第十話 破滅の筋書
「……、世界の滅亡……、ですと?」
唐突にぶつけられた大きすぎる話に、マレットは恐怖したものか笑ったものか判断できず顔面の筋肉を引きつらせる。
その反応はエルヴィスにとって緩慢なものでこそあったが、しかし予想外の反応ではなかった。
「どうやらこちらにはあまり情報が伝わってはいないようですが、【死属性】が使用された土地はほとんど人が住めるような状況ではありませんでした。以前から予想していた通り、あの土地は土中の微生物に至るまで生態系が完全に壊滅していて、使用された土地は一つ残らず作物の育たない死の土地と化しています」
「確かに、作物が育たなくなるというのは重大な後遺症ではあるが――」
「加えて、今回発覚した妖魔の問題です。これに関してはこちらとしても予想外でしたが、状況は余計に悪くなった。今回はなんとか我々で対処できましたが、あれの駆除は相当に困難な仕事になることでしょう」
「それは、君が言うならそうなのだろう。しかし――」
「――世界の滅亡というのは現実感がない、ですか?」
エルヴィスの指摘に、マレットは反論の言葉を見つけられず口を噤む。その額には徐々にしわと汗が浮かび、どうやら彼もエルヴィスの言葉に徐々に現実味を感じ始めたらしい。
ただその反応は、まだ実感というには少し弱い。
「僕が思い描く破滅の筋書において、重要な通過点は二つです。一つ目は、【致死要因】の量産が開始されること」
儀式魔術や魔石と同じく、人間がマーキングスキルで魔方陣を展開し、それに魔力を流す通常の魔術とは別の、魔力を通す触媒と呼ばれる特殊な溶液によって魔方陣を描き刻み込み、それに魔力を流すなどして設定された術式を発動させる『魔剣』の技術。
『魔剣』は基本的に、魔石と並んで極度に細かく、小さく術式を刻み込まねばならない性質上、どうしてもその作成に時間がかかる傾向があるものだが、逆に言えば時間と労力をかければ同じ術式を刻んだ魔剣をいくつも作ることは可能な代物だ。
「現状、幸いなことに【死属性】魔力の属性変換術式は国立大六研究所の中でも、実際に開発した第十七研究室の面々以外が知らない第一級秘匿技術です。現状、【致死要因】を作成できるのも彼らだけで、【致死要因】の量産体制は、それほど整ってはいません。ただ――」」
「この先もそうだとは限らないと?」
「ええ。前回のパスラ侵攻の時こそ、儀式魔術との接続による大規模な運用法で使用されましたが、術式に接続することであらゆる魔術を即死攻撃に変化させられるあの魔剣は、本来個人に装備させて運用した方が効果的な武装です。歩兵の一人一人とまでは言わなくとも、あの剣一本を中核に部隊を組んだ方が、戦術としての理には叶っている」
ゼインクルでは霧状の魔術と接続して大規模に展開される形で使われたが、あの剣の本来の利点は、“どんな魔術でも”かすめただけで対象を殺害しうる必殺の攻撃魔術に変えられるという点だ。
この“どんな魔術でも”という文言には、一切の例外はない。それがたとえ攻撃魔術ではなくとも、それこそ暗い中で周囲を照らす照明術式であろうが、トイレで用を足した後に流す放水術式であろうが、すべて必殺魔術へと変貌するのである。術式が非常に複雑で文字数も多いため、個人がマーキングスキルによって展開できる術式ではないという話だが、一部の儀式魔術と違い使用する魔力量はそれこそ、日常的に使う生活魔術程度で事足りてしまうのも危険性により拍車をかけている。
「そして二つ目の通過点。どちらかと言えばこちらの方が事態としては深刻なのですが、【死属性】魔術の技術が、何らかの形で他国へと漏れてしまうこと」
「しかし、それに関してはすでに相当の対策が打たれているはずではなかったかね?」
「たしかに、他国に漏れた際の被害を考慮して、【死属性】技術に関しては相当な情報統制を敷いています。術式の詳細を知るのは第十七研究室の面々のみ。【魔剣・致死要因】自体に刻まれた術式も、外側からは目視できないように徹底的な隠ぺいが施されている」
【魔剣・致死要因】は手元に手首から先を丸ごと覆う、丸みを帯びたかご状の鉄板が取り付けられているのが特徴の片手剣で、【死属性】変換術式の中核となる部分は、この鉄板の中に、正確には術式を刻んだ鉄板を三枚ほど重ね合わせて、外側からは術式を刻んでいない裏面のみが見えるように術式を覆い隠している。
中の術式を見ようと思うならこの鉄板を分解してはがし取らねばならず、しかし無理にはがして中を見ようとすれば鉄板の接合面が損傷し、術式自体の読み取りが不可能になるという寸法だ。
「確かに、一見【死属性】の術式秘匿体制は完璧だ。ですがその秘匿体制も所詮は人間の作ったものです。情報なんていつ洩れるかわかったものではない。
それにそもそもの話、今情報が洩れなくて、百年たっても情報が洩れなかったとしても、問題はそれで解決するわけではないんですよ。たとえ百年間情報を守り通せたとしても、百一年後に情報が洩れたなら、私の懸念している事態は途端に現実味を帯びてくる」
「……むぅ」
情報漏えいの危険は、漏れる情報である【死属性】の技術がある限り永遠に存在し続ける。それを避けようと思うなら、それこそエルヴィスが言うように【死属性】そのものを排除してしまうより他にない。
「この二つの通過点は、どちらか片方が起きればとたんにもう片方も誘発します。先に量産が開始されれば、その分技術の秘匿は難しくなって他国への情報漏えいは格段に早まることでしょう。逆に先に情報が洩れれば、こちらはその国に対抗すために【致死要因】の量産に踏み切らざるを得ない。当然相手も対抗して量産してくるでしょうから、その瞬間から【致死要因】はこの世界に加速度的に増えてゆくことになる」
