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第六話 ~決戦~ 上

訂正(2017 09/05)

長すぎるや読みにくいなどの意見があったため六話を上下分割しました。下段の方はもうしばらくお待ちください。




 暗い、どこまでも暗い作戦司令室のような場所、一段高く設定されたシートに座る壮年の男性は空中投影ディスプレイに映る盗撮写真を眺めながら、顔が見えない位置で直立している男に向けて言った。


「無事に出航できたようだな、彼女たちは」

「――――」

「不服かね、渡辺あきら一等海佐」

「――当り前ですよ。ようやっと普通の女の子らしく笑えるようになったっていうのに、大人の事情に巻き込んで――正直言って、やってられんです」

「正直だな。正直こそ人の誉れなれ。君がここで取り繕った言い訳をするのであれば、交友関係を見直すところだったが、その心配は杞憂のようだ」


 ムッとしたように男、渡辺暁は顔をしかめる。言いくるめられている、というよりははぐらかされていると言ったほうが正しいのか、兎角とかくかんに障る言い方であることに変わりはない。


 ようやっと普通、とは少々言い難いが笑えるようになった(明野)の姿が思い起こされる。信頼できる副官たちに囲まれた狭いコミュニティの中でも、それでもようやっと彼女に安心できる場所を用意できたと安堵したのを、その儚すぎる笑顔を二度と失わせたくないと思わせた。

 いや、今そんなことはどうでもいい。

 渡辺暁は一度かぶりを振るとジトッとした胡乱な目つきで壮年の男を見やった。


 こっちには答えさせておいてそっちは答えをはぐらかすなど許さない。人の家族が、そして若い士官たちが今も水平線の向こうで戦っているのだ。誤魔化しなどさせない。


「こっちには答えさせといて、そっちは答えんのですか?東郷兵十狼海上自衛軍大将閣下」

「そうだな、それでは不公平だ――もちろん、私とて鬼ではない。彼女たち善良な自衛軍士官を大人の政争に巻き込むことには忸怩じくじたる思いがある。けれどやらねばならないことがある。その大義のためにも、彼女たちが納得するためにも、山本英機には死んでもらう必要がある。それだけの話だ」

「安倍ですか――どうせあいつはいま、支持率が低迷してそろそろ下火になるところ。放っておけば勝手に解散総選挙に持ち込める。何を急ぐ必要がありやがりますか?」

「だからこそだ。解散総選挙で今の自民党政権が野党に落ちたとして、今度はどこが日本の政治を担う?」


 唐突な問いであったが、暁にはとんと答えなど見いだせなかった。

 どこの政党もこう言っては何だがパッとしない。何をやろうとしているのかが不明瞭で安心感よりも不安感を呼び起こす。訳のわからない党や集会結社もいまだ多く存在している。その中から一つに絞れと言われたところで今の民衆ではどうすることもできないだろう。

 左翼思想に塗り固められたマスメディア、それらによる自民党の一斉大バッシングによって自民党の支持率は低迷する一方だが、代替となれる組織、党がないのが今の現状だ。


「社会民主党は社会主義であるために論外として、民進党では責任能力に欠ける。日本維新の党は空中分解寸前で、笑顔の党とやらはそもそも政治ノウハウの蓄積がない。このままでは日本はほとんど無政府状態での統治状態になる。そうなれば税金はおろか警察機構さえあやふやになってしまう。そうしたらどうなると思う?」

「暴動、ですか」

「その通り。よしんばそこまでいかずとも、巷の有力ヤクザが勢力をもつようになるだろう。そうなった場合、我々は如何いかんとするべきかね?」

「――市民の暴動の鎮圧、事実上の軍事独裁体制の施行に弾圧」


 それは最悪のシナリオだ。もし一歩でも間違えれば国際社会から非難を浴びせられることはもちろん民衆の意思はますます政治から遠のくことになる。

 そうなったら最後、日本を取り巻く国際情勢は悪化の一途をたどり完全な孤立状態となるだろう。ただでさえ中東やヨーロッパ南部などに日本企業が支社を出しているというのに、これでもしも孤立することになればそれらを見捨てることしかできなくなる。

 たとえ精強な軍隊があろうと、兵糧攻めになれば食糧自給率で諸外国に大きく劣る日本は短期戦しかできない。それも数年単位ではない数カ月単位の超短期戦。

 そんなことは不可能であるし、それであっても徹底的に先手を打ち見せしめをしなければ数か月での短期決戦は事実上不可能。日本は再度の大敗を喫することになる。


「そうだ。もしもそうなった場合、日本は国としてのまとまりが泡沫の夢のように儚く消え去り、彼女たち三十六艦隊の最も意図しない方向にこの日本は舵を切っていくことになるだろう」

「――――だから加藤一佐と捕縛した戦略特殊警察鳳・番犬・山犬部隊に玄武を利用した電撃作戦で首相官邸を制圧、証拠を掴み大義名分を作り上げることで自衛軍の臨時政権を樹立しようってんですか」

「うむ。結局は軍事独裁に変わりはないが、大義名分の有無によってその意味は大きく変わってくる。市民の暴動の鎮圧からなし崩し的に軍事独裁をするのと、有無を言わせぬ大義名分を持って軍事独裁になるのとでは意味合いが違う」


 なし崩し的に樹立した場合の軍事政権はまず諸外国から圧力をかけられるかそれを好機とみた東側に顎で使われるか。もしもそうなった場合確実に戦争がおこる。特にアメリカなどは挙って押し寄せてくるだろう、お得意の機動艦隊を持って。

 もちろん短期的かつ散発的戦闘なら負ける確率はかなり低い。けれどもし持久戦になった場合、考えられる結末は先に述べた通りとなる。


 そして世論がそんな軍事独裁を認めない。そうなれば小兵一人一人の士気はおろか内通する者さえ現れかねない。そうなった場合、日本は言葉どおりの意味で空中分解してしまうだろう。

 その結末を避けるためには何らかの国民が納得する材料、左翼思想にまみれたマスコミを黙らせるに足る証拠が必要だった。


 三十年以上も昔、前安倍政権の傀儡となっていた自衛隊とは違う。国民を虐げることはしたくはないし本意ではない。

 要するに説得力の問題なのだ。最低でも国民が納得できるレベルであること、最大で他国に文句を言わせないレベルの物――つまるところ“火消し”だ。前政権の火消しがすむまでなど、何らかの条件と拘束を付したうえでのあくまでも“臨時政権”であること。それが最も波風立てないですむ方法だった。

 けれど――


「――それこそあいつの望んじゃいない結末ですよ」

「彼女の一番の問題点は、会話能力はないのに演説能力はあることだ」

「ぶち転がされたいんですか?」

「そう怒るな――彼女は君が認めるほどにコミュニケーション能力に欠けるが、だがその演説能力、士気高揚、指揮能力は目を見張るものがある。正直言って、あの艦隊はすでに国のコントロールを離れている。誰にもその道を阻むことはできん。その最たる例は、彼女が計画していることに如実に表れている」


 文字通り、三十六艦隊は彼女の手であり足であるといっても過言ではない。執着とか愛着とか言ったレベルを通り越し、艦隊の一人一人が艦体を構成している人柱ひとばしらの艦隊。山本英機は、もっとも敵に回してはいけない艦隊を敵に回したのだ。

 そしてここで会話している暁にも、東郷兵十狼も彼女たちを止めるすべを持ち合わせていない。すべて彼女たちの心のゆくまま、納得のいくままにやりとおしてもらうほかない。それ以外、この問題を終わらせる方法はないのだから。


「――要するに、何だってんですか」

「――この戦争は、彼女たちが納得するか否かにかかっているということさ」

「――――――」

「よいことではないか。若者が己の力で考え、その結論、その総意の器が己を人柱に変えてでも戦い抜くなど、今時の若者では出来んよ」


 護国の鬼、今も靖国やすくに神社などにまつられている数々の第二次大戦の英雄たち。その一柱ひとばしらになるというのだ。文字通りの人柱ひとばしらとして。


 今の若者では確かに世の中を変えることはできないだろう。何をすればいいのかもわからないままに大学にまで進学して人生を浪費し、何かを考えることを放棄して人糞を口から垂れ流す、そんな空虚な言葉では決して変えられない。何かを成すには相応の覚悟が必要だということ、それを理解しないままパワーゲームの快楽スリルにのめりこむ大人たちでも、きっと同じことが言える。

 そういう意味では、明野は確かに覚悟を持っていた。いやいっそ若者ではありえないほどに覚悟を持ちすぎている。それこそまさに異常なほど。


 一度“生と死の刹那”を見た彼女だからこそ、その命のありようは彼女が決めている。ゆえにその覚悟を持つ彼女だからこそ、戦う資格と答えを見つける資格を得られたのだろう。文字通り、彼女の言葉には重みがあった。命のやり取りを、そして何より生命の尊さを知っているからこそ。


「――明野は…………勝てますかね?」

「君が信じてやらんでどうするのかね?――勝つとも。勝って、そしてきっと帰ってくる。笑顔で、そして最大限の“愛”を以て……そう、勝つともさ」

「はい――」







 三十六艦隊は見た目四十代の男“少佐”とその付添である篝火かがりび八雲やくもを乗せて沖ノ鳥島沖で戦闘訓練を行う――予定だった。


「暗視装置、iイルミネーター、鵺汰之御鏡システム起動。データリンク開始します」

「熱線暗視装置よりデータを受信、佐世保沖同様に無人艦艇での編隊です。周囲の島を遮蔽物にしているようですが、丸裸です」


 立体投影ディスプレイに映し出される立方体には遮蔽物はもちろん背後に控える沖ノ鳥島や他の艦の姿、その他の処々の情報が映し出され、敵の姿を白日のもとにさらしていた。


「へぇ~塵屑どもにしちゃやるじゃない。――で、お若い艦長殿の意見としては?」

「――艦隊を四つに分ける。一つは伊吹を中心として直近の重巡月島、霧島、軽巡影島、海龍かいりゅう、駆逐明星あかぼし宵星よいぼしを。他は重巡を中心として軽巡、駆逐を五隻ずつで艦隊を構成、伊吹の主砲斉射とともに重巡、軽巡は援護射撃。駆逐の雷撃で片をつける。戦艦空母比叡、鵺汰之御鏡搭載空母蒼龍に駆逐艦五隻ずつ、比叡は各艦隊への援護射撃」


