦闘では事前に落とせただけましな方だと思わせられる程度に、その威力は凄まじかった。
爆発によって生まれた爆炎と衝撃が、自分が張った中間子防御フィールドのせいで逃げ場をなくし際限なく熱量をあげながら、内包する全てを溶かしていくそのさまはある種のホラー映画じみていて、それだけでも作成者の気のふれようが分かるというものだった。
『だぁってそうじゃない? あんな中間子防御フィールド、発生装置があるにきまってるじゃないの』
「――私たちの切り札だ。少佐ほど足が早ければ何にでも使える。出し惜しみはしない」
『――――あぁ、そゆこと。なら別にいいけど……』
けれどもしそれを使った場合、施設の維持を行っている士官が多かれ少なかれいるはずの施設が炎に包まれ、内殻温度は優に200000°に達する地獄を体感することになる。
一人殺せば殺人者。百万人殺せば英雄とはよく言うが、中には知らずに加担させられている者もいるかもしれない。出来るだけ殺さずに終わらせること、それが明野の望む最良の結果だった。
明野の心境としては人殺しを肯定するわけにはいかなかったが、彼女は自衛軍士官であり、そして一つの艦隊を束ねる立場にあった。割り切らなければいけない。そもそも二~三年前の戦争では多くの敵国の人間を殺した。そういう職務に就いているがゆえに、躊躇ってはいけなかった。
決意を新たに目の前の敵に目を向けようとしたその時――
『御機嫌よう、第三十六女子前線艦艇科決戦艦隊諸君』
「通信に割り込まれました!途絶不能です!」
初老の翁、山本英機の顔が空中投影ディスプレイに映し出された。その顔はこれまでの苦労を物語るかのように数多の皺を蓄えていて、彼が自身の口で宣言しない限りはとても温厚そうな老爺に見えたことだろう。
いや、事実目の前にいる男は今の時点ではまだ温厚と言えるだろう。少なくともテレビをジャックしていた時の苛烈さは感じられない。
『――通信手君、そう慌てずとも、用件が済めばすぐに立ち去る。老いの繰り言とでも思って、しばし大人しくしていては貰えないだろうか』
「……用件は何だ」
『こちらと手を組む気はないか? 史上最強と謳われた艦隊と、史上最強の兵器を持つ難攻不落の要塞。アメリカを属国にすることはもちろん、ロシアを滅ぼすことだって――』
「断る。我々は日本のためにお前たちを抹消すると決めた。であるならば貴様は敵だ。倒すべき敵だ。用件はそれだけか?……重力子防御フィールド展開。強制的にシャットアウトしろ」
一方的だがすでに腹を決まっているがゆえに副長、星崎由佳は手元のコンソールをいじった。
薄く黒みがかった防御膜が張られると通信は途絶し、空中投影ディスプレイの映像はザザッという砂嵐のようなノイズ音を残して消えると、艦橋は再び静寂が戻り、やがて敵の中間子防御フィールドが主砲の射程に収まる。
「主砲発射用意。先ほども話した通り、敵防御フィールドが飽和するとともに飽和攻撃を開始せよ。敵を一隻たりとも逃がすな」
「了解! 主砲一番から三番発射用意完了。三十連VLSスタンバイ完了、発射カウントダウンは弾着から五つ数えてから各艦発射してください」
その合図とともに戦闘機は各自発艦位置に付き、伊吹のその主砲は海面すれすれの位置に狙いを付ける。
三十連VLS三十セル九十門全てに三重水素ミサイルが自動装填装置によって装填され、着々と準備が進められていく。
主砲に光が充填され今にも吐き出されそうな中、それでも充填は止まることなく過剰なのではと危惧されるレベルまで充填されていく。各艦が見守る中、一発だけで国土を蹂躙できる光線が今か今と光を蓄えていく。
「発射合図を砲術長鉄装綴に譲渡する。好きなタイミングで撃て」
「はい。発射カウントダウン、三つ数えます。三……二……一……発射!」
高速射出される放射線の塊は中間子防御フィールド、その先の海面に向けて発射されると目標を射損なうことなく追尾していき、一瞬の接触の後に暴力的なまでの光を伴って爆発する。
そのさまはまるで神話のブリューナクのようで、超遠距離から撮影する記者たちも呆気にとられたように茫然と固まるしかなかった。
これを見て無謀にも突っ込もうと思える存在などいない。その一撃は大地を揺らし空気をも焼き焦がし、そして言葉どおりの意味で海を割る神のごとき一撃。人が潜在的に持つ恐怖心といったものをこれ以上なく煽るこの世の地獄である。神と悪魔という言葉はまさしく紙一重、見た者すべてにそれを体感させた。
「五、四、三、二、一、VLS全セル一斉発射開始!目標、敵無人艦艇!」
鉄装綴の合図とともに各艦艇から発射されたミサイルの半数は迎撃され、半数は海面に激突して爆発、残りは艦艇に当たった個所から爆発し航行能力を奪うか撃沈、空母に穴をあけるにとどまった。
合計でも千を軽く超えるミサイルのうち命中弾は四百と満たない。それでも元の三分の二にまで減らせたのだから開戦の号砲にはちょうどいいだろう。そもそも同じ国籍の艦艇にそこまで利くとは思っていない。数がほぼ同数であればあんなもの物の数にも入らない。となれば有効打撃を与えるとしたら今の数のざっと百倍を用意しなければならないだろう。
進みすぎた科学は同じ技術を以てしても、いやなまじ同じ技術だからこそ対処が難しい。日本が今現在どの国にも負けない秘密であり、どの国にも追随を許さない技術の結晶だった。
だが攻撃とは何も艦砲やミサイルだけではない。空から、海中から、いくら時代が変わろうと、海も陸も空も、戦闘方法が大きく変わったということはない。ただ一撃一撃が重くなり進歩しただけで、戦闘方法は第二次世界大戦からは全く変わらない。野蛮で、だからこそ美しい。
『艦載機発艦、討ち洩らしを掃討せよ』
『三時の方向より多数の熱源を感知、IFF赤。敵です』
発艦した戦闘機は正面方向の艦隊と三時の方向に向かう部隊とで別れた。
機銃弾が敵航空部隊の巡航ミサイルを破壊し、機体を貫通する。鋼鉄の鳥が赤黒い大輪を咲かせ予備弾薬の爆発の余波が他の機体に細かな傷を付けていく。まるで自分の存在を忘れてほしくはないかのように。
だがその戦闘機に至っても無人だった。
戦争で血を流すことは良くない、そういう世間でさんざん騒がれてきた所謂血の流れない戦争とやらを実現するために研究中だったVR技術がそっくりそのまま使用されていたのだ、この戦闘機には。
たとえ一機の戦闘機が破壊されようともゲーム感覚で別の戦闘機に乗り換え再出撃が可能、ただそれだけの利点であったが、これが三十六艦隊を窮地に陥れる。
三十六艦隊も一応これらのシステムを導入している。実証試験中の未完成もいいところの、だ。けれどもともとの戦闘機の配備数が少ない。多数の基地からやってくる戦闘機たちを相手にするには三十六艦隊だけでは骨が折れる。
だがそれでも数の差をものともしないある種のすごみというものが彼女たちにはあった。明野に死ねと命令されれば死ぬ覚悟を持てる、ある種キチガイじみた覚悟を持ち、そのうえで全力で戦っている。勝てないはずがない。明野が通したいと言った道理を通すためにも、ここで果てるわけにはいかなかった。
「十二時の方向より高速移動する熱源を感知……この反応はまさか、ダインスレイブ!?」
『まぁそんなわけないよね』
間髪いれずに発される“少佐”の否定の声。だが間違いなくこの速さを出せるのはダインスレイブ以外にいない。が、戦艦空母比叡からいまだに発艦していないためにそれもありえない。
そこに少佐が余裕綽々と言った感じにザックリと“それ”の説明を始めた。
『スピア・ザ・ルイン――ぶっちゃけちゃうとおさがりだよ。オレちゃんのダインスレイブから得たデータをもとに変態さんたちがフィーバーしちゃってねぇ、ティルヴィングがいないのが救いかな?』
