冒険者
『緑石の標』という冒険者パーティがいる。
冒険者ランクはC。近隣ではそれなりに名の知れた一団だ。
『緑石の標』という冒険者パーティがいる。
冒険者ランクはC。近隣ではそれなりに名の知れた、中堅の一団だ。
その一行が――今、洞窟の中を必死に走り、逃げていた。
「クソッ!なんでこんな場所に……あんな魔物が……!」
叫んだのは、パーティのリーダーである剣士ザニアス。
短く刈り込んだ黒髪に、鋭い目つきをした男だ。走りながらも、何度も後方へと視線を飛ばしている。
「どうすんのよ、リーダー!」
赤い口紅が印象的な魔術師の女――ロディエラが、声を荒らげる。
「あんなの、あたしらじゃどうしようもないわよ!?」
「分かってる!だから逃げてるんだろうが!」
「追いつかれるぜ……!」
坊主頭の巨漢、槍使いのイェルドが後方を振り返った。
その瞬間だった。
洞窟の曲がり角。
その向こうから――不定形の半透明。黒く濁った魔物が、ぬらりと姿を現す。
B+ランクモンスター、『汚蝕黒粘』。
その名の通り、黒く粘つく体で構成された魔物。
捕えられた者は体内に取り込まれ、毒によって瞬く間に命を奪われる。
「クソが!速い……!」
ザニアスが舌打ちする。
汚蝕黒粘は、その外見に反して極めて速い移動速度を持つ。
体表から伸びる触手を脚のように使い、洞窟の地面を滑るようにして迫る。
追いつかれるのは、時間の問題だった。
「リーダー!どうすんの!」
ロディエラが、再び叫ぶ。
その時だ。
ふいに、ザニアスの腕が伸びた。
そして――斜め後方を走っていた人物の肩を、後ろへと突き飛ばす。
「えっ……?」
突き飛ばされ、驚きの声を上げたのは亜麻色の髪を持つ若い女性。
年の頃は、まだ二十にも満たないだろう。
彼女は、押された拍子に体勢を崩し――洞窟の床へと転倒する。
「なんで……!」
差し伸べた手は、虚空を掴んだ。
ザニアスが叫ぶ。
「てめえが、犠牲になれ……フィオナ!」
彼女を、汚蝕黒粘の餌にする。その隙に、自分たちは逃げ延びる――それがザニアスの選択だった。
「そんな、待って……!」
フィオナの声に、誰も振り返らない。
代わりに、ロディエラがザニアスへと笑みを向けた。
「さすがねリーダー!」
「へへ……元々あの女は、臨時メンバー……失っても惜しくないってか」
槍使いのイェルドが、下卑た笑みを浮かべる。
「おい、お前ら……あいつを犠牲にしたって事は――他の奴らには言うなよ?」
そんな彼らの会話が、遠ざかっていく。
そして――取り残されたフィオナの背後へ、汚蝕黒粘が静かに迫った。
すぐには捕食はしない。
逃げ道を塞ぐように、粘ついた触手を広げフィオナを取り囲む。
「ひっ……!」
逃れられない死の気配。
それに触れた瞬間、フィオナの体が硬直する。
仲間たちへの怨みは、なかった。
ただ――怖かった。
迫り来る死が、いよいよ彼女を包み込もうとした――その時。
「無抵抗な者を相手にしても、面白くはなかろう――物の怪」
凛とした声が、洞窟内に響き渡った。
汚蝕黒粘の動きが、ぴたりと止まる。
そして、その向こう側から――二人の人物が姿を現した。
一人は、闇を体現したかのような漆黒の髪に、同じく漆黒のローブをまとう男。
もう一人は、見慣れぬ剣を腰に差した赤髪の女。
先ほどの声の主は、彼女らしい。
「『深淵天執』序列二位――柳生十兵衛が、お相手しよう」
静かに、しかし揺るぎなく――その女剣士は、言い放った。
◇
俺と十兵衛は、出口を目指し洞窟を進んでいた。
洞窟全体が何らかの力によって淡く発光しており、最低限の視界は確保されている。
加えて、僅かではあるが風の流れがある。おそらく、洞窟の出口から吹いてくる風だろう。
俺たちは、それを頼りに歩みを重ねていた。
そんな折だ。
前方から、人の叫びのようなものが聞こえた。
遠くから聞こえる、かすかな声。しかし――俺も十兵衛も、それを聞き逃さなかった。
「主様」
十兵衛が、俺の顔を見るs。
「何者かが、助けを呼んでおられる様子。いかがしましょう」
「そうだな――」
こういう場面で、冥月禍津ならどう判断するべきか。
――無視、という選択は違う気がした。
ここが仮に夢の中の世界だとしても……助けを求める声があるなら、まずは応じるべきだろう。
その先をどうするかは、助けてから考えればいい。
仮に救えなかったとしても……それはそれで構わない。夢なのだから。
「――介入しろ、十兵衛」
「承知!」
俺の言葉に応じ、十兵衛は一気に駆け出した。
俺も負けじと、その後を追う。
主人である俺が、部下に引き離されるわけにはいかない。
そして――俺たちは、対峙することになる。
ぶよぶよとした、いささかに気持ち悪い……不定形の怪物と。
(うわあ……なんだあれ)
そんな感想を抱く俺をよそに、十兵衛は高らかに名乗りを上げる。
「『深淵天執』序列二位――柳生十兵衛が、お相手しよう」
――と。
(いや、こんな見るからに言葉が通じなさそうな化け物に、名乗って意味があるのか……?)
そう思ったが、どうやら無意味ではなかったらしい。
不定形の怪物が、十兵衛の方を向いた。
いや、正確には顔など存在しない以上、本当に向いたかどうかは分からない。
それでも――こちらに意識を向けた。
そう感じさせる何かが、確かにあった。
「に……逃げてください!」
叫んだのは、不定形の怪物に襲われていた女性だ。
「汚蝕黒粘は、その体内にある核を砕かない限り倒せません!けれど……」
完全に腰が抜けているのか、彼女はその場にへたり込んだまま。
それでも、必死に声を張り上げる。
「この体の中から、核を見つけ出すなんて不可能です……。お願い、あなた達まで巻き込まれる必要はありません、逃げて……!」
自分が危ない状況だっていうのに、こちらを心配してくれるとはいい子だなあ……。
そんな呑気な事を考えていると、汚蝕黒粘とかいう不定形の化け物がウネウネと伸びる触手を高く掲げた。
「威嚇行動です!すぐに攻撃が来ます、逃げ……」
彼女がそう言い切る前に。
高く掲げられた触手が、十兵衛目掛けて振り下ろされた。
――瞬間。
十兵衛の姿が、消えた。
同時に刀身が一閃、煌めく。
僅か、一拍の後……汚蝕黒粘の体は、ばちゃり――と音を立て、ただの濁った水となりへと崩れ落ちた。
「新陰流――燕飛・浮舟」
女性のすぐ傍らに立った十兵衛が、そう呟いていた。
「い、今……何を……?」
呆然と見上げる女性に、十兵衛が淡々と告げる。
「核、と言いましたか。それを断ち切っただけの事」
そう言ってから、くるりと俺の方を振り向く。
「しかし……この物の怪、見掛け倒しでしたな。主様」