 毎度のことながら正面突破。隠れる場所がないためにしょうがないとはいえ、それ以外にないのかという言葉は出てこなかった。

 隠れる以前にすでにイージスシステムの、主砲の射程圏内に収まっている。この時点からすでに同航戦。同じ国籍の艦である以上逃げ場などなく、あるのは徹底抗戦しかない。確実に生き残るためには国力を損なおうとも抗うしかない。


「毎度毎度思うんだけど、脳筋?」

「遮蔽物がこちら側にない以上、そして背に沖ノ鳥島がある以上我々が取るべきは正面突破、障害物越しの偏差射撃及びに曲射しかない」

「――クールだよねぇ、いつも……でもまぁ、面白そうじゃない」


 日本の排他的経済水域、領海を狭めないためにも沖ノ鳥島を常に背に守る形での戦闘しかできない。敵が欲するは鬼の首、つまるところ伊吹の撃破以外にない。だとすれば伊吹を餌に各個撃破する。

 幸いなことは敵艦隊が無人だということか。心おきなく性能テストの的に使えると思えば、少々の良心の呵責は感じれど無損害での戦闘というキチガイじみた作戦を実行せずに済む。それだけでどれほどの士官の心が擦り減らされずに済むか。部下に恵まれたことを誇るべきか、そんな阿呆のような作戦を実行に移した己を恥ずべきか。明野は一瞬苦い顔をした後、指示を出した。


「座標データ入力完了、発射準備完了しました。艦長、ご指示を」

「――目標敵艦隊旗艦。撃て!」


 以前の白濁光とは似ても似つかぬくれない色の艦砲。圧縮率を上げたにしては些か以上に不可思議な色。今までの艦砲ともまた違う、美しすぎるほどに濃厚なあかの輝きは、直後の爆縮ばくしゅくによって認識を改めさせた。


 紅色の艦砲、その一撃が命中した敵艦隊旗艦は急速な艦体の劣化によってボロボロと崩れ、爆発。それだけにとどまらず、付近に展開していた艦艇まで紅色の艦砲は飲み込み同じような末路を与えていた。

 そのさまを形容するとしたら、まさしく一網打尽という言葉が似合いだろう。そうも笑っていられないほどの、いくら超戦艦といえど限度を超えた火力は見た者を圧倒する。


「敵艦隊――消滅。付近の小島が至近弾の影響を受け敵艦隊側の表面が溶解、その他に自生していた植物がすべて過剰繁殖しています」

「紫外線、赤外線スキャンエラー、熱線暗視装置は許容熱量を超えたためかフリーズ。放射線測定機で計測、ごく限られた範囲内で大量のガンマ線を検出、自壊していきます」

「――加藤一佐に通信を送れ」

「応答ありません――あれ?」

「なんだ?」

「見覚えのないデータファイルが表示されています。ウィルスは無いようですので、各席の空中投影ディスプレイに同期、表示します」


 一通のテキストファイルとPDF形式の文書が同梱されたデータファイル。テキストファイルのファイル名は『伊吹へ』と書かれていた。

 これ見よがしなファイル名であることから、そしてファイルの順序からも最初にこれを読んでもらいたいのだろうと判断し、明野はテキストファイルを開くように言った。


 開かれたテキストファイル果たしてただ単調に文章が綴られているだけ。最近の若者がよく使うような無用な記号(絵文字)はなく、ただただ文章が、言葉が羅列されているだけ。今時の人間からすれば堅苦しく見えるかもしれなかったが、逆にこれくらい淡白な方が彼女たちには読みやすかった。


『やぁやぁ驚いたかな、新しい伊吹の性能に。

 執務の途中だからあまり長々と書けないので挨拶はこれくらいにさせてもらおう。君たちはきっと半ば逃げるようにして佐世保海上基地メガフロートを出航したことだろう。護衛として雇った・・・少佐とともに』


 どこまでが計算でどこまでが偶然だったのか、大凡の予想は付いていたが、いま大事なのはそこではなく出航後の行動まで全てが把握されていたこと。そしてあらかじめ主砲の発射とともにファイルの秘匿が解かれるようにされていたことには驚きを隠せなかった。


 加藤一佐は以前からそうだった。どこまでが計算でどこまでが偶然なのか分からせない一種の壁のようなものが存在していた。その壁に阻まれた先は決して見通すことができなかった。

 ただ単に明野が政治能力に長けて居ないというのもあったが、そういうものを抜きにしてみても、加藤一佐は良く分からないくせしてそれでいて信用に足る、そんな不思議な男だった。


『武装の試射をしようとしたのかそれとも敵艦隊を消滅させたのかは今ここでこれを書いている私には到底分らないが、きっと君たちはそれを見た瞬間に戦慄したはずだ。同時にこれをおいそれと発砲してはならないことも理解したはずだ。だからここで武装や主機関の説明をしておこうと思う。とはいっても私にも分からないことだらけだがね』


 頼りになるようで、それでいて頼りづらい雰囲気をともしながらも、常に加藤一佐は裏から表から、彼女たち少女兵のために尽くしていた。本当は自衛軍に女性が就くことを最も忌避しているのは彼ゆえに、むやみやたらとその命がなくならないようにとの祈りを込めて対消滅機関や中間子防御フィールドの構想を練り上げ作り上げたのも彼だった。

 その加藤一佐が自分でもわからないとなれば、それは明野にも分からない代物だろう。それもとびっきりの、宇宙人から技術を頂いたといわれても納得できるくらいの、だ。


『伊吹の主機関に採用されているのは極低温ごくていおん縮退炉しゅくたいろと呼ばれる炉心機関で、内部では一定時間に一度の頻度で超小型ブラックホールに物質(燃料)を投下、その燃料をほぼ百パーセント純粋エネルギーに変換し、その純粋エネルギーをもとに艦を動かしている、みたいだ

 極低温縮退路によって生まれるのは純粋エネルギーだけではない。艦砲を発射して分かったと思うが、あれは極めて強烈なガンマ線を発射する。そのため人体に放射されればガンマ線バーストの影響で肉体が膨張・破裂し、自衛軍の艦船でも急速に艦体が劣化・土くれになるだろう。その代り強制的にガンマ線を収束して放射している分劣化が早いため、発射後五分以内にガンマ線が自壊、放射線による影響を最小限に抑えながらも最大効果を発揮する悪魔みたいな兵器だ』


 悪魔、なんて控え目な言い方だ。これを表すのに悪魔なんて言葉は生易しいくらいだ。けれど他に形容できる言葉が存在しないのが憎たらしい。

 これぞまさしく狂気の沙汰。かつて日本の国土を焼いた第二次世界大戦と同等、それかこちらの方が狂気の度合いでは勝っているのではないか。どんな思考回路の持ち主が作ったのか、考えたくもなかった。

 それほどまでに狂っている。狂いすぎて、逆に扱う側が間違っているのではと錯覚するくらいの狂気――


――人間がその気になれば、どんな恐ろしいことでさえも実行できてしまうのだ。


『要するに、人間はその気になれば悪魔にも魂を売ることができるのだということを覚えていてもらいたい。――月並みな言葉ではあるが、たとえ兵器そのものが悪魔によって作られたものであろうとも、兵器そのものに罪はない。罪を作るのは、そして罪からの逃避のために罪を重ねるのは、いつだって人間だ』


 言葉だけなら何とでもいえる。そんなことを言えるような内容ではない。もはや当事者となり、そして今もなお当事者である以上痛いほどに書かれている内容が彼女たちにはよく理解できた。


 罪を憎んで人を憎まず、であるならば兵器は?人が使用し後世に多くの禍根かこんを残した兵器はどうなるというのか。きっと罪の数だけ憎まれている。だが人が使用している以上、それは人の罪に他ならない。

 炭鉱業のために開発されたダイナマイトなどの爆薬や、本来は狩猟を想定して作られたはずの銃や、あくまでもエネルギー機関として開発された対消滅機関が戦争に利用されたこと、それらが物語っている。

 ゆえにきっと兵器に罪はない。使う人間が、利用しようとする人間が間違っているだけなのだ。その観点で言えば、たとえどれほど世界中から武器を奪おうと、時代が逆行数だけで、争おうとする人間は出てくる。人類の歴史とは、戦争の歴史なのだから。


『四十五年以上前、まだこの日本の元号が大昭ではなく平成だったころ、我々は愚かだった。終戦記念日という都合のよい戦争回顧、戦争がいかに非人道的であるか、そして当時の自衛隊を散々に批判し続けていた。そういう時代があったんだ』


 加藤一佐はもちろん、伊吹に同乗する田中徳太郎一佐、彼らと同年代の乗組員はその話をよく聴かせてくれていた。そういう忌まわしい風潮のはびこる時代があったこと、今もそれらが蔓延まんえんしているという事実を。先ほどの話に直結して言えば、大昔から人間の心は、人間という種族は何も学んでいない。学んだふりをして目を逸らしているだけに過ぎないのだろう。

 第一次世界大戦後から連綿と続く、今もなお後世に残される災禍の記録。他人が他人を害すために始めた人災の記録。きっと何も学んでいない。都合のいい言葉が、耳触りのいい慰めの言葉が、祈りも願いも何もかもを歪めてしまったのだ。


『いざ戦争になった時、我々は我々のいかに脆弱なことかを思い知らされることとなった。その結果が少佐のような人を生みだす結果になってしまった。その時から、私は、我々は心に刻みつけたのだ。戦争を、兵器を恨むのではない。真に恨むべきは戦争を願い平気で人を踏みにじれる存在なのだと――だから、君たちには忘れないでいてほしい。君たちは神にも悪魔にもなれる。その使い道をどうするかは君たちが決めるんだ。この世の悪魔になるか、それともこの世の神になるか――そう、使い方は君たち次第なのだ』


 どこかで聞いたことのあるフレーズだったが、当事者である以上その重みは並大抵のものではない。一周回って唐突過ぎて訳が分からないくらいだ。きっとその訳のわからなさこそが重要なのだろう。その中で結末を選び取ること、それこそが最良の結末につながっていると信じる他にはないのだということを――自由リベラルとはそういうものだ。

 賽は投げられた。あとは賽の目(己の意思)に従い戦うまで。逃げることは許されない。

 脅迫よりも何よりも重い物を、その文面はにごすことも隠すこともなく皆の眼の前に突きつけて居た。


『お膳立てはもうしてやれない。これからは君の、君たち自身で考え行動していきなさい。

 艦の仕様書を同梱どうこんしてある。詳しいことはそちらを確認してくれ

――君たちの航海に、幸多からんことを願う』


――大人たちはいつも勝手だ。


 誰が言い出しただろうか、けれど艦橋に詰めている人間は誰もそれを止めない。止める必要がない。その言葉の何より正しいことを、そして何より間違っていることを誰もが知っているからだ。


