第十三話 死剣の担い手
ベイジル・ミューアヘッドという男への警戒心は、なにもエルヴィスだけが抱いた特殊なものではない。
むしろその危険性への認識は、彼を従える立場となる宰相アルドヘルムの方が強かった。
「なぜあのような発言をした、ベイジル」
会議のあったその日の晩、自身の屋敷へと呼び出したベイジルへ向けて、アルドヘルムは虚言を許さない眼光でそう迫る。
口調は平坦。表情はない。怒鳴りつけるわけでもなければ、怒りを顔に出すわけでもないそんなアルドヘルムの態度は、しかしみるものが見るならば震え上がるほどの迫力と威圧感がベイジルという男ただ一人に注がれていた。
だがそんな宰相の前に立ってなお、ベイジルという男は陰鬱な笑みを崩さない。
「いえ、私めはあくまで、ああした方が閣下の助けになるのではと考え、発言したまで」
「生憎だがベイジル。私はあのような発言を許可したつもりはない」
ベイジルの虚言をバッサリと切り捨て、変わらぬ鋭い眼光をアルドヘルムはベイジルへと向け続ける。
だがそれでも、ベイジルはそんなアルドヘルムの前で余裕の態度を崩さなかった。ベイジルは知っているのだ。アルドヘルムが決してベイジルに処分を下したりはできないことを。
「恐れながら閣下。現在の国防の柱ともなる剣、【致死要因】が一本のみというのは、やはり好ましい状況ではありますまい。さらに言うなら、これから閣下がなさろうとしていることを考えるならば、あの剣は一本でも多い方が――」
「――ベイジル」
ベイジルの発言をその途中で、珍しく語気を強めた言葉によってアルドヘルムは封じ込める。流石のアルドヘルムも、この場でこれ以上の発言をベイジルに許すつもりはなかった。
「今後貴様には許可なくあのような発言をすることを禁じる。従えぬというなら会議への出席もだ。貴様はあくまで一魔学者であり、政治に口を出せる立場でないことを忘れるな」
「……は。仰せのままに」
「ではもういい。下がれ」
アルドヘルムの命令に特に気分を害した様子すら見せず、ベイジルは言われるままに一礼して、部屋の外へと去っていく。
ベイジルが廊下へと出てその気配が感じられなくなったころ、室内にあるもう一つの扉の向うから男が姿を現し、ベイジルに対して敬礼する。
「サディアス。貴様もご苦労だった」
「滅相もありません。閣下」
サディアス・コルドウェル。まだ三十代も半ばという若さでありながら、その軍服に少将の印を刻んだその男は、今にも跪きそうな勢いで首を振る。
実際、アルドヘルムが止めるまでは、この生真面目な男は本当にそうしていたくらいだ。
ただし、このサディアスという男、生真面目ではあるが決して盲目的というわけではない。
むしろ最終決定権をアルドヘルムに預けている分、それ以前の段階ではアルドヘルムの思考の助け、あるいは自身の行動の割切りなどの目的で、こうした人目のない場面では積極的に意見を述べてくる人物だった。
「差し出がましいことを言うようですが、閣下」
「なんだ」
「あの男は信用できませぬ」
目上であるアルドヘルムに対してはっきりと、サディアスは自分の中にあるベイジルへの判断を告げる。
一方のアルドヘルムにしてもサディアスの反応は予想の範疇だった。むしろこの男の場合、性質が真逆とも言えるベイジルに対する反発は常人以上に強い事だろう。
だが、
「今さらだな、サディアス。あの男の人格については、奴が【死属性】を持ち込んだ時からわかっていた」
「そうですが……、いえ、私はわかっていなかったのかもしれません。わかっていればあの男がここまで増長する前に処分していた」
ひどく物騒なことを本気の表情で口にして、サディアスはわずかながらも、ここにはいない男に対して殺気立つ。
