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#0018_羊の魔族と生き意地の汚い女_06

 あの日から、どれほどの月日が流れたのだろう。

 今となってはもう己が何をしているのかも分かっていない。


 小船の上で意識を失った私は海流の渦に飲まれ、大陸の南側にある海岸線に流れついていた。

 そこに住まう漁師に救われて城に戻った時には既に多くの人の埋葬が始まっていた。

 妻の亡骸も王達の手によって手厚く運ばれ、景色の良い岡の上のに墓石を頂いた。


 そこは彼女が私にプロポーズをしてきた場所。

 私と妻が夫婦として始まった場所でもあった。


 その後一月ほど戦後の処理として多くの職務をこなしたはずだが、詳しい事は何も覚えていない。

 ある程度の事が片付き、久方ぶりの休日をと王に言われたその日・・・私は城を出て1人で歩き出した。


 どこに向かっているのかも、何をしているのかもわかっていない。

 ただ日々歩き、襲い来る獣を狩り、その血肉を食らってはまた歩き出す。

 恐らく何年も、何年も私はこの大陸を1人で歩き続けていた。


 心の整理は既についていた。

 妻を守れず、娘も救えず、王の側近という職務からも逃げ出した愚か者。

 それが私の全てであり、何も求めていないし、何も成そうともしない。

 生きた屍の様にただ歩き、ただ生きているだけの為に歩き続ける日々。


 ―――私。生き意地だけは汚い女ですから。


 何度も終わりにしよう。立ち止まろう。自ら死へ進もうと思った。

 だが、彼女が私に聞かせたその言葉だけがずっと脳裏から離れず、私は死へと進むことだけが出来なかった。


 生きなければならない。

 何の為に?

 誰の為に?

 生きてどうする?

 生きて何をする?


 生きていく……意味がどこにあるのだ?