――勝手に期待して勝手に失望して、勝手に祈って願って勝手に絶望する。そうやって振り回される方のことを考えないで、勝手なことばかり言っている。


 そうやって振り回す癖して後の責任なんてこれっぽちも考えちゃいない。そのせいで悔しい思いをしていても蚊帳かやの外。良い御身分だと思わざるを得ない。

 親、その先祖の罪と罰を背負っているというのに勝手なことばかり好きなことばかり言って余計にその重荷を増やしていく。なんで放っておいてくれないのか。そうやって好き勝手やっている癖して、子供が好き勝手やることにはうるさく口出ししてくる。


――だというのに……あぁ、何故だろうな。涙が止まらないんだ


 だというのに、いざ手を離されるとなると不安で仕方がない。そこからは自分の責任で生きて行かなければならないと知って、そうやって大人になっていくのだろう。つまるところ、大人とは自分の責任の負える範囲で好きに生きていくことができるということ。


 一流大学を出なければ社会人ではないと勉学に励む者もいれば、コンビニやスーパーマーケットのレジ打ちをしていることを幸福に感じる人間もいる。河川敷でホームレス生活を営むことに自由を感じる者もいればヤクザから金を借りてパチンコで四六時中遊ぶことに快楽を見出す者もいる。

 その誰もが、自身の責任の負える範囲内での幸福を享受きょうじゅしている。


――悲しいわけでも悔しいわけでも、絶望したわけでもない。なのに何故だか涙が止まらないんだ


 そうやって手を離されることは、大人と認めてもらえたという感じがするから――


「勝たなくてはいけないと――勝ちたいと、思ってしまうんだ」


 一人の大人として、一人の人間として、目の前の戦いから目をそむけたくはないと意地を張りたくなるんだ。そういう意地の張り合いと、そういう責任と義務の狭間はざまに存在する自由の釣り合い、何より人として間違ったことはしたくないから――


あかざ あかね三等海尉、一週間後に日本全国のテレビ放送主要全チャンネル及びラジオ、無線放送全てをジャックする。ハッキング及びにクラッキングを任せる。頼めるね?」

「――はい!全力を以て任務を遂行して見せます」


 一つの部隊が行う任務としては最大級規模であり、そして最小規模であるがその無茶苦茶な命令でなければ明野ではない。

 彼女の命令だからこそ何が何でもかなえたい、遂行したいと思わせる一種のカリスマがあった。それは佐世保を出港してからより強く、より顕著に彼女たちの目の前で振るわれていた。

 あの何か吹っ切れたように見える星崎由佳と渡辺明野のお出かけデートからずっとだ。あれ以来迷いのようなものが無くなったように、彼女たちの目には映っていた。それは良い意味での変革であり、なるほど彼女らが明野に従う理由も良く分かるというもの。田中徳太郎はその姿に目を細めた。


「副長、砲術長、ついでに田中一佐、ついてきてくれ。口で説明されるよりは現物を見た方が早い」


 そしてまた一つ、彼女は要求を突きつけるとタラップを下り始めた。その迷いのない背中は、少なくとも間違ってはいないという認識を彼彼女たちに植え付けるには十分な力を持っており――何を言われるまでもなく星崎由佳は機関室に無線を入れた。



 ほの白い冷気を漂わせながら、それはそこに鎮座していた。

 大量のチューブにつながれた球体状のそれは、内部からの鈍い音の反響からして既存のどの炉心機関よりも重いことが分かる。

 最初に艦に乗り込んで見たときにはそれほど不思議には思わなかったが、いざ艦長たちから縮退炉、マイクロブラックホールを内包していると言われれば扱いもこれまで以上に慎重になるというもの。


 だが何より目を引くのは艦体の中心、喫水線より上に位置する、おそらくはあの黒い線と同じ軸上にある巨大な筒だ。仕様書の通りであればあれこそこの艦の本当の主砲。射線上にいるものは何であれ消滅させられる主砲。機関室長には加藤一佐が何を考えているのか分からなかった。

 オーバーキルも良いところだ。こんなものを戦場に出すなどどうかしている。それでもその整備に順応してしまっている自分も、きっとどこかが逝かれている。機関室長、鳴神なるかみ仄火ほのかは自嘲しながらも他の整備士に次々と命令を出していた。




 艦長たちが到着したのは連絡を受けてから五分後のことだった。副長と砲術長、田中一佐を連れてやってきた彼女は機関室長、鳴神仄火に説明を求めた。

 とはいえ、縮退炉など研究途中もいいところ。安全性はもちろん実用可能レベルなのかどうかさえあやふやな炉心機関で、言われなければ対消滅機関にしか見えない炉心形状もあり確認には手間取ることとなった。


「正式名称重力子機関グラヴィトンエンジン、俗に言う縮退炉やらブラックホールエンジンやらいうやつですが、炉心内温度を計測したところマイナス273.15℃と計測されました。所謂絶対零度というやつです。この中で休眠状態のマイクロブラックホールに定期的に質量のある物体を投下、ホーキング放射によって質量の実に98パーセントが純粋エネルギーに変換されます」


 純粋エネルギー、とはいってもどういうエネルギーなのかといえば、中間子などとも違う燃焼効率の高く、熱線ビームとしても推進剤としても使える物、というくらいしか分かっていない。詳しいことは物理学者でも呼ばない限りは分からないだろう。

 だが一つだけ分かるのは、これはかなり大容量のエネルギー変換装置であるということ。それも核融合炉や核分裂炉(原子力発電)、火力発電や水力発電よりもよほど高効率な、という但し書きと、『とても危険な』という枕詞の付く、だ。

 これほどの大容量エネルギー変換装置を取り付けられたこの艦を、明野がどう動かしていくのか、機関室長には興味が絶えなかった。ただ分かるのは、悪事に使うわけではないことだろう。


「この純粋エネルギーを用いて艦底部両舷二基、前部中部後部に三列の合計六基に増量されたスラスターを駆動させ、余剰エネルギーは艦の発電などに利用されています。単純な出力の問題でいえば、この縮退炉一基で戦艦クラスの対消滅機関十基分に相当するエネルギーを得られます。はっきり言って出鱈目です。その上純粋エネルギーとは別に大量の放射線が常時検出されており、それが各甲板側の主砲に接続され、必要量の放射線が供給されるからくりのようです」


 超高濃度の放射線を一点収束して発射したらどうなるか、それは他の士官の娘からの報告もあって理解できている。

 植物は高濃度の放射線にてられて異常に成長し、ビームが通り過ぎた場所は燃え尽きてしまうだろう。たかが艦砲だけでこれだというのにこの艦にはさらに恐ろしい武器が備えられている。


 縮退炉に直結するように伸びる前後逆回転の歯車ギア、巨大でそのうえ太いパイプ、その先はピストンのようなエネルギーの爆縮・放射を兼ねる装置が配備されている。

 超重力子砲と呼ばれる、大凡一つの艦隊が所持していいような代物の武器ではない。この一撃だけでもアメリカ大陸を二分することはおろか、使い方次第では世界を滅ぼすことも可能だろう。

 これを使用することができる局面など、ありえて第三次世界大戦のような異常事態だ。


「問題としては、この耐重力波装甲砲という代物と重力グラヴィティレンズ収束機コンヴァーターですね。どうにも発射時に縮退炉にかなりの負荷をかけるようです。その関係上連発に向かないうえに一度でも重力鏡収束機グラヴィティレンズコンヴァーターを用いての最大出力で発射した場合、最悪の場合は大陸が消滅します」


 戦中に一度開発が止まり、製法の失われた量子コンピュータ。艦のメインコンピュータとして載せられていた量子コンピュータを使えばその試算も数秒で終わってしまった。

 これほどの大盤振る舞いで、一体加藤一佐は渡辺明野、この超戦艦伊吹の艦長に何を求めているのだろうかと疑わずにはおれない。もしもその力を悪用されることがあればどうするつもりだったのか。

 試している、というわけでもないだろう。試すだけ艦隊は試されてきた。とするならば信頼、という言葉で片付けていいものでもないだろう。察するに、これはけじめをつけるための道具といったところか。必要だと感じたのであれば撃てばいいし、必要ではないと感じたのなら撃たなければいい。

 納得のいく形でこの戦争を終わらせろ。希望的解釈もいいところだが、艦隊の人員からの信頼も厚い加藤一佐からの、そういう意味もあるのではないかと仄火は邪推した。


「――いつでも撃てるように準備しておけ。最悪の場合、帝國軍はこれと同じくらいに危ないものを用意している可能性がある。それに対抗するためにも、最悪の場合撃つことがあるやもしれん」

「しかし艦長――!」

「無論、使わないに越したことはないがな。とにかく整備だけはしておいてくれ」


 星崎由佳の制止の言葉に被せるように語る明野の目に迷いはなく、以前同様に見事な独裁者を演じている。

 もちろん、明野も仄火と同様に鹵獲ろかくなどされた場合どうする気だったのかと思わずにはいられなかったが、そんなことを考えるよりもいかにしてこれを使わずに作戦を組むか、これが重要だった。

 こんなものを使わざるを得ない局面があるなど、その時こそ世界の終わりかもしれないと考えながらも、どこか明野は楽観できない胸騒ぎを感じていた。そしてそれは現実となる。

 田中徳太郎が懐の端末から画像を表示して明野に見せる。それは有史以来人間が作り上げてきた兵器の中ではきっと最大級になるのではないだろうかと戦慄するのを隠し、明野はそれを田中一佐につき返した。


「――渡辺一尉、これは計画だけだったものだが、もしかしたら奴ら、作り上げているかもしれん」

「その時はその時。叩き潰すのみだ」


 明野は自分の直上で鈍い音を立てる縮退炉を見上げた。

 これが切り札になるなど、思いたくもない。けれどこれが切り札にならざるを得ない局面に必ず出会わされる。そんな時が来るとしたら得てして世界が終わるときくらいなのかもしれないが、どの道歓迎されるようなことではないのだけは確かだった。

 いざというときは、己を――







 明野たちが敵艦隊に襲撃されてから三日後の明朝、沖を走る小さな漁船がその瞬間を目撃した。


 巨大な威容を誇る、日本の国防の象徴とすら言えるだろう巨大なくろがねの城、今では後方基地となってしまったが、常にピリピリとした雰囲気が包み、その身に藻や苔などを張り付けることなく新品同様の姿をいまだ保っている。