わざとらしいイントネーションがなおさら癇に障ったが、この異能生存体が変態と言うからには相当なものだろうと思えば、確認されていない三番目の機体はなおさらひどいことになっているのだろうと簡単に予想できた。
だが同時に少佐がいてくれてよかったと安堵出来た。目には目を、歯には歯を。キチガイ戦闘機には同じキチガイ戦闘機を、同質の存在同士であれば最終的には乗り手の技量が勝敗を決する。その点で、この場において少佐を信用していない者などいない。
よしんば、ことが終わるまで引きつけてくれてさえいればそれでもいい。邪魔立てされない環境を用意するにはもってこいの人材だった。加藤一佐には頭が上がらないと思いつつ、明野は命令を下す。
「少佐、スピア・ザ・ルインの相手は任せる。空はお前の独壇場だろう、日本の空の魔王と名高い少佐殿、存分に暴れてくれ――三十連VLS起動!全セルに浸食重力子ミサイルを装填、海域内の全敵空母に向けて発射せよ! これ以上の損害を出すな!」
艦の後部から一斉発射されるマイクロミサイル、その数は合計で九十発。その全てが伊吹や三十六艦隊を覆う薄く黒い膜を弾頭部から垂れ流しながら黒い奇跡を描き、全て撃墜されることなく敵空母に直撃、直撃でなくとも至近に弾着し、濃厚な暗黒が侵食するように艦の一部をごっそりと覆い尽くす。
対空砲が根こそぎ薙ぎ払われ、甲板内部から外部に戦闘機を押し出すエレベーター、格納庫、当たり所が悪い艦は艦橋が薙ぎ払われた。
いや、薙ぎ払うと言っては少々語弊がある。その断面は薙ぎ払うようなそんな生易しいものではなく、まるで何かに吸い込まれたかそれとも水圧で圧壊したかのように千切られ潰され損壊している。一方向からの爆風や爆炎を受けただけではここまでの壊れ方をしないはずが、穴ぼこだらけになって沈み始めている空母たちはその生傷を外に晒していた。
それは武御雷型航空母艦二番艦神武も例外ではなかった。
通常よりも艦体が大きいがゆえに両舷の舷側と真ん中を奇麗に撃ち抜かれる形になった神武は、まるで悲鳴のようにアラートを鳴らしながらも沈みゆく艦体のバランスを取ることが出来ず、辛うじて発艦に成功した三機を残して他の戦闘機諸共鉄屑へと変える。
多くの人間を内包した豪華な鉄屑はまとめて海中に没することとなった。
爆発。
対消滅機関と副機の熱核融合炉が破裂し、内部にいた数百人、数千人を粉々の肉塊に変え、けれどその衝撃は留まるところを知らず、それかまたは死に様を見てもらいたいが故か雄叫びのように巨大な水柱をあげた。
熾烈な対空砲火が弱まりを見せると、そのすきにダインスレイブは発艦準備を終え、今発艦しようとしていた。
『じゃぁ、いっちょ行きますか!』
軽く声に出しながら、少佐が合図を送ると直後に電磁射出機が起動、ダインスレイブの高出力と合わさり瞬間的に時速七千キロメートル、マッハ六に達する速度で射出され大空に鴉のような巨大な翼を広げていく。
可動式翼に満載された大量の誘導弾に短距離無誘導弾の数々は決してスピア・ザ・ルインに負けることはない。火力面でいえば五分五分だろう。あとは本人たちの技量次第だ。
一瞬の交差。お互いが巻き上げる風を利用しながら雲を引き、垂直に飛びながらバレルロールしながらもお互いの機首はお互いを向けてロックオンし合っていた。
操縦桿の引き金を押そうというとき、少佐のダインスレイブに通信が掛かる。ノイズまみれで訓練されていなければ聞くことすら至難なそれは間違いようがなく男の声で――
『吉崎。吉崎義則一等空尉。ダインスレイブ、少佐殿、名乗りを上げろ。アンタとヤるためだけにここまで来た。あと少し、あと少しで俺はイケる』
『そりゃ面白い!――でもまぁ残念だけど、ここからは一方通行だ。俺が勝って、君が負ける。女の子にカッコ悪い姿見せたくないじゃない?』
だが少佐のほうがましだと思えるほどにはパイロットもまた少佐に負けず劣らずトチ狂っている。
全ての会話が一方通行。自分の都合、自分の本意の通りに世界は回っているとでもいうかのように、そしてその通りに振舞っている。
いや、人間原理的に見れば間違いようがなく正当解だろうが、これでは意思疎通など不可能だろう。それは戦闘狂のごとく一方的に通告し、軋轢の轍へと変えたうえで振り返るのみ。そこに理性など一遍足りとて介在などしない。
そういう意味では少佐は間違いなくマシな方だった。おふざけが過ぎる面が悪目立ちするが、その行動の全般は間違いようがなく理性と知性を以て責任のもとに行われているのだから。
『どの道あんたは俺とやりあうしかない。俺の機体の機首からは実験途中ではあるがミサイルジャマーがまき散らされている。それも駆逐艦がばらまくミサイルジャマーの優に数百倍の濃度だ。このまま俺を無視すれば三十六艦隊の負けは確定的なのは、分かるよな』
『――いいだろう。決着をつけてやろうじゃないか。お前さんをコテンパンに伸してやるよ』
所詮は力を手に入れた餓鬼が粋がっているに違いなかったが、確かにそうだ。どの道戦うしか道はないし、ダインスレイブ以外が相手取れるなどとは思っていない。この化け物を狩るには、同じ化け物の加護を得ている、いや手懐けた化け物の力しか存在しない。
いつ死ぬかもわからない戦場特有の背中がチリチリと焼けるような感触、頭の中、脳天がズキズキと痛むような緊張感、久しく味わった。いやな感触に唇の端が持ち上がっていくのが分かる。あぁ、ようやっとまともな戦いが――
『少佐、ありえないことだとは思うが、堕ちるなよ? 奴は、間違いなく強い』
『アハハハッ! 明野ちゃんが褒めるの珍しいねぇ――でも、面白そうな奴だよ、こいつ』
水を差すかのようだが、これを聞いてはなおさら負けるわけにはいかなくなった。是が非でも彼女のなすことを最後まで見届けたくなってきた。
それだけの価値があった。見届けるにはふさわしい。これだけの有望株、むざむざ死なせたくない。そうでなければ安心して逝けやしない。もうすでにこんな老人たちが社会を仕切る時代は終わりをつげ、新しい若者たちが戦っていく時代なのだ。そのために外側の脅威から守るため職務に就いていた。しかし明野という存在が現れた以上、彼女のもたらすだろう影響範囲を考えれば、もうそろそろ明け渡すべき頃合いなのだ。
こんな奴に国防が務まるなどとも思っていない。それならばいっそ道連れにした方が彼にとっても良いことだろう。そう、決着だ。決着をつけるのだ。
『さぁ、決着をつけようか。安っぽい言い方だけど、うちの同型機には消えてもらわなきゃならない』
『そうか――』
『ホントは好きじゃないんだよ、こういう本気と書いてマジと読むような戦いは――』
いつもいつもふざけたように話す癖があるが、その内心は極めてまじめだ。そしてこれまで本気を出すような場面になったことすらもない。だからこそ、彼は嫌いだった。力を振りかざすようなそれが。
振りかざされる側から振りかざす方になったからと言って、力に意思をのまれては元の黙阿弥だと常に自分を律してきた。それにそもそも少佐のキャラじゃない。キャラじゃないことを全力でやったところで全力で空回りするだけだと理解していたから、彼は彼なりに自由に生きて居た。
“少佐”を食べてまで生きて日本に帰ってきたいつかの戦争から、ずっとこれまで、責任の負える範囲で彼はとにかく自由に生きてきた。
最初は逃避のために。次第に責任という言葉の意味が分かってくると奔放に振舞うようになった。少なくとも自分が責任を負える範囲内で、やがて彼はもう一度国防のために戦う決意をして、その結果としてダインスレイブに乗り込んでいる。
ゆえに、ここからはおふざけはなしだ。全身全霊全力全開で敵をたたきつぶす。そのほうがきっと楽しい。
『オレのキャラじゃないしねぇ……まぁ、るんなら本気でやろうぜぇ! そのほうが楽っしいだろお互いに!』
『その通りだ!』
そのまま複雑な軌跡を描きながらミサイルとレーザー機銃の打ち合いが始まる。
