第二話 ~補給~
ブラックラグーンを基に政治的な駆け引きをやろうとしたんですけど、面倒くさいのと面倒くさいのと面倒くさいので大将と中将がにらみ合っている図式に書きなおしました。
一応言っておきますが、最近の自分の文章っぽくないです。正直。
「でだな、お前さんたち密漁者どもをあのドデカイ魚雷で木星まですっ飛ばしても良いんだがよ、こっちも一応お国の名前を背負ってるんで妙なことは出来ねぇ」
浅黒く焼けた肌を白いワイシャツの下から覗かせる男が、サングラス越しに目の前の縛られた上に痣だらけで並べられた中国人を睥睨していた。
黒髪のオールバックにそり忘れたのか無精髭が印象的な男がサングラスの位置を直しながらもう一度口を開く。
分からないとは分かっているが、どの道拿捕した自衛軍側が圧倒的優位に立っているのは変わらない。たとえ睨み返されようとそんな物負け犬の遠吠えに過ぎない。気にしないしする必要も男には無かった。
「詰まる所、お前さんらがここで密漁やると只でさえ仕事の多い俺らの仕事が増えて溜まりまくる一方なんだ。分かるよなボーイ?」
『ここは四千年前から中国の領海だ――ッ!?』
ヤクザの様な男が中国語を叫び始めた男の顔を殴った。骨と骨がぶつかるような聞くに堪えない音が蒼海に響き、他の縛られた男たちを恐怖で震えあがらせる。
彼らの生殺与奪権は目の前の男の手にある。イージス戦艦ヤマト改や最新鋭駆逐艦月島、イージス軽巡洋艦霧島の魚雷発射管がこちらを向いている。更には目の前の男が接舷させた潜水艦の船首がこちらを向いている。ここで無意味な抵抗をする必要性は無かった。それを今ようやくおもい知る。
「分からねぇ奴だな。世界中がここは日本の領海だって言って、なおかつ日本がここは日本の領海だと言うならここは日本の領海なんだ。そこにやって来るってこたぁな、撃ち殺されても文句は言わないっていう契約書にサインしているのも同然ってことなんだよ、言っていること分かるか?」
男が拳銃を取り出し首元に突きつけながら落ち着いた表情と声色で言いがかりじみたことを言っている。
弾倉がない。つまり弾は恐らく入っていない。けれど安心することは出来なかった。たとえ数の有利で目の前の男を殺したとしても、今度は別の報復が待っている。薄情なことこの上ないとは分かっているが、男たちは目の前で殴られている同郷を見て見ぬふりした。
気にくわない。男はその姿に更に怒りを募らせ、声を荒げて中国人たちを一括した。
「ようするにだ!手前らのその汚い一物引っ提げてとっとと御国に帰れって言ってんだよあほんだらけどもが!」
百メートル超えた先、イージス戦艦ヤマト改の甲板に出ている少女たちにまで聞こえてくる怒声。その凄まじさは目の前で聞いている彼らと同じくらいの恐怖を与える。
別に今の時代、よく創作物で見かける『女が上で男が下』と言ったような風潮は無いに等しい。逆に国防に深く携わる彼女らがそれを強く否定しているくらいで、それにはやはり体格差や性差などが深くかかわってくる。
そう言う物もあり、女性が前線に出ることも珍しくなくなったこの時代、創作物によくある露骨な性的差別などはマイナーであった。
だがそれであっても怖い物は怖かった。この場合同性であろうと異性であろうとも関係なく、とにかく怖い。誰だってヤクザ顔の男に恫喝染みたことをされていれば、そしてそれを傍から見ていれば怖い物である。
「良いか手前らよく聞け。これから三十分後には海上保安警察がやってくる。俺達はここを三十キロほど離れた海洋に出るが、位置を知らせるビーコンをこの船のあちこちに仕掛けた。つまり、俺達からも海上保安警察からもこの船の位置は丸見えってことだ」
この場から退却すると言う男の発言を聞いた中国人の男が、わけありなのだと察して声を出そうとするが、男の余り筋肉質に見えない腕が万力のような力で中国人の男の口をふさいで座らせた。
黙って聞きやがれチャイニーズ。どの道今の時点じゃあ手前らの生殺与奪権は俺らにあるんだよ。
男がとても低く冷たい、八寒地獄の底から噴き出しているかのようなどすの利いた声で中国人から恐怖と逆らう気力を奪った。