 技術力の象徴であり、軍事力の象徴であり、防波堤であり、そして絶対の盾イージス


 男の日課は数分間だけ船を止めその威容を拝むことだった。これを続けるだけで力が湧き立つような気がして、釣果ちょうかがいつもの数倍にまで膨れ上がる――と男が錯覚しているだけなのだが、プラシーボ効果というやつは恐ろしい。

 今日も今日とて海上基地メガフロートを拝んでから漁船を進ませようとしていた男は、止めていた機関エンジンを動かそうとしてそう大きくもない漁船の中をのそのそと動いて動力に点火するボタンを何個も指さし確認しながら押して行った。

 次第に機関が熱を持っていく音、夏の終盤とはいえそれでも冷え込みの厳しいこの明け方の空のもと、始動して間もない機関の熱を受け取りながら男は漁の準備を急いだ。

 その作業の途中の強い光、陽光ともまた違った熱を持つその光は肌をチリチリと焼くようで妙な不快感を催す。その不快感といえば機関をヒーターに見立てるならば、その光はまるで溶鉱炉の中の融解した鉄のようで、耐えかねて男はそれを見た。見てしまったのだ。


 一筋の光が海上基地メガフロートを貫いていた。山吹色の光が一筋。極太のそれは、空から見なければわからないがまっすぐと海上基地メガフロートの真ん中を貫いている。

 しばらくして光が収まれば、やがて崩れるように爆発した。



『我々は海上自衛軍改革推進連盟“帝國軍”である』



 その日、帝國軍は表に姿を現した。







 帝國軍がテレビ放送をジャックしてから四日後のこと――


『では帝國軍と名乗るテロリストは第三十六女子前線艦艇科の反乱より以前から活動していたと――』

『――ですからねぇ、第三十六女子前線艦艇科の反乱は帝國軍による欺瞞だったと――』

『ですが駆逐艦艦隊を――』


 テレビ討論会と銘打たれたそれはすでに討論という形を捨てて其々(それぞれ)の好きなことを言い合うだけの会合になっていた。

 帝國軍に裏切られる形になったシンパも、東郷兵十狼派閥の有識者も、どちらもこの会合に意味が無いことを知っていた。いや、その意味は帝國軍シンパにとって政治的に不利になる事さえ彼らには分かっていた。


 要するに、一般に向けた演目ショーなのだ。我々はしっかりと話しあっている、帝國軍が悪であり第三十六女子前線艦艇科決戦艦隊が正しかったのだと突き付けるだけの、そう、ただのショーなのだ。

 故に帝國軍シンパは段々と勢力を弱めて行く。ここにおいて弁論などという物はそもそも成立しない。ただただ過失を、知りもせず知らされもしなかった事実を教えられるだけ。

 国賊と糾弾しなじった側が、今ここで売国奴と後ろ指を指され詰られる側になった。ただそれだけの意味しかなかったのだ、この場には。




「これだから男は――」

「愛華さん、そんなことを言ってはいけないと、いつも言っているでしょう?」


 とある部屋で女が毒づく様に討論番組を見下ろしていた。それを悲しいものを見るようにベッドに座る壮齢の女性は声を掛けた。


 男女の営みを否定するなどという愚を犯している。そう断ずるわけにはいかない過去を彼女は孕んでいる。故に男が嫌いだと言うことも知っているが、だからこそ女、西角にしずみ芳江よしえはそれを悲しく思っていた。

 いつの時代でも似た様なことはあった。だからこそ我慢しろなどというつもりはないが、だが男だから女だからという考え方はいけないと、そう考えていながらも行動に移せなかった。


 別に男女平等主義者ではないしそれが実現するなどとは考えてはいない。だが女性だから優遇されるべきだ、や男性だからどうだなどという事があればきっとそれは内輪でもめる原因になるだろう。そうでなくとも今だって散々優遇されている。それだけの権利を約束された中でそれ以上を求めることはきっと傲慢なのだろう。

 なぜなら、権利を約束されると言うことはそれと同等の義務、ないしは責任を果たすことを課せられているからだ。それを、目の前の彼女は理解していないのだろう。


「だけどおばあちゃん――!」


 激昂した様に尚も食い下がる孫に何と言葉を返せばいいのか思案しながら、そのとき不意に討論番組のあの煩く野太い騒音が消えて静寂が部屋を包んだ。

 テレビの電源が落ちたわけでもなければ女、芳江の耳が難聴になったわけではない。実年齢は(・・・・)兎も角として肉体年齢は・・・・・まだ・・六十代だ。健康診断でも健康だとお墨付きをもらっている。では何か?


 テレビには軍服調の制服を着用した少女が映っていた。


 テレビ番組の延長というわけではあるまい。では何か?帝國軍とやらが全国のテレビ放送主要全チャンネル帯をジャック出来たのだから、それなりの設備とそれを可能にする人間がいれば同じことが出来るだろう。そう、これまで表向き沈黙を保ってきた第三十六女子前線艦艇科決戦艦隊が、ついに行動に移して来たということだろう。

 その真意を推し量ることなどできはしなかったが、それもこの後の内容によって示されることだろう。


 本当に彼女達は裏切ったのか、それとも已むに已まれぬ理由があってのことなのか。そうだとして今更どうしたと言うのか。きっと彼女達は大人達の思いもよらないことを仕出かしてくれるに違いない。そう感じさせてくれる何かを、彼女たちからは感じられたのだ。

 追撃艦隊を航行能力のみを奪って回遊。それだけでもどれほど辛いのか、芳江には窺い知ることもできはしない遥か遠いところでの話だったが、それほど善良な指揮官であるならば、きっと何かをやってくれるに違いないという希望があった。少なくともおかでどうのこうの言いあっているだけの彼らとは違って。


『我々は第三十六女子前線艦艇科決戦艦隊、今現在は旧艦隊名である三十六艦隊を呼称している。私は艦隊司令官渡辺明野一等海尉だ――今回このような暴挙に及んだこと、疑問に思う人も多いだろうとは思うが、出来れば静かに聞いて頂きたい』


 初っ端からのこれである。敬語を使う気があるのかないのか分からないが、恐らく使う気はないのだろう。

 あくまでも国賊らしく、出来るだけ取り繕った言い方を避けたい、そういうことだと考えられる人間がどれほどいることか分からないが、これを聞いた者の多くはきっと“偉そうな娘”や“時代錯誤的”といった言葉を思い浮かべるだろう。他ならぬ西角芳江本人がそう感じているのだから今時の子供や大人がどう考えるかなど自ずと知れると言う物。


 一拍。


 間をおいたのは彼女が呼気を整えるためか、それともこの放送を見ている者にこれが現実だとすりこむためか、恐らく後者だろうとは思うが、そうまでして話したいこととは何か。

 帝國軍を倒すと言うだけではないだろう。それならばこんな勿体つけた場を設けるよりも彼女の性格的には率直に言ってしまった方がいくらか楽だ。そうしない理由とは、すなわち何か他に伝えたい物事があると言うこと。

 停滞してこごってしまったこの国を変えようとしているのは分かる。ただ言葉だけで動くほど、国というのは簡単ではない。ではどうするのか――女、芳江は密かに期待した。


『先日の帝國軍の宣戦布告によって東京大学、慶応大学、防衛大学沖縄キャンパス、網走あばしり海上基地が砲撃を受けたと聞く――すまない、訂正だ。今さっき通信手が捉えた情報によると呉港湾内海上基地メガフロートが砲撃を受けたようだ』


 家の外、道を行く通行人の驚愕の声が聞こえることから、都市部ではさらなる動揺が広がっていることだろう。だがそんなことお構いなしに少女、渡辺明野は宣告するように、もしくは報告でもするように淡々と言葉を紡いでいく。

 その有様はまるで聖書や仏典を読む修行者のようでいて、ある種の神秘性を感じさせる。先日の帝國軍の獣性を曝け出すかのような放送とは180度違い、神秘的な雰囲気を感じさせる。


『これらの砲撃によって数万人規模で被害が出ている。これを受けて我々三十六艦隊は帝國軍への攻撃を開始しようと思う、だが一つだけ言っておくべきことがある。我々全体の思想は帝國軍と概ね同じものであることだ』


 帝國軍と思想は同じだと言うのに、攻撃すると言うのか。何たる矛盾、思想が同じであるならば合流すればいいものを、まさか帝國軍が邪魔になったからというわけでもあるまい。それならばそもそもこんな場を用意する必要が無い。


「自分たちがテロ起こすのに邪魔になったってだけじゃない。馬鹿じゃないのこの。これだから子供は――」

「静かになさい。彼女は、きっともっと大きなことを言うわよ」


 孫のこの言葉は、芳江に強い言葉を言わせるのには十分だった。次代を生もうともせず、ただ好き勝手騒いできただけの人間に、それ以上言わせることは許さない。

 少なくとも、芳江が見るに彼女達は最近のキィキィ煩いだけの女性ではない。逆によく考え吟味ぎんみしたうえでそれを発している。女性が働けないと言って社会や雇用者側のせいにして自分達は何も、言ってきたことの責任すら果たさずに増長しているだけ。そんな人間に、深くモノを考えて来た者を貶すことは許されない。

 いや、貶される覚悟も持っているのだろう。何かを言うならその何かを貶される覚悟も持ち合わせている筈だ。行動に責任が伴うことも、何もかも許容しているから彼女は立っている。

 であるなら、なるほど艦隊の司令官としては若くとも十分な資質を持っているのではないか。

 最近の防衛大学卒業者だからと増長する似非えせ官僚などにはみられない、本当の意味で指導者として正しい人間だ。


「分からないじゃないの!子供に一つの艦隊を任せるから、こうやってテロを起こすのよ!」

「自衛軍の女性参画を騒いだのは貴方達でしょう!自分の言ったことに、責任を持ちなさい!」

「――――――――――――っ!」


 こうまで言われては、孫娘、西角愛華としても黙るしかない。そう、騒いだのは間違いなく彼女たちだ。不平等だの女性が軽んじられているなど、好き勝手なことを言って、ここ最近ではとにかく自分に気に食わない男がいれば痴漢だのと言って通報する輩も増えているようだ。


 全て愛華達女性未来の会のやって来たことだった。無思慮に、無配慮に何処までも増長して行った。その先がこれなのだと、そう分からせる必要があったのだろう。それを愛華よりも若い彼女に任せることに一定の罪悪感はあったが、同時に感謝もしている。きっと彼女たちが日本の今の社会を変えてくれる筈だと、そう漠然と信じられる何かを持っている。