サディアス・コルドウェルという男はベイジルとはほとんど真逆と言っていい人格の持ち主だ。コルドウェル家という、ほとんど形骸化したとはいえ四大貴族の生まれでありながら、その形骸化の原因とも言えるオールディス家の当主に対して、絶対的とも言っていい忠誠を誓っている。
端的に言い表すなら、アルドヘルムの懐刀とすら言える立ち位置にいる人物。それがサディアスという男を適格に表す表現であり、彼自身の最大の矜持でもあった。こんな深夜の内密にベイジルを諌める場面に、わざわざアルドヘルムが立ち合わせたというだけでも、その信頼のほどはうかがえる。
そしてそんな人間であるからこそ、サディアスはベイジル・ミューアヘッドという人間を激しく嫌悪している。
「あの男は信用なりません」
もう一度はっきりと、サディアスはアルドヘルムに対してそう進言する。
サディアスは自身を頭のいい人間だとは思っていない。普段ならば彼も、ここまでアルドヘルムに対してしつこく同じ言葉を繰り返したりなどしなかっただろう。
だが今回に限ってはそうもいかない。ベイジル・ミューアヘッドという男はサディアス・コルドウェルが最も嫌う部類の俗物、その最上級だ。
「今日の会談、あの場でのあの男の発言の意図は明らかです。現状一本しかない【致死要因】をさらに量産する許可を取り付けることで、あの男は軍内部での、ひいてはこの国での地位をさらに確固たるものにしようとしている」
生き物全てを一瞬で死に至らしめる【死属性】魔力、それをこの世で唯一変換・生成することができる魔剣【致死要因】。そしてその【致死要因】に刻む【死属性】変換術式の根幹をなす部分を把握しているのは、この世で唯一ベイジルだけだ。彼のそのあたりの情報管理は徹底していて、ベイジルは己の部下にさえ、【死属性】変換術式の内容をほんの一部しか公開していない。それは【死属性】魔力の危険性ゆえに、アルドヘルムが術式情報の管理を徹底させたという理由もあるのだが、最大の理由は開発者であるベイジルが【死属性】の技術を己で独占したがったことがその要因だ。
「【致死要因】は奴にしか作れない。奴はそれをいいことに、すでに宮廷内でも相当に幅を利かせ始めております。だが奴はそれでもまだ満足せず、【致死要因】の量産によってさらに己の発言力を強めようとしている」
いくら唯一【致死要因】を作ることができる人物とは言っても、そもそも新しい魔剣を作れないのではその特権にあまり意味はない。
現在のベイジルの宮廷内での存在意義は、【致死要因】を作ることができるというただ一点によって支えられている。もしも【致死要因】のこれ以上の生産が覚束なくなって来れば、ベイジルはその影響力を弱めて、発言力にも陰りが生まれてしまうことになる。ベイジルにとって最善と言える状況は、自分だけが【致死要因】の生産という重要事業を手掛けられる立場に立ったまま、定期的に【致死要因】を生産して影響力を維持できる状態にあることだ。だからこそあの男は、露骨なまでに理由をつけて、事あるごとに新たなる【致死要因】の生産を推し進めてきている。
「まずは安心しろ、サディアス。私もこれ以上、奴に【致死要因】を作らせるつもりはない」
それがわかっているからこそ、アルドヘルムはサディアスに対してきっぱりとそう断言する。実際明言したことこそなかったが、この決定はアルドヘルム自身が以前から己の中で決めていた事項だった。
とは言えこれは、ベイジルの人格から来る事情というよりは、【死属性】という兵器の持つ危険性によるところが大きい。
【死属性】は強力な兵器だ。先のパスラによる侵攻の際にも、この【死属性】はたった一本の剣という形で戦場に投入されてしまっただけで、自軍の劣勢を瞬く間に覆してしまった。実際その殺傷効率は凄まじいの一語に尽きる。
だがだからこそ、この兵器は少々扱いというものに困る部分がある。
これだけ強力な兵器であるわけだから、当然その剣の切っ先が自分たちの側を向かないよう用心する必要性は、通常の攻撃・軍用魔術以上にある。
