竜を粉砕する拳
構えた瞬間に分かった──これは斧を「落とす」技ではない。
世界の側を噛み合わせ、落とすための場を固着する業だ。
ギルド長の息が沈み、重心が沈む。
次の拍に、刃に沿って圧縮されたオドが灯芯のように細く点る。
空気が、すう、と音を吸った。
張り詰める。正面の空間だけが密度を変える。
見えない壁が斜めに立ち上がり、細く重厚な負圧の柱が俺へ口を開く。
砂粒が床を滑り、衣の裾が前へ引かれる。踏み出す足首を、川の流れのような気流が掴んだ。
横へ逃げる選択肢が、一つずつ削られていく。
「——竜穿つ斧!」
号令と同時に斧は落ちた。いや、「落ちる」という平易な語では足りない。頭上から垂直に打ち下ろされた刃を先導に、圧縮した空気の柱が対象へ伸びる。
真空に近い細道と、その外周を巻く高圧の衝撃波。中心に吸い込み、外側で押し潰す──吸引と圧砕の二重螺旋。
鼓膜が内側から悲鳴を上げる。
床石が鳴動し、石目に蜘蛛の巣のような線が走る。
まだ触れてもいない衝撃に、全身の骨がきしむ。
回避を選ぶなら、風の圧力と押し潰す衝撃波を同時に突破しなければならない。
“避け方を設計できる者にしか避けられない”類の一撃だ。
刃が空気を割った瞬間、遅れて白い衝撃が視界を覆う。
切っ先の軌跡は一本の線ではない。圧と風が束なった太い槍が、俺ごと床と地脈まで貫こうとする。
訓練場の全てが、斧の軌道を補助して俺を圧殺しに来ているのだ。
──強い。災害級を仕留めたという話も納得だわ。
俺の前に凝縮された災害が、存在ごと飲み込もうとして迫っている。
“避けさせない”ために組まれた一撃──逃げ道を塞ぎ、受ける者を確実に粉砕する一撃必殺。
それが、竜穿つ斧。
だが、俺はそれを視認した上で踏み込んだ。
肩の沈み、股関節の捩り、握りの遊びが消える箇所、刃の角度が呼ぶ“圧”の薄点──そこを狙って一歩を差し込む。
吸い込みに片足を預け、気流の中心線を足裏で踏みしめ、脛から腰へ、背骨を通してオドを一本に束ね、拳に点を作る。
そこだけが、この世界の密度を上回り、周囲の空気も、一瞬だけ密度を増したように感じられた。
「おーけー。じゃ、次は俺のターンってことで」
そう軽口を発しながら拳を構えた瞬間、世界の重心が変わった。
耳鳴りが消え、世界に静けさが戻る。吸引と圧砕の二重螺旋が一点でほどける道筋だけが線で見えた。
その線に拳を叩き込む。
斧と拳がぶつかる——直前、時間が半拍伸びた気がした。
刃が触れ、火花が散った。
訓練場が爆ぜる。砕けたものが何か、石か空気か地面かは分からない。
ただ、竜の背骨のように続く衝撃が背中を通り抜けていった。
拳の一点が、牙のように世界の密度を切り取った。
石がきしみ、訓練場の床が一瞬隆起する。誰かが大きな息を吸ったように、場内の空気が震える。
拳先は一点に収斂した意志だ。そこには余分な力も、振りかぶりもない。踏み込みは最小限、だが重さは全て一点に織り込む。
脛の感触が地面を捉える瞬間、地面が応え、拳が伝播する衝撃は、ただ一つの道を通って相手を貫く。
斧がしなった。
木柄が亀裂を上げ、金属が焼けるように鳴った。
俺の拳に触れた刃先が、ひび割れ、飛沫のように火花を散らす。
次の瞬間、柄が砕け、斧の刃がばらばらに弾け飛んだ。
大斧は、巨大な槌のように重く、しかしその重さが今、俺の指先の一点で粉砕された。
衝撃は空間を震わせ、訓練場の端で積み上げられた砂利が吹き飛んだ。
ギルド長は後方に吹き飛び、石段を弾かれるように転がる。
その大柄な体が床に叩き付けられ、砂煙が上がる。
全員の視界が白く霞む中、俺はその場に立っていた。
胸の奥で熱が跳ね、拳の先にまだ余韻が残る。
斧が握られていた握りの跡が、粉のように散り、飛沫の中で金属の匂いと、火花の匂いが鼻を刺す。
煙が晴れかけた時、ギルド長がのたうち回りながら起き上がった。
額に血がにじみ、目を見開く。
だが、首を押さえているその手に、どこか満足げな震えがあった。
「……ぬははっ! やるじゃねえか!完敗だ!」
ギルド長は、生きていることを確かめるように、咽せるように笑った。
その声と同時に、セリナと副長のおっちゃんの表情が緩んだのが見えた。
俺は拳を緩め、指先に残る熱を感じながら、しかし肩をすくめる。
これで戦いは終わりだね。
真面目にやったから、ちょっとだけ疲れちゃったぜ。
周囲の空気が戻り、セリナの震える声が聞こえた。
副長のおっちゃんは今度は頭を抱えて「死んだ……。コレ今度こそ絶対俺死んだわ」と呟いていた。
どうしたんだろう?今の戦いに副長のおっちゃんが死ぬ要素あったかな?
なんて考えている間にギルド長が起き上がり、砂埃を払ってから、ゆっくりとこちらへ歩み寄る。
腕を伸ばして俺の肩を掴み、力任せに叩いた。
ちょっと、痛いんだけど?
「……これで分かった。確信したぞ。今の一撃で、俺を殺すことも出来たが、それをしなかった。だから……坊主、お前さんは“魔王の器”なんかじゃねえ!俺が保証する!」
ギルド長の声は低く、しかし震えていた。
安堵と歓喜を滲ませた、酷く感傷的な声だった。
——けど、俺は一つ、疑問を隠せない。
え?“魔王の器”って何?
もしかしてあーし、その魔王の器とか思われてたってこと?
やべぇ。めっちゃ冷や汗出て来たんだけど。