黙るしかない。息を殺し、気配を殺し、この嵐をやり過ごせ。それ以外に自分たちは生き残ることはできない。殺されないだけましだと思ってとにかく言うことを聞くしかない。
中国人たちの想いはこの瞬間だけは一つに重なっていた。男はそれを見て一つ頷くと続きを話した。
「仮にビーコンを棄てたとしても、この船の一キロ先に四つ、この船を囲うようにしているソノブイはお前さんらがここから逃げようとした際に一番近い海上保安警察の巡視船にデータが送られアラームが鳴るようにされている。変な気を起こすんじゃあねぇぞ」
サングラス越しに見える細められた目。まるで猛禽のようなその鋭い瞳はただでさえ男の容姿が恐ろしいと言うのにその上さらに恐怖を煽る。この瞳を見て流石に厚顔無恥な中国人も失禁して気絶するしかその恐怖から逃れる術は無かった。
他愛もない。
ずれたサングラスの位置を直しながら男は自前の潜水艦の甲板に乗り、イージス戦艦ヤマト改に接舷させた。
甲板に集まっていた少女らからヒッと言う息をのむ音が聞こえたが、男は構わずに一番階級の高そうな少女に話しかけた。
所詮は防衛高等学校。最大でも一尉までしか上がれず、三年の一月から佐官に上がるための試験などが開始されるが、正式に佐官に上がれるのは防衛大学校の一年からだ。そうなればこの艦で一番高い階級は一尉。その中で何番目かに高い階級など、曹長かそのあたりくらいだった。
「俺は渡辺 暁一等海佐だ。艦長を呼んでくれるか?」
「はい!今お呼びしますぅ!」
佐官が、それも追われる身である自分たちの旗艦に足を踏み入れた。それだけで既に臨戦態勢の少女たちであったが、直ぐにそれは弛緩した。
呼ばれるまでもなくイージス戦艦ヤマト改の艦長であり、第三十六女子前線艦艇科決戦艦隊の指揮官である彼女、渡辺明野が息を切らせた様子で出てきたからだった。
「渡辺明野一等海尉です。今回は我が艦隊への物資の提供、及び追撃の一時停止を指示していただきありがとうございます」
「いや、こっちもおかしいと思ったからそうしただけだ。それよりも――」
男が一端言葉を区切ったことに何かあるのだろうかと聞き耳どころか目まで向けている彼女らは、目の前の男の豹変ぶりを――それも良い方の――を目撃することになった。
それはさながら一匹オオカミのようにただ一人孤高に戦うライオンが一人の人間に気を許したかのような、そんなある意味で不気味である意味ではシュールな光景だった。
いや、勘の良い人間なら気が付いているが、まさかそんなことはないだろうと思っていたところでのカウンターアタックだった。
「元気だったか明野!?御兄ちゃんお前の事が心配でご飯が三杯しか喉を通らなかったんだ!」
「髭を押し付けるな!暑苦しいから抱きつくな!それとしっかり飯食っているじゃないか!」
渡辺明野の言葉に耳を貸す様子は無く、彼女とは頭一つ分も背の高い男が覆いかぶさるように彼女を抱きしめていた。
□
“少佐”が駆るダインスレイブの波状攻撃と強襲を退け、全乗組員に現在の状況を説明してから二週間、追い込まれた日本海溝から第三十六女子前線艦艇科決戦艦隊は抜けだし、北方四島と北海道の間を霧の出ている時間帯に横断、現在は太平洋よりも日本海依りの海域をゆったりと航行していた。
けれどこの逃亡生活を始めて早四週間、補給艦ありきでも既に物資は目に見えて減ってきており、その減った分の物資をどう補うかで渡辺明野は頭を悩ませていた。
そんなところに耳寄りな情報が届けられた。
遡ること六時間前、日の出には三時間ほどの猶予を持って起こされた渡辺明野は、少しばかり不機嫌そうに眼の端をこすりながら艦橋に入り、軍服である白いブレザーとワイシャツの襟を正した。
脇に抱えたφという記号のようにも丸文字で書かれたZのようにも見える欠片ほどもヒーローらしくないスーパーロボットの柄の抱き枕を抱えたまま席にどっかりと腰を下ろした。わざわざその面を表にして。
「何だこんな時間に。またあのキチガイか?」
「いえ、海上自衛軍の第二十九海域強襲制圧艦隊所属の伊407が突然通信してきまして――」
「何と言っている?」
