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故国に捧ぐカタナ  作者: 数札霜月
第二章 忠
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第十四話 逢引きの企み

 武内忠継の朝は非常に早い。

 クロフォード家の屋敷に勤める者の中にはその仕事上朝早くから起き出して仕事にかかるものも多いが、忠継はそう言った者達にも負けない早い時間に起床する。

 早く起きて、なにをするのかと言えば、剣の素振り。

 自分で木を削って作った、恐ろしく巨大で重い木剣で、忠継は屋敷の騎士たちが起き出してくるまでに百回以上の素振りを行うのである。

 そうして、騎士たちが起き出してくると、今度は彼らの訓練に参加する。

 この国に来た当初こそ、屋敷の人間たちとの間に距離を保っていた忠継だったが、最近ではそんな遠慮もしなくなり、この騎士たちの早朝訓練に積極的に参加している。そうしてここでも忠継は騎士たちと並んで剣を振り、走り込みを行い、時には立ち合いなどに精を出す。

 その後一度汗をぬぐい、身を清めて朝食をとる。

 この世界に来た当初、忠継が直面した最大の文化的壁は食べるものの極端な違いで、ごく最近まで忠継は食べるものの祖国との違いに大いに苦しんでいた。

 ただ、最近では食糧不足に陥る地方を目の当たりにしたせいか、どれほど異質な見た目や味、臭いのものでもとりあえずは口に入れるようになっており、本人の性格も相まってとりあえず食事を残すようなまねはしなくなっていた。

 食事は主に騎士たちととることが多いが、屋敷の主であるエルヴィスや、その妹であるエミリアをはじめ、それ以外の人間と食べる機会も少なくない。

 そうして食事が終わった後の行動は、日によってまちまちだ。

 騎士たちが本格的な訓練を行う際にはそれに参加することが多いし、当主であるエルヴィスの友人にして、騎士であるオーランドが来訪した日には彼に稽古をつけてもらうことも多い。前者の場合は妖魔と戦うための連携の訓練に終始するわけだが、後者の場合は純粋な剣術の技術を学ぶべく、オーランドに師事する形となっていた。

 余談になるが、同じ武人としての気質のせいなのか、忠継はオーランド・ウィングフィールドと言うこの騎士のことをいたく尊敬していた。と言うか、この国に来て出会った者達の中でも一番第一印象が良かったのは、実はこのオーランドと言う騎士だったと言ってもいい。

 なにしろ、物心つくころからずっと剣術に打ち込んできた忠継である。自身も達人の領域へと片足を踏み入れた剣士であるがゆえに、すでに達人の領域にある剣士の存在はそれだけで尊敬の対象だった。

 特にゼインクルから戻って以降は忠継自身も二刀を使うようになっていた影響で、同じく双剣の使い手であるオーランドに教えを乞う機会も多くなっていた。


 さて、そうして午前中いっぱい剣を振った後、忠継が何をするかと言えば、これも日によってまちまちである。

 少し前まではエルヴィスとエミリアの実験に駆り出されることも多かったが、最近は実験の頻度自体が少なくなり、代わりに文字の読み書きを習う時間や、乗馬の練習に費やす時間が増えてきた。

 これはどちらも周囲の勧めと本人の希望が合致した結果始めたもので、文字の読み書きは主にエミリアが、乗馬に関しては日によって違うが、主に親しい騎士たちに教えられて少しずつではあるが習得を目指している。

 武内忠継と言う人間は剣の道一本でこれまで生きてきたような男だったが、だからと言って決して頭が悪いわけではない。文字の読み書きも、流石に数日で習得するような天才性こそ発揮しなかったが、その覚える速さは平均をわずかではあるが上回っており、本人の意思と性格も相まって順調に習得を進めている。

 そしてもうひとつの乗馬の方。こちらは当初こそ馬との接し方などに困惑していたものの、体の頑丈さなども相まって落馬にも動じず、馬上の高い視点と自分の足で走るのとはまた違う速度に本人も心を躍らせていた。この世界に来た際の肉体の変化と、魔力による肉体強化の術を獲得したことで馬並みの速度で走れるようになった忠継であったが、やはり馬には叶わない部分もあり、それまで経験のなかった馬の速度を存分に楽しんでいる。

 そうして日が暮れることに屋敷へと戻り、食事をとって汚れた体を洗いにかかる。

 この国には忠継の知る風呂のようなものがないらしく、代わりによくわからない魔術によって水の塊を作り出し、それで体を洗うというのが習わしだったが、忠継自身は魔術を使うことで祖国に帰れなくなる危険性を危惧しているためこちらは避け、現在は井戸水を入れ物に貯めてそれで体を洗う形をとっていた。とは言えこの方法だと夏場はともかく冬場が問題となるため、だんだんと寒くなる昨今の季節そのものが、徐々に悩みの種として大きくなり始めている。