独立稼働型の可動式翼による複雑な三次元軌道はとても普通の戦闘機が追いつけるものではない。上下左右前後に細かく揺れる姿はもはや変形ロボットのようで、機首を相手側に向けたまま後ろ方向に移動する姿を見ると同じ戦闘機とは思えない。
そのうえスピア・ザ・ルインは敵味方関係なく戦闘機やミサイルを落としてしまう。邪魔にならないよう高高度戦闘を維持してはいるが、そこに飛び込んでしまった戦闘機やミサイルは哀れとしか言いようがない。
熾烈なドッグファイトと呼んでいいのかすらわからない三次元戦闘は決して他の艦艇や戦闘機にロックオンする暇を与えず、寄っては離れ寄っては離れる繰り返し。
少なくとも両戦闘機に向けられていた視線の意味はほぼ一致しているだろう。
誰だこんな変態戦闘機を作ったやつ。
結局のところこれに絞られる。普通ならバレルロールやターンなど、周りの情報と照らし合わせながらの綿密な計算のもとに行われる対戦闘機戦のはずが、彼らの戦闘は全くの別次元。これに飛び込んだら最後、敵味方関係なくハチの巣にされ襤褸雑巾のように海面に落ちていくことは簡単に予想できることだ。
可動式翼が反転、急制動によって掛かるGは並大抵の戦闘機乗りが耐えられる許容値を大幅に超え、時速約六千キロメートル、マッハ五で行われる戦闘は苛烈を極める。
機首にしても可動式翼にしても流体力学や航空力学の全てを否定するかのように軽やかに滑らかな軌道で反転、超加速とそれを利用した三次元軌道は見かけよりも早く感じさせる。
これはもはや空中戦ではなくロボット同士の戦いと言っても過言ではないだろう。手足のない、という枕詞がつくが。
だが讃えるべきとするなら、間違いなく吉崎と名乗った方だろう。
彼は有効弾こそ出していないが少佐の変態機動から出されるすべてのミサイルを機首から垂れ流されている妨害電波を利用せずにその全てを避け、そのうえで撃ち合いを続けている。弾切れを狙った戦法だが、百発百中とまで謳われる少佐からいまだに有効弾を出させていないのは称賛に値するだろう。
『吉崎って言ったっけ、彼――彼は一種の天才ってやつだよ自分じゃ全然気づいてないっぽいけど』
「……っ!」
通常の日本国国防自衛軍で正式採用されている何らチューンされていない設定のF-91不知火壱型で三十六艦隊に供与されている最新鋭戦闘機、F-94迅雷二個編隊を相手に一切のロックオンを許さずに背部から空対空ミサイルを発射して勝っている。それに対して同じ機体でちょっと性能が良いからとはいっても少佐が手古摺ることはないだろうと思われていた。
ある意味で天才、それは言葉どおりに先天的に戦闘への適性があったということか、それともあの機体に乗る適性か、どちらでも良いが弾切れや撃墜なんぞされればそれこそ計画倒れ。何が何でもロックオン不可抗度まで上がっていてもらう必要があった。
『今はまああんなもんでしょ、まだ機体に慣れてないっぽいし――機体も急造したであろうおさがりだしね』
「他の艦載機を向かわせます!それまで――」
『そりゃ無理ダ! 申し訳ないけど――』
だからと言って他の艦載機を向かわせればそれは少佐に取って邪魔にしかならないだろう。
ドッグファイトと呼ぶには明らかに短距離な航空戦闘、ミサイルが幾何学的な軌道を描きながら必死に目標に食いさがり非現実的ながらも超現実的なまでに幾何芸術的な物を空に映し出す。
レーザー機銃の光線がミサイルを撃ちぬき、機首と回転式翼による常識破りな軌道のただなかで生き残れる通常戦闘機は皆無に等しい。生き残れたらそれこそ英雄と言っても過言ではない。それほどまでに彼らの戦闘は常軌を逸し、いっそ芸術的なまでに昇華されているのだ。
「出したところで邪魔にしかならん。残りの艦載機は全て艦隊の援護に回せ。状況が落ち着いてきたところで、あれを使う」
「――! ……了解しました――そういうことです、少佐。援軍はありません。存分に戦ってください」
『はいは~い! そんじゃまぁ、上げて行こうか!』
高く跳ね上がる少佐の機体の奇跡に合わせるようにスピア・ザ・ルインも高く跳び上がり、そうして雲よりも高く高く跳び上がり、やがてモニターしている人間以外彼らの戦いを見る者はいなくなった。
「波に乗っているところ申し訳ないが、三十六艦隊には本当の絶望というものをお見せしよう」
その拡声器によって割れた声が聞こえてきたのと同時、大丸山の山頂に見え隠れしていた砲台が起動した。
伊吹の主砲である収束ガンマ線衝撃砲の収束光よりも禍々しく映る山吹色の光が充填されると、それは自軍の損失を顧みずに発射される。
三十六艦隊と戦闘中だった敵の戦闘機が、駆逐艦や巡洋艦が巻き込まれて原子分解され、山吹色の光が通り過ぎた後には何も残らない。本当の意味で海を割り、そして爆裂した。
水素爆発とも違う反分子と分子の衝突によって起こる極限レベルの対消滅が発した爆発は瞬く間に三十六艦隊を襲い、旧横浜市の海にマングローブのようにそびえたつ巨木を揺るがし、都市跡を根こそぎ粉砕していった。
「これが我々の切り札、反分子爆縮放射砲雷神の雷霆だ。発射にちと時間がかかるが、その威力は今までにも見せてきたとおりだ」
「――こんなものを作って振りかざして喜ぶとは、つくづくあの老爺は――うちと負けず劣らずの変態ではないか……超重力子砲、チャージを開始しろ。あれに対抗する」
一瞬動きの止まった艦橋だったが、すぐにまた動き始める。
最終兵器をここで使う、それも地球環境にどれほどの影響が出るかも分からないような核爆弾とも似た様な意味合いを持つこの艦の最大の主砲。
反分子爆縮放射砲ケラウノスの周囲に再び張られた中間子防御フィールドを一撃で破壊してケラウノスを破壊するのなら通常用の主砲でも十分に間に合うだろうが、反分子をため込んだものに純粋物質を当てた場合、最悪の場合は列島が分断されてしまうだろう。それを防ぐのなら、発射される寸前に同等レベルの力で相殺するしか方法はない。
ケラウノスの一撃をよもや重力子防御フィールドで凌ぎ切れると思うほど、明野も馬鹿ではなかった。凌ぎきれないなら無理やりにでも相殺しきれる程度の、少なくともカタログスペック上は列島を崩壊させることも容易な主砲で相殺、よしんば対消滅させることで爆風を閉じ込めること、それが目的だった。
超重力子砲、それによって発射される重力子塊は接触物をビームの内部に引き寄せる。いくら反物質といえど、反重力子など揃えてはいまい。あったらそれこそ地球が崩壊するだろう。
それゆえに明野は断言する。対消滅のエネルギー放出も、素粒子間重力の塊には打ち勝てないと。
「手の空いている艦載機は伊吹の直近に回れ! 敵に主砲発射を邪魔させるな!」
「一番から二番主砲、発射準備完了。至近弾を狙って発射します」
「発射しろ」
星崎由佳が明野の目を見るとそのまま先んじて艦載機に命令を出す。長い付き合いである彼女が明野の意図を読み取るなど簡単なことだった。
主砲が旋回し、至近弾を狙って駆逐艦を狙いガンマ線を収縮し始める。
エネルギーのほぼすべてが耐重力波装甲砲に注ぎ込まれる重低音を艦体に響かせながら、重力子防御フィールドを維持しながらあらゆる艦艇が伊吹の真ん前を横切りながら艦艇を掃除していく。そのさまはまるで猟犬じみていて、無人艦艇を遠隔操作している人間たちを震え上がらせる。
主砲が火を噴きケラウノスと伊吹の目の前には何も道を阻むものはない。あとは周りが退避を完了させれば、それだけでこの短い戦争は幕を閉じる。
対空砲火の音は遠雷のように遠く響き、殺虫剤によって羽虫が堕天するかのように戦闘機が落ちていく。ミサイルは重高音を鳴り響かせながら発射され、目標を穿つことなくレーザー機銃に掃射されていく。
