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故国に捧ぐカタナ  作者: 数札霜月
第二章 忠
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第二話 爪痕の知らせ

 あけましておめでとうございます。

 今年もよろしくお願いいたします。

「……俺はもう二度とあんな怪しい儀式には立ち会わんぞ」


 倒れた侍女を医務室へと担ぎこんだ後、介抱をエミリアとアネットに任せ、部屋の外で疲れ切ったため息とともに忠継はそう誓いを立てた。ちなみに、エルヴィスとダスティンの二人はすでに席を外している。本人も騒ぎで忘れそうになっていたが、アネット達があの部屋に訪れたそもそもの理由というのが、あの二人を呼んでくるよう言われてのことだったのだ。

 幸い倒れた侍女の具合はたいしたことなく、エミリアの見立てではしばらく寝ていれば良くなるということだった。

 こんな騒ぎが日常的に起きていたのかと思うと、流石の忠継もこの屋敷の者たちに尊敬の念さえ覚えてくる。


(……考えてみれば、俺も少しこの国の人間に対し相応の敬意を示すべきなのだよな)


 思えば忠継は、今までこの国に住む異人に対してへりくだるような真似をほとんどしてこなかった。むやみに見下すようなことこそしなかったが、高い位にあると見えるエルヴィス達にすらも出来得る限り対等に接するように心がけてきた。

 だが、異人といえども己と同じ人間だ。忠継とてこの国で二月近くも暮らしていればそれくらい実感できる。

 ならばこそ、下らない虚勢で敬意を隠すような真似はせず、高位の者や年上の人間にはきっちりとそれを示すべきかもしれない。


(とは言ったものの、そもそも俺が知るこの国の高位の者と言えば……)


 まず真っ先に思い浮かぶのはエルヴィスとエミリアだ。この二人はこの国で貴族という、言ってしまえば大名のような高い地位にいる人間らしい。

 だが、この二人に頭を下げて敬うべきかと問われると正直とてもそんな気にはなれない。先ほどの怪しげな魔術を見ても判るとおり、とにかく行動が突飛で位の高い人間とはとても思えず、この家の人間ですら二人のああ言った行動を諌める際あまり遠慮しない風潮がある。そもそもの話、これまでの付き合い方をいきなり変えてしまうこと自体、忠継はあまり乗り気ではない。


「……かと言って、この男のような人物を尊敬するなどあり得んし……」


 呟き忠継は、廊下の先の階段近くに飾られた、この屋敷本来の住人の肖像画に侮蔑の目を向ける。

 そこに飾られていた絵には、ひげを蓄えた太った男の肖像画が、その奥に空間が広がっているかのような、話にしか聞いたことのない珍妙な技法で描かれていた。

 パイアス・マコーマック。それこそが今忠継達がいるゼインクル直轄領を治めていた執政官の名前であり、同時に忠継が腹の底から怒りを抱いている男の名でもある。

 およそひと月前、先にこの国と隣国との間に起きたという戦争、その後に起きているいくつかの災害を調べるためにこの地を訪れ、マーコックの使っていた屋敷に逗留したクロフォード家の面々が見たものは、予想をはるかに超えるこの土地の惨状と、それを悪化させ黙認し続けた執政官の汚職と怠慢の証拠の数々だった。

 言うまでもなく、忠継は怒り狂った。

 この国の貴族と呼ばれる者達を自分の国の武士や大名と同じものと考えていた忠継は、そんな武士の風上にも置けぬ輩を許しておけるかと喚き立て、『そんなけしからん輩はいっそ斬り捨ててくれる!!』と周りの者に詰め寄った。

 だが、いかに魔力を斬ることができる忠継でも、相手が死人ではどうしようもない。

 結局、後に残ったのは隠す者さえいない証拠品の数々と、それによって生まれた悲惨な領民たちだけだった。

 こんな相手を敬うなど、忠継自身冗談でもできはしない。


(この国の上には碌な者がいないな……)


 忠継が他国の権力者の人格を勝手にそう判断していると、アイラを運び込んだ医務室の扉が開き、中から二人の女が歩み出る。


「それではお大事に」


「お、お大事にアイラさん」


 同時に出てきたとはいえ、二人の様子は見た目から表情までまるで正反対だった。金髪の女、エミリアは、先ほどまで着ていたひらひらとした桃色の服の上に丈の長い白い着物(文字通り白衣というらしい)を羽織り、鼻歌など歌いながら空中になにやら文字らしきものを並べている。その文字は大方先ほどの実験に使っていた文字なのだろう。