 その後就寝。こちらも寝具が祖国のものと違っていたが、しかしこちらはあまり気にすることなく、『ベット』と呼ばれる箱の上に布団を敷いたような寝床をあっさりと受け入れて使っていた。エルヴィスなどは夜にも何かをしている節があったが、忠継の場合はやることもないため、屋敷の騎士や使用人共々早々に眠りの世界へと落ちていく。

 日によって若干の差異こそあるが、おおむねこれが現在の忠継が送る生活習慣であった。







「――お前生きてて楽しいかっ!?」


「なんだというんだ藪から棒に」


 聞かれるがままに己の生活習慣を話し、大体のところを話し終えた忠継にライナスがぶつけたのは、忠継からしてみれば少々不本意なそんな叫びだった。

 実際、言われた忠継もなんだかずいぶんと失礼な物言いのように感じて、朝食のパンをちぎる手を止めて対面のライナスを見ると、ライナスはライナスで頭を抱えながら先ほどと同じ呆れたような表情で『だってよぉ』と言葉を続ける。


「さっきから聞いてりゃおまえ、一日のほとんどを、って言うかほぼ全部を訓練だの勉強だので使い切ってんじゃねぇか!!」


「まあそうだが……。それが何か問題でもあるのか?」


「あるだろうが人間としてっ!! なんかもう、いろいろと足りないだろ、こう、潤い的なもんが!!」


「潤い?」


 言われている意味が解らないと、そんな怪訝そうな表情を浮かべる忠継に対して、ライナスはさらに頭を抱え込んで全身で己の苦悩を表現する。

 対して、忠継の調子は相も変わらず変わらない。


「いや、生憎だがそれは勘違いだ。何分使い道もないから、懐ならだいぶ潤っているぞ」


「え? そうなの? なんだよお前も結構隅に置けない……、って何だフトコロって?」


「ん? ああ、この国ではそういう言い方をしないのか? ……うむ、考えてみればこの国の服には懐がそもそもないのか。要するにだ、金子に関しては問題ないから何も心配しなくて――」


「誰が財布の話をした――!!」


 両腕を食卓の上へと叩き付け、周囲の注目も意に介さずにライナスは力の限りに絶叫する。

以前から思っていたが、この友人タダツグは基本的に欲がなさすぎる。いや、なにも求めていないわけではないのだが、剣の腕の上達やら馬術の教えやら、自分の国への帰国手段やらと、彼の欲するものは基本的に欲と呼ばれるものからはかけ離れているのだ。


「っていうかさぁ、おまえ遠い異国から来てんだろうが。少しは自分の国とは違うこっちの観光とか、そういうものに興味を持ったりしないの?」


「……む。まあ、言われてみればそのあたり、少し興味が無いわけではないが……」


「だったらさぁ、博打や女遊びに手を出せとはもう俺も言わねえから、少しはこの国の、このレキハって首都を少しは散策するとかしてきてもいいんじゃねえか?」


「まあ、確かに……」


 顎に手をやり、真剣に思案する忠継の反応に、ライナスは内心で確かな手ごたえを感じ取る。それと同時に、もう一つ名案ともいえる案を思いついて、思い切ってそちらの方も進めてみることにした。


「そうだ。そう言えば知り合いに一人、街まで買い物に行きたいって言ってた奴がいたんだよ。でも最近レキハも物騒でさ、一人歩きは危ないから、何人かで連れ立って行こうって話になってたんだが、おまえも一緒に来ねぇか?」


「お前とその者、他に数人を誘って皆で、と言うことか?」


「そうそう」


 頷きながら、しかしライナスは内心でこっそりと舌を出す。

 確かに、もう何人かで連れ立って、皆でレキハを案内するというのも悪くはないが、もっといい案が今のライナスの脳内では踊っている。どうせ誘いをかけるならば、そちらの“見物”に誘った方が誘われる仲間たちの受けもいいだろう。

 むろんその誘われる側の名簿には、『タダツグ・タケウチ』の名前は入っていない。なにしろ彼の名前は別の場所、具体的には仲間たちを誘う誘い文句の方に記さねばならないのだから。


「……うむ。まあ、いいだろう。確かにめったに来られない異国の首都にいるのだ、たまには観光にうつつを抜かすのも悪くない」


「よぅし、決まりだな」


 気安げに指を鳴らしてそう宣言しながら、ライナスは忠継に見えない位置でぐっと拳を握り込む。

 これは早速、騎士や使用人の仲間たちにも知らせなければいけない。そんな風にライナスは張り切りながら、頭の中でタダツグに仕掛ける案をさらに深く詰めていった。






「いや、本当に悪い。実は急遽一緒に行く誘いをかけてた奴らが都合悪くなっちまってさ」


 そうして数日後、出発のその日の早朝になって忠継が告げられたのは、しかし頭を掻くライナスのそんな謝罪の言葉だった。

 胸の内に感じる少々の落胆に、意外と自分は今日のレキハ見物を楽しみにしていたのだなと感じながら、忠継はそれを表に出すことなく、ライナスの方へと問い返す。


「都合が悪くなった、と言うのは、今日予定していたレキハ見物のことか? どうしたというのだ、何か急な任務でも入ったのか?」


「まあ、そんなところなんだよ。おかげで俺や誘い掛けてた奴らが軒並み行けなくなっちまってさ、悪いんだけどお前、予定の入らなかったもう一人と一緒に二人で言って来てくれないか?」