『あぁ、勘違いしないでもらいたいが、だからと言って革命を起こそうなどという気は毛頭ない。紛らわしい言い方をした事は謝る。

 ニュースで聞いて皆も知っていると思うが、我々の旗艦大和改は改修された。その期間二カ月だ。我々はその間何度か上陸したのだが、帝國軍の思想には大分共感できた』


 なるほど。それだけの時間があれば嫌でも日本の歪みを理解出来るだろう。世界的に発展している小さな大国の根元に巣食うその歪みに。

 なまじ国賊としてつまはじきにされているから、内部ではなく外側から見れたのだろう。だとしたらその結論は確実に正しいものと言えよう。何が正しいのかの定義は置いておくとしても。

 そう、帝國軍の思想に共感を得ていると言うことはそういうことだ。帝國軍もやり方は過激の一言に尽きるが、言っていることやっている事は正論だ。その過激さが無ければ問題なく一つの意見として聞く耳を持って貰えたかもしれない。


『女性が増長している、確かにその通りだった。街中歩けば男女間での諍いなど日常茶飯事だったし不当な理由で警察にしょっ引かれる人も少なくはなかった――そんな女性たちに問うが、楽しいか?』


 三十六艦隊というのは、恐らく帝國軍と鏡合わせの関係なのだろう。帝國軍が強行的な組織なのに対して、こちらは比較的穏健だ。

 ほんの少しでも辿る道筋が、そうでなくとも彼女達の不信を煽る様なことが起こっていれば、きっと彼女達は帝國軍とは違うアプローチで、帝國軍と同様のことを起こしたに違いない。それは改修された大和改の姿を見れば明らかだ。

 世界を探しても見られないこれほどの巨艦を欲に眩まずに彼女達は御して見せている。であるならば、信じるよりほかにないだろう。その上で戦うと、言っているのだから。


『一言差別だと騒げば世の中がそれに合わせて変わってくれるなどとは思っているまいな? そんなことを続けていれば遅からず社会はもちろんのこと男性からも愛想を尽かされることになるだろう。たとえばここ最近国会でも取り上げられているらしい配偶者控除とやらだが、一つ賢いやり方があるぞ?』


 ついに敬語を使わなくなった。それほど頭にきていると言うことか、それともそんな輩に敬意を払う必要はないと言うことか。恐らく後者だろうが、孫娘がそれに気が付いているか、だがこれでも理解出来ないようであれば、その時は――


『――離婚してしまえばいい。そうすればお前達の言うような控除金を得るためにシフトを減らすことなく好きなだけ働ける。バイトやパートの給金を千八十円と仮定した場合、短中期的に見れば控除金を軽く超す金銭を稼げる。その方がお前達の要望に沿っているのではないか?』


 まったくもってその通り。控除金を得るために仕事を減らすのならば、それでは本末転倒。それならば財産共有などしなければいい。その方がよほど為になるだろう。

 もちろん、国から支給されるお金であれば働かずに手に入るお金である以上眩んでしまうのも分かるが、ほんの一手間二手間かければそれ以上に稼げるのだ。それだけの機会がある。

 そもそも、バブル経済が崩壊した時、どうしても女でも働かなくてはならなくなった。その時に一部が騒ぎ、その騒ぎと政治家の思惑と利害が一致したからこそ可決された。それを更に増やせと言うのであれば、その分働けば良い。そもそもそのお金だって、自分や他人の税金から賄われているのだから。


 芳江が思うに、最近の女性は卑屈なのではないか?卑屈なくせに増長している、というのも矛盾しているが、けれどそうとしか表現しようがない。

 自分は女だから、その卑屈さに甘えて増長しているのだ。確かに世の中、ドラマに登場する様ないけすかない上司というのはいくらでもいるものだが、目の前の孫娘を含む彼女達のげんは、それらに負けずに生きている女性に対する、侮辱なのではないだろうか。増上慢ぞうじょうまんはなはだしい。


『そもそもお前達は、差別されていると言っておきながら自分たちから差別を生み出しているのではないか? 自分達の方から劣っていると考えているのではないか? 何を指して差別という? そもそもお前たちが強要するレディーファーストとやらは、もともとの意味はさておくとして、強要して“そうさせる”物ではないだろう。それを以てしても差別であると言うなら、まずはこれまでに施行されてきた各種憲法、条例を破棄するということに他ならん。それが、真に男女平等と云うものだ』


 きっと今頃インターネットでは何を言っているのか分からないだの、そう言った内容が掲示板に大量に書き込まれていることだろう。想像したくないことであるが、言葉で変わるのなら人間は戦争など起こさなかっただろう。きっと変えられる者は極小人数だ。だが明野は、若い艦隊司令はきっとそれでいいのだろう。自分の思ったこと、艦隊の総意を伝える、その為の器なのだ。

 だから、本当はこれに意味など無かったのだろう。変わってくれればいいと言う、そういう希望なのだ。


『他の事にしたってそうだ。熊や野犬、害鳥や害獣を殺した市の職員や猟友会をこき下ろす人間も、それをして動物愛護だと恥も知らずに高説垂れる学生、歩行者天国で銃を乱射したヤクザを許せと被害者を脅す沙汰に無関係の偽善者ども――なぁ、何か履き違えていないか?』


 最近何かと話題になっている。

 人に怪我を負わせた野犬を撃ち殺した警官の一族郎党を皆殺しにして英雄と持てはやされる人間がいれば、熊によって殺された住民の事より熊のことを心配する自称動物愛護論者、加害者を許せと叫ぶ自称人権論者がいくらだっている。酷い時は自衛軍をこき下ろすマスメディアもいる。守られているのがどちらかも知らない、分からない人間達が。

 それが全部ではないにしろ、多くなってきているのは確かなことだった。そしてそれに面白半分なのか本気なのか、賛同する人間がいる。


『なるほど確かに犬猫などの一部の動物は我々よりも弱い。動物を守ることもまた正しいだろう。犯罪者を許す心を持っていることもまた素晴らしいと言える。だが最近のお前達は履き違えている。動物を殺すことは確かに悪いことだろう――それはお前たちが一度も、動物に噛まれたことが無いからだろう?特に都市部に住んでいる、動物など野良猫や飼い犬しか見たことのない者だ』


 また断定する様な口調。ただ一部の者にはそれが当てはまることだろう。誰だって目の前で痛みに喘ぐ人を見てその痛みに共感しろと言われたところで共感出来ないことと同様の理屈だ。ただそれを入れても十分にそれは極論だ。

 先ほど同様の極論を出すならば、納得できる結論を出せなければ誰も聞こうとはしないだろう。どう繋げていくつもりか。

 孫娘はすでに消沈し、呆然とテレビの画面を見上げている。これ以上の追い打ちが必要かどうか判断に迷うが、少なくとも覚悟は本物だ。見届けるのはやぶさかではない。いや、魅せて欲しい。今の日本に必要な、日本一の馬鹿の言葉を。


『動物を守るべきだと言うのももっともだが、何でもかんでも守ればいいのではない。限度がある。何処までが限度なのかを、理解する必要がある。

 最近の話だが、確か一部では動物園の動物を自然に返せと叫んでいる者たちがいるそうだ。だが良く考えても見ろ。牙を抜かれ、爪の丸くなった動物たちを自然に帰したところで自然は厳しい。狩りの仕方を知らない動物たちはあっという間に野たれ死ぬだろう。そしてそういう時、お前たちは決まってこういう――体制側が彼らを保護しなかったからだと。ふざけるのも大概にしろ』


 女性の権利云々も、動物愛護も、そして犯罪者を過度に擁護する人権論者も、皆ひとくくりなのだろう。力の向きが違うだけで、言っている内容に差異は無いのがよく分かる。

 周りを見渡せばこういうのはいくらでもあるだろう。

 金を巻き上げるだけで自身の責任を果たそうともしない新興宗教、人を救おうとする意思は本物でも結局行き場を間違えた宗教者も、正義の名の下に無実の者を犯罪者に仕立て上げる腐敗した警察官僚も、教育者であることを傘に不道徳を働く者も、大義を掲げながらもテロリズムにしか変革を見出せない変革者テロリストもやっていることは皆同じだ。


『同じことが犯罪者を擁護する立場にも言えるだろう。弁護士は兎も角として、何故沙汰にまったくの無関係の一般市民が、被害者を恐喝する? 加害者を裁定するのは裁判官たちの役割で、被害者が真に被害者であるかを調べるのは警察の役割で、お前たちの仕事ではない。警察にも、自衛軍にも、そしてお前たちにも、犯罪者を裁く権利はない。

 やれテロリストを解放しろ、やれ重犯罪者を釈放せよ、やれバイオテロを起こそうとした研究者を解放せよ、聖者せいじゃになるのがそれほどまでに楽しいか?』


 聖者になる、というのともまた違う。どちらかと言えば酔っていると言った方が正しいか。

 テロリスト達、反社会的な人間に慈悲を示す自分はなんて素晴らしいのだろうか――そういう自己愛が織りなす、自己愛の世界。そもそも心を入れ替えてくれることなど求めてはいない。いや、中には求めている人間もいるのだろうが、自身の人徳も見せられぬ者が対岸でいくら吠えていようと、一度罪を犯してでも渇望(想い)を押し通そうとした者たちに届く筈が無い。


 渇望の密度が純粋に違うのだ。たとえ狂ってでも目的を達しようと考える者たちと、何の覚悟も無しに吠える人間達の言葉の重さが同一である物か。であるならば対岸から吠える言葉に、人一人を変える力はない。


『山本英機中将が言った様に、確かに今の日本は学歴社会であるし、その弱点は如実に表れている。一流大学卒の正社員の癖にバイトやパートに劣る人間がいれば、教育者にあるまじき行為を行う教員もいる。学習指導要領カリキュラムに着いていけない学生を不良と決めつけ退学に追い込む学校もある』


 最近ニュースでもよく耳にする言葉だ。どれも身近だからこそ現実味を覚えやすいだろう。こんな実年齢100過ぎのばばあでさえも間違っていると思うくらいなのだから、それに煮え湯を飲まされて泣いて夜を過ごした者も数多くいるだろう。

 どの道戦うしかない。戦わなくては変えられないのだから。帝國軍のように、非合法つ卑怯な戦いではなく、相手と同じ土俵で戦い引きずりおろす。それしかない。酷な話であるが、社会というルールに従ったうえで戦わなくては、勝てる戦いも勝てない。勝ったとしてもまた別の誰かに糾弾されてしまうだろう。