 それに対してアネットはというと、


「……あり得ません。ここの人達、絶対変です……」


 この家に仕えるようになって格段にきれいになった銀色の髪をクシャリと掴み、閉じたばかりの扉にもたれかかって、よくダスティンがついているような溜息をついていた。


「いったいどうしたというのだ?」


「え、あ、いえその……、さっきアイラさんが目を覚ましたんですが、私が『大丈夫ですか』って尋ねたら、その、アイラさんが『慣れてますから』って返して来て……。こんなことに慣れているなんて、どう考えても変ですよ……」


「なんだその程度のことか」


 『“あの程度”のことでまだまだこの娘も甘いな』などと思ってから、忠継はその考え方が染まってきている証であると気がつき、その顔を嫌そうな表情へと変えた。

 アネットはこの家に仕えるようになってまだ一月程度という新入りだが、忠継にしたところでこの家に関わるようになってまだ長いとは言えない。

 もっともアネットに比べ、忠継はエミリア達と接する時間が格段に多いのだが。


「いつもこうなんですかこの家は……?」


「俺も良くは知らん。ただ、家の者の話では、俺が来るまではこういった騒ぎが頻繁にあったようだ」


 考えてみれば、二人のあの様子は忠継がこの国に来た直後の、忠継の祖国の話を聞く際の様子に似ている。恐らく忠継が来る前はああした実験で二人は好奇心を満たしていたのだろう。ここ最近ゼインクルでの活動で全く余裕のなかった二人にとって、今日のような実験はある種必要な気晴らしなのかも知れない。

 そう思ってエミリアを見ると、


「やはり最大の問題は行先の設定をどうするかでしょうか! タダツグさんをこちらに連れてきた術式は恐らく何らかの条件設定を行ってそれを行っていたはず……、ああ、でもそれだと同じ条件の別の都市に出てしまう場合もありますし……、いえ、それはそれでかえって魅力的……!! うふ、うふふふふ」


 絶対にいい予感がしないことを明るく呟きながら、仕草だけは上品に笑う異人の貴族の姿があった。

 考えてみれば彼らの実験では彼らが気晴らしできても、今度は周囲の人間の心労が募るばかりだ。今日のように直接被害を受ける人間も出かねない。


「おいエミリア、無駄だと思うから実験とやらをするなとは言わんが、するならもう少し周囲と身の安全に気を配れ。お前やエルヴィスに何かあったら取り返しがつかんのだろう? 聞けばお前たち、跡継ぎどころか伴侶もいないというではないか」


 これに関しては以前友人の騎士ライナスに聞いて、忠継自身かなり驚いた事実だ。この二人、兄のエルヴィスは二十五、妹のエミリアでさえ十八にもなるというのに、いまだに伴侶はおろか婚約者すらいないらしい。

 いかに国が違うといえど、跡継ぎを絶やすわけにはいかないのは忠継の武内家もこの国のクロフォード家も変わらない。だというのにこの二人、婚約者をえり好みしたり、逆に奇行が目立ちすぎて断られたりと、とにかく結婚の機会を潰しつくしているというのだ。

 二人、特にエルヴィスにも言い分はある。

 クロフォード家は貴族としては最高位の位である公爵の位に位置する貴族で、加えて先先代が領内で行った技術革新によって非常に強い経済力を持っている。しかもエルヴィス自身がいくつかの魔術の発明で事業を複数起こしているため、貴族として土地を治める身でありながら個人でも実業家として活動しているというかなりの地位の持ち主だ。当然その地位や財産を目当てに近寄って来る者もやたらと多い。

 そしてこうした人種に対し、エルヴィス達はあまりいい感情を抱いていない。

 当然と言えば当然だ。いくら世の仕組みとして仕方のないこととはいえ、誰だって自分やその身内に、下心丸出しの人間やそうした人間の息のかかったものを近づけたいとは思わない。たとえ近づく本人にその気がなくてもだ。

 しかもそうして近づいてくる人間に限って、クロフォード家に対して代わりにもたらす利益が非常に薄い。全くないというほどではないが、無理して欲するほどのものでもなかったり、それなりの利益はあるものの、代わりに厄介な勢力争いに巻き込まれかねなかったりと碌な相手がいないのだ。

 二人が結婚にふみきらないのは相手がいないからという言い方も、実のところできなくはない。とはいえ、だからと言って跡継ぎがいないという事態が大問題であることに変わりはないのだが。


