#0077_境界の空にて_01
目が覚めると、そこは草原だった。
周囲には何もない。地平線の彼方まで広がる草原で俺は座っている。
澄み切った青空には鳥すら飛んでいない。
とても静かな世界。
だが静寂という感じではなく、時折優しい風が身体を撫でるように通り過ぎていく。
「あぁ……そうか。死んだのか」
流石に二度目ともなると、状況を受け入れるのに苦労はしない。
直前の記憶を掘り返してみても、まぁ死んだのだろうなというのが妥当だ。
「結局、コーラルのあの変化は何だったんだ……」
死んでしまった今となっては本当に今更な話だが、このモヤモヤを残したまま次の人生に進むのはちょっと気分が悪い。
「シロガネもバイオレットも多分死んだんだろうなぁ……申し訳ないことしたなぁ……」
今にして思えば、軽率だった。
一国の王様が部下一人とペット引き連れての探偵ごっこだ。
挙句部下を巻き込んでの死。
今頃、爺やとかは悲しむどころか激怒してるんじゃないだろうか。
「少しは人として成長できたと思い込んでたんだな……俺は、何も変わってなかった……平和ボケした日本人のままだった」
転生して、色々ありつつも王様という立場を得て、自分が持っている知識で国を豊かにできる。
そう信じて、思い込んで、自分なりに今日まで全力で王様をやってきたつもりだったけど、多分俺はまだどこかで「他人事」だったのだろう。
初めから「誰かに殺される運命」というのを知らされていたからではなく、どこか、魔王としての自分をゲームキャラクター的に捉えていたと思う。
本当に国の為を、種族の為を思って国営してきたのなら、もっと悔しいはずなんだ。
なのに今の俺には「がんばってレベル上げたゲームのデータが消えた」位の、怒りとも言えないチンケな感情しか沸いていない。
あの国には、あの世界には、確かに生きて暮らしている人達が居るのに、だ。
「勇者共の事を笑えない……結局俺も、連中と本質的には同類だったんじゃないか……」
恥ずかしさと、情けなさと、申し訳なさが涙になって溢れてきそうだ。
あーもーやだやだ。穴があったら入りたい……
膝を抱えて、頭を抱えて、一人でゴロンゴロンと悶絶しているとき、ふとした違和感を覚える。
「……なんか体デカくね? 角もねぇし」
手を、足を、体を、そして頭を触って、俺は今の自分が「バレンタイン」の姿でないのだと理解する。
「あ~……ここは魂の世界だもんな。そりゃこっちの姿になるか」
そう。死んで魂だけとなった俺は、懐かしの「比良坂 泉」の姿に戻っていた。
寝そべった身体を起こして、十数年ぶりの自分の過去の姿を確認する。
さほど筋肉質でもない中肉中背の、凡庸な成人男性の肉体。
立ち上がると視界がとても高く感じるのと、股間に懐かしいモノが装備されているのが何か今では新鮮にすら思える。
「さてと。そろそろあの天使さん辺りが登場しそうなものだけど」
ずっとこの場所でモジモジしていても始まらない。
俺は一度深呼吸をしてから、周囲の景色を確認する。
前と同じなら360度見渡す限りの雲と空が広がるだけの空間。
その何処かに多分天使さんがいるのだろうと、そう思っていた。
だが、今回はどうも様子が違うらしい。
「そういや前に来たときは無かったよな……こんな川とか植物」
いま俺が立っているのは、前回みたいな雲の上ではなく、似た様な質感の芝に覆いつくされた草原だ。
更に丁度俺の真後ろ、立ち上がって視界を180度後ろに向けた先には、前回なかった「川」広がっている。
川の上流も下流も果ては見えないが、対岸は意外と遠くなく、精々が数メートルという小さな川だ。
そしてその川の向こう側に、見慣れた雲の大地が広がっていた。
「うおー、まってくれー。完全に油断してた。天使さんヘルプ!」
いやまぁ、言葉で言うほど動揺はしてないんだけどね。
なんかこう、前回は転生前提だったからで、今回のが本来のあの世って感じなんじゃないかと思うのよ。
一度死と転生を経験してるからじゃないけど、多分これが噂に名高い三途の川的なやつじゃないかなって思ってる。
「つまり、この川を渡ると問答無用で輪廻転生って感じか……?」
もしかしてこの川を渡らずに反対方向へ引き返したら生き返れたりする?