それらがまるでテレビの向こう側の世界のように錯覚させるほど現実味がなく、且つ緊張と逼迫と圧迫感によって気がどうにかなってしまいそうな状況。極々小規模で、けれども大きな意味を持つ戦争の終始線に到達しようとしている。その先に何が待っていようと関係ない。ここにいる全員は国家と民族を守るためなら進んで悪になる気概を持っていた。
都合のいい正義だと理解しているが、所詮責任ある自由とはそういうものだ。リベルタリアを気取る侵略者が現れたなら戦うしかない。それが行きついた答えであり、それが彼女らの正義だった。
ゆえに必然だったのだろう。名前の起源ではルインとはほぼ同格だが、けれどその曰くは本物だ。鍛冶師の鍛え上げた血を吸い力を得る、悪魔よりもおぞましいこの世の地獄のような鍛冶氏の遺産。
その名の通りに使用者である少佐の思うがままに縦横無尽に駆け巡るダインスレイブはスピア・ザ・ルインを追い込み、今止めを刺そうとしていた。
いくら先進技術の塊とはいえ、相手が戦闘という論理と骨子が癒着しているだけならば然して問題はない。少佐は文字通りに戦争というものそのものを味方につけて居る。いくら先進技術の塊とはいえ、パイロットの技量が違うのならばその差というものはジリジリと縮められていくのが道理だ。
純粋に技術が足りない。機械の力を出せてはいるだろう。だが其処で止まっている。全てを十全に扱えていない。文字どおりに一体化するかのように、それかまるで身体の一部のように動かせていない。それは最初のうちこそ気にも止まらない誤差の範囲内だっただろうが、彼の失策は長期戦に持ち越したことだった。
もちろん、吉崎が弱いわけではない。通常戦闘機なら十分と立たずに全機撃墜されていただろう。それを簡単に成し遂げられる程度に慣熟訓練は行われている。だが同じ機体と、日本の生きる軍神と名高い少佐を相手にはどう考えても分が悪かった。
機銃発射のタイミング、可動式翼の可動タイミング、ロックオンからミサイル発射までの間隔、それらが微妙に狂いだしてから彼、吉崎の敗北は決定していた。
『あぁ~あぁぁぁ~無理無理無理無理、無駄だよォ~ん! 君なんかじゃオレちゃんとうちのダインスレイブを倒すことなんてできましぇ~ん! なはははははは!』
『あ? なんだとこの糞爺!』
『分かるんだよ、オレにはさ。オレのこと倒すとか言ってたっけさぁ、無理だよ無理――死ぬのは君の方だ』
『あ゛ぁ゛!!? やってみろやこの老いぼれがぁ!』
より熾烈になっていく空戦も、既に少佐にアドバンテージを取られてから数分、彼が挽回出来る様な隙を与えず徹底的に少佐は吉崎を生かさず殺さず嬲っていた。それが尚更吉崎の集中力を鈍らせて行く。
帝國軍に洗脳され半ば強引に乗り込まされたような物だった。だがその性能が折り紙つきである事も知っていたからこそここまで自信満々にやって来れた。生来の戦闘狂ということもそれに拍車をかけ、だからこそ負けるなどとはかけらも信じていなかった。ただこれに乗れば勝てると、そういう暗示と催眠を掛けられた戦闘狂。
故に今の彼には撤退という単語は存在せず、だからこそ彼はただ食い下がることしか出来なかった。それが命令だったからだ。
そして少佐にはそれが容易に想像できていた。
一度山本英機に招待されて帝國軍派閥だけが集まった目前に控えている海上自衛軍基地で目にした光景は、この年になっても吐き気を堪えさせない狂気に満ち満ちていて、やがて少佐は己の無力を痛感させられた。いくら実力があり、実質的な単独戦力となっていても、それでも守れない命があることに歯噛みしたくなっていた。
結局のところ、この吉崎という男も同じなのだ。国粋主義者もどきに良いように利用された、悲しき戦闘機パイロット。いま、その人生を摘んでやることこそ最大の弔いだろう。
ダインスレイブの可動式翼に装着された短距離対艦対空無誘導弾“フラガラッハ”が、総計にして三十発前後ほど撃ちだされると全てが直線軌道を描きながら目前に控えたスピア・ザ・ルイン目掛けて飛んで行き、近接信管だったそれらは一斉に大爆発を起こして空を黒煙と紅蓮の炎に染め上げる。
スピア・ザ・ルインのミサイル弾倉に引火しなかったことが不幸中の幸いだったが、けれどその翼は爆発の衝撃と熱によって波打ち、各部ラダーは熱で溶解したアルミやチタン、ライトウェイト樹脂によって軸が固められ既にその役目を終えている。
『――そんな』
呟く様な、いやそれよりも小さい文字通り蚊の鳴く様な声で吉崎は言葉を絞っている。すでに海面は目の前だ。
『話しが……話しが違うじゃないか……』
何とか噴射炎のおかげでゆったりと螺旋を描く様に墜落しているが、それも長くは保たないだろうことは誰の目にも明らかだった。
『俺は…………俺は特別だって、言ってくれたじゃないか……山本英機――』
銃を突き付けられても泣く事は無かった。所詮銃というのは一度きり。人間の本能に訴えかける百何十年と長い時間を掛けて学習させた痛みの象徴とは違う。だと言うのに、いざ死が目の前に迫ってくれば言いようのない不安感と恐怖心が芽を吹かせた。
嫌だ、嫌だ、死にたくない、こんな結末は認められない。
所詮幾ら本能や理性という物を麻痺させた所で、潜在的な死への恐怖は収まるところを知らない。それは刀剣を向けられた瞬間の頭が白に染まっていく感覚に匹敵するか凌駕する。彼もまた、結局のところは人間だった。
『嫌だ……嫌だ! 山本英機、助けてくれよ山本英機! ――――――――――死にたくないよ……!』
機首を百八十度回転させたダインスレイブは、そのまま降下する事無く機銃を発射する。
青白い反中間子メーザー砲は、既に海面すれすれにまで落ちていたスピア・ザ・ルインのコクピットを、翼を削ぎ落しエンジンを破壊して爆発させる。
核融合炉の爆煙と爆炎が機体全体を飲みこんで吉崎の体を消し飛ばし、スピア・ザ・ルインをこの世から消去する。スピア・ザ・ルインだった何かはそのまま吸い込まれる様に海中に没し、また一際巨大な水飛沫を上げて沈黙した。
ダインスレイブのコクピットの中で少佐は敬礼していた。吉崎が戦闘狂の碌でなしであることは変わりなかったが、せめて敬礼するくらいは許されよう。覚悟無く戦っていたとは言え、けれど戦って果てた以上彼の戦いを否定する事は誰にも出来ない。
『悪く思わねぇでくれよ。残念なことだけど、これは戦争なんだよ』
故にこれは戦争だ。全ての戦う命に敬意を払い、そして人間の身勝手に人間を滅ぼして行く悪魔の所業。この戦場では三十六艦隊と先ほど沈んだ吉崎以外生身の人間は少ないが、けれど戦争に関わった時点でその命は貴い。
別に戦争を推進するわけではない。けれど恐れを覆い隠し戦った命に敬意を払わないこと、それこそ真のヒトデナシだろうから。
十分、されど十分。お互い兵器の質はほぼ同等ながら、発射に要する時間が違った。ただそれだけの事実だった。
山吹色の光が零れ出る、とてもではないが大砲とは思えない金属塊は悲鳴を上げるかのような音を立てながら今か今かと光が溢れ出んとしている。雷神の雷霆とは言い得て妙だ。
トーマス・アルバ・エジソン、ニコラ・テスラなどの近代の雷神の手によって実用的に、そして人々の生活になくてはならない物として確立された電気というエネルギー。人間が安定的に使うことの可能な数少ないエネルギーとして確立され、確実され、そして戦争にまで利用されてきた。
それは対消滅機関にしても同様だった。
対消滅機関とは、文字通りに対消滅によって生まれるエネルギーの一部を電気に変換し艦のエネルギー源とした炉心機関だ。けれどその大部分は中間子エネルギーをそのままエネルギーとしていた。
電気というエネルギーが発見されてから2世紀と三四半世紀は過ぎようとしているにもかかわらず、進歩は停滞し電気と言うエネルギーにいまだすがり続けている。
それを打ち破る、本来は人々の希望にすらなり得たかもしれない新エネルギーの光と言われては、さすがの明野も失笑を漏らすしかなかった。