術式の情報や【致死要因】そのものの盗難はもちろんのこと、信用できない人間に持たせた挙句、その人間の反乱に利用されでもしたらたまったものではないのだ。
加えて言うなら派閥争いの問題もある。現在のフラリア帝国内では【致死要因】の所持はそのまま発言力の強化につながりかねない風潮がある。
まだ効果のほどが定かでなかった一本目のころならばいざ知らず、ここまでの武功を上げた今となっては、第二、第三の【致死要因】など作ろうものなら、必ずや各派閥からこの魔剣を所持しようとする者達が現れ、泥沼の奪い合いになることは必定だ。一本目の時でさえ、目の前にいるこのサディアスという男さえいなければ、アルドヘルムも【死属性】の戦場への投入には踏み切れなかったかもしれない。
「残念ながら今のこの国に、あの剣を持たせられる人間は一人もいない。お前以外にはな、サディアス」
「もったいないお言葉です。閣下」
自身の支配下にあるコルドウェル家の出身でありながら、自身に絶対とも言える忠誠を誓う男、サディアス・コルドウェル。
彼こそが、先のパスラの侵攻の際、【致死要因】を与えられ、その剣によって歴史的な武功を打ち立てた担い手だった。
今でこそ【致死要因】は宮廷で厳重に管理されているが、有事の際はサディアスがこの剣を手に戦場に赴き、そこで己の役割を全うすることになる。
己の主の敵たる存在に、絶対的な死を与えるという役割を。
「とはいえだ。いかにあの剣がこれ以上いらぬとあっても、あの男の知識をないがしろにするわけにもいかん。それに下手に排除しようとして、他の陣営にでも身売りされては詰まらんからな。あの男には護衛を兼ねて監視も付けてある。“今はまだ”それで我慢しろ」
「……はっ」
「では今日はもう帰って休め。ご苦労だった」
ねぎらいの言葉に一礼を返し、サディアスはアルドヘルムの書斎から退出し、そのまま馬車で屋敷をも後にする。
帰りの馬車の中で一人目を閉じ、己の中から湧き上がる『敵』への殺意を抑え込む。
『今はまだ』と言ったアルドヘルムのその言葉を、サディアスは決して取り違えてはいない。
その言葉の裏にある『いずれは』という思惑で敵への殺意にふたをして、サディアスはもう一人の、主にたてつく別の敵へと殺意を滲ませる。
「エルヴィス・クロフォード」
一度は宮廷を去りながら、近年新しい当主の代になって強力な経済力を背後に急激な台頭を見せてきた四大貴族の最後の一角。
まだ宮廷内での発言力こそ弱いものの、決して無視できなくなってきたその主の政敵が、サディアスには激しく目障りで、不愉快で仕方がなかった。
サディアス・コルドウェルは忠臣である。それ自体は、主であるアルドヘルムをはじめ、誰もが認めている認識ではあるし、事実としてサディアス自身が己をそうであるようにと厳しく律して来た。
ただし、残念ながらそれがすべてと言うわけではない。サディアス自身も自分が忠義だけに生きられたらと思っていたが、しかし残念なことにサディアスの中には厳しく律しなければいけない強烈な激情が確かに存在していた。
(抑えろ、サディアス・コルドウェル……。我が行動は、すべて閣下にささげるべきものだ)
己を律し、言い聞かせ。ようやくサディアスは己の中にくすぶる殺意にふたをする。
この激情に身を任せることは許されない。誰よりサディアスが許さない。もしも身を任せる瞬間が来るとすれば、それは主であるアルドヘルムがそれを命じた時だけだ。もしも命令がないのなら、こんな激情は墓穴まで持って行くべきものなのだ。
そう思いつつ、しかしサディアスには予感があった。
己の抱えるこの殺意が、あの死を呼ぶ魔剣と結びつくのではないかと言う、そんな予感が。
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