「……それは、……まずいかもしれんな」
エルヴィスの抱く危機感にようやく思考が追いつき、マレットは自分の口の中が徐々に乾いていくのを感じ取る。今料理を口にしても、到底味はわかりそうになかった。
「もしもそんなことを繰り返して【致死要因】が世界中に広まってしまえば、もう破滅の筋書は終盤です。どの国も【致死要因】を他国に負けまいと増やし続けるでしょう。相手の国がこんな高性能な武器を持っているのに自分たちは持たずにいられるほど、人間という生き物は強くない。そして、作られた【致死要因】を用いて戦争を行えば、その先に待っているのは――」
「――深刻な食糧不足。そうじゃな?」
マレットの解答に、エルヴィスは静かに、しかし強くはっきり頷いて見せる。実際の答えは、今まさにこの国で起きている現象だった。
「【死属性】で土地を殺してしまえば、もうその土地からは作物はほとんど期待できません。【死属性】を使えば使うほど、その土地では局所的ながら飢饉が起きる。しかもその飢饉は一過性のものではない。一度死んだ土地が元に戻るまではそれこそ何年、何十年とかかります。事実上、その土地は二度と使い物にならないと考えた方がいい」
もちろん、土地を元に戻す努力を続ければ話は別だが、それには絶大な労力が必要になるのは明白だ。もしそんな土地がいくつも増えていけば、土地の復活事業など到底でききれないだろう。
「もし死んだ土地が一定の面積を超えれば、【死属性】が使われた国では事実上国民を養うだけの食糧を賄いきれなくなります。そうなれば飢えた者たちが次にどんな行動をとるか」
「食料を持っている者達から奪おうとするじゃろうな。それもできれば土地ごと」
「ええ。しかも相手もタダでくれてやるわけがありませんから、当然戦争になるでしょう。そしてその戦争にはやはり【致死要因】が持ち込まれる」
あとはもう取り返しのつかない負の連鎖だ。食料と土地を手に入れるためにあるいは守るために人を殺し、土地を殺し、作物が育つ土地を次々と殺し続け、最後に残るのはやせ細った餓死者の死体と、傷一つない無い不気味なほどきれいな、【死属性】によって生まれる死体だ。
「なるほど。これが君が脳裏に描いていた破滅の筋書という訳か」
「ええ。しかもこれは【妖属性】と【妖魔】の存在が明るみに出る前から思い描いていた代物です。現実には【妖魔】の存在が加わりますから、状況はさらに悪いものになるでしょう」
「まったく……。君のような研究にすべてを注ぎ込みたいと願っているような人間が、なぜ柄にもなく【死属性】などという新兵器の、それも技術丸ごとの抹消などに力を注ごうとしているのかと思ったが。君が柄でなくとも行動を起こさざるを得ないくらい危険な代物だったという訳か」
「柄にもない、というのは反論の余地もないですね。実際、この可能性に気づいた後も、何度か自分の取り越し苦労だと思い込んで、研究にうつつをぬかしたいと思ったことはありますよ」
それはエルヴィスの、心の底からの偽らざる本音だった。
だが実際にそうしてしまえば破滅の未来は目に見えているし、何よりあの技術は学者としても少々受け入れがたい。
「さて、それでは今後どうしましょうかマレット卿? 我々は似た方向を見ながらも、目指す場所に微妙な違いがあることが発覚してしまったわけですが」
エルヴィスの問いかけに、マレットは腕を組み天井を見上げてしばしの間額にしわを寄せる。今まで改革を最優先に考え、そのために同志を募ってきた彼にしてみれば、別の標的に狙いを定めるエルヴィスの思惑は少し検討を必要とするのだろう。
「…………確かに、君の言いたいことは我が輩にもよくわかった。【死属性】が思った以上に危険なものだというのも、まあ君ほどではないが理解したつもりじゃ。ただ――」
「それが改革と、もっと言えば国民の生活と天秤にかけていいものとまでは思えていない、ですか?」
「……ふむ。そういうことじゃな。まあとは言え、今更選択の余地などないじゃろう。そもそも改革と【死属性】の廃絶、どちらをやるにもオールディス家との対立は避けられん。どのみち我らの目指す場所は、二つまとめてでないと掴みがたい未来なのじゃ」
そう言って、マレットは自身の太い腕をエルヴィスの前へと差し出す。対するエルヴィスもその手を掴むこと自体には何の躊躇もなかった。
「貴方と我らの思惑は互いが互いの力になる。貴方は貴方の標的を狙ってください。目指す場所は違っても、途中までの道のりは同じだ」
「こちらも、できうる限りの協力は致しましょう。たとえ先に【死属性】を排除できたとしても、その時は貴方たちに最後まで付き合いますよ」
「はは、そうですな。……しかし長い道のりになりそうだ。我が輩も、この料理の隠し味に至るのはいつになることか」
そう苦笑いして、マレットは最後の肉料理を残念そうに口に運ぶ。ゆっくりと咀嚼しながら、食器を皿の上へと戻したその直後、
「あ……」
「どうしました?」
「いや、隠し味がな……。これは少量の、青リンゴの酒じゃ」
どうやら思った以上に豪胆な味方を得られたようだと、エルヴィスは隠すことなく苦笑した。
現在書きあがっている分は以上です。お待たせして申し訳ありませんでした。
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