 そう、ごく普通のことを述べている。言うだけなら簡単なことを、この場で言っている。何も難しいことではない。簡単だ。簡単だからこそ難しい。決死の決意を以て挑むからこそ大言壮語とは言わせない。これから巨悪と呼ばれる物に立ち向かうからこそ、自身が先頭に立ちその背中を見せていかなければならないからこそ、人として当然のことを言っている。

 究極に近くなればなるほど形容する言葉は陳腐となっていく。いくらでも言葉を飾れるうちは、きっと真意ではない。それを飾らない言葉で直接伝える彼女は、政治家としては落第点もいいところだろうが、本気は伝わってくる。まあ本気だからと言って人と為りが一致しているかどうかは一考の余地があるが。


『確かに間違っているだろう。だが間違っていると思うのなら行動で示せ。成績不振を口実に詰られるなら是が非でも成績を上げて見せろ。よくわからん理由で退学させられたならとことんまで食い下がって見せろ。威張り散らすだけで能力のない人間がいるならこき下ろせ。何のためにこれまで生きて来たか!』


 だが正論だ。なかなかに演説能力はある。これでも分からない者はきっと問題に直面しない限りは言葉の意味を理解することは出来ないだろう。だったらその人はそれでいいだろう。ついていけないのなら無理して着いて行かせる必要はない。問題に直面するまで、安穏とさせておけばいい。


 戦うしかない。自分から行動に移さなければ世界はどうしたって変わらないのだから。

 インターネット掲示板やメール越しに『自分ならこうする』や『自分の方がましだ』という発言の何が世界を変えられるだろうか。それに足る証拠を見せろ。それで自分の周りの世界を変えて見せろ。それが出来るなら、考えても構わないだろう。

 闘わなくては、そう、戦わなくては世界は変わらないのだ。ならば私も――

 芳江は孫娘である愛華に自分の隣に座ることを促した。


『故に、闘え。世界は我々の知らない場所で常に我々を殺そうと動いている。その分かりやすい例が帝國軍と言うだけで、そら、たとえばこの前逮捕された外人の男だが、奴はCIAのスパイだ。もしかすれば、お前たちが普段笑顔で挨拶したりすれ違ったりする外人がスパイかもしれん。日本国内で内紛を起こそうと画策する者かもしれん。そんな奴らに自分達の、国の未来を決められて楽しいか?嬉しいのか?悔しいと思うのなら闘え!その為の、国防の為の盾が我々なのだ!』


 国防の盾、あくまでも自衛のためと言い切るか。安倍修三の目指す『強い日本パクス・ジパング』を根底から覆す考え方であるが、戦争に積極的にかかわっていくよりも、降りかかる火の粉だけを払えばいい。あくまでも中立に。

 国を支えるために自作自演マッチポンプに興じて、自国こそ世界の警察と自称するような、そんな愚かな国になるよりよほどいいだろう。


 今も中東や南米の情勢が不安定なのも、平成の時代のトランプ政権がいろいろやらかしたことが原因だ。

 人種の壁と俗に呼ばれる、ベルリンの壁を模した最悪の壁と、それによる本格的な人種差別の過激化、黒人の南側への強制退去に、あぶれた黒人は収容所で銃殺された。

 国力は疲弊し純粋な白人とやらを移民に頼るしかなくなったというのに移民政策を破棄、移民禁止法を可決し、禁止法改正・改定することの一切を禁止、違法行為として死刑が制定された。


 端的に言って、今の安部政権は過去のアメリカが辿った道を歩もうとしている。ネットでごちゃごちゃ言うだけの、何もやれないだけの若者では、どうしようも出来ない。そういう意味では確かに帝國軍のやっている事は間違ってはいない。

 だがそれではだめなのだ。それでは政治に対して、外側・・に対して興味を持てなくなってしまう。先ほどから彼女が言うとおり、過去女性の有識者インテリゲンツィアが発言することに消極的になってきたことと同様かそれ以上の地獄絵図が広がることになる。


 政治とは、左巻きの思想と右巻きの思想とのせめぎ合いの場だ。外側を知り、立場と立場のパワーバランスを取りながら、国を、自分達の人生を左右する重要な場なのだ。

 その外側に目を向けることに消極的になったのが今の若者なのだから。その消極性が故に、責任の下に自身が選んだ政治家をただ批判するだけの無能が生まれている。

 政治家を選ぶこと、政治家になることには多大な責任が生まれると言うことを、外側に自ら関わっていかなければならないのだ。政治を知ること、政治に関わること、それら全てに関係ないとシラを切ることは許されないのだからこそ。


『自衛軍が守るのは国民の家屋でも、ましてや保有している財産でもない。日本国の国土と、日本国国民の生命いのちという財産だ。故に、勘違いしないで欲しい。我々が戦うのは日本の、日本国国民の脅威であるからだ――人に言わせれば私は馬鹿なのかもしれないし、もっと賢いやり方があることだろう。だが私は、お前達の様な頭の良いふりをしている、自身の愚かさを理解できない様な人間で居たくはない。それなら私は、我々は馬鹿でいい……』


 ここまで言い切った上でそれでも自分を馬鹿と罵るか。いや、その程度が良いのかもしれない。馬鹿なのは間違いないが、他人が馬鹿と罵ることは出来ない。それは彼女が言った自身の愚かさを理解できないと言うことそのものの筈だから。


 そう、愚かだ。自身が一番頭が良いと言う風に見栄を張っている癖して、いざとなれば何もできない。

 難しい言葉を並べたてるだけで責任を果たそうともしない、あまつさえその責任を部下に擦り付けて生き残ろうとする政治家、意志薄弱に流されるだけ流された癖に文句を言うしか能のない若者、政治家を選ぶと言うことの責任を理解せず感情的になって何も考えず無責任に政治家を選ぶ有権者――そう、愚かなのだ。

 言ったことには必ず責任が付いて回る。だからこそ生半可な覚悟でモノを言ってはいけないのだ。それを、知る必要がある。


『――我々はそんな世界を守っているのではない。故に、現時刻を以て我々三十六艦隊は日本国の国防の職務に復帰、帝國軍を排除する。重ねて言うが、これは我々が彼らを打倒すべきだと判断したから打倒するのだ。断じて、変わることを忌避する貴様たちの為ではない――以上だ』


 結局行きつく先は同じだろうと、そこに込められた意味合いは大きく違う。変わることを忌避し、旧態依然と無気力無精力に生きて行く者の為ではないと。そう、自分で自分の人生の為に戦う者の為に、守ると言うのだ。

 彼女はまさしく正義だ。善悪二元論で語れる話ではないが、少なくとも目的意識を持って生きている彼ないし彼女たちにとっては、間違いなく正義だ。


 大学への進学を諦め働き始めた者、医療に携わって出来るだけ多くの命を救いたいと医局に進んだ者、他国の戦争の事情を知っていながらも激戦区のPMSCsに就職した者、親の借金を払うために水商売に就いた者、高卒や中卒でもやるべき事を見出した者。そんな彼彼女たちにとっては間違いなく正義だ。

 なぜなら、そんな彼らは自分が何をするべきかを理解している。その上で自分がやれること、やるべきことを与えられた自由の中から取捨選択して生きている。それが彼らの真実だ。


 一流大学を出た、確かにすばらしい経歴だろう。それを誇るのも、結局は個人の人徳だと言われればそれまでだ。だがそれだけでは推し量れない物が存在する。

 弁護士だ判事だ、確かに大学に行かなければなれない職種があることは否定しない。けれど学歴を誇るばかりで何もできない、責任を知らない人間にはなっていないか。本当に知恵のある者は、己がいかに無力で、己が如何に愚かなのかを知っている者は、決してそれを鼻に掛けることはないのだから。


『――ん?……すでにインターネット掲示板で好き勝手なことを言っているようだが、一応言っておく――おい、ネット掲示板でしか騒げない馬鹿ものども。お前達、ここに発言したことすべて実行できるのだろうな?出来るのなら行動で示して見せろ。どうせ何もできやしないだろうがな』


 何も出来やしないとはいうが、中には出来る者もいる。一体どんな内容が書かれていたのか、そんな物知りたくもないがきっと碌な事が書かれていないことだろう。それをして、やれるのならやって見せろと言う。

 ニートや社会不適合者、暇を明かしたサラリーマン、もしくは学生だっているかもしれない。そんな彼らが勢いに乗って言っているだけの言葉が、実現出来ようはずもない。出来るのならとっくの昔に日本は滅びていただろう。そしてこれを聞いてさえ、言葉の重みを理解できない人がいるのかと思えば、芳江は泣きたい気分になった。


 言葉は重い。責任と義務が伴う、人間の生み出したコミュニケーションの手段であり、それは人一人を容易く殺すことのできる魔力を秘めている。昔の人はこれを言霊ことだまと呼んだ。

 それだけの力を持つ言葉を何故そうも無思慮に使えるのだろうか。もうすでに、我々が思い描いていた様な明日は来ないのだと、何故理解できないのか。

 大学を含めた教育機関が通常に動いているから?役所が平常運転だから?電車がダイヤグラムを乱す事無く動いているから?それとも――目に見えて異常事態が発生していないから?