「お前たちが揃っていなくなったりでもしてみろ、跡継ぎがいなくなったこの家はお取り潰しになるやもしれんのだぞ」


「いえ、その場合は親戚の誰かが後を継ぐ形になるのですが……。それにタダツグさん、この実験はタダツグさんにとっても必要なことなんですよ」


「必要なこと?」


「ええそうです。もしこの魔術の実験に成功すれば、技術的に不可能だったタダツグさんの国への魔術による帰還も可能かもしれません」


「……え、帰還……?」


 隣でアネットが反射的な声を上げるのを聞きながら、忠継は内心で『やはりそう来たかと』眉をしかめる。エミリアに言われずとも、二人が研究しているのが忠継をこの国へと連れてきた『転移魔術』であることは感づいていた。そしてそれが完成すれば、位置すら分からない祖国へ帰ることができるかもしれないことにも。

 だが、


「お前たちの魔術とやらに命運を預けるというのはいささか以上に不安を感じるのだが……」


「大丈夫ですタダツグさん。伝道者も魔術には『失敗を積み上げた山が成功への足場となる』と言っています!!」


「伝道者……、いや、待て、それよりその言葉の意味は……?」


「要するに、魔術というのは失敗を繰り返しながら成功に近づけていくものだという意味で――」


「要するに失敗するのではないか!!」


 冗談ではなかった。どことも知れぬ別の土地に飛ばされるなどという経験は一度すればもう十分である。何を好き好んで二回も三回も繰り返さねばならないと言うのか。


「そもそも、その伝道者とやらは一体何なのだ。初めて聞く言葉だが」


「伝道者というのは真円教において、魔術を私たちに教え伝えたといわれている神の御使いの呼称です」


「要するに異教の教えか? だったらいい。もう聞かせるな。異教の教えに染まるのはまずい」


 エミリアの言葉に忠継は慌ててそう告げ、強引に会話を中断する。洗礼でも受けない限り大丈夫だとは思うものの、それでも危険な話をわざわざ聞きたいとは思わない。


「まあ、切実な問題のようなので宗教に関してはまあいいでしょう。ですが、魔術に関しては譲れません。せっかく件の魔方陣に使われていた文字を兄様が思い出して何とか形にしたのに、ここで止めるなんて絶対にできません」


「そうは言うが……」


 言いかけ、しかし忠継は自分が口にしようとしている言葉の不毛さに気付いて代わりにため息を吐く。ここで言って聞くような相手ならば、そもそもこの屋敷の人間に辞めさせられているはずなのだ。

 もしも二人を無事でいさせたいのなら、ダスティンがそうしていたように現場に立ち会って直接止めるしかない。特に忠継は魔術に対して【カタナ】という解決手段を持っているのだ。ならば忠継がいることで未然に、あるいは事態に直面した際に防ぐことのできる危機もあるだろう。

 結局そこに行きついてしまった思考にうんざりしながら、忠継は理性と良心にあらんかぎりの力を込めて、必要な言葉を絞り出す。先ほど一人誓ったはずの言葉は、早くも撤回せねばならないようだった。


「……できるだけ身の安全には気を使え。それとやるならやるで俺を実験に立ち会わせろ。一応俺も今ではこの屋敷に仕える形となっている身だ」


「それなら大歓迎です!! タダツグさんもやっと魔術に興味を持っていただけたのですね!!」


「どうしてそうなるのだ……」


 能天気なエミリアの解釈に再び嘆息しながら、忠継はひとたびこの議論を諦める。そうしたときふと横でアネットが不安げな表情でこちらを見ていたことに気付いたが、その理由を問う前に別の声がその場に飛び込んできた。


「ここにいたか、タダツグ!!」


 声に振り返ると、廊下の端から割と親交のある友人・ライナスがこちらに駆け寄ってくるのが見て取れる。ライナスは隣に立つエミリアに軽くこの国の敬礼をすると、忠継に視線を戻してすぐさま要件を告げてくる。


「すぐに来てくれ、エルヴィス様と団長がお呼びだ」


 この屋敷で、忠継が呼ばれる要件と言うのは非常に限られている。ましてやダスティンの名前が一緒にあるとなればなおさらだ。


「また妖魔が出やがった。すぐに支度しろ忠継」


 『妖魔』という言葉が、その場の空気を張りつめさせる。届いたその知らせは、ひと月の間に何度もあった、しかし一向に慣れることなき爪痕の知らせだった。


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