リオ1回戦後 ファーディの話 2
「てめえ、臭いぞ」
「よく聞こえなかったんだがね」
「体臭か? 口臭か!? 近づくんじゃねぇ」
ファーディの眼力が誰をも射抜く様な恐ろしさを宿しているのにも関わらず、メッレンはにらみを真っ向から受けて立つ。
「初めて目と目が合ったな。良く聞きな」
メッレンが優しく語りかける。
「怖い顔するなよ。前向きに笑おうぜ」
「バカにしてんのか!? それ以上、僕の心を知ろうとしねえよな? お前もドーピングしてるんだろとそんな訳ないとしりつつ実力を認めたくないから聞いてくるか?」
ファーディは偽善者だと思って軽く相手しているつもりだった。だが、しかし―――
「お前はコーチがいるのかでも聞くかな」
予期せぬ普通の質問のせいか、驚いて正直に答えてしまった。
「いねえよ。貧民にそんな夢物語なマネは出来ない。金は生活するにもままならない位だ」
「予想はしてたが……試合運びが素人同然だから。ケガをしたら今の地位に戻れないぞ」
おせっかいだと何故か言えなかった。
「大会出場可能なお金があるんだ。コーチを雇え! 信頼の置ける人物ならと何度も考えたんだろ?」
「まともに相手してくれる奴がいない。貧民は裏切ると決めつけて。貧民街の者じゃなくなってもだ!」
「貧民街を!? でも抜けだしたことがすごい」
考えなしの奴なら徹底的に痛めつけていたであろう。でも近くで真顔のまま見つめてきた。本気で凄いと思っているのかもしれないが理由を問わずにはいられない。
「そんなのはない。そうしたいと思ったから」
「嘘だ! 貧民は何もしない。行動も」
「忘れているだけさ。君も他人の手助けをしたはず」
メッレンに手を握られてぬくもりを感じた時に心をも揺さぶられた気分になった。
「ファーディ、汚い世界から目をそらそうとする気持ちはわかる。でもなっ、目に光を戻せば誰もが羨む瞳だと俺は思う」
誰だって最初は良い瞳をしているだろう。ファーディの母親が前向きな目が気に入らないと言った。母親にもお礼したのにも関わらず。だから今までうつろな目をしていたのである。審判が来そうだったのでメッレンはファーディの背中越しに声をかける。
「またな、コーチの件、何とかしてやる。本当なら俺が教えてやりたい。その自信もある」
彼はこの場を去るつもりだったが、思い直したように笑顔で宣言した。
「やっぱり俺がコーチする。俺なら信頼出来るはずだ。詳しくは俺の家へ来い。嫌か?」
今なら命を差し出してもいいとさえファーディは考える。
「ありがとう以上の言葉がない。もどかしい」
メッレンのような人物をどれだけ待ち望んでいたか、上手く伝えられずにいた。彼が当然のように掌を握って言う。
「お前は立派な奴だ。褒めてやりたいくらいだしな。わかるか? 自分に自信を持っていい」
「でも貧民差別は………………」
彼は遮り、断言した。
「そいつらは頭がおかしいのさ。同じ人間に格差をつけて悪者扱いするような奴らだから」
ファーディは本気で言ってほしいことを代わりに言われてスッキリした。でも奴らへの怒りを露にする。
「そうさ! 奴らはクズ野郎だ! 口先だけの雑魚。あんな奴らの相手は時間の無駄だぜ」
彼なら信じていいと思えた。お金持ちでも対戦相手のメッレンでも…………有益な時間を過ごせた。
「武術もだが、まずは言葉遣いからだな。やはり礼に始まり、礼に終わらないと」
それから二年後。
ファーディがあの頃を思い出し終わった時にメッレンが玄関からようやく姿を現した。メッレンがファーディの姿を見つけてゆっくり歩み寄ってくる。古めの上流階級タキシード、ファーディの考えでは最先端タキシードが似合うのに。
「少しゆっくりしすぎたか?」
メッレンが子どもをあやすのに一苦労あったと父親らしい一面を見せた。行き先を御者に伝えて一息つく。
「最初から車にしとけばよかったんだよ」
「車は密閉性が高いから嫌いだ。馬車は風に当たれる」




