決心と過去になる過去【後】
暫く静寂がその狭い部屋を支配した。目の前の男は何も話さず寛いでいるだけで、マティアスもまた男にかけるべき言葉を思い付かなかった。
「ちょっとは、立ち直ったのかな」
「あ?」
「俺に会う可能性もあることを知りながらもここに来たことだよ。今までのお前なら、絶対にしなかった行動だ」
「……ああ」
否定はしない。自分でも驚いているのだから。
そんなマティアスを見て男は笑った。悲しいような嬉しいような寂しいような、全てとれるような複雑な表情だった。
「すごいだろ? うちの子は」
唐突に言い、男はマティアスの懐に入れてある煙草を一本取った。自分で火をつけると煙を吸い込んだ。
「いつの間にか現れて、いつの間にか心の奥に居座ってるんだ」
男が吸ったことでマティアスも遠慮していた煙草に火を付ける。
答えはしなかったが、男にはわかっているのだろう。確信を込めた話し方をする。
「お前も変えられたんだろ」
「あの子が過去になるのは辛いが、このままでいたら一生前に進めない」
お前も、俺も、男は煙を燻らせながらマティアスを見た。
あの子、の話題にマティアスは身体を強張らせた。しかし、逃げることはしない。
「あの子は言っていたよ」
『私がいなくなってもこのまま前を見て未来に向かって歩いてほしい。そして、ほんのときどき後ろを振り返って思い出してくれればいい。私が存在していたということを』
最期は胸を掻きむしるほどの痛みだったと聞く。それでもきっと微笑みながら言葉を残したのだろう。
そんな彼女が愛しくて、哀しくて、マティアスは顔を覆った。
「ダリア」
「やっとお前に言えた」
男はそう言って笑った。心の底から安堵したような笑みだった。
男だって辛かったはすだ。たったひとりの肉親だった彼女なのだ。もしかしたら彼女がいなくなったことを一番嘆いたのはこの男かもしれない。
しかし、この男は憐憫の情など向けられることを良しとしない。
マティアスは黙ってただ目を伏せた。
他愛のない話をした。近況や騎士団の様子、少女のこと。
気付いたら日が落ちかけていた。マティアスは腰を上げた。
「俺は行く」
「また来い。いつでも歓迎してやるよ」
男を見返す。蒼い瞳に彼女の面影を見つけ、懐かしさを感じる。
もう怖くない。
マティアスが出ようとしたとき、
「オルガっ」
男の叫び声と、ドタドタとけたたましい足音が響いた。
「マーティ!」
名を呼ばれマティアスはゆっくりと振り向いた。
そこには予想した通りの小柄な少女が立っていた。しかし、顔は赤く息も荒い。無理して起き上がってきたのだろう。その手には髪飾りが握られている。
先ほど出ていくとき、机の上に置いてきたのだ。
「マーティ……」
マティアスは少女の頭に手を置いて軽く叩く。
「さっさと寝て治せ」
一瞬きょとんとした少女は、花が綻ぶような笑顔を浮かべた。
マティアスは目を見開き、少女を見る。心臓が大きく脈打ったのに気付かないふりをして少女に一声かけ、そこを出た。




