第一話 妖しい儀式
お久しぶりです。一生まとめて投稿しようかとも思っていたのですが、それだといつになるかわからないので、こちらは機会を見てちびちび投稿していくことにいたしました。
一気に切りのいい部分まで行進することはできませんが。お付き合いいただけると幸いです。
薄暗い、日航が完全に遮断された部屋の中で、地面に描かれた奇怪な紋様がこうこうと光り輝いていた。
徐々に光を強める魔方陣と呼ばれるその紋様の傍に佇むのは、金色の髪を揃ってもつ二人の男女。
彼ら二人は、紋様の両側に跪いて地面の紋様に触れると静かに顔を上げて揃って口を開く。
「天にましますわれらが神よ!! あなたがお与えになった魔術の技術発展のため、今ひとたびその御力を与えたまえ!!」
「一番回路、七、八、九番回路、問題なく起動。あっ、兄様、二番回路も起動しましたっ!!」
「よし、三番と五番も起動だ。今回は調子がいいぞこの調子ならうまくいくかもしれないっ!! あとは祈れエミリア!! 今回の実験に神のご加護があらんことをっ!!」
「はい兄様!! 神よ、私たちのこの実験にご加護を、ご加護をっ、ご加護をぉぉぉぉおおっ!!
「オォォォォォオオオオマンダムヤンダァッ、アルアルアァァァアアア!!」
「オーネスト、ハイネスッ、ソルドリアァァァアアン!!」
「オンッ!! レァッ!! ファイィィッ!! サァッ!!」
直前までの厳かな雰囲気を砕き割るように叫び、ついには奇怪な踊りまで始めた男女に、壁際に寄り掛かってそれを眺めていた忠継は自身の頬が引きつるのを感じ取る。それほどまでに目の前で奇声を上げる男女、エルヴィス・クロフォードとエミリア・クロフォードの兄妹の行いは奇行の一語に尽きた。
ただでさえ妖術と区別のつかない魔術の実験が、もはやただの妖しい儀式にしか見えない。
「……一つ問おう。あの二人の呪文は本当に必要なのか?」
「……いや、まったくの不要だ。前半は一応祈りの体をなしていたが、後半のは完全にただの悪ふざけだな」
忠継の漏らした呟きに、同じく壁に体重を預ける短髪の大男、ダスティンが額に手を当てながら答える。忠継の倍近い年齢のこの男は、目の前の光景に頭痛をこらえるように手を当ててため息をついていた。
「正直俺はこれがすべて異教の教えでの祈りの文句なのかとも思ったのだがな。唱えている文句も俺の国でいうところの般若心経か何かなのかと……」
「そのハンニャシンキョウとやらが何だかはわからないが、少なくとも正式な祈りの作法でないのだけは確かだな。そもそもあの二人とて祈祷円を出していない」
「祈祷円? ああ、よくお前らが食事の前なんかに顔の前に出しているあれか?」
最近知ったのだが、異国の宗教では祈る際には顔の前に魔力の円を描き、その上で手を合わせるのが正式な作法らしい。これを知るまではこの国の宗教に染まることで故郷に帰れなくなる可能性を常に意識してた忠継だが、そもそも祈り方自体が真似できないものであると知ってかなり安心したのでよく覚えている。
そもそもこの国の人間ではなく、この国の人間が言うところの『マーキングスキル』を持たない忠継には、あんな祈祷円など出せるはずがないからだ。
「相も変わらず真円教の教えを受けるつもりはないのか、タダツグ?」
「当たり前だ。言っただろう? 俺の国では異教の教えはご法度だ。あの教会とやらに一歩でも足を踏み入れたら、俺はもう故郷には帰れん」
武内忠継はこの国で生まれ育った人間ではない。この国の人間が行ったと思しきとある魔術の実験によってこの国に来てしまった、こことは違う国の人間だ。
帰る方法はわからない。そもそも自身の国がどこにあるのかを、忠継自身が把握できていないからだ。一応エルヴィスによって実験を行った人間を探して、この国に来た時と同じ魔術を使って自国に帰るという方法と、あるいは自身の国の位置を探し出して船を使って帰るという方法の二つが明示されるなどしたが、実験者、自国の位置共に手がかり一つなく、忠継の帰国活動は暗礁に乗り上げているのが現状だ。
問題はそれだけではない。それどころかいざ手がかりが見つかっても、帰国そのものを不可能にする最悪の可能性が、この国ではごく身近に存在している。
「故郷には帰れん、か。まったく、貴様の頑なさもそうだが、貴様の祖国も随分と強硬だな。真円教の教えを受けても、魔術を使っても帰国できなくなるとは」