苛立ち紛れに明野は眉間を揉みながら通信手に聞いた。通信手もここ最近の事で慣れたのか緊張した様子もなくモールス信号の内容を読み上げた。
「我敵に非ず。貴艦との会談を望む。とありますが、如何しましょう?」
「――通信回線を開け。チャンネル指定S35」
「……返信来ました。了解、指示に従う。とのことです」
「通信回線開きます。S35に周波数合わせ良し、マイク感度良好――艦長、どうぞ」
艦船同士による量子通信。その中でも一番量子の分散が抑えられている秘匿回線はたとえ司令部であっても盗聴は容易ではない。特に最近セキュリティがアップデートされた物ではなく前々から存在する35番は、少なくともこの艦隊の中ではそれなりに信用があった。
席の傍にあるボタンを押して音声出力先をスピーカーに切り替えると、彼女はマイク付きヘッドホンのマイクの部分を口に近づけて通信に出た。
「こちら第三十六女子前線艦艇科決戦艦隊旗艦、イージス戦艦ヤマト改艦長渡辺明野一等海尉だ。伊407、応答されたし」
『こちら第二十九海域強襲制圧艦隊旗艦伊407艦長代理、夜長 契司一等海尉であります。艦長は現在就寝中でありますので代わりに私が報告させていただきます』
自分を叩き起こした張本人である副官、星崎由佳をジト目で見ながら彼女はマイクの向こうの艦長代理とやらに聞き返した。
そもそも通信してきたというのに艦長が寝ているとはどういうことか。独断専行を疑うが、独断専行してまで通信する価値が自分たちにあるのかどうなのか甚だ疑問だった彼女はまず一番に艦長の不在を問いただすことにした。
幸いなことは階級が同じだったことだろうか。気兼ねなくいつもの口調で問いただすことが出来るのはあまりストレスを感じなくて明野としてはほっとするところだった。
――とはいっても正規軍人と未だに非正規任官の身である彼女たちとではその階級もあまり意味はないのだが。
「まて、なぜ艦長が寝ている。この場合艦長を叩き起こす物ではないのか?」
『勿論起こしました。ただ、あの方は渡辺明野艦長と同じく寝相がとても悪いので報復にあってきたばかりです』
「……続けてくれ」
何故自分の寝相が悪いと知っているかは心当たりがあるためにあえて何も言わず、その報復とやらもつい先ほど副官にしてしまった手前、耳が痛いこともあり聞き流すことにした。世の中完璧な人間はいないのである。
『はい。ただいまより六時間後の0830、通信の後にお渡ししますデータの座標まで伊407を先頭にして案内させていただきます。その後食料や衣料品などの物資を提供いたします』
「――そちらにメリットがないだろう。わざわざ御上に狙われる理由を作る必要などあるまい」
『それに関しては三時間後に艦長ご自身の口からお答えして頂きます。ただ一つ言えることは、我々は、そして我々の一派は貴女方の敵ではないことです』
その言葉を信じるかどうか迷ったが、この時点では保留することに決めた。わざわざ旗艦である潜水艦伊407が出張ってくることの方がおかしい。信用を得るためなのだろうが、それでも速力がヤマト改の半分ほどの艦でこちらに近づいてくるなど自殺行為以外の何物でもない。
けれどどの道物資の調達は目下の課題だ。急を要するが調達の当てがない。密売人などと繋がりを持ってしまえばそれを盾にこちらは本格的に追われてしまう。それだけは避けるべきだった。
信頼は出来ないが、今のところ信用するしかなかった。
そもそも理由を知っていようといなかろうと自分たちには食料などを調達する当てがない。罠だったとしても旗艦を最後尾に逃げだせばいい。ある意味で明野は楽観視していた。
三時間後と言う夜長艦長代理の言ったことはしっかりと守られ、三時間後である五時三十分に同じ回線で通信があった。
今度は艦長が出ると言っていたため、自分よりも階級が上なのは言うまでもない。いつもの口調から敬語に直そうとした時、スピーカーから男の声が漏れでてきた。
『久しぶりだな、明野』
その声を聞いて、不覚にも彼女は涙を流してしまった。涙なんぞ枯れていると思うほどに硬い涙腺が開いて一筋涙が頬を伝って落ちたのを感じた。