「艦長、ケラウノスの発射準備が整ってしまいました! あれを食らっては重力子防御フィールドでも――!」
悲鳴のような、それか囀りのような星崎由佳の声もさして気にならない。だが不思議な確信があった。ここで死ぬのは自分だけでいいと。
非情なように見えるが、これでいい。明野は腹をくくり、そして鉄装綴に命令した。
「――――超重力子砲、発射準備。チャージを続けろ」
星崎由佳が明野に突っかかろうとしたが、けれど明野の瞳はレーダーに映るダインスレイブの反応を見て居た。
アフターバーナーを吹かしたのか瞬間加速的にマッハ七、つまるところ時速約8700kmを飛び越え、はるか先に見えるケラウノスに向かっている。
少佐、あなたがその気なら止めはしない。納得しているのなら、覚悟があるのなら、あなたが見せろと言いそして実践されるその姿をしかと目に焼き付けます。それが艦橋から見守るしかできない私の義務です。
決意し、そして明野は目を瞑った。
『そぉぉぉだ! それでいいぃっ! ――続けろよ、最終兵器のチャージってのをよ』
突然に割り込まれる通信。肯定し納得し、そして血路を開かんと彼は吉崎を落とした場所から急行している。間に合うか間に合わないかでいえば、ギリギリ間に合う。計算される発射感覚などから考えてもギリギリと言える。
少佐には分かり切っていた。彼女が何をするのか、何を為すのか。若い身空で軍神となる、その覚悟もあった。ならばやりとおさせる。
それが考えも凝り固まってしまった今の世界に投与できる劇薬だと分かり切っているから。そう、これはただの自己満足なのだ。生き疲れ、けれど戦うしか手段のない今を、正当な理由付けで人柱になる。後悔など一遍もない――後悔も痛恨も、あの戦場においてきたのだから。
俺は見たいんだ、こいつらの本当の力を――戦いの中で生まれる、本当の力ってやつを。
証明して見せてくれ、お前たちならば出来るはずだ。
「少佐、自爆するおつもりですか!?」
星崎由佳が絶叫するのと同じタイミングで、対中間子防御フィールド用振動弾頭が爆砕ボルトが弾け飛び中空に放り出され、一拍置いて発射された。弾倉の中に残っていた全ての対中間子防御フィールド用振動弾頭全てが。
あらかじめ予想される中間子防御フィールド発生装置の位置に向けて、放射状に放物線を描き、奇麗な扇形を描いて全てのミサイルが無誘導発射される。
こんなものが存在してはいけない。こんなものがいつまでも残っていてはいけない。全てを破壊する。作り上げた日本人の手によって。
誰が言ったか、人間は神様によって殺されるのではない。人間を、なおかつ同族を凄惨に嬲り殺せるのは人間だけだ。その通りだし、そして今から自分は大殺戮者となる。
所詮英雄と殺戮者と言うのは紙一重。勝つか負けるかでしかないのなら、間違いなく自分は殺戮者だろう。
『最高だったよ、君たちとのクルージングは――ハハハハッ! アーハハッハッハハハハハハ――――』
燃え盛る内部に反応してか、中間子防御フィールドはガラス質となり呆気なくダインスレイブの侵入を許す。一部分から漏れ出る業火は地獄を体現するかのごとく空を焼き、その中に至っても少佐の嬌声はいっそ煩いぐらいに艦橋に反響して、やがて途切れた。
燃え盛る外界を見通させる風防の先を少佐は睨み続ける。ついでに目元のウェアラブル端末もコクピットの中に適当に投げ捨てた。どうせ意味もない。
本来はウェアラブル端末なしではまともに動かすこともできない機体を、彼はまるで荒馬を御すかのように、それか自分の高ぶりを抑えるために操縦桿をポンポン優しくたたいた。
何だかんだで、理解者も得られて面白い人間にも出会わせてくれた。この展開まで計画の範疇に入っているのだとしたら大した策士だよ、と少佐は嘯く。
まるで全てが予定調和のようで、まるで誰かの手駒として動かされているかのようで、けれど悪くはない数ヶ月間だった。少なくとも三四半世紀とプラスαを生きた、この一世紀に届くか届かないかの一生の中で最も濃厚な数か月だった。
これだったら、地獄在住の少佐殿にいい手土産を持って帰れる。
けれどもまぁ――――
『――やっぱりさぁ』
やるもんじゃない。特に神風特攻なんてものは。
『やるもんじゃないねぇ、キャラじゃないことはさぁ――――』
そう言い終えるかのうちに、ダインスレイブはケラウノスのメインジェネレータに突撃した。
耐熱殻で覆われ過剰な冷房によって内部は適温を保っていたが、そこに突然に飛び込んできた異物によってまるで臓物を掻き乱されるかの如く、内部温度は冷房が対応できる許容量を大きく超え、メインジェネレータはダインスレイブの特攻から数秒もしないうちに瓦解した。
巨大な鉄の大輪がケラウノスの胴体部分で咲き乱れ、振動弾頭による爆煙と剥離した中間子防御フィールドの中、まるで強調するかのようにその花を大きく魅せて居る。
少佐の灯した鉄の炎は無駄ではないと物語るかのように、ケラウノスのエネルギー充填率はゼロパーセントに逆戻りしていた。
本来ならメインジェネレータに特攻しただけで列島が分断されてもおかしくない規模の対消滅が起こるかもしれなかったが、少佐は運が良かった。いや、悪運が強かったのだろう。
戦争という論理を、有史以来続き、そして今もなお持ち続けている人類種の最大の宿業の権化だからこそ、望む結果を引き寄せられたとしか言いようがない。
戦争というものが無くなってほしいと願う戦争の権化。矛盾しているが、だからこそ彼は切に切に待望するしかなかった。誰も戦争で傷つき喘ぐことを願っているわけではない。誰だって平和で豊かな暮らしを享受したい。その先立つ物になるために、彼は自らを兵器に変えたのだ。
「ダインスレイブ、反応消失……」
「敵主砲ケラウノス、エネルギー反応消失。最充填まで残り十五分ほどと予測されます」
シンと静まり返る艦内。断末魔があんなものとはいえ、思うところはあった。少佐が命をかけて時間を稼いだのだ。無駄にはできない。
「艦長――」
「――――総員退艦。付近の重巡霧島と影島はその救護を。あとは、全て私がやる」
不安そうに見つめる由佳に対し、明野は目を合わせることなく言い放つ。
十五分あれば、十分といえる。あとの始末は全て艦長である自分が執り行うべきだ。どの道誰かが残るしかないのならば、生きる屍のごとき己が身を差し出そう。生命を吹き込んでくれた彼らに報いるために。
「艦長命令だ、異論は許さん――――五分だけ時間をやる。そのうちに退艦しろ」
「ですが!」
「――これが私の最後の命令だ。星崎二等海尉……由佳、聞いてくれるな?」
どこまでも悲しいその瞳を、どこまでも空虚なその瞳を見て、由佳は二の句が告げられなかった。
いつだってそうだった。勝手に納得して勝手に行動して、それにどれだけ苦労させられたことか。どんな過去があるにせよ、そんな後ろ向きな覚悟をしてほしくはない。それでも由佳は言葉を飲み込むことしか出来ない。
彼女は死ぬことに関して何ら恐怖を、興味を持っていない。いつか彼女が言ったように、彼女はいつ死んでも、いつ殺されてもおかしくなかったからこそ、そして人間性を取り戻させてくれたことに最大限の感謝を覚えている。だからこそ、死に恐怖を想わない、そういうものだと認識し受け入れている彼女にしかこれは為せない。
死ぬ覚悟が出来て居るなど嘘っぱちだ。由佳には終ぞ死を厭わず戦う覚悟はできて居なかった。明野の持論を借りて言うなれば、覚悟のない者が覚悟を持ち実行しようとする人間の邪魔をしてはいけない、そういうことなのだ。
「私が全ての責任を負う。私が全ての恨みを背負う。私が全ての罪を背負う。ここで死ぬのは、敵将と自分だけでいい。お前たちが死ぬ必要はない」
元来そういう性格だと言われればそれまでだろう。彼女は優しすぎた。他人に対して、自身の近くに存在する親しい人間たちに対して、自分は馬鹿だからと自虐し自罰としている。