 だとしたらどれほど愚かなのか。いつまでもいつまでも、同じ時間は流れない。同じ明日・・・・は来ない。そして今日、いや帝國軍が放送電波をジャックした日から、この日本はすでに日常という円環ダイヤから外れたのだ。それを理解しなければ、この日本に明日は来ない。日の出を見ることは叶わないのだ。

 故に――


「――愛華さん。……もう、終わりにしましょう。終わったんですよ、女性未来の会も、戦争を厭う会も――――そう、終わったんですよ」

「――男なんて、男なんてただ薄汚いだけじゃない!ちょっとでも気を許せば人の身体をじろじろと舐めまわして――ちょっといい大学出ているからって、ちょっと職業適性値が高いからって、ちょっとTOEICの結果が良かったからって――――うぅ………………」


 ヒステリックに叫ぶだけ叫ぶと、だんだんと嗚咽おえつをかみ殺す余裕もなくなってきたと見えて愛華は泣いてしまった。


 父親と母親を事故で一気になくし、祖母(芳江)の年金とコールドスリープ事故の慰謝料、加害者男性から慰謝料とは別に月にいくらと封筒で渡される金銭が芳江と彼女の細い命の線をつないでいた。

 必然的に、大学進学に回す金銭の余裕はない。学資保険やら奨学金やらを受け取ろうにも、そうまで生活を圧迫してまで通おうとは思わなんだ。だから彼女は高校卒業と同時に就職活動を始め、一日に三件アルバイトを掛け持ちして生活の糧を得て居たのだ。


 就職が決まり、一定の収入が安定して得られるようになると、今度は高卒で大卒よりも仕事のできる彼女をひがむ連中が現れるようになった。

 ことさらに一流大学や資格の有無を強調し、立場的に目上の人間であったこともあって何も文句を言えないのをいいことに付きまとい、言葉で彼女の心を疲弊させていった。やがて彼女は精神を病んだ。

 彼女は軽度のパニック障害とうつ病を併発した。いまでも向精神薬は手放せないし、一度でもヒートアップすれば止まれなくなった。彼女のブレーキが崩壊した。


 コールドスリープから目覚めた者たちを中心にした集い、戦争を厭う会を女性未来の会として、それまで中心だった老人たちからの支持を集めながら、着実に勢力を拡大していた。

 けれどそれももう終わりだ。これ以上は無意味だ。もう一度、やり直さなければならない。その機会を、たった今、与えられたばかりなのだから。


「愛華さん、世の中にはいろんな人がいるんです。私みたいに、第二次日中戦争を体験した人もいれば、その経験を生かして曹士から少佐にまで上り詰めた人もいる。彼女みたいに、自分の答えを見つけて自分の死に場所を決めた人がいる。もちろん愛華さんの言う様な人が沢山いることは否定しないわ。けれど、もっと大きく見ましょう。世界は愛華さんの思うよりももっともっと壮大で、もっともっと雄大なのだから」

「――おばあちゃんも、答えを見つけたの?」


 己の胸に抱く彼女の体温を感じながら、いつの間にかこれほどの時間が過ぎ去っていたのだなと、改めて再認識する。前安倍政権がやったことは確かに許せないが、けれど今この瞬間だけはコールドスリープしてくれてよかったと芳江は思った。

 ただ口封じのために、けれど殺すわけにはいかないから精神療養とやらの名目で多くの戦争体験者がコールドスリープ装置に押し込まれた。そのうち三割は帰らぬ人となったし、一部はコールドスリープが不十分で早期に目が覚めた人もいる。それが今現在国内外の軍関係者に“少佐”と恐れられている人物だ。

 そういういやな時代を体験しながらも、生まれてきた命がある。それだけで生きてきた意味があるというもの。


 誰かを愛し、愛し合ったから子を産んだ。

 誰かを守りたいからともに従軍した。

 誰かのために冷凍睡眠を受け入れた。

 誰かが呼び戻してくれたから、目覚めることが出来た。

 誰かが戦争を伝えなければいけないと、それに賛同してくれたから戦争を伝えてこれた。

 子が子を産んでくれたから、孫に出会えた。

 そういう人の営みの連鎖が、今ここに集約している。そしてこれからも、連綿と続いていくのだ。


「えぇ。だって、ここにその答えがいるのだから。あつしさんも明梨あかりも事故で居なくなってしまったし、おじいさんもコールドスリープ事故でもういないわ。だけどそんな皆のおかげで生まれて来た命があるわ。これ以上の答えがあるかしら?」

「――――――――――おばあちゃん、御免なさい」


 泣きながら、彼女は祖母(芳江)にすがりついていた。芳江はそれを柔らかな笑みで迎えて居た。



「何あの女、いけ好かない」

「てか何よ、結婚なんてするつもりないしぃ」

「結婚するにしたってイケメン以外となんて死んでもやだしねぇ」


 渋谷のど真ん中、放送直後の静まり返った街中、車のアイドリング音が響く中、高校生くらいの彼女たちはいつものグループを形成して固まっていた。

 やがて街が動き出すと、彼女たちの言葉は雑踏の中に紛れた。


 とはいっても、先ほどの放送を気にしていない人間は少なくなかった。皆何かしら共感を得られるところ、実際に目撃したもの、それらの経験が彼、彼女たちに何かを変えるような、そんな風を送り込んでいたのだ。

 この期に及んで気にしないでいられる人間はよほど神経が図太いのか、それとも先ほど放送で彼女が言っていたような自己中心的かつ自己愛的フェミニストな人間なのか、そのどちらかだった。

 そして彼女、海崎かいざき暁美あけみは放心したようにテレビ討論会場が映し出された街頭テレビを見つめながら、明野の言っていたことに共感を得て居た。


「どうなのよ、あんたは」

「私――――――――」

「ん?」

「私、あの人の言うこと、凄くよくわかったかも」

「はぁ?」


 もともと昔からいじめられっ子だったのが、アニメやマンガみたいに一念発起しただけで社交的になれるはずもない。もしそうなら虐められる方ではなく虐める側に回っている。

 だからこそ、良く分かった。きっと社会的、肉体的強者には分かるまい。なぜなら一度も挫折したことがないからだ。いや躓くことくらいはあっただろう。けれどその躓いた内容なかみを理解しないままに育ってきた人間が、分かるはずもない。


 たとえ孤独になろうとも、戦わなければ変えることはできない。それが答えだ。戦うことをやめて流されるだけを看過するのなら、それは生きる意味がない。理不尽に嘆くのなら、泣くよりも先に戦うしかない。

 都合の良い妄想テロリズムや大義名分を掲げるだけの偽善者なんかでは、誰か他人では変えられないのだ。変えたければまず自分から、自発的に動かなければならない。

 だからこそ――


「御免なさい。やっぱり私と貴方達とは違うから、お人形役は他の人にお願いして貰えるかしら?」


 まずは目の前の問題と戦うために、海崎暁美は踵を返して渋谷の雑踏の中に紛れ込んだ。残されたのは高校生くらいの彼女たち。学校内ではいわゆるおつぼね様のような立ち位置にいる、屍と傀儡人間(マネキン)の山の孤独な主。


 初めての反抗、とはいえやることなど最初から決まっている。来るもの拒まず、去る者には若い身空でも思いつく限りの残虐で最も酷薄な粛清を。

 己の支配欲を満たすためなら金策だろうと情報源だろうと、己が身を差し出すことに忌避感を抱くことなくやってのけた彼女たちにとって、こんなもの歯止めすらならない。

 この世には悪い意味で人を率いることが出来るものが、明野とは対極的なカリスマ性を持つ人間がいるのだ。決して万人受けはしないだろう独裁者としての資質を持つ者。それが彼女たちだった。


「あ、ちょっと!」

「何あの

「感じ悪い――あ、今度あの子標的ターゲットにする?」

「いいねぇそれぇ」


 やがて彼女たちも周囲の雑踏に紛れてしまった。彼女たちもまた、結局のところちっぽけな存在に過ぎないのだと言わんばかりに――







 巨大すぎるほどの画面のテレビが一瞬暗転すると、元の番組に戻り、やがて彼はテレビのリモコンを手にとってテレビの電源を切った。


「――明野……」

「――お義母かあさん、きっと帰ってきますよ。彼女なら、そう、きっと……ちょっと電話してきますね」

「えぇ、聞かれて困るお話ならそこを出て右に進んで25メートル進んだところの壁を左側に進むとかわやがあるから、そこに入らずに左側に通り過ぎてしばらく行くと右手に庭が見えますので、庭に下りずに左手側を向くと襖が見えますのでそこに入って真ん中の畳を開くと一体化されている地下壕への入り口の第一関門中の第十関門に出ますので、そこを通り過ぎてもともとお手洗いだったところの真上にある脚立を上り、この部屋から見て北側のお庭に出たら目の前に見える離れの貴賓室にある隠し部屋の真下に位置する本当の隠し部屋にある地下牢の――」

「道順は覚えてますので!はい!」


 やたらと長い道順の説明にうんざりしたような表情をすると、彼は襖をあけて十分間屋敷の中で迷った挙句、適当な部屋に入った。

 暗くまともな明かり取りさえされていない。かつて明野が閉じ込められていた物置部屋、と言うにはあまりに広い部屋。明野にばれないように別の場所を物置としたために物置部屋という印象は受けないが、義兄の説明を真に受けるとしたらば間違いなくここは彼女が十年間を過ごした物置部屋なのだろう。


 義兄である暁に頼んで無理やりモニターに登録させて手に入れたウェアラブル端末の電源を入れると、Torトーアをインストールして設定を細かく変更しながら端末情報を暗号化してDEEPwebに潜り込んだ。

 目的の情報を見つけると、端末の電源を一度落としてから再起動。流れるような動作で捨てアカウントを作り、端末情報をCIA紛争調停部の紛争調停人のアドレスに書き換えてから電話をかける。ここまでに五分とかかっていない。


『はいは~い』

「“玄武”ですか?相も変わらずボイスチェンジャーを使用しているようですが、どうやら明野よりも年下の女の子、だったようですね」

『そんな事を話すために電話かけてきたんじゃないだろ、東風谷・・・永治君・・・?』


 飄々(ひょうひょう)と話す内容は世間話でもしているかのようだというのに、この圧迫感。ここを通り過ぎる人間がいなかったことが彼にとって最も幸運だったことだろうか。

 ボイスチェンジャーのはずされた、あまりうるさくない程度のソプラノボイス。耳触りの良さを感じながらも、彼は己の最も大切な者のために小を見捨てる覚悟を決めた。


「さすがは、裏世界最強。この程度では歯止めにもなりませんか」

『詳しい人なら一発で端末情報を抜きとれるだろうね――それで?僕に電話してきたってことは、殺しの依頼かな?それとも……』

「それとも、のほうですよ――貴女に依頼したい」

『ふ~ん。君にはこの前も協力してあげたばかりだよねぇ?可及的速やかにというから一分で日本からタジキスタンまで向かったっていうのに、二度目三度目の依頼となるとちょっとなぁ~』

「――貴女確か、佐世保海上基地メガフロート司令官である加藤三郎一等海佐に何やら頼みごとをされていたようですよね」


 空気が変わった。ビンゴだ。

 義兄を無理やりに酔わせて情報を聞き出した甲斐があったというもの。これだけの情報があれば、依頼料は必要ないだろう。公安に睨まれるか睨まれないかのギリギリのラインを綱渡りして手に入れてきた情報なのだから。