 そしてとうとう、私の足は止まった。

 そこは初めて妻が流れ着いた場所。

 人気の無い海岸線の砂浜。


 あぁ。ここを最後にしよう。ここで私もそちらに逝こう。

 妻と娘に、会いに行こう。


 そう、心に決めかけていた時。


「やっと見つけたぞ、トゥアレグ」


「…………王……よ」


 久方ぶりに目にした、我が王の姿がそこにあった。


「…………」


 王はしばしの沈黙の後、だた黙って私へと歩み寄ってくる。

 叱られるのだろうか。

 貶されるのだろうか。

 それともみすぼらしく彷徨っていた私を笑いに来たのだろうか。

 彼がそんな人物ではない事を知っているにも関らず、私の中ではそんな下卑た事ばかりが浮かんでいた。


 私の眼前にまで歩み寄った王は、力強く、だがとても優しい手つきで私を抱きしめた。

 何をされているのだろうか。この方は何をしたいのだろうか。

 もはやその様な機微すらも表に出せぬ私は、ただされるがままに抱きしめられていた。


「良くぞ無事であった……よくぞ……」


 か細い声で言う王の声はどこか震えている。

 しばしの抱擁を続けた後、彼はそっと私を抱きしめていた腕を解き、そして私の肩に手を添えて後ろを振り返る。


「紹介しようトゥアレグ。さらに逞しくなった現魔王である我が息子達と、そして……我が孫だ!」


 指し示されるがままに視線を向けると、そこには確かに見覚えのある二人の男女が居た。

 そして女性の腕には柔らかな布で包まれながら眠る、一人の赤子の姿。

 安らかに、とても幸せそうに眠るその姿は、彼女が大きな愛を受けて育っている事が良く分かる。

 その愛くるしい姿を目にした私は、一歩、また一歩と歩みを進めていく。

 気がつけば夫妻の目の前、赤子の真上にまで来ていた私は、眠る赤子の頬をそっと撫でた。


「あぁ……暖かい……」


 思わず漏れたその言葉のせいなのか、眠っていた赤子がゆっくりと目を開く。

 これは泣き出してしまうのだろうなと考えて、触れた手を引こうとした時。


「あ…………」


 彼女は未熟な小さな手で私の小指をそっと掴み、そして笑ったのだ。


「あうー!あー?あっ!」


 何がそんなに楽しいのか、何がそんなに嬉しいのかは分からない。

 だが、その姿に、その声に、その笑顔に。


 私は大粒の涙を流しながらだた笑いかける事しかできなかった。





***************************





「これは……」


「城に伝わる道具を用いたものだ。上手くいった様だな」


 あの後、意識を失った私は王宮へと連れ帰られていた。

 押し寄せる様々な感情と葛藤する中、ふと失われたはずの私の左腕の先に見覚えの無い「銀色の鋼の腕」が生えている事に気がついた。

 それは明らかに人の腕ではないのだが、ぎこちなくも私の意志の通りに動き、そして触れた感触さえも備えている。


「文献によれば癒しを与える神器の一種らしいが、詳しい事はわかっておらぬ」


 その様な得たいの知れぬ物を私に与えたのかという感情も多少はあったが、それでも王は私に新たな腕が備わった事を喜んでいた。


「まだお主の心は癒えてはおらぬだろう。いや、癒えるはずもないのだろう」


 銀の左腕を眺め何も言わぬ私に、王は1人語りかける。


「時間がかかってもよい。それでも我はお主に戻って欲しい」


 戻って私に何が出来るというのだろうか。

 その温情も好意もありがたいものだとは思うが、妻子すら守れぬ腑抜けに何が出来ようか。


「我は酷い王だと思っている。今から我はお主の傷口を抉ろうというのだからな……だが」


 ………………


「だが。妻を守れず、娘を救えなかったお主にだからこそ……我が孫を守護する者として生きて欲しいと願う」


 ………………


「そう、これは我の願いであり命令でも頼みでもない。ただの願いだ」


 ………………


「もしもその願いが叶うのならば、再び剣を取り、そして立ち上がってはもらえぬか?他の何者でもない我等王の血脈を、そして国を守る剣として」


 とても酷い、とても残酷な言葉であった。

 妻と娘を亡くした私に、己の妻子を、更にはその孫を守る為に生きろというのだ。

 王とは時に独善的な決断を必要とする事もあるだろう。

 だが、よりにもよって私に対してその独善を持ち出してくるのか。

 なんと身勝手な、なんと自分勝手な。

 あぁ、今度は怒りでどうにかなってしまいそうだ。


 今この場で、この男の首を刎ねてしまいそうだ。


 その様な不敬な事までもが脳裏を過ぎった時に、私は右手の小指に残ったチリチリとした感覚に気がついた。

 そこは意識を失う前、王の孫娘が握っていた場所。

 銀の左腕でその部分に触れた時、私はただ分けも分からず涙が溢れてきていた。


「私は……また、間違える所だった……」


 失ったものは戻らない。

 だからこそ、残されたものを守らねばならない。

 そこにあるのは、同情でも何でもなく、ただもっとシンプルな感情で、単純な、私らしい実に単純な理由である。


 アルメリアなら、必ずそうしたから。


 それ以上の理由が、私には無い。

 いや、必要ないのだ。

 今までずっとそうしてきた。そうあろうと心に決めた。

 愛する妻が幸せと願い感じられる私であろうと、誓いの口付けをした時にも、別れの口付けをした時にも心に決めたではないか。


 ならば私は、この命を後世の為に使い切ろう。

 命の限り生きて、尽くして、最後に妻が「さすが私の夫だね」と笑って迎えてくれる生を送ろう。

 死力を尽くし、未来に託して、最後に娘が「さすが私のパパだ」と誇ってくれる男であろう。


 忘れるな。

 私は素晴らしきアルメリアの夫であり、愛しきロロの父なのだ。

 愛する妻から受け継いだものを心に刻んで、何時か来る寿命で死を迎えるまで、無様だろうと生き続けるのだ。


 誓いを胸に。

 怒りを胸に。

 悔いを胸に。

 後悔を胸に。


 希望を胸に。


 ―――私は。生き意地の汚い男であろう。


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