久しく聞いた身内の声。以前と変わらない声色。聞き間違えなどあるはずがない。間違いなく身内の声だった。自分を信じてくれる、あの陽だまりの様な居場所。長らく切り離されてきたが、ようやく会えた気がした。
それから三十分ほど、明野と男は世間話に花を咲かせた。ようやっと心休まる時間が手に入ったとばかりに、最も長く明野と関わってきた自身のある副官も操舵手もそれには驚きを隠せなかった。
まるで誰にも心を開かず笑うことの無かった少女が笑った瞬間を目撃したような、そんな意外さと直視のできない眩しさのような物がある。
暫く話しあっているうち、男の方から話を打ち切り補給に関しての話を始めた。これには明野も気を引き締めて聞きに徹した。
『夜長から聞いていると思うが、自衛軍も今や三つの派閥に分かれている。民衆も大体三つくらいに分かれていてな、その中の一番大きな派閥から協力を得られた。ここ最近になって追撃の停止を指示したのもそこに所属している東郷 兵十狼海将のおかげだ』
通信手や一部の機械系に長けた人間に情報収集をさせていたため、それを知っていた。
プロパガンダと虚飾と見栄で塗り固められたそれを信じ撃滅すべし、自衛軍を解散するべしと騒ぐ左派。
情報の矛盾点や一部自衛官が報道各社に流した自衛軍の流した情報との誤差を指摘し階段の席を設け真実を確かにした方が良いのではないかという中立派。
情報の矛盾、一部ジャーナリストが報じた実際に戦った自衛軍の船舶に乗っていた人間への取材、実際の主砲仰角や損傷規模を計算したオタクが無実だと、違法だと騒ぐ右派。
大きく分けて三つがいま日本や世界中で物議を醸しているらしかった。
その中でも一番大きな派閥は政財界にまで顔が利く重鎮で構成されているらしく、海上自衛軍においての二大最高権力者の一人である東郷海将からの協力を取りつけ資金援助を受けたならば、それはここまで大規模な行動が出来ると納得した。
『指定した座標にはすでに大型補給艦竜胆と由良が待っている。動かすのに苦労したが、軽く二カ月分の物資を満載している。小分けにして全ての艦に配ってもしっかりと腹を満たせるくらいだ』
その言葉に艦橋に詰めていた少女たちからも安堵の息が漏れる。いつの時代でも女性は何かと入り用なのは変わりがない。明野は頭の先までその言葉を信じても良いと思ったが、けれど艦隊全ての命運を自分が握っていると思い直すと、厳しい口調で男に問い返した。
いつ何時であろうとも疑うことを忘れてはいけない。もしかしたら網が張られている可能性だって無きにしも非ずだからこそ、安易な判断は出来なかった。
「――何故暁は我々に支援しようと思った?自衛軍とて一枚岩ではないだろうに、それをここまで大規模に動かしたとなれば、遅かれ早かれ御上にばれるぞ」
水を打ったように艦橋が静まり返る。一言足りとも聞き逃さんと皆耳を傾ける中、男はマイク越しに答えた。
独特の深みのある男の声がスピーカー越しに漏れるが、その声の、その吐息の一つ一つが催眠効果でもあるように眠気を誘った。いや、眠気と言うよりは呆けさせると言った方が正しいか、とにかくなんとなくで口を挟めない。そう言う力が声には籠っていた。
『その通りさ今自衛軍は一枚岩じゃあない。流石にここでは言えないが、お前達は嵌められた。とある海軍中将を中心にした連中の計画にな』
当たった。己の嵌められたと言うそれが当たっていた。やはりあの展開はそうだったのか。
まだ警戒するべきだと言うのに明野は既に兄の言葉を信じていた。そして不思議と兄の言葉が嘘ではないという確信を持っていた。いや、この時点で嘘を吐く理由がない。情報の撹乱や統制などはすでに政府主体で行われているためにここまでやって来て攪乱する意味がない。
ましてや潜水艦一隻。周辺に他の機影は見えないため奇襲と言う線も考えにくい。とはいえ相手は海域強襲制圧艦隊、空母と潜水艦運用のスペシャリストであるために油断はできない。
そう言う意味においては疑う余地は、まだ少し残っているがこの時点で明野は疑うと言うことを止めて信じることにした。