と……後ろを振り返ってみても、延々と広がる大草原。
地平線が整いすぎてて遠近感が狂いそうな程、高さや大きさの整えられた草しかない。
まるで一つの芝をコピー&ペーストで自動増殖させたような景色である。
まぁ、死後の世界で逆走したら生き返れるなんて、そんな甘い設計になってるはずないわな。
「こういう時にこそ、天使さんにアレコレ説明してもらいたいもんなんだけど」
ついでに一発、あのデカパイにビンタくれてやる。
これは父上達から話を聞いたときに決めていた事だからな。絶対にやったる。
なんだよ、まだやるべき事残ってたじゃん。
しかし、何度周囲を探しても、天使どころか人っ子一人登場する気配がない。
もしかしたら俺がビンタの素振りをしながら探しているから警戒されているのかもしれないと、一度振り回していた平手を納めてみる。
だがやはり、誰かが現れる気配はしない。
「はぁ……しゃーない。潔く川を渡っちまうか」
草原の方に行ってみても良かったのだけれど、これで更にこの川を見失ったりしたら目も当てられない。
あの世に来てまで目の前のヒントを無視したギャンブルをする気にはなれず、俺は覚悟を決めて、目の前の川に足を突っ込んだ。
川の水は熱くも冷たくもなく、何というか水の様な感触だけが再現された立体映像に触れているといった感覚。
更に言えば、水に浸かっているズボンも靴も「濡れた」という感覚はない。
深さも20センチ程度の浅い川。
視覚的な流れはあっても、その流れを俺の足が感じることはない。
「そもそも魂だけの状態なんだから、この程度の不可思議はあって当然か」
何かこう物理の外側に接したような気持ち悪さを覚えつつも、それで何かしらの不具合を得るわけでもない。
この些細な気持ち悪さを無視すれば問題はないのだ。
「とっとと渡って、ちゃっちゃと来世に行くとするか」
足元の違和感は無視して、俺はざぶざぶと川を対岸へと向かって歩いていく。
ものの10秒ほどで丁度中腹辺りだろうか。
川の深さは変わることなく、この調子ならあと10秒もすれば対岸にたどり着く。
進む足に迷いはなく、躊躇いもなく一直線に歩いていたはずだが、ふと……川を7割渡ったところで足が止まった。
あと数歩で対岸だというのに何かが脳裏を過って足を止めた。
何だろう、この感じ。
なぜかここから前に進もうという気持ちになれない。
「…………何だ? 俺、何を考えているんだ?」
さっさと渡ってしまえばいいのに、俺の身体が―――いや、俺の魂が進む事を拒んでいる。
それが無自覚な心残りから来るものなのか、それとも何かしら埒外の力が働いているのかは分からない。
だが今、確実に俺の身体はここから先に進む事を望んでいないのだと自覚する。
「………………・」
迷いがない。
名残がない。
心残りがない。
バレンタインとして、何も思い残す事がないと言えば、嘘だ。
あるさ。山ほど心残りはある。
あんな所が俺の二度目の人生の最後だと認めたくないんだ。
「今更っ……! 俺はいつもそうやって後から後からボヤくだけだ!!」
それは誰でもない、自分への悪態だ。
前世でも、今生でも、変わらぬ自分への恨み辛み。
カッコをつけて、割り切ったフリをして、目をそらし続けた本質への怒り。
こみ上げてきた自分の負の側面を、自分自身に言葉で叩きつけようと口にした時だった。
「どっせーい!!」
「はっ!? げぼぶぁ!!」
「おいお前、それは流石に容赦なさすぎないか……?」
何者かの手によって、俺の視界はぐるりと縦に回転し、そして三途の川の底に叩きつけられた。