「俺の国で伴天連の教えはご法度だ。俺の国でもし伴天連が見つかれば、確か死罪になるか改宗を迫られるか、とにかく碌なことにならなかったはずだ。妖術など使ってみろ。もはや国に帰れても俺の居場所はないぞ」
「それは何度も聞いたがな、せめて便所の水くらいは流せ。魔方陣は展開できずとも魔石に魔力を注ぐくらいはできるのだろう? 貴様屋敷にいた時もあの仕掛けをまったく使わなかったではないか」
「断る。妖気を注いだだけで水が現れる厠など、妖術臭いにもほどがある。あんな怪しいもの断じて使わんからな!!」
この国に来て驚かされたことなどもはや数えきれないほどあるが、その内の一つとしてこの国の厠の中には便器に魔力を注ぐことで魔力が水に変わり、だしたものを流し落すという驚きのからくりがある。
どうやらこの国では、厠で用を足した後出したものを水の魔術で押し流す習慣があるらしく、便器のからくりはエルヴィスがそれを魔方陣抜きで行えるように組み込んだものらしい。忠継自身は一度見せられただけで一度も使っていないが、エルヴィスが言うにはこの国でも非常に珍しい画期的な仕掛とのことだった。エルヴィスはそういう非常に珍しい画期的な仕掛けを作り仕掛ける趣味がある。
「まったく、そうして魔術は毛嫌いするくせに、貴様【カタナ】は躊躇なく振るっているな。あれとて魔力を使う技には違いなかろう」
「一緒にするな。妖術を斬り、化け物を斬る。あれと貴様らの妖術のどこが同じだというのだ」
「……はぁ。まったく貴様というやつは……」
額に手を当て、ダスティンの言葉が尻窄みに消えていく。そもそも二人とて本気で衝突していたわけではない。忠継がこの国に来た当初は同じようなやり取りを屋敷中の人間と本気で行っていたものだが、すでにこのやり取りは慣れきった形だけのものになっている。もっとも、厠の件などは忠継に改めてもらいたいと思っている人間は多数いるので、定期的にこのような言い合いがあちこちで交わされるのだが。
「ところで、あのあやしい儀式はいつになったら終わるのだ? 見たところ特に変わったことにはなっていないようだが……」
「ああ、そんなもの珍しくもない。お二人の実験は失敗の方が多いからな。むしろ何も起こらないでくれた方がこちらとしては楽なくらいだ」
「……それなら最初からやらせなければいいのではないか? エミリアはともかく、エルヴィスは領主として忙しい身だったはずだ。こんな奇怪な儀式にうつつを抜かさせてないで、領主としての本分に邁進させればいい」
「そんなこと言われずともとうの昔に考えたのだがな……。生憎とそうもいかんのだ。エルヴィス様は定期的にこうした実験をさせておかないと仕事の効率が格段に落ちる。しかもだんだんとこちらの目を盗んで実験するための悪だくみばかり始める始末だ。やめさせようとしてもかえって全てが上手くいかなくなるだけなのだよ」
「どこまでも厄介な……、む?」
つきかけたため息を、しかし忠継は目の前で起きた変化に思わず飲み込む。エルヴィスとエミリアが奇怪な踊りを踊る向こうに、なにやら蜃気楼のような、景色の歪みのようなものが現れているのを見て取ったのだ。
なんだろうと忠継がその歪みを凝視していると、同じくそれに気が付いた兄妹が二人揃って奇声を上げた。
「来たぁぁぁぁっ!! 来たぞぉっ!! だがまだ弱い!! もっと出力を上げろぉっ!!第四と第六も起動だぁっ!!」
「兄様、兄様!! 七番術式が邪魔です、切断してもいいですか!?」
「構わん!! 緊急停止術式などこの際地面ごと吹っ飛ばせ!!」
「ちょっ!?」
二人の会話にダスティンが顔色を変えるなか、エミリアは右手に人の顔ほどの魔方陣を展開すると、そこから空気の塊を打ち出して石畳を粉々に破壊する。
地面には中央の巨大な魔方陣と周囲の魔方陣のうちの一つをつなぐ線が描かれていたはずだが、地面ごと砕かれたことでその線が失われ、つなげられていた魔方陣も輝きを失った。
そしてその代わりとでも言うように、魔方陣の上の歪みがさらに強くなり、景色がだんだんと渦を巻いてついには黒い穴のようなものへと変貌する。
「よぉし来たぁぁぁぁぁ!! 空間の歪みだ!! やはり転移魔術は実現可能だ!! 後はこの中に何があるか――、なにをするダスティン!!」
「何をするもなにも、あなた今あの穴に腕とか突っ込もうとしたでしょう!! 許しませんぞあんな得体のしれないものにそんなこと!! なにが起こるか分からんのですぞ!!」
