5/29前半
書ききれなかった。
一日が終わらなかった。
「おじさんだれー」
ちびっちいのがまとわりついてきて邪魔なので、檻の中で丸まる。
連れてこられたところは、山のそばのようだった。そんなに距離は離れていない。
いつでも縄張りに帰れる距離だ。
「ねぇってばー。ぼくはママとここにきたとこだけど、ココはママとぼくのナワバリなんだぞー。おじさんだれー?」
とにかくうるさい。
脅かすと一瞬腰が引けるがすぐに忘れて突っかかってくる。
馬鹿だろこいつ。
檻は閉じられているのでちびは入ってこれない。
障子越しの明かりは部屋を白く染めていてまぶしい。
畳のにおいが青臭く、真新しいにおいだ。あと少し、酒のにおい。
「さぁ、時雨さん、たぬきさん。戸津アニマルクリニックに出かけますよ」
入ってきたのは平山さなえ。この家のボスだ。
「なー」
ぼすー
「にー?」
クリニ……く?
ちびはよくわかってないらしい。
「にーにー」ママはー?
訊ねるちびを手早く確保するとショルダーバッグに放り込む。そのままファスナー閉じたよ。ボス。
ボス。
俺は逆らわないよ。
手提げのゲージをボスが示す。
「時雨さん。窮屈でしょうけど入ってくださいねー」
柔らかいタオルが敷いてあるゲージにのっそりと移る。
斜め掛けされているショルダーバッグがジタバタしている。
時雨というのは、ここのボスと御嬢が俺を呼ぶ時の呼び名だ。
ちなみにちびはたぬき。
黒猫だ。脇腹のあたりにグレイの縞が入っている毛並みが実際よりシャープに見せかけている。
つまりたぬき要素はどこにもない。
ゲージが軽く持ち上がる。
すぐ降ろされた。
「な?」
「お散歩にしようと思いましたが、車、出します」
「通勤通学時間が終わっていると道がすいてますね。本当はたぬきさんにこの町の匂いに馴染んでほしかったんですけど、また後日です。あ、あれがうろな北小学校かしら」
「なー?」
見えないー
「おうちにね、家族が増えるんですよ」
「な?」
「六月からうろな北小学校、うろな中学校、うろな高校。それぞれ一人ずつ編入なさるので学校の位置を把握しておかないとね」
どうやらボスの配下が増えるらしい。
「あら、素敵な雰囲気のお店。あーゆー隠れ家的お店って好み。ぜったいいくわーお店の名前は『流星』か」
「なっ」
あの料理屋は美味しい。
裏でじっと待ってると時々海老の尻尾をくれたりした。
「うなー」
また食べたいー
車から降りて昨日脱出したクリニックへ。
「うーん。ここね。隣がペットショップなのはいいとして、反対側がペット葬儀社って言うのはいただけないわねー」
「親戚がそのテナント入ってるんですよー」
後ろから声。
「おはようございます。戸津アニマルクリニックの助手をしている久島宇美です。お力になりますよ」
「おはようございます。平山さなえと申します。今日は堂島のかわりに猫を二匹連れてきました」
「なーー」
俺ですー
「あ。手袋ちゃん」
「なーー」
にぼしー
「では、平山さん、入ってください。もう一匹の猫ちゃんはどこなんですか?」
「ここです」
そう言ってショルダーバッグを指したであろうボス。
迷いはなかった。
「先生ー。手袋ちゃんきましたよ」
「おー。確認と消毒するぞー」
「はじめまして平山と申します。時雨さんの治療とたぬきさんの健診をお願いいたします」
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