白昼夢と現実
どんなときでも笑みを浮かべていたその横顔を見て美しいと思った。
悲しかったときもあっただろう、苦しかったときもあっただろう、でも覚えているのは優しい微笑み。
――あなたは、とても優しい人だから。
何かがあって落ち込んだときに、いつも言ってくれた台詞。年下だったはずなのに母のような優しさで包み込んでくれた。
涼やかな声はどんな音色だっただろうか。
そう思った自分に愕然とした。
彼女が残した跡を見ないようにしていても鮮明に覚えていたはずの愛しい顔、声、匂い。何年も忘れなかった。しかし、今は霞んでいる。
そのことに驚愕と恐怖を覚えた。
たった今思い出していたはずの彼女の顔が闇に塗り潰されていく。
まるで、記憶の中から消えていくように。
はっと我に返る。
咄嗟に右手で顔を覆う。心臓が早鐘を打ち、こめかみからは汗が一筋流れていた。
いつの間にか煙草はフィルター近くまで減っていた。
一瞬ここがどこなのかわからなかった。
そうだ、確か自分は腹痛になった部下を便所に行かせて一服していたのだ。
用を足してきた部下が近寄ってくる。
「副団長、どうしたんですか」
「いや」
明らかに様子がおかしかったのだろう、心配そうに問い掛けてきた部下に力なく応える。
巡回に戻るために立ち上がり、煙草を携帯灰皿に入れながらマティアスは唇を噛み締める。
彼女を思い出すと同時に感じていた鋭い痛みが、今は和らいでしまっている。
少女が座っていた。その瞳に空を映して。噴水の縁に座り、ただ静かに空を見上げている。
最初に気付いたのは部下だった。
「あれ? あのこ副団長の仲良しのこじゃないですか」
否定するのが面倒でその言葉を無視した。
視界に紫銀が映る。
鮮やかな色が目に焼き付けられるのを遮るようにそっと目を閉じ、踵を返す。
「行くぞ」
「いいんですか? 声かけなくて」
困惑している部下を無言で睨み付けるとすごすごと付いてきた。
今は少女に会いたくはなかった。
必死で瞼の裏に彼女を思い浮かべる。
(まだだ)
風に乗って訴えかけるように花の香りが届く。
それを掻き消すように煙草の煙を吐き出した。
大切な彼女が自分の中で急激に小さくなっていくのを押し留めようとするように。




