第八話 美食家貴族
フラリアの首都レキハ、その政治的中枢である宮廷内では、貴族たちにより頻繁に夜会が開かれる。
豪華な食事と煌びやかな着物によって彩られたその夜会には、たった一回で幾百人の人間を飢えから救えるだけの資金がつぎ込まれている。その上この夜会の場が、貴族達がさまざまな政治的根回しを行う賄賂と汚職を裏に隠す表舞台であることを考えれば、もはやこの夜会の存在意義さえもエルヴィスには疑わしかった。
(それでも、最低限参加しなければいけないというのも、何とも口惜しいものだな)
その夜会が行われる宮廷前まで到着したエルヴィスは、馬車から降りると同時に心中でそんな愚痴を呟き始めた。
エルヴィス個人としては、こんな時間と金の無駄遣いに付き合うくらいならば、とっとと帰って新しい転移魔術実験の術式を書き上げてしまいたいくらいである。
そういえば、最近自身の領内で開発された新しい触媒の試作品が送られてきていた。これまでの物と比べ魔力伝導率がわずかながらも上昇したというそれを、エルヴィスはいまだ自分の目で確かめることができていない。
反動が強すぎて使用者が吹っ飛ぶ失敗作術式【空圧砲】の改良版もまだ三号術式の試用が済んでいないし、先日やっと手に入れたアンドリュース・ヒューイット博士の遠隔通話術式の技術論文にもまだ目を通せていない。南方の大陸に住むミルリダ族の使う魔術文字・モルディム文字の他文字との性能比較も半年前から滞ったままだ。
「……よし、帰ろう!!」
「何をすがすがしい顔で逃走を図っているんですか」
再び馬車に乗り込もうとしたその襟首を護衛のダスティンに掴まれ、エルヴィスの門前帰りは辛くもその企みを阻まれた。
(まあ、流石にここまで来て帰るつもりはないけどさ)
ダスティンたちと別れて会場へと足を運びながら、エルヴィスは内心の帰宅への未練と涙ながらに別れを告げる。そもそもエルヴィスには、今日この場所に来るだけの目的があるのだ。
(さて、とっとと目的のあの人と話して帰る……ってわけにはいかないだろうな)
入ってそうそう、居合わせた貴族たちと下らない会話を交わしながら、エルヴィスは幼少のころより鍛え上げた鉄扉面の下でそう独り言ちる。ちなみに『下らない』という表現は『他愛もない』などという別表現と意味を同じくしない。文字通り下らない、そのくせ油断も隙もない詮索と欲望の潜んだ会話だった。
次々にやってくるそれらの相手をいなし、躱し、牽制し、幼少より叩き込まれた処世術で切り抜けるころには、流石のエルヴィスもいい加減うんざりしてきていた。なにが悲しくてこんな立場に生まれてしまったのかと嘆きたくもなるものの、だからと言って投げ出すわけにお行かない。普段部下の前でこそ好き勝手にふるまってはいるが、自分の肩にかかる責任ぐらいエルヴィスとて自覚はしているのだ。
それに何より、今の自分には重要な目的もある。
(ああ、やっと見つけた)
群がる貴族たちをようやくあしらった後、一人離れて城の使用人に詰め寄っている一人の巨大な人物を、エルヴィスはようやくといった気分で発見する。
太めのものが多い貴族たちと比べても、なお太って見える巨漢の男。ただその体の大きさの割に、ひげを蓄えた顔からは威厳や威圧感よりも愛嬌の方がにじみ出ている。そんな年齢にしてエルヴィスの倍近くにもなろうという男が、何やら料理の皿を手にしたまま使用人に目を輝かせて詰め寄っている。
「だから一つだけ、たった一つだけ我が輩の質問に答えてくれればいいんじゃ、この料理に使われているソース、これに使われている隠し味がどうしてもわからん。ぜひともこれを作った料理人と話をさせてくれ」
「いえ、ですからマレット辺境伯様。生憎とこれを作ったものはすでに城を離れております。ご要望などがあるようでしたらまた後日ということに……」
「いや、そんなはずがない。料理人が料理だけ出して持ち場を離れるなど何かの間違いであろう。なあ君、頼むこの通りだ。なにもタダでとは言わん。料理人の方には私から十分な礼をする。なんだったら東の国に伝わる料理の知識をこちらから提供してもいい。だから――」
「またやっているんですかマレット卿?」
困り果てる使用人に流石に同情を覚え、エルヴィスは嫌々ながらも詰め寄る男を止めに割って入る。
「それでは申し訳ありませんマレット辺境伯。わたくしもこれから仕事がありますので」
止めに入った瞬間の使用人の態度は劇的だった。マレットへの対応に辟易していたらしい使用人は挙動だけでエルヴィスに礼を示すと、これ以上絡まれてはかなわないとばかりに素早くこの場を離れていく。どうやらかなり長い間彼への対応に悩まされていたらしい。もはやなりふり構わぬといってもいい具合の逃走ぶりだった。