『まあ目的そのものはちゃちい上にここまで問題を大きくする必要もないことなんだが、奴らはとにかく大きなスキャンダルを起こせば目的を果たせると思い込んでいるらしい。今テレビでやっているプロパガンダ交じりの放送がそれだ』
何と安直で、そして何と単純なことかと明野は思わず頭を抱えそうになったが頭痛を無視して男の言葉の続きに耳を傾けた。
要するに、これは女性の国防自衛軍への進出を快く思わない老害が起こした物だといいたいのだ。
軍隊は男の持ち場であり後方勤務ならまだしも前線勤務は男の領分である。別にそれが間違っているとは明野はもちろん男も思ってはいない。ただ、世俗や情勢に合わないと言うだけだ。
現在の日本はメタンハイドレートの採掘事業で国内が何とか潤っている状態だ。そこにやってくる中国からやってくる船舶や軍艦を撃退するために海上保安警察や自衛軍が組織改革された。それに合わせ、それまでの女性の訴えてきた女性の言うところの男女平等、詰まる所女にも男と同じ仕事をやらせろと言うそれを叶える形で自衛軍の万年人手不足を解消しようとしたのだ。
思惑は成功した。女性自衛軍士官、それも後方勤務ではなく前線勤務者が増えたことによって女性の自衛軍への志願数は増えて行っている。
別に女性が前線に出ることは構わないと明野も思っているが、けれど前線で戦うことを軽く考える女がいると言うのもまた事実だった。
男には男の領分があり、女にも女の領分がある。
いつか討論番組で学者が言っていたことを明野は思い出した。その通りだと思うし、実際前線では月の物が来ているから戦えないと言うのは通らない。前線に出たら最後、たとえ体調不良であっても戦わなくてはならない。それを世の女性たちは分かっていない。
結果的にその学者は撮影を見に来ていた女性たちの大バッシングやSNSの書き込み、ライバル関係にある学者によって陥れられるなどの不幸に見舞われ自殺した。だが世の男性自衛官の多くは、そして勤務経験のある女性はこの学者の意見を支持しており、それが自衛軍と一般市民との間に横たわる一番の溝と言えた。
そう、明野達を陥れたのはそう言う人間の集まりだと言うことだ。それも過激な、という言葉の付く人間たちだ。
『頭の良い奴ならもう気が付いているだろうさ、女性の自衛軍進出を止めるための物だってな。……奴さんどもは大きなスキャンダル――例えば力に浮かれて軍艦を好きに乗り回しているとか――そう言った事が起きれば世間の軍拡反対派の意見が女性の前線勤務反対の方向に舵を切るって分かってんだろ。だから今こうして世論を味方につけようと躍起になってる』
呆れたように溜息をつきながら放たれた言葉に、けれど何も言えなかった。
そんなことのために、などとは言えない。言っていることは確かに的は射ていた。女性は何かと男よりも複雑に出来ている。物資の問題もそうであるが、やはり月に一回体調不良の時期があるからと言って休むことはできない。それは防衛高等学校に入学した女子が身をもって理解している。
女性の前線勤務は男性よりも圧倒的に辛い。だからだろうか、年々女性の前線関係の科への入学者は減ってきている。
重ね重ね言うが、別に明野も男も女性が前線に出ることを拒んでいるわけではない。出るのなら相応の覚悟を持てと言うことだ。そしてここにいるのも、その覚悟のある者たちだ。
その意見の言い合いに、艦橋は静まり返り中には頷く者までいたがこれ以上の通信は危険だと言える雰囲気ではなく、副官である星崎由佳が代表して明野に進言した。
「艦長、御話し中申し訳ありませんが、これ以上の通信は傍受される恐れがあります」
『こっちの艦長代理も同じ意見のようだ。続きは三時間後に沖ノ鳥島沖でな』
「了解した」
副官である星崎由佳も、艦橋に詰めていた少女らも男と明野の関係について問い詰めたい衝動があったが聞くことはせずに自分の仕事を始め、艦隊はゆっくりと座標にあった海域に向けて舵を切った。
□
指定された座標である沖ノ鳥島近海で伊407と落ち合い小笠原諸島方面に舵を切ってしばらくしたころに観測手は不審な漁船を発見した。
そう、漁船だ。それも日本の物ではなく中国の物である。不法操業かそこいら辺だろうとは思いつつも、国から逃げているとはいえ彼女は一応自衛軍士官であった。それらを見逃すことを、彼女は許すことは出来なかった。