まともに小中学校に通っていないという、知識的に劣る部分があることに間違いはない。だがそれでも生きようと足掻いていたのは知っていた。そのうえで死生観というものも、彼女の中で固まっていたのだろう。そして大義名分が出来た。答えを見つけてしまったのだ。
由佳から見れば間違っていようとも、明野の覚悟は間違いようがなく本物だ。死ぬ覚悟を持ってしまったのだ。
「私は何度も、皆に助けられてきた。この艦を動かす数百人と言う力のおかげで、私たちは今日までを生き延びてきた――これは私が返せる、最大だ」
出来ればそんな形で返してほしくはないというのが本音だったが、全員で逃げ出すわけにはいかないのは明白だった。
伊吹は他の艦艇から遠隔操作出来るほど単純ではない。となれば誰かが残らねばならないのは必定。
全員艦に残って相討ちというのも手だったしそれを望む者も多くいるだろうが、責任者である我々の誰かが生き残らねばならないというのもまた確かだった。艦隊運営をしていた以上、どうしても旗艦の関係者は生き残らねばならない。
だからと言って艦長が討ち死ぬなど、一体いつの時代だと言いたくなる。
そんな由佳の葛藤もお構いなしに、彼女は話を進めていく。
「幸い、あとはトリガーを引くだけでいい。その程度なら砲手の訓練課程を修めて居なくとも可能だ。お前たちは国に帰って、親に健在な姿を見せてやれ。どんなに険悪な中であろうと、きっと心配してくれているだろうとも。断言しよう」
「――明野さん、貴女にも帰るべき場所があるはずです。渡辺一佐が待っているはずです!」
「未練などないさ。私はあの日、あの時から……本当はいつ死んでも良かったのだよ。自身が生きているという確証がほしくて従軍したようなもの。今更怖くなどない」
それは強がりだ。本当は一番生きたがっていたのは貴女だ。死を恐れて居ないのは確かだろう、だがそれは嘘だ。死への恐怖を克服したからと言って今更怖くないなどと言ったことはない。
未練がないというのも、また嘘だ。婚約者が、渡辺一佐が、彼女を待っている。理解してくれるなどといった甘えは彼女が一番嫌う言葉なのだから、これはきっと虚勢だ。自分を奮い立たせ後代に灯すための――。
「それでも守るべきものが、三十六艦隊が出来た。守って死ねることほど誇らしい物はないよ――――さぁ、さっさといけ。時間はないぞ」
「ですが――――」
「復唱!」
少なくとも、自身のことを諦めているのではない。その先を願っているからこそここで果てることを選んだのだ
それだったらと残ることもできない。意志薄弱な己に思わず舌打ちしかけた。
「――――――伊吹乗員530名。総員――退艦します……」
「それでいい――さぁ行け。そして後代に伝えて行ってくれ。少佐の武勇を、そしてこの戦いを。それが最後の命令だ」
人の波が船から一人、また一人と消えていく感触が、何故か明野には分かった。
巨艦を動かす人員は己の出した退艦命令によって一人ずつ兵員輸送艇に押し込められ、機関室、士官室、電算室、そしてやがては艦橋すら明野一人になった。真実、明野はこの艦に一人となった。
寂しい物だと思う。一抹の寂寥を感じながら、妙に足音が響くような錯覚を覚えながらもシートのそばにあるコンソールをいじり始める。
明野の座るシートに全ての情報が集約され、何の手違いか艦外カメラが起動した。
星崎由佳が最後に乗り込むところだった。まるで謀ったかのようなそのタイミングに明野は苦笑すると、艦外カメラに向けて敬礼する由佳には見えないと知りながら答礼する。
これで心残りは無くなった。あとは思う存分に暴れて、そして糞っ垂れに死ぬだけだ。
すでに超重力子砲のチャージは済んでいる。あとは照準システムの同期とアポジモーター、重力鏡収束機を起動すればいい。
「アポジモーター、起動。俯角五十度」
空中投影ディスプレイを睨むように見据えながら、慎重に俯角と仰角を変えていく。本職の砲手であれば難なく標的を合わせられたことは間違いようがなかったが、いない者は仕方がない。砲手がいなくとも動かせると大見栄切ったのだから動かせなければ嘘だ。
艦体底部に両舷二基ずつ三列合計六基の艦本式主推進機とは別に、両舷側に用意された姿勢制御用噴射機がうなりをあげて艦体を持ちあげ始める。シートに段々と押しつけられる感覚を感じながらも明野はコンソールをいじり続ける。
この一撃が日本を変えると信じて敵を撃つ。無責任極まりないが、やらないよりはやったほうがましだと思えるほどに、明野にとってこの一撃は重要な意味を孕んでいた。
「照準システム起動。カーソルの初期位置補正。対象、ケラウノス」
故にこれは絶対に失敗できない、一世一代の大勝負。負けられないし負けることは計画に入っていない。絶対に、勝つのだ。
ロックオンカーソルが発射可能を示す赤色に点滅すると、それをFCSと同期させる。
なぜ最初からFCSと同期されていなかったのかは明野の知るところではないが、自分で一から操作していくというのはある種の浪漫を感じさせられる。
年甲斐もなくわくわくとしてくるのはあまりそう言った情動というものと無関係だったことと関係があるのかは分からないが、少なくとも今この瞬間の明野の昂ぶりはまるで童心に帰ったかのようで、その笑顔は子供のように輝いていた。
「主砲開筒。極低温縮退炉を耐重力波装甲砲と接続。重力鏡収束機射出、収束率最大で砲口の直線上に配置――これで、終わりだな」
絶えず弄っていたコンソールから手を離すと、明野は溜息をつきながら力を抜き、慣性で押さえつけられるのに任せるようにシートに身を任せ、帽子を取った。
帽子を胸に抱き、明野は一分間だけ黙祷する。他ならぬ少佐を想って。
少佐がいたからこそ乗組員を全員逃がすことが出来たのだと。死を想いそして死を実践して見せた少佐に、そのために祈った。彼の魂に安息と充足が訪れるようにと。
「全部お前のシナリオ通りだったか、山本英機」
『その通りだ、渡辺明野一等海尉。どこで気がついたのだね?』
呆れたように、もしくは諦めたようにため息を洩らしながら通信を繋ぐと、間髪いれずに初老の翁の声が漏れ聞こえて来るようになる。
ただの首相の操り人形というわけではなかった。逆に彼こそ最も今現在の時流というものに嘆く愛国者だったと、ようやく気がついた。そもそもヒントなどいくらでもあった。あの程度の理由付けで罪を犯すほど、この翁の人生経験は浅くない。
「さっきだよ。これではまるで英雄譚に出てくる英雄のようではないか」
『――人類は、日本国民は停滞してしまった。ならば誰かが人類という種族の、日本国の民の業を背負い安穏とした停滞を祓わねばならない』
「最初に気が付くべきだったよ。どこの大学にも、自衛軍のアドレスで避難勧告が出されて無人だったということに。だがそれで国の必要悪となってどうするつもりだった?」
それでも避難しなかった者や出入りしている業者が間違えて入ってしまい負傷してしまったが、それでも数万人規模の被害に納められたことのほうが僥倖だったのだろう。下手をすれば被害人数は数百万人を突破していたであろうことを考えれば。
そして事前に攻撃を察知して避難勧告を出せる人間は、それもまだ声明を発表していない時期にそれが可能だった人間は誰もいない。もしかしたら公安のあたりが嗅ぎつけて居たかもしれないが、動かなかった時点で気が付いていなかったか、それとも与太話だと一笑に付されたかのどちらかだろう。
故にそのあり方は一種の自己犠牲と形容することも可能だろう。多くの血が流れる、原義的な意味では自己犠牲でも何でもないものだが、少なくともそれを考え実行したことは、間違いなく評価されてしかるべきことゆえに。