『…………君は本当に、耳が良いね――それで?そういうってことは、僕が求めている情報を持っている、とでもいうつもりかい?』

「えぇ。それもとびっきりの大スキャンダルを、ね」

『―――――――良いよ、その話乗った。じゃあ僕はその情報と引き換えに、君の大事な大事な婚約者(お姫様)を守ればいいんだね?』

「はいそうです。彼女は、僕のとても大切な人なので。それこそ、世界を滅ぼしてでも守りたいくらい……ね」

『趣味悪いね。でもまぁ――そういうの嫌いじゃないよ。愛する人がいるというのは素晴らしいことだと、僕も思うから』

「ふふっ、それじゃあ料金は先払いで、貴女の端末に送っておきますね」

『毎度ありがとう。まぁ、僕に任せておきなよ』


 ブツリと切れたのを最後に、ウェアラブル端末の電源を落とすと彼は襖をあけて義母の居る居間に向かう。

 祖父に当たる、子供のころから可愛がってくれた東郷兵十狼に無理を言って加藤一佐や義兄である渡辺暁一佐を動かしてまで手助けしてきた。最後の締めに自爆することも織り込み済みだ。だが、自爆だけは許さない。もう、あんな思いはさせたくなかった。

 若干病んでいることは自覚しつつも、彼はただもうあの無力を繰り返したくなかった。そのために、利用できるものを最大限に利用して見せた。その結果が、これなのだ。あとは彼女の納得いく限りに――







 国営放送含めた日本全国のテレビ放送の主要全チャンネル帯を使用しての彼女の大演説(犯行声明)を終えてから数分、彼女は通信手に全艦隊の艦内放送をつなぐと彼女たちに選択を迫った。


「全艦に通達。二時間後に我々はこの問題を終わらせるため、最後の任務に就く。とても危険な作戦であり、出た場合乗員全員の命の保証は出来かねる――降りたいものはこの放送後各艦長に退艦届を提出の後に、一時間半後には甲板上にて最低限の荷物とサバイバルキットを持参し待機。各艦艇備え付けの兵員輸送艇の使用を許可する」


 ここで逃げても、きっと明野を含め誰も責めるようなことはないだろう。

 恐怖といった感情を持つのは、きっとその彼女たちの精神が正常であるという証であり、恐怖で逃げるというのは間違っていることではないからだ。

 これまでは逃げるに逃げられないからこそ明野の独裁政治でも何とか艦隊はやっていくことが出来た。恐怖という感情そのものを麻痺させることが出来た。

 だがそれでも限界だ。恐怖を感じ、怯え、竦み、逃げたくなる。いくら感情を麻痺させたところで人間の本能に刷り込まれた危機察知能力、危機回避を優先する本能を誤魔化すことはできない。


 戦うのも、ある種の正解だ。だが時にはみっともなく生き恥を晒してでも逃げなければならない時がある。戦うことが出来るのはこれまで逃げてきて余裕のある者か、それともけじめを付けなくてはならない者か。


 人には一生に一度やるべきことがある。それがなんなのかは直面しなければ分からないし、直面した時に冷静でいられる者の方が少ないだろう。

 人は誰だって臆病だ。だが戦わないからと言って卑怯者になるのではない。自身の力で守りたいものもないくせに、臆病だということも理解できずに能書きを垂れ、戦うことを強要するものこそ、真に卑怯者だ。


 だから、選ばなければならない。


「あらら~でも彼女たち、ダイジョブだと思う?」

「人手が減るのは正直言って避けたいが、無理強いするわけにもいくまい。それならせめてどこか遠くに逃がして、問題が片付くまで息を潜めてもらったほうがこちらとしても安心だ」

「あぁ、そうなんだ――うぅん、それにしても楽しみだなぁ一時間半後が」


 その含みのある言葉に実際どの程度本気なのかは分からなかったが、たとえどれだけの人間が逃げたとしても、少佐がそれを笑うことはないだろうことは、それが分かる程度の時間はすごしてきた。

 ゆえに、きっと同じ心境であることは疑いようもないことだった。


「――たとえ寡兵となっても、戦い抜くさ……私だけは、逃げてはならないからだ」

「あはは、オレ、そういうの好きだぜ。そういう覚悟持ったやつは大概死なねぇんダ」

「そうか……」


 生返事気味に返し、彼女はシートに凭れながら退艦届を携えた乗組員が来るのを今か今かと待った。




 一時間半後、洋上で停船している伊吹、及びに艦隊に所属する10隻の甲板には誰ひとりとして並んでいなかった。

 焦った様子の明野は、手元にあるボタンを押すと藜茜の持っていたマイクを引ったくった。

 先ほどの放送が聞こえなかったわけではあるまい。となれば、それは間違いなく彼、彼女たちの意思表示に他ならない。それが不思議でしょうがなかった。


 あまりこういうことを言うのは不謹慎なのかもしれなかったが、各艦で十~二十人くらいの欠員は出るだろうと予期しての放送だった。

 誰だって怖くないはずがない。逃げだしたくて仕方のない者だっているだろう。これは逃げではなく、戦後に自分たちの活動記録を海上自衛軍本部に持って行かせるため、そういう言い訳(大義名分)とともに逃がしてやれるはずだった。だが、何故?


 これを最後にこの洋上から横浜までは死への直行便。どれだけ攻撃が分散するように艦を配置したとしても、確実に百人や千人は死ぬ。これが、逃がしてやれる最後のチャンスだったのだ。

 マイクに向かって何を言えばいいか分からず沈黙する明野の耳に、艦橋に備え付けられたスピーカーから各艦長の報告が聞こえた。


 艦隊のすべての艦長からの報告が終わると、明野は息を思いっきり吸い込み、どこから出るのか分からない、先ほどの演説以上の声量で怒鳴った。


「お前たち、言っていることが分かっているのか?!これが最後のチャンスなのだぞ!」

『――僭越ながら、戦艦空母比叡艦長道明寺どうみょうじ朱鳥あすか、発言します』

「――何だ?」


 イラついたような声色でその先を促す。

 恫喝するようで申し訳ない気持ちもあったが、明野は長いとも短いとも言えない艦隊勤務とこれまでの逃亡生活から、なおさらにこの艦隊の構成員たちを全員とはいかずとも出来るだけ生きて陸に返してやりたかった。指揮官の判断としては落第点かもしれなかったが、苦楽を共にしてきた皆を無理やりに連れて行くなどという愚を犯したくなかった。

 奇麗事だというのは自覚があったが、ただ実現できない奇麗事を吐いているわけではない。実際のところ、十人いれば最低限艦を動かすことは可能だ。機械任せになるのは癪だが、それらをフルに使えば最低限の人数で挑むことが出来る。親元に彼女たちを帰してやれる。そう出来るだけの技術があったからだ。


 明野にとってはもう家族と言えるのは兄と婚約者だけと言っても良い状況だが、逃亡生活初期には親元に帰りたがっていた娘もいた。

 便りを出すことも、電話することもできない疑心暗鬼もいいところの中、明野の指示に従ってきてくれたのだ。だから明野としても誠意を見せたかった。だというのに、何故?一言帰りたいと言えば良いと言った。


 頭の中がグルグルと渦を巻くように堂々めぐりする感じを抱きながらも、明野は言葉を待った。

 やがて最適な言葉が見つかったのか、戦艦空母比叡の艦長、道明寺飛鳥はきっぱりと明野に言いきった。先ほどの明野の放送と全く同じ、毅然とした態度で明野に言い放った。


『……我々の居場所は、三十六艦隊ここです。そして二年前にそういった貴女が自ら死地に赴き道理を通そうというのなら、我々はそれに従い、そのお手伝い・・・・をするだけです』

「二度と帰ってこれないかもしれないのだぞ?」

『だからこそ、我々の死に場所は我々が決めます。そして彼女たちは、三十六艦隊ここを、この海を死に場所に選びました。私も、死ぬというならここで死にたい』

『道明寺艦長に同じく、私たちも、私たちの死に場所は三十六艦隊ここだと、すでに覚悟を決めています』

『同じく』

『同じく』


 そもそも、これまで明野を見てきた彼女たちの覚悟はすでに決まっていた。明野に事の収拾をすべて任せて自分たちは内地で安穏としているという選択肢は皆無に等しかった。


 よく自衛官は休日に街に出かけると浦島効果を実感すると聞くが、それをものともしない居場所を用意し、いくら独裁政治と己を嘲ろうと確固たる成果を見せてきた。それによって守られてきた者たちがいる。そんな彼女たちと元帝國軍将兵たちが、ようやっとその恩を返すときが来たのだ。


 一度は非道に落ちた身を懐に入れ、女だらけの艦隊の中でも確固とした居場所と立場を保証してくれた恩が、元帝國軍の将兵たちにはあった。

 他の艦隊でうまくやっていけなかった者を積極的に明野の艦隊で受け入れ、艦長である明野自らが曹士の相談を受けてくれたこともあった。


 返そうと思って返せないほど、彼女たちは恩を受けてきた。逃げようなどとは思わないし、たとえ明野が言った通り逃げることが悪いことでなかったとして、はたして恩も返せないまま明野一人を死地に赴かせることに至誠はあるのだろうか?……きっとないだろう。

 ゆえに――


「――艦長、いいえ、明野さん。我々艦橋要員全員も、同じ結論です。死ぬというなら、この艦隊で、最後の一兵になるまで戦って死にたいです――明野さんが答えを見つけたように、この艦隊もまた、答えを見つけたんですよ」

「我々、元帝國軍将兵も、同じだ。君のおかげで、無用に命を散らさずに済んだ。そして、我々も海上自衛軍だ。国家の敵となるなら、国民の敵となるなら、討たないわけにはいかないだろう」


 星崎由佳と田中徳太郎が、道明寺艦長と同じ意見であることを教えると、明野はあきらめたようにため息をつくと、苦笑しながらシートに凭れた。

 晴々しいような、馬鹿馬鹿しいような、けれどいやな感触ではない。明野が求めた、理想の艦隊(家族)がここにあった。


「――――馬鹿者が……了解した。もう一度聞く、覚悟は決まったのだな?後悔はないのだな?」

『はい。我々にも家族や恋人がいますが、きっと分かってくれるはずです』

「そうか――全艦出航準備!目標、旧横浜市近海!――そこに一連の全ての敵がいる。先ほども言った通り、これが我々の行う最後の任務だ、手抜きは許さない、全力で戦え!」


 伊吹を中核として、三十六艦隊はアメリカの軍事衛星をハッキングして得た位置情報をもとに、海水面が上がる前までは横浜と呼ばれた都市跡に向かった。

 聖戦の終了は近い。





 今回の話で何かを感じられた方や、何かを為すべきだと思われた方はそれを実行なさってください。少なくとも感想欄などで話における私の主張などに関する質問は一切受け付けないスタンスですので。

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