観測手、矢島 未来は幼いころに幾度となくやってきた中国軍の影に怯えてきたことを今も鮮明に覚えている。
メタンハイドレート、対消滅機関。そんな超技術が欲しいがために領海を犯し人々に暗い影を落としてきた。超技術大国である日本も、慢性的な人手不足を前には沖縄にまでその足を向けることが出来ないでいた。
彼女が生まれる以前、マルティン・トランプ政権下のアメリカによって日米安全保障条約は反故にされ、中国やロシアはここぞとばかりに日本全土の主権を主張してきた。その邪知暴虐から国土と制海権を守るためには力が必要だった。
力、そう力だ。屈強にして精強な軍事力、国を富ませる下地を作り国を、国民を守るための矛。すなわち軍隊が必要だった。
けれど何も理解していない人間はとことん何も理解していなかった。
首相を扱き降ろす何も知らないマスメディア、首相に同調する学者や一般市民まで、マスメディアは日本人としてあるまじき思想だと糾弾した。日本のそれも端に位置する土地の人間の事を考えずに、その無知にして蒙昧、愚鈍にして愚昧なそれらは恥も知らずに時の自衛隊を批判した。
中国が沖縄や尖閣諸島、九州などに進駐し武力を以て国民を傷つけているという事実にすら蓋をし、金のために左翼と言う名の害虫の良いなりとなっていたのだ。
北海道ではロシアが、沖縄では中国が。それを受けて時の首相は世論の反対を押し切り自衛隊と海上保安庁を改編、自衛軍と海上保安警察に変えた。
対消滅機関を搭載した戦闘車両や航空機、護衛艦は破竹の勢いでロシアと中国海軍を徹底的に敵国の領土内まで押し戻し、第一次日中日露侵略戦争は終わりを告げた。
けれど侵略の危険が無くなった訳ではなかった。政府は多額の資金を使い第二次大戦期の艦艇を模した軍艦を建造、これらによる世界に無敵とまで言わしめた艦隊を作り上げ自国の防衛のかなめとしたのだ。
そう、ここで艦橋に詰めている少女たちや他の艦艇の乗り込んでいる少女たちや新入生たちも、その激動の中で生まれ、常に他国の脅威に怯える幼少期を過ごしてきた。
だからだろうか、観測手である彼女は明野や通信で話していた男の言に共感が持てるし、そもそも志願すらしてほしくないと思っている。戦う覚悟もそうであるが、要するに力を持つ意味をはき違えてもらいたくないのである。
そう言う意味では彼女は星崎由佳同様に最も明野に尊敬の念を覚えていると言えた。
「艦長、中国の漁船が小笠原諸島近海に出没しています。尖閣諸島あたりを迂回してきた物と思われますが――」
「――自衛軍のごたごたを察して監視の網を縫ってきたのだろうな。駆逐艦月島と軽巡洋艦霧島で強引に停船させろ。必要とあらば船体に機銃を撃ち込んでも構わん」
明野の指示を受け通信手が月島と霧島に通信を行い、操舵手はヤマト改の速力を20ノットほどまで落とし漁船と平行になる位置を取り、魚雷やVLSの照準を砲術長が付け、機銃手が銃座に上って行くのがよく見える。
警笛を鳴らし駆逐艦と軽巡洋艦が漁船に向かって近づく。巨大な軍艦を前に漁船側から旧式の赤外線追尾装置付き劣化ウラン弾頭搭載型ロケットランチャー、通称ヴァルハラと、これまた旧式の対要塞用陽電子破城ライフル、通称ヴァナヘイムも取りだされ相手側も臨戦態勢を整えていた。
ただの漁船にしては装備が大仰だったが、けれどどちらも欠陥中国兵器の代表格であるため、対処その物は簡単と言えた。
簡単なこと。ライフルやロケットランチャーが接続されているチューブや弾薬が収められている箱に向かって撃てばいい。それだけでライフルはエネルギーの逆流で爆散し、ロケットランチャーは使用不能になる。
「艦長、相手はヴァルハラとヴァナヘイムで武装しているようですが、如何いたしますか?」
「三重水素魚雷を近接信管に取り換えて二本発射。体勢を崩したところを機銃でヴァルハラとヴァナヘイムだけ無力化しろ。どの道旧式兵器だ、中間子防御フィールドを破ることはできん」
「了解です」