「ああ、待ってくれ!! 君、おい君!!」
「お久しぶりですねマレット卿」
未練がましく後を追おうとする男の行く手を体で遮って止めながら、エルヴィスは相手の出方を待つことなく話を進めにかかる。目の前の男、マレット辺境伯こそが今日エルヴィスがわざわざこんな場所まで来た理由だった。
「お、おお。これはこれはクロフォード公爵。お久しぶりですな」
「この前は貴重な資料をありがとうございました。あのような資料を提供していただいたこと、本当にありがたく思っています」
「ああ、いや。あれは私の個人的な趣味の産物でしてな。それにこちらも貴重な本をお譲りいただけましたし、むしろこちらの方がもらいすぎというものですよ」
いまだ未練がましく逃げ去った使用人と視線を交互しながら、マレットはエルヴィスとそんな挨拶を交わす。一応会話は成立しているものの、エルヴィスは何もこんなあいさつ程度の話をするためにこんな場所まで出向いてきたわけではない。
「ところで、一つ折り入ってお話があるのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ……、ええ。よろしいですとも。それでは部屋をどこか用意させましょう」
エルヴィスの申し出に、マレットはしぶしぶといった様子で自身の興味の追及を諦める。会談の段取りができ、ようやくこの騒々しい場所を離れられることにエルヴィスはこっそりと安堵した。
政治的会談の中心ともいえる宮廷内には、当然それ用の部屋というものも存在する。これは何も公的な会議に使われる部屋という意味だけではなく、非公式な密談などについても同様だ。近くにいる城の人間を捕まえて、その人間に部屋を用意させれば簡単に二人の会談場所は手に入る。
ただし、案内人への賄賂は必要だ。これを渡すのと渡さないのとでは扱いが大きく変わり、賄賂なしではしばらく待たされる、粗末な部屋に案内されるなどの嫌がらせを受けるのはまだいい方で、最悪の場合案内役が政敵に買収されて壁の向こうに間諜が潜む盗み聞き用の部屋へと通されたり、出て行ったと思っていた案内役が外で聞き耳を立てていることさえある。
対して、賄賂を余計に渡しておけば用が済むまで他者が近づかないように計らってくれるという利点もある。とは言え、正直信用という意味ではあまり高いとは言えない相手だ。エルヴィス自身利用頻度はそこまで多いとは言えないが、だからと言ってまったく使っていないとそれはそれでいい印象をもたれない。最悪盗み聞きされても影響の出ないような会談をするならば、定期的にこういう場所を使って、役人たちの“お得意様”になっておく必要がある。
まさに末期症状、とも言える状態だ。
「というかマレット卿、その料理、まだ食べるおつもりなんですか?」
部屋に来るにあたって使用人に運ばせた酒と料理のうち、マレットの前に運ばれた量を見て、エルヴィスは呆れながらそう問いかける。とはいえエルヴィスにとってこの質問は聞くまでもない質問だ。
「うむ……。なんとかこの料理の隠し味を解き明かしたくてな。何というか、そう、ここまで出かかっているのだが、あと少しというところで出てこないのだ」
「これから食事をしようというときにここまで出かかっているとか言わないでください」
若干げんなりしながら二人で乾杯し、とりあえず二人は食事を開始する。先ほどまで食べていたマレットは別にしても、エルヴィス自身ほかの貴族達の相手でろくに食事をとれていない。できればなにがしかの論文を読みながら食べたいところではあったが、さすがに持ち込みはダスティンをはじめとする部下たちに阻止された。服の中に隠し持っていたものまで取り上げるのだから、驚きの洞察力である。
「ふむ……、これは、リンゴ……か? いや、ただのリンゴではないようじゃな」
「相変わらず、食事のこととなると目の色が変わりますね。こういってはなんですけど、また太ったんじゃないですか」
「ふむ。まあそうかもしれんの。まあ、食事がうまい証拠であろう」
「まったく、いい加減そろそろ健康には気を使ってくださいよ。そんな姿勢だから陰で豚呼ばわりされるんですよ」
「そういう君は所構わず言っているようではないか」
「言わなきゃ減量しないでしょう」
周囲の目がなくなったせいか、エルヴィスとマレットの間からは互いに遠慮というものが消え始める。この二人、爵位こそエルヴィスの方が高いものの年齢はマレットの方が倍近く高く、それでいて互いが自身の遠縁の親戚にあたることや、似たような精神構造を持つことなどの理由で、個人間の付き合いでは互いにあまり遠慮しない。人目がある場でこそ爵位に気を使った振舞をしているが、それがなくなった状態で顔を合わせるとこの調子である。
