プロローグ
王都の片隅に店を構える仕立て屋〈クローヴェル〉。
その小さな店で働く女主人、アリアの夢は――
自分の作ったドレスで王都中を彩ることだ。
春の社交界シーズンを前に、ライバル店には貴族令嬢たちの新作ドレスの注文が殺到しているというのに、今日もクローヴェルには閑古鳥が鳴いていた。
大通りの有名なクチュリエは早くも客でいっぱいだというのに、
うちのサンプルドレスたちは未だ誰にも腕すら通されていない。
「出来はどこの店にも負けないのになぁ……」
カウンターに頬杖をつき、出るのは独り言ばかり。
必死にサンプル衣装ばかり作っても、赤字がかさむ一方だ。
けれど考え込むより針を動かしている方が、何も考えずに済むぶん楽だった。
作りかけの刺繍を仕上げるため、アリアはまた針を動かす。
日も傾きかけた頃、カラン――とベルの音とともに、店の扉が開いた。
オレンジ色の夕日を背負って現れたのは、
その光にも負けないシャンパンゴールドの髪を持つ女性だった。
彼女の気品ある姿はまさに貴族令嬢。
アリアは一瞬見惚れて、状況把握が遅れた。
「あの……ここはクチュリエ〈クローヴェル〉でよろしいですか?」
「あ、ああはい!そうです! ドレスをお求めでしょうか!?」
裁縫道具を床にばら撒きながら慌てて近寄ると、
女性の美しさがさらに際立って見えた。
白い肌、波打つ金の髪、エメラルドのような瞳。
上質な衣服に身を包んだその姿は、まるで姫様そのものだった。
(激アツじゃん!! 久しぶりのカモ――いや、お客さま!)
浮かれそうになる気持ちを抑え、
アリアは照明魔法石を一斉に灯した。
「お客様がお召しになるなら、サンプルがたくさんございます!」
「まあ、こんなに沢山……」
流行のスカイブルーのドレス、
フリルをふんだんに使ったプリンセスライン、
お茶会にもぴったりなティードレス――。
「さあ、どうぞご覧ください!」
と言わんばかりに早口で喋るアリアだったが、
なぜか女性の視線はドレスではなく、彼女の方に向けられている。
「あのー……お客様?」
「どれも素敵なのですが、私は“あるドレス”を探してこちらへ参りました」
「それは……どんなドレスでしょう?」
令嬢はアリアの手を取り、胸の前でぎゅっと握った。
もし相手が異性なら心臓が跳ねるようなシチュエーションだが、
アリアにとってはただの混乱である。
「クローヴェルのドレスを着れば、体型を変えられると聞きましたの」
思わずアリアは彼女の手を握り返した。
「その話を、どこで?」
「それは……今は申し上げられませんわ。
でも、本当にそんなドレスがあるのですか?」
期待にきらめく緑の瞳。
ぽかんと口を開けたアリアの姿が、そこに映っていた。
まだ表には出していない一着。
アリアはバックヤードからそのドレスを取り出し、
令嬢の前に差し出した。
「こちらが、ご所望の魔法糸で縫い上げた一着でございます」
白銀に輝くイブニングドレス。
貴族令嬢たちの戦いの舞台――舞踏会のために作り上げた渾身の作品だ。
背中の大きく開いたデザインでありながら、上品さを損なわない。
輝きだけで勝負するようなその一着は、
小さな店の照明の下でもダイヤモンドのように光って見えた。
「魔法糸……?」
「はい。私の家系は代々、衣装師の家系でして。
魔法糸の技も母から受け継ぎました。
魔法糸を生地に織り込むことで、
着る人に“エンチャント効果”を与えることができるんです」
「初めて聞きましたわ!」
今度は彼女の瞳がさらに輝いた。
「じゃあ……早速着てみましょう!」
「い、いいのですか!?」
アリアは半ば押し出すように、
彼女とドレスを試着室の方へ押しやった。
⸻
「すごい……! 本当に体型が変わっています!
まさか髪や目の色まで変わるなんて!」
先ほどまで小柄だった彼女の目線が、
今やアリアと同じ高さにあった。
輝く金髪は赤毛に、瞳は茶色に変わっている。
「お胸までこんなに……!」
「お、お褒めにあずかり光栄です」
令嬢は鏡を覗き込み、夢中で新しい自分の姿を見つめていた。
詰め物ではない“本物”の変化に、アリアも感心する。
満足そうな彼女の姿を見て、アリアは思わず手をすり合わせた。
――やっとドレスが売れる日が来た!
さようなら貧乏生活、こんにちは貴族御用達クチュリエ!
「このドレス、いただきますわ!」
ありがとうございます! と叫びかけたその時――
令嬢はさらに大きな声で続けた。
「このドレスを、私の代わりに着て――
舞踏会に出てください!」