通信手が月島と霧島に通信を行い、月島と霧島はその通りに動き始めようとした矢先、誰も予期せぬことが起こった。いや、観測手である矢島未来はそれをしっかりと見ていた。
海が盛り上がっていた。片栗粉でも混ぜ込んだかのような海水を割って、その姿を現そうとするそれに纏わりついて、そして弾けるように海水の中から船首が、取り付けられた機銃が、小ぶりな艦上構造物が姿を現した。
第二十九海域強襲制圧艦隊旗艦である伊407だ。大戦期の伊400型潜水艦を模して作り上げられた世界最高水準の潜水艦、それが目の前の海を割って現れる。ミリタリーオタクでなくともその雄々しい姿には一種の憧憬の念を抱くことだろう。そんなある種の美がそこには存在した。
突然の潜水艦の浮上に湧く漁船の乗組員に対し、伊407に据え付けられたレーザー機銃の掃射。それらは彼らの背後にあった弾薬やエネルギーチューブを引き割き破壊し鉄クズに変えた。
接舷した伊407から背格好様々な男たちが雪崩のように湧き出て漁船に乗り込み乗組員と乱戦を繰り広げる。
雄叫びと怒声が飛び交い血飛沫が漁船の船体を艶かしく彩る。原始的な戦闘がそこで繰り広げられていた。これには銃座に飛び乗っていた少女たちや、甲板でスタンライフルを構えていた少女たちも呆気に取られそれが終わるのを待つしか出来なかった。
昔、九州で海上自衛隊や陸自の補給を受けられず中国人や韓国人が本土にその汚い足で乗り込んできたことを矢島未来は覚えている。
理不尽な暴力、性的虐待や満足に食事にありつけない辛さを知っている彼女からしてみれば、憎悪の対象とも言える中国人が殴り倒されるその瞬間はとても愉快な劇を見ているかのような気分にさせた。
もっとだ。当時九州や沖縄に進駐され武力を以て虐げられてきた者たちの恨みを――!けれどその思考は長くは続かなかった。
自分は何のために自衛軍に志願したのか、そんなことのために志願したのではない。職務に私情を挟むべきではないと授業でも散々に教えられてきたはずだ。これまでの航海でも嫌と言うほどに身にしみている。だと言うのに何故――
「矢島未来観測手、潮風に当てられて気分が悪いようなら休憩すると良い。今のところ何も問題は起こっていない」
「――いえ、お気持ちだけありがたく受け取らせていただきます」
見抜かれていたことに一瞬どきりとしたが直ぐに持ち直して矢島未来は再び漁船に目を戻した。
既に乱戦は終わり自衛軍士官が二人がかりで一人の中国人を縛っているところだったが、この時には不思議と彼女の頭には先程までの高揚感は無かった。いやこの場合は正常に戻ったと言うべきか、波風立つこともなく彼女の心は平静を保っていた。
そして冒頭に至る。
□
甲板での騒動を落ち着けた明野達は伊407を囲うように陣形を組み小笠原諸島沖に舵を切った。
場所は変わり甲板最前部。痩身の中にしっかりとした肉付きの筋肉をこさえた男、渡辺暁と、女性らしい細く丸い中に確かな芯を感じさせる女、渡辺明野が他の人間に構うことなく話していた。
「つまり、暁は帝國軍とその実質的リーダーである山本 英機海将が今回の主犯だと言うのか?」
余り自軍を疑うことはしたくないが、状況的にかなり上の人間が画策した物だと言うことは、艦隊の中ですでに出された結論だった。
帝國軍、海上自衛軍内部に存在する団体を隠れ蓑に、女性にコンプレックスを抱く男性や、女性と言うことを盾に好き勝手に振舞う女性士官によって出世の道を断たれた士官などが寄り集まって出来た海上自衛軍女性参画反対右派、それがかつての男社会の王政復古を御題目に掲げ帝國軍と自称している。
馬鹿げている。明野は両手をきつく握りしめていた。幸いなことは両手が手袋で覆われていたことだろうか、爪が喰い込んで怪我をすると言った事もなかった。
男、暁はその固く握られた手を揉み解すように開かせると、大事な宝石でも手にしたかのように一定のリズムでその手の平をさすった。
「ごたごたしている司令部にその足でやって来て追撃命令を下したのは山本英機中将閣下だ、どう考えても怪しいだろ。そこで知己の東郷兵十狼海上自衛軍大将閣下に相談したら、奴らのプロパガンダ放送が本格化する前に疑惑の芽を植えてくれたのさ」