「まあ、それにそもそも、私が豚呼ばわりされている理由はこの体型のせいだけではないのでな。今更痩せたところで呼び名は変わらんだろう」
「どうしてです? 明らかにその肥満体を指しての悪口でしょうに」
「言葉を選んでくれないと我が輩でも傷つくのじゃが……。いや、まあ、実はそうでもないのだよ。実際、我が輩がそんな呼ばれ方をするようになったころは今ほど太ってはいなかった」
「そうなんですか? 自分はてっきり幼少のころからそうだったのかと思ってましたよ」
マレット辺境伯ことアントン・マレットが料理というものに目覚めたのはそれこそ幼少期の話だ。
美食家の両親が雇った料理人たちが働く厨房を眺め、幼かったアントン少年は伝承に残る英雄の武勇譚よりも、目の前の厨房で腕を振るう料理人の姿に憧れを抱いたのだ。
彼らの作る料理の味と香り、そしてその見た目の美しさに魅せられた彼は、その後も暇さえあれば厨房をのぞきに行き、遂には自身も彼らの真似をし、さらにはその仕事に加わって腕を磨くようになった。そうして月日が流れ、彼が家督を継ぐ頃には、貴族であると同時に立派な腕を持つ料理人という、現在のアントン・マレットが誕生していたのである。
幼少のころからの、生粋の料理人にして美食家。それがアントン・マレットという貴族の人間性だった。
「そりゃぁ、確かに我が輩は幼いころからよく食べる子供であったが、それでも君が生まれるくらいまではそこまで太ってはいなかったのだぞ。そもそもそうでなければ今の妻とは結婚できなかった」
「……まあ、確かに」
マレットの言い草に、エルヴィスは思わずそう納得してしまう。このお世辞にも美男子とは言えない貴族には、およそ似つかわしくないほどの美しい細君がいるのである。ちなみに、彼には跡継ぎの息子一人のほかに娘が二人もいるがいずれも母親ににて美しく、彼を知る者は皆口をそろえて父親に似なくてよかったと呟いている。
「でも、だとしたらなんだってそんな不名誉な呼ばれ方をするようになったんです?」
「……豚の餌だと思っていたんじゃよ」
エルヴィスの質問に顔をしかめ、どこか嘆くような目で虚空を見つめながらマレットはそう答えを返す。
「我が輩がその呼び名で呼ばれ始めたころというのは、ちょうど我が輩が庶民の料理を研究し始めていた時期でな」
「おや、それは最近の話ではなかったのですか?」
「いや、あまり大っぴらにはしていないが随分前から頻繁に行っていはいたのだよ。
……ただの、それを聞きつけた貴族たちの中に、我が輩が家畜の餌を好んで食べるといい始めるものが出てなぁ……」
「……なるほど、それでそんな不名誉な仇名、というか悪口を言われるようになったんですか。それはまた……」
顔をしかめながら言葉を切り、エルヴィスは目の前の料理へと目を向ける。
宮廷の料理というものは、とにかく華やかで贅の限りを尽くされている。こんなものを食べ慣れている、もっと言えばこんな者しか食べない貴族たちにしてみれば、庶民の食事というものはさぞかし粗末に見えることだろう。様々な立場のものと食事をする機会が多く、しかも食事など腹を満たして健康が保たれればどんなものでも同じと考えるクロフォード家の兄妹にしてみれば滑稽な思考だが、貴族の中には自分たちだけではなく、自分たちが口にするものにもそれ相応の“格”を求めるものも多くいる。
「まあ、そういう訳だから。我が輩はむしろこの体格を維持していた方がいいと思うのだよ。我が輩の仇名が、我が輩の体格ゆえだと思っている方が、心穏やかに過ごせる者も多いだろう」
「……と言って、本音では減量が嫌だからそんなことを言っているんじゃないですか?」
「いや、そんなことはいいではないかね。それより君だ。我が輩は君の話を聞きたいのだ」
明らかに目を泳がせながらそういうマレットに対し、エルヴィスは白い目で見ながらも言っても無駄だと諦める。実際彼へのこうした減量の勧めは以前から事あるごとに行っているのだ。今回もまた適当にごまかされることなど最初から目に見えていた。多少不愉快な情報が出ては来たものの、この程度の会話はむしろ挨拶でしかない。
「さて、そろそろ本題に入ろうか。君がゼインクルで何を見て、何を感じたのか。そして何より――」
グラスを手に取り、注がれた酒を静かに口にし、マレットは貴族の顔でエルヴィスを見つめる。料理人ではない彼の姿が、今目の前のそこにある。
「――改革を進めんとする我々に協力していただけるのか、そこを是非とも聞かせていただきたいのじゃよ。エルヴィス・クロフォード公爵」
ご意見、ご感想、ポイント評価等お待ちしています。