「だからこそ調べるのではないですかダスティンさん!! 兄様でダメなら私が試します。だから放してくださいタダツグさん!! あの向こうには未来の可能性が無限に広がっているのです!!」
「俺には地獄の入口のようにしか見えん!! 食いつかれでもしたらどうするん――、おい、あの穴少し広がっていないか?」
「ふえ?」
取り押さえるエミリアの間の抜けた声を聞きながら、忠継はしばし歪みの中にある穴を凝視する。隣ではダスティンと彼に取り押さえられたエルヴィスが同じように穴を注視し、その動向を目を見開いて見守っていた。
すぐにはその変化に気付けなかった。
だが、四人がじっと凝視するうちにだんだんと穴は広がっていき、その広がりがある一線を超えた瞬間、
「す、吸い込み始めてますぞぉぉぉぉぉ!!」
周囲の空気が穴の中へと流れ込み、広い室内に暴風が荒れ狂う。穴の拡大は徐々に勢いを増し、ついには人一人を飲み込めるような大きさにまで膨れ上がった。
「素晴らしい!! かつてこれほどまでに空間に干渉できる術式があっただろうか!! やはりあの文字は本物だった。あの魔方陣の開発者は本っ当に素晴らしい!!」
「今その素晴らしい術式のせいで一大危機ですけどねぇ!! っていうか、あれに吸い込まれたらどこに飛ばされるんですか!!」
「え? 聞いてなかったんですかダスティンさん? 今回の術式は空間に干渉できるかだけをまず確かめるだけの実験なので、目的地は特に設定していないんですよ」
「つまり吸い込まれたらどうなるか分からないということですなそうですか!!」
ダスティンのほとんど悲鳴と言っていい叫びを聞きながら、忠継は嘆息と共に暴れるエミリアを担ぎあげる。例え目的地が設定されていたとしても穴に吸い込まれて無事に帰れる保証はない。そもそも、無事に帰れていないからこそ忠継は今ここにいるのだ。ならばもう、この場であの穴にするべき対処は一つしかない。
「ダスティン、とにかくこの場を離れろ。あの穴は俺が斬り捨てる」
「まあ、そのためにお前を同席させたのだからな……。とはいえ迂闊に近づくなよ。あんな規模の魔力を一気に無力化して浴びたらぶっ倒れるからな」
「わかっている。あんなのは俺ももうごめんだ」
抵抗する主を鎖の魔術で縛り上げるダスティンにそう言い返し。忠継はエミリアを担いだまま反対の手で懐の短刀を抜き放つ。投剣術は最近エルヴィス達の勧めで仕込まれてきた。その精度は的が小さければ怪しいが、それでもあれだけ大きな的なら外さない。命中するまでに逃げられるようにできるだけ山なりに投げ、後は部屋を飛び出して壁の陰にでも隠れれば妖気の感覚に酔うこともないだろう。
後は短刀に妖術を斬る力を込めるだけだ。
「【カタナ】……!!」
口中で異人たちにつけられた、腰に差した刀とは音の違う別の名前を呟いて、忠継は自身の腕へと魔力と意識を集中させる。すると右腕に刀の刀身のような紋様が浮かび上がり、そこから生まれた妖気がすぐさま短刀へと流れ込んだ。
この国に来た直後に手に入れた、妖しきものを斬り捨てる不可思議な力、エルヴィスの発言と周囲の勘違いですっかり【カタナ】の名で定着してしまったその力を惜しげもなく使い、忠継は手の中の短刀を投擲するべく身構える。
「待ってくださいタダツグさん!! まだやり残していることがあります!! せめてあと一つ、後一つだけ調査を!!」
「調査だと……? 一体何をするというんだ」
「簡単です。あの中に頭を突っ込んで少しだけ覗いて――」
無視して投げた。
腕を振り上げると同時に耳元で上がる悲鳴に眉をしかめながら、忠継はすぐさま踵を返して部屋の外へと急ぐ。目指す先ではすでにダスティンが鎖でかんじがらめにしたエルヴィスを逆さまに背負い、扉に半ば体当たりする形で部屋からの脱出を果たしている。
「きゃっ!?」
だがそこで予想外の声が耳に飛び込んできた。どうやら扉の向こうに誰かが通りかかっていたらしく、見れば扉にぶつかりこそしなかったものの、驚き後ろに倒れ込む小柄な侍女の姿が見て取れる。
「南無三……!!」
見覚えのある銀髪の少女の姿に、忠継は焦りと共にさらに両足に力を込める。背後では宙へと投げられた短刀が回転しながら黒い穴へと近づいている。短刀に切られることで生じた魔力を浴びても死ぬことはないだろうが、それでも吐き気とめまいに襲われ寝込むことにはなりかねない。できることなら避けておきたい未来だ。
それゆえ忠継は少々予定を変更することにした。
「ぬ、ぅ、おおおおお!!」