「疑惑の芽?」
さすられた手を見つめ、明野は顔を上げて男の目を真正面から覗きこんだ。
黒曜石のような静かな輝きを放つ瞳が一瞬揺れて瞬きと共にその顎が引かれ、ついで口が開かれた。
「ネットの書き込みから始まり駅や街頭での署名活動から専門家による対抗意見陳述、他には学者数人による放送内容の矛盾点の指摘などなどだな。今回の行動も、実際のところは大将閣下主導だ。これが親書だ」
「――――これは本気か?呉と佐世保のメガフロートへの密入航、メガフロート内の工廠における整備の確約と物資弾薬の定期的提供の確約――こんなことしたら直ぐにばれるぞ」
「そこで不思議な縦社会。将官クラスになりゃあ階級が一つ違うだけでかなり権限に差が出てくる。尉官とか佐官の比じゃねぇ。お前さんらは受け入れときゃあいい」
無遠慮に頭を撫でるその大きな手も、苦笑気味の相貌も何かを隠していると思わせるには十分だったが、明野は何も言わなかった。
「じきに帝國軍も尻切れトンボになる。そしたら俺達の勝ちだ。お前達が逃げ回る必要もなくなる」
頭を撫でながら男、暁はその丸っこい頭を子供にするように撫でまわし続けた。幼いあの日、生まれてきた彼女が、愛情のほとんどを奪われたと錯覚したあの時あの瞬間を取り戻すように。
そう、彼女を最初に虐待したのは親でも周囲の人間でもなく暁自身だった。
最初はただの嫉妬心で、やがて自己暗示的に自身を騙し、一時期彼女が心を閉ざすまで追い込んだこともあった。そう、自分が愛されたいがために。
やがて大人になる頃、彼は何ともなしに見てしまった。実の親が娘を虐待するその瞬間を。そしてそれに対して何も抵抗せずに粛々と受け入れる、壊れてしまった彼女の姿を。
後悔先に立たず、覆水盆に返らず。やがて小さな優越感は彼女に対する懺悔がその割合を多く占めた。
そうして男が過去を思い出していると、明野は軽く首をかしげながら暁の目を見るように見上げた。髪の毛と同じ黒色の大きな印象を与える瞳が、同じ黒色の瞳を見つめて離さない。
「どうした暁、そんな神妙な顔をして」
「――いや、防衛高校に入学してから、お前さんが良く笑うようになったなと思ってな」
小笠原諸島、そのかなり外れの位置にそれらは鎮座していた。
一見して空母と見間違えるほどの巨体。それらを取り囲む戦艦空母相州と大型空母飛竜、第二十九海域強襲制圧艦隊の主力と言える艦だった。その巨大な威容が大型補給艦竜胆と由良を守るように両舷を隙なく固めそこにあった。
甲板を清掃する少女らや機銃脇に待機している彼女らに呑気に手を振る男たちの姿がなければさぞかし格好良く映ったであろうが、明野はもちろん第二十九海域強襲制圧艦隊の指揮官である暁もそれを見なかったことにして涼しげな顔をしていた。
「各種野菜類一カ月分、豚肉・牛肉・鶏肉・鹿肉・羊肉の肉類詰め合わせ十五日分、米をありったけ、飲料用の水を一カ月分に医療用品と生理用品、他に生活必需品最低限を詰め込んである。これが帳簿だ」
「ありがたく頂こう」
紙の束を何処からともなく取り出したことには何も突っ込まずに、明野はその帳簿に目を通してから副官である星崎由佳に渡してから席に着いた。
補給艦竜胆と由良に接舷した駆逐艦と軽巡洋艦を尻目に、暁と明野の頭の中で二人の考えていることはほぼ一致していた。いや、艦橋から覗いても分かりやすすぎるほどにはしゃいでいる彼女たちを見てはその心配も止むを得なかったと言うしかないだろう。
「不純異性交遊が起きなきゃあいいな」
やけに楽観したような、けれどどこか恐れているような雰囲気のある言葉に、明野は頷く他なかった。
いや、自分に高度に政治的な駆け引きなんて最初から無理だったんですよ。無理だったというよりかは、ここで最初から技術関連や此の世界の日本の情勢、各キャラクターたち共通の思想のようなものを描写する時間がなかったというのもあります。はい、言い訳です。文章力がないことの言い訳です。
次回もまた少し更新が遅れるかもしれませんがお付き合いいただければ幸いです。一応次回を含めた二話で終わらせる予定ですので完結に二カ月以上はかからないと思います。……多分(汗)