『――その後の在り方は彼らが決めることだ。だがこうまでしてでも変われないのなら、日本に未来は無い。それは君の演説に然りだ。誰がその行為をどう思いどう解釈しそしてどう行動するかが分からない以上、後の判断は後代に委ねるほかないだろう』
変わる機会は与えられたのだから、それを生かすも殺すも後に続く者に任せる――何とも無責任この上ないことだとお互いに失笑する。
だがそうやって起こしたことだからこそ今こうして責任を果たそうとしている。死が責任の果たし方であるというのはまた時代錯誤的ではあるが、そうでもしなければ償えないだろう。それだけの罪を犯してきた。
罪と罰なら甘んじて受ける。その咎を以て未来をより良いものに変えてほしいという呪いなのだ。だからこそ明野もまたその考え方に最大の敬意を表していた。
結局掌で良いように弄ばれていたことに変わりは無かったが、それでも組織の目的や思想には演説でも言ってきたとおり共感できた。こんな結末でなければ、もっと正しい手段を講じて居ればと思いながらも、明野はそれを認めた。
『私のほうからも、多数の離反者が出た。残すは私だけだ。だがそれでも離反者の彼らは彼らの至誠に基いて国を良くして行ってくれると、そう信じている』
「所詮、女に裏切られたというのはただの口実だったか――ならば本当のお前はどこにいる?」
『ここにいるとも――妻子はすでに先立ち残すは老い先短いわが命。御国のためならたとえ鬼となってでも変えてみせる。それが一般に悪と言われ罵られるようなことであろうとも――』
「それで――子供を壊してきたのか。LSDを過剰投与して自我を破壊し洗脳して、そして殺してきた」
『彼らにはすまないと思っている。悔やんでも悔やみきれないし、今更天国に行けるなどと世迷言を想ってもいない。彼らが呪うなら、彼らが恨むなら甘んじて受けとめよう』
最早語ることは何もない。お互いがお互いにそう思った。
どの道こいつとは話が合わないと分かり切っていた。言葉を重ねても意味は無いのだと。だからこそ――
「言葉は不要……か」
『言葉は不要ず……だな』
□
星崎由佳はその瞬間を目撃していた。
艦首を持ちあげ重力鏡収束機を射線軸上に収め、一体どこのSF映画のワンシーンかと思うような、そんな主砲の打ち合いを。
喫水線とは別に設けられた裂け目のような場所が開き、内部から砲口を露出させる異形が、山頂から何処へでも光線を届けられる悪魔の主砲と対峙し光を垂れ流していく。その姿はまるで神話の再現のように神秘的で、その一撃が放たれれば両者相打ちに終わると本能で理解できた。
長いようで短い発射までの猶予はあっという間に過ぎ去ってしまい、反分子爆縮放射砲雷神の雷霆と、伊吹の主砲である収束超重力子砲の光は夕闇の中、まるで太陽のように燦々と輝き、報道のヘリもそれ以上は危険と判断したのか三十六艦隊よりも前に進み出ようとする者は誰もいなかった。
そう決めたのなら、どうぞお好きなように果してくださいなんてとても言えなかった。それほど薄情でもなければそうやって諦められるほど薄い関係でもない。
あの人は一度決めたら梃子でも曲げないと知っている。そのために三年間とは思えないほど濃い時間を過ごさせてくれた。充実と充足と安息が綯い交ぜになったかのような、少なくとも忌避したいような類ではない。
最初からそういう予定だったのだろう、と考えればいくらか合点が行った。最初から、最初から一騎打ちし果てること、それこそ一番被害が少ないと知っていたから。それに合わせて少佐は自爆特攻された。つまり少佐は理解していて止めなかったということになる。
何故と思わずにはいられないが、逆に少佐は明野に希望を見出していたのだろうと考えると、憤りを言葉にすることはできず、消化不良気味に喘ぎ声が口から洩れた。
己の無力さに対する喘ぎ声だったのか、それとも明野を想っての喘ぎ声だったのか、もしくはこんな大事にならなければという逃避からか……星崎由佳二等海尉は兎に角無性に自分に苛立っていた。
甲板の欄干に掴まり俯瞰する己の何と情けないことかを想わずには居られなかったのだ。
その痛恨を吐きだす間もなく、それは終わった。
耳の痛くなるような発射音の後に、光の塊と山吹色の塊がゆっくりと発射された。それは話に聞く走馬灯のごとくゆったりと流れ、やがて光の塊と山吹色の塊が接触すると、接触点を中心に黒い渦が生まれてくる。
ブラックホールの周りでは物体が止まって見えるという学者の意見をそのまま取り込んだかのような、そんな至極ゆったりとした世界。万物全てが停滞を始めて行き、いつかは何物も動けなくなるのではないかと錯覚する。
しかし濃厚な闇を湛えた光すら抜け出せぬ暗黒の“穴”はその中にあってもまるで例外とでも言うかのようにその縁を広げていく。その暗黒の広がりに伴って、一層時間は遅くなっていく。すでにここは降着円盤に取りこまれていると言いたげに。
そして時は動き出した。
あれほどの質量がいったいどうやったらと思うほどの一瞬、その一瞬の間に巨大な伊吹の影は消え去っていた。同時に、旧横浜市の大丸山も、元が山であったかすら分からないほどその背丈を縮め、麓や都市跡は根こそぎ何かによって取り払われたような跡を残していた。
ここに決着はついた。明野と山本英機の画策したとおりの両者相打ち。証拠は一切残さず全ては文字通りに闇の中に葬り去られていった。もはや取り出す術すらない。
後に、この約半年間続いた小さく大きな戦争は、その結果としてはあまりにも小さく、だが確実に人々の風通しを良くしてくれたことだけは確かだった。
□
安倍修三は焦っていた。
マスメディアが今回のことで隠してきた事実に気がつくのも時間の問題だろう。
多くの異能力者と呼ばれる彼彼女らを違法研究所に送り続けて居たことや帝国軍の創設、ましてや人体実験や洗脳施設が明るみに出たらそれだけで内閣総辞職。これまで自分がせっせと独裁体制を築くために打ってきた布石が無意味なものになってしまうところまで来ていた。
彼は昔から祖父や曾祖父の思想に強い共感を抱いていた。日本は天皇などという古めかしい象徴に縋らず、内閣総理大臣をこそ敬って生きるべきなのだという、ある種の選民思想に。
祖父も曾祖父も、懇意にしてきたホテル経営者や学校法人経営者、防衛大臣という肩書の都合のいい傀儡が次々と失脚していき、泣く泣く自民党による一党独裁を諦めざるを得なかった。
だからこそ祖父と曾祖父の目指してきた“正しい日本の在り方”を目指して勉学に励んできた、明野が言うところの頭が良いのをひけらかしているだけの小物に過ぎなかった。
教育勅語の何が悪い。歴史修正主義の何が悪い。卑屈になって堕落していくだけの愚民どもが、我々偉大なる政治家の打ち挙げる政策を批判するしか能がないくせに寄ってたかってガァガァと醜い姿を晒している。
軍備拡張して何が悪い。税金が増えたからなんだと言うのか。生活していけないだの何だのと騒ぎながら、結局のところお前たちはゴキブリか魚のように何もせずとも繁殖していくのだから構わないだろう。
そう考える自分が醜いとも思わず、彼は偏差値の高い大学、とりわけ医学部や法学部の人間に多い、ある種の選民思想も併せ持つようになった。自分は頭が良いのだから、何をしても無罪放免で済まされるという――
旅行鞄に荷物を詰めながら方々に政府専用機の手配の電話をかけて居る背中に無遠慮に声が掛けられた。
妻や子供、果てには生まれたばかりの孫までを捨てサイパンかグアム、それが叶わなければスイスかオーストリアあたりにでも高飛びしようとしていたさなかの、それである。
『おやおやぁ?安倍君安倍君、こぉんな時間にどこに行くんだい?』
不快感を感じさせない程度の、これが平時であればまるで聖歌隊の合唱か天使が耳元で子守歌でも歌っているのかと錯覚しそうなほど“不快感”と言う三文字とは縁が遠そうなソプラノボイスも、ことこの状況に至ってはまるで悪魔の囁きのように歪んでいた。