気合いと共に全身に魔力を巡らし、特に足に魔力を注ぎ込んで己の速力を底上げする。この国に来た際ただでさえ上がっていた筋力が魔力という未知の力によってさらに底上げされ、地を踏み砕くような走りによって忠継の体を前へと押し飛ばす。
閉まりかけていた扉を体当たりで跳ね飛ばす。もはや閉めている余裕もない。
「ひゃぅ!?」
速度を落とすことなく少女のもとへと走りより、エミリアを担ぐのとは逆の手で少女を拾い駆け抜ける。建物の中ならば壁にぶつかりそうな勢いだが、生憎と外はそのまま庭先だ。祖国にいたときには信じられなかったような広大な庭が、その眼前に広々と広がっている。
だがから忠継は止まらなかった。方向を変える暇などない。隠れられるような物影もない。ならば逃れられる場所など一つに決まっている。
「ふんぬぉぉおおおおお!!」
気合い一声、踏切る足にありったけの力を込め、忠継はその身を思いきり宙へと投げ出した。人二人を抱えているにもかかわらず、その跳躍は建物の一階部分を軽々と凌駕する高さへと匹敵し、忠継と彼が担ぐ二人の体は瞬く間に地上を離れて重力に反逆して見せる。
「大概だなぁっ、貴様もぉっ!!」
うまく壁の陰に隠れていたダスティンが声を上げたその直後、爆発。
先ほどまでいた室内で空間に開いた穴が斬られて魔力が暴走し、行き場を失った魔力が巨大な爆音とともに扉から噴き出し、忠継たちの真下を駆け抜けていく。
少し離れていても感じられる強烈な妖気に軽いめまいをお覚えながらも、それをじかに浴びずに済んだことを忠継はようやく安堵する。魔力の暴走は一瞬の出来事であるのは前回似たような事態に出くわして知っていたため、その一瞬だけ危険範囲から逃れられればいいというのが忠継の判断だった。
「フゥ……。二人とも大事ないか?」
「大事ないもなにも一大事です!! せっかくの空間干渉術式が――」
「そちらは大丈夫か、アネット?」
「え? いえ、あの……、むしろ一大事でないことの方が無いといいますか、魔力がすごくて空を飛んでて、そ、それに胸……」
「……胸?」
忠継が疑問を抱いたその瞬間、ひと時の間忠継達を重力から引き剥がしていた勢いがついに使いきられ、三人を偉大な大地へと引き寄せる。それ自体は問題ではなかった。今の忠継ならば女子二人を抱えたままでも着地に支障はないからだ。
だが問題だったのは着地したその後の忠継が二人を下したその瞬間、アネットを抱えるにあたって、忠継がどこを触っていたのかを知ってしまったときだった。
次の瞬間、いまだ魔力による強化を残す忠継の両腕が大地を掴み、膝を折ってその頭を勢いよく叩きつけることで、地に生えた芝生を容赦なく叩き潰す。
それが忠継の国に伝わる土下座なる謝罪方だと理解できたのは、幸運にも忠継が次に発した言葉ゆえだった。
「す、すすす、すまなかったアネット!! どさくさにまぎれて女子の胸に触れるなど、拙者武士にあるまじき行いを……!! このうえはどのような詫びでも致しますゆえ――」
「い、いえいえっ、そんなとんでもない。よくわかりませんけどまたもお助けいただいたことはわかっていますから!! 私程度の物であればいかようにも……、あわわ……」
「す、すごいです。こんなに狼狽してへりくだっているタダツグさん、私初めて見ました……!!」
かつてないほど動転して平謝りに謝り続ける忠継と、それに負けないほど狼狽し、そのあげくにとんでもないことを口走りかけて真っ赤になるアネットを見ながら、ついついエミリアはそんなことを口走る。
実際、忠継と出会ってからのこの三カ月、エミリアは今まで忠継がここまでへりくだっている姿など見たことが無かった。
「と、とにかく顔を上げてください!! 私とアイラさんは助けていただいただけで十分ですから!!」
「いや、しかしそれでは……、む? 今アイラといったか?」
「へ?」
二人で顔を見合わせ、嫌な予感がして慌てて後ろを振り返る。そうすることで忠継はようやく気が付いた。部屋の扉の前、ちょうど先ほど扉の陰になって見えなかった位置に、見えなかったがゆえに助けられることなく逃げ遅れた侍女がもう一人立っていることに。
「……あ」
そうして、痛々しい沈黙を誰かの声がわずかに破ったその直後、声に反応するように魔力の奔流をもろに浴びた侍女が泡を吐いて崩れ落ち、同僚の少女の悲痛な叫びが広い庭にこだました。
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