「残っているのは二人だけなのか? ならばもういっそ日を改めた方がいいではないか。いくらなんでもたった二人ではそのもう一人とて――」


「――いやいやいやっ、実はそいつの買いたい物ってのが結構急ぎでさ、店の場所や今日見せようと思ってたところなんかは一通り地図を書いておいたから、とりあえず今日はそいつと二人で行ってきてくれよ」


 そう言って、急に予定が入ったにしては妙に精巧に書かれた地図を忠継へと押し付けてから、ライナスは素早く後ろへと下がり、そこから『用があるから』と言って逃げるように去っていく。


「ああ、待ち合わせの時間と場所は、最初の予定通りの時間に屋敷の門の前だから遅れるなよ。大丈夫だって、相手はお前も知っている奴だから」


 最後にそれだけを言い残して、今度こそ本当に、ライナスはタダツグの前から姿を消した。






 そうして、一刻ほどたって約束の時間になったころ、忠継の姿は言われた通り、屋敷の門の前にあった。

 一応外出と言うこともあって、忠継は以前ライナスたちに見立てられた、街歩き用の洋服姿に着替えている。それだけを見ればこの国に随分と溶け込んできたように見えるが、唯一、いやただ二本だけ、武士としての矜持から、譲れない部分として腰の革帯(ベルト)に刀を差しており、その部分でだけは微妙に溶け込むことに失敗していた。

 とは言え、刀と言う武器こそ珍しいものの、この国の街でも帯剣している人間と言うのは決して珍しいわけではない。ついでに言えば忠継はライナスの言っていた『最近物騒』と言う言葉を半分ほど信じていたため、多少の警戒もあって躊躇なく刀を腰へと差していた。

 もっとも一番の理由は、武士としての性なのか、未知の場所に行く際、刀を腰にさしていないと落ち着かないからなのだが。


「お、お待たせしました……!! 皆様、遅れてしまい申し訳ありませ――、あれ?」


 と、門の前で忠継がじっと待っていると、少しばかり慌てたような女の声と共に、今日同行するというもう一人が現れる。

 振り向きながら、その声に聞き覚えがあるなと相手の顔を確認すると、案の定やってきたのは同じ屋敷に勤める侍女の少女、アネット・モランだった。


「アネット……? もしやその様子だと、今日共に行くもう一人と言うのは……」


「え? あれ、もう“一人”ですか? 私はライナスさんが屋敷の方々を何人か誘っていると伺ったのですが」


「む……、伝わっていないのか? ライナスたちは急な任務が入ったと言って、今日は行けなくなってしまったぞ」


「え、ええっ!?」


 どうやら本当に寝耳に水だったらしく、忠継の話を聞いてアネットは驚愕の声を上げる。

 いや、どうやら驚きだけで声を上げたというわけではないらしい。驚く彼女のその顔色からは、驚愕だけでなく躊躇や戸惑いのようなものも読み取れる。


(まあ、無理もない。レキハに詳しい者達と行けると思っていたのに、蓋を開けてみれば同じくレキハ歩きは初めての俺しか残っていなかったのだからな)


 忠継がアネットの動揺をそのように解釈していると、アネットの方も『私も、アイラさんからはいけなくなったとは聞かされましたけど……』と唯一聞いていたらしい欠席者の名前を出しながら、チラチラとこちらの様子をうかがってくる。


(まあ、急ぎだとは言っていたし、ここで中止になるのもまずいのか)


 ライナスが言っていたアネットの事情を思い出し、忠継は彼女の様子を、今日行けなくなるのを心配しているのだろうと推測する。

 急ぎで買いたいものが有るのならば、ここで中止を申し出られるのは彼女にしても避けたい事態なのだろう。その顔が妙に赤かったのは少し気になったが、それでも忠継はアネットが買い物のために忠継の同行を望んでいるのだと解釈した。


「まあ、それでも地図は渡されているのだ。この屋敷もそれ相応に目立つ。出かけて戻ってこられなくなるということもないだろう」


「え? えっと、それじゃあ」


「ああ。とりあえずわかる範囲で行ってみよう。そちらも急ぎの買い物なのだろう? ならば日を改める前に出かけてみようではないか」


「は、はいっ!! それでは、すいませんけどよろしくお願いします!!」


 慌てたようにそう返事をするアネットの声を背中に、忠継は地図を片手に彼女の前を歩き出す。

 直後に彼女が発した『あれ……、急ぎ……?』というささやかな呟きは、生憎と忠継の耳にまでは届かなかった。


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