サバイバルゲーム用の玩具のガスマスクと丈のあっていない外套のフードによって声がくぐもっていても、この声を聞いた者は生涯忘れることはできないだろう。そういう魔力を孕んでいる。
彼女こそ、玄武。超能力などという非現実から目を背けるためにDEEPweb界隈の違法研究所に売り渡してやったはずの、御鏡の現当主。暗殺一家の寵児であり、そして最も安倍修三が忌避する殺し屋だ。
何故彼女が首相官邸に、などと言う問答は随分前に捨てた。彼女には距離も隔たりも全てを無視する異能が、それが可能であれば監視カメラやサーモカメラさえ欺く技術と異能をその身に宿している。ここに音も立てずに侵入し、官邸に居る全員を悲鳴すら上げる間もなく殺しつくすことなど赤子の手をひねるより簡単なことなのだ。ゆえに彼を生かすことも殺すことも、彼女にとっては簡単なことなのだ。
『当てて見せようか?――その大荷物だから、そうだねぇ……君の大好きなグアムかな?……どう?当たってる?』
「――――――――――」
『答えてくれなきゃ面白くないじゃないか』
ワザとらしく『ブゥ』と言いながらいじけたように足先で地面をつつく。これが平時ならば容易に口先をすぼめて居る姿を幻視することが出来たかもしれないが、彼女の本当の恐ろしさを知っている彼にしてみれば生きた心地がしない。
まるで巨大な蛇だ。巻きついて甚振り嬲ってから丸のみにされる。そんな嫌な予感。背筋を這う悪寒に耐えきれなかった。
すぐさま彼は執務机に隠してあったノイエナンブM26Cを取り出し構え、それでも平然と立っている玄武の額に照星を合わせる。
『妻も子供も捨てて、そうしてまた逃げるんだよね、安倍君?』
「――君は知りすぎて居る。私がこれまでにしてきたすべてを……私の、我が安倍一家の悲願のために、消えろイレギュラー!」
『残念だけど、君にはもう味方なんていないんだ――君のために政治生命を諦めてくれるような都合のいい味方はね』
いざカーボンとポリマーの樹脂でできた銃爪を引こうとしたところにかかる冷や水。
先ほどまでのふざけて居るとしか思えない話し方から一転して、まるで深い井戸の底を覗くかのような薄ら寒い気配の漂う、まるで鎌を首に掛けられた罪人のようで思わず動きが止まってしまう。
不思議な色気の伴う深くも妖しいそれは銃を構えたまま棒立ちさせるだけの魔力でもあるのかと思わせるほど、彼は自らの意思で動くことが出来ない。
いや、百歩譲って官邸の人間が全員殺されただけならばマスメディアや周辺住民に圧力をかけるか廃品処分すればそれで済む。それより信じられないのは、スケープゴートと議席確保のためだけに経歴を改竄して今の地位に座っている彼らが裏切るという事実だった。
その疑問も数秒と経たずに氷解することとなった。
『だってみんなもう捕まったもん。彼らの手でね』
「何ぃっ!?」
同時に入ってくる見覚えのある忌々しい顔ぶれ。
佐世保海上基地の司令官であり、目下の脅威だと睨んでいる東郷兵十狼の懐刀、飼い犬。過去に何度も一党独裁の夢を妨げられてきているのだ、忘れようはずがない。
もう片方も、数週間前から行方の知れなくなった戦略特殊警察、通称特警の隊長、彼の共犯者の一人である小此木鶯だった。
この両者が皮肉気な笑みを浮かべて余裕そうに構えている。それが気に食わなくて、悔しくて彼は反射的に加藤三郎に銃を向けて、やがて無駄だと知って下ろす。
「安倍君、残念だ。実に残念だよ」
「そういうことでさぁ。――てぇことで首相、腹ぁ括っていただけませんかねぇ?誓って悪いようにはしねぇんで」
「佐世保の……それに何故特警の君まで…………」
結局はこいつも裏切りものだったかと舌打ちしたくなって、直前で止めた。
何故良いところでいつも邪魔が入るのか。何故一家の悲願を叶えようと、達成直前で毎度毎度邪魔が入るのか。我々のようなエリートが国を正しい方向に導こうというのに毎度のごとく邪魔ものが出てくる道理がないのだから。
「身から出た錆ってもんですよ首相殿。アンタがこれ以上政権を続けることを望む人間より、スキャンダルで失脚してくれることを願う連中の数が勝ってたってだけでさぁ。アンタのお得意のパワァゲェムってもんですよ。まぁ、御覚悟くだせぇ」
認められない、認めてなる者か。帝国軍も勝手に暴走して自爆して、そのうえ周りが全て離反者などと、認められない。それより何より、一家の血を絶やさず、いつか子供が、その子供が、曾孫が一家の悲願を叶えてくれると信じて、何があっても高飛びしなければならなかった。
けれどこのまま彼らに食わされっぱなしというのもまた、彼の癇に障っていた。せめて一回、一回だけでも彼らに目にものを見せてやりたかった。それが間違いだった。
「くそ、クソ、クソクソクソクソクソクソクソクソ!どいつもこいつも役に立たない!SPにしたって戦略特殊自衛軍にしたって、自爆特攻でも何でもすればいいものを!
玄武も、反対派の連中も!私の邪魔をする者はみなすべて滅び去れば良い!」
執務室に乾いた音が響き、数瞬の後に玄武は背中から床に倒れ伏す音が彼の眼に、彼の耳に届いた。
なんだ、こんなに簡単なことだったのか。以外とあっけない幕引きに乾いた笑みがこぼれ、それはやがて哄笑に変わっていった。
あれほど恐怖を味わわされてきた対象が、たった一発の銃弾に倒れるとは一体どういう冗談だろうか。これが愉快でなくてどうする。これが痛快でなくて何と称する。所詮愚民に過ぎない、所詮はキーコラキーコラうるさい小娘に過ぎなかったのだと思えば笑みがこぼれるのも至極当然のことと言えた。
だから彼は気がつかなかった。玄武の斜め後ろにいた彼らが身動ぎもせず、余裕の態度を崩していなかったことに。
「はははっ!女のくせに偉ぶっているからこうなるんだ、玄武!ははっ、ハハハハハハハハ!」
『飽きないよねぇ、君も。まぁとりあえず、黙っとこうか』
玄武と呼ばれる彼女の頭をガスマスクごと思いっきり踏みしめる、骨の割れる音とプラスチックが骨に擦れて奏でる不快な二重奏。彼はこれが本物だと信じて疑わず何度も何度も死体をけり続けて、次第に高揚してくる気分に合わせて高笑いしたところで彼の意識は現実に引き戻されることとなる。
今しがた死んだはずの玄武が、背後にいる。
まるで忍者か何かのように、音も気配もなく彼の後ろに忍び寄り、先ほどまで死体に背負われていたのと同じ、巨大な手裏剣の剣先で彼の身体を押し返す。
それと同時に彼女の掌から電光がきらめき、マガジンの中にある全ての弾丸に引火したのかグリップ内部、薬室から暴発。その勢いのまま彼の右手は腕から離れグズグズの肉塊が執務机落っこちた。
あまりの痛みに悲鳴を上げる彼、安倍修三は特警の人間に取り押さえられながら、まるで今際の際に呪詛を吐くかのように彼女、玄武の本名を叫ぶ。
それがかなうはずがないと知っていながらも彼女に告げずには居られなかった。殺人未遂だのの容疑が加わることになろうと知ったことか。どうせ第二第三と子子孫孫、末代までこのやり取りが続くと確信めいたものを持ちながら。
「覚えておけ、御鏡弥生!私は必ず、君を、君の一族郎党を殺しつくしてやる!絶対、絶対にだ!」
その捨て台詞を残して彼は一度病院に送られ、翌々日には公職選挙法違反、反社会勢力への積極的協力、非人道的実験への参加、違法研究組織への相互的な献金のやり取りを含めた合計で千は超える余罪が明らかになり、翌月には獄中死した。
彼の不祥事があらわになったことから内閣総辞職。解散総選挙にもつれ込むかと思われたが、一部現職議員と自衛軍派閥と一般の人間によって構成される臨時政府が編成されることとなった。
最初期こそマスメディアに軍国主義だと罵られた臨時政府だったが、デフレ脱却や外交摩擦の軽減など、目に見える結果を出してからそれらはぴたりと収束する形となった。