黒歴史ノート
「……ほんと、昔のまんまだな。この部屋は」
俺は、懐かしい空気の残る部屋の中央に立っていた。
本棚には漫画が並び、壁際の棚には、すでに数世代も前のゲーム機が鎮座している。
ここは――俺の部屋だ。
もっとも、『今の』俺の部屋ではない。
学生時代に使っていた、実家の部屋である。
今の俺は県外に就職し、アパート暮らしだ。
「就職してから、めったに帰って来なかったもんな……」
久しぶりに実家へ戻ってきた理由は、単純だ。
家を、建て替えることになったからである。
老朽化が進んでいるとは前から聞いていたが、ついに決めたらしい。
――工事が始まる前に、家の中の物を整理しておきたい。
そう言われて、俺も自分の荷物だけは片付けに来た、というわけだ。
ちなみに両親は外出中で、夜まで帰って来ない。今、この家にいるのは俺ひとりだ。
「とりあえず……本から片付けるか」
そう呟き、俺は本棚へと手を伸ばした。
そして引き抜いたのは――黒い表紙の、一冊のノートだった。
表紙には、文字が書かれている。
『深淵執行機関』と。
「うっ……」
思わず、声が漏れた。
「マジかよ……深淵執行機関……!」
そう。
深淵執行機関と書いて――ネメシス・コードと読む。
この言葉の意味を、俺は知っている。
なにせそれは……学生時代の俺が創り上げた、妄想組織。このノートには、その組織の設定がびっしりと書き込まれているはずだった。
今の俺にとって、学生時代など昔の話。
そんな身で、昔書いた中二病全開ノートなど――黒歴史以外の何物でもない。
「……いや、待て」
俺は、軽く首を振った。
「意外と……そこまで、変な内容じゃないんじゃないか……?」
ひょっとしたら、そこまで痛々しい内容ではなかったかもしれない。
そう思い直し、俺はノートを開く。
ページをめくった先に、飛び込んできたのは――。
冥月禍津。
深淵執行機関の創設者にして、『絶対法』。
その全身に無数の呪いが刻まれており、普段はそれを抑制して生活している。
しかし戦闘時には呪いを解放。
そして、その真の姿は、神――。
そこまで読んだところで、俺は勢いよくノートを閉じた。
「なんだ、これは……」
絞り出すように呟く。
「なんだよ、冥月禍津って……全身に呪いが刻まれてるって……」
中二病要素のオンパレードに、頭がくらりとする。
「……駄目だ。捨てよう」
もう、このノートは捨ててしまおう。
そう決意した――その時だった。
ポケットの中で、スマホが震えた。
メッセージの着信だ。
俺はスマホを取り出し、画面を確認する。
差出人は、職場の後輩だった。
『先輩、隕石見てますか?』
そんな一文が表示されている。
「ああ……そっか。そういや、そんな話があったな……」
何を隠そう、実は今――地球に隕石が接近している。
と言っても、パニック映画よろしく巨大隕石が衝突間近で地球が滅亡の危機に瀕している……という話ではない。
これはネットニュースの受け売りだが、今回の隕石は小規模で、大半は大気圏で燃え尽きるらしい。
破片が地表に到達する可能性はあるものの……人に当たる確率は、ほぼゼロだという。
「なになに……歴史上、隕石の落下で死亡した人間はいない……へえ……」
俺は、真偽のほども分からないネット記事を読みながら、ベランダへと向かった。
時刻は、夕暮れ。
空は茜色に染まり、昼と夜の境目にある。
ネットニュースによれば、落下する隕石は肉眼でも視認できる……かもしれない、とのことだった。
「ん?あれ……光ってるのが、隕石か……?」
暗くなりかけた空の向こう。
小さな光が、確かに落下しているように見える。
「おー……確かに隕石だ。……って、おっと」
空に意識を向けすぎたせいで、脇に挟んでいた中二病ノートが滑り落ちそうになった。
「……っていうか、なんで持って来てんだよ」
どうやら、無意識のうちにノートを脇に挟んだまま、ここまで来てしまったらしい。
「それより、隕石は……」
そう言って、再び顔を上げた――その瞬間。
「え……?」
目の前に、光が迫っていた。
燃え盛る何かが――
いや、考えるまでもない。
隕石だ。
それが、俺の眼前へと一直線に迫っている。
「マジかよ……」
その言葉を最後に――
俺の記憶は、そこで途切れた。
◇
「……様」
誰かの声が、俺の耳元で囁かれた。
「……ツ様。マガツ様」
「ん……」
意識が浮上し、俺は反射的に目を開ける。
いつの間にか、俺は――薄暗い空間の中に立っていた。
「どこだ、ここ……」
「どうやら、洞窟の中のようですね」
「洞窟?なんで、そんな所に……」
「私にも、事態は掴めておりません」
その言葉を聞いた瞬間、俺は遅れて違和感に気付く。
「……あの。その……あなたは……?」
今、俺に声をかけている存在。
その声に心当たりがなかった。
澄んだ、麗しい響き。それでいて、芯のある力強さを内包した女性の声。
記憶に存在しない人物の声だった。
「『あなた』などと、他人行儀な」
その人物は、クスリと微笑む。
胸元が大きく開いたチューブトップ。その隙間から覗く豊かな胸の曲線は、健康美を感じさせる。
その上に、和服風の羽織を軽くまとっていた。
下はホットパンツ。足元には、侍を思わせる脛当て。
勝気さを宿した緋色の瞳。肩口まで伸びた、同色の髪。
左眼には眼帯があり、腰のベルトには刀が差されている。
姿勢は自然体だが、隙はない。
暗がりの中でも、その存在感だけははっきりと伝わってくる。
――絶世の美女剣士。
そんな表現が、自然と脳裏に浮かんだ。
彼女は微笑みを浮かべたまま、静かに告げた。
「『深淵執行機関』、最高幹部『深淵天執』序列二位たるこの私を……お忘れですか?」




