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#0017_羊の魔族と生き意地の汚い女_05

「…………なぜだ……なぜ……!」


「あな……た……」


 腕の中で、もはやまともに見えてもいないであろう視界をこちらに向け、笑顔で私の頬に触れる。

 その手は血で真っ赤に染まっており、触れられた頬から鉄の臭いが鼻をくすぐる。


「あの子を……ロロを……さがして……」


「任せろ。私を誰だと思っている」


 ハッキリと、自信を持って答える妻を抱き上げる私の腕には、言葉とは裏腹にこれ以上の力が篭らない。

 指が震える。唇が乾いていく。視界が……涙でぼやけていく。


「なかない……で……私は、満足。幸せだったから……かふっ!……」


「あぁ……あああ、アルメリア!だめだ!逝かないでくれ!」


 わかっているのだ、もう彼女は助からないと。

 剣士として、戦士として多くの同胞の死を見取ってきた己だからこそわかるのだ。

 もう妻は助からないのだと。私にはどうする事もできないのだと。

 それでも願ってしまう。祈ってしまう。

 もしも神が居るのなら、妻と娘だけでも助けて欲しいと。


 だが奇跡は起きない。

 奇跡に縋ってもなにも変わることは無いのだ。


 冷たくなってゆく妻の身体をただ泣きながら抱く事しかできなかった。

 瞳が光を失っていく中で、最後に彼女は一言だけ何かを口にしていた。

 周囲の喧騒が、風の音さえもが妻の命だけでなく最後の言葉を私から奪い去っていく。

 世界はどうしてこんなに彼女に冷たく当たるのだ……彼女が何をしたというのだ。


 それでも私は彼女の夫だ。

 妻が。私の愛したアルメリアならこういう場面で何を求めているのか位わかっている。

 最後の読み合いは私の勝ちだな愛する人よ。


「愛しているぞアルメリア」


 何度も、何度も繰り返してきた愛の言葉と共に、私は妻に最後の口づけをした。


 それがどれだけの時間だったのかは覚えていない。

 長い様な、短い様な、最後の逢瀬。


 やがて、彼女の身体から力が失われた事を。

 彼女が遠くへと旅立ったのを悟った私は、その亡骸を大きな木の陰に優しく横たえる。

 己の血で汚れてしまった顔をハンカチで拭き、穏やかにも笑っている様にも見えるその寝顔を一撫でし、彼女の両腕をそっと胸元で組ませた。


「お前が愛してくれた男として恥じぬ戦いを。ロロは必ず私が」


 跪き、眠る妻に誓いを立て、私は未だ続く争いの渦中へと駆け出していった。





*****************************





「私は……私は……なんと無力なのだ……なんと……」


 膝を突き、ただ呆然と廃墟と化した城下を眺める。

 時折、失われた左腕が強烈な痛みを伴って、無くしそうになった自意識を呼び起こしてくる。

 私の足元には、首を刎ね、手足を刎ね、胴を縦に切り裂いた勇者の肉塊が転がっている。

 だがそんなゴミはどうでも良いのだと踏みつけながらその場から膝を立て、身体を起こし、私は未だ火の燻る城下へと駆け出す。


 走る度に縛り上げて止血した左腕に強烈な痛みが襲ってくる。

 それらを無視して私は只一つの希望を求めて廃墟をさまよい続ける。

 もはや心の奥底には希望ではなく絶望が押し寄せていた。

 それでも、例え亡骸だったとしても娘を見つけなけれれば私は正気を保っていられない。


 あぁ、考えるな。そんなことを考えるな。

 ただ見つければいいのだ。無事な姿で元気に泣き、必死に私を呼ぶいとしい娘の声を。

 生きているはずだ。生きていなければならない。

 私から妻と左腕を奪っただけでなく、娘まで奪うなど何者に許されようか。

 もしもそれが神の意思だとでも言うのなら私は神すらも殺して踏みにじろう。


 彷徨い、歩き続けていた私は、ふと誰かに声をかけられている事に気がついた。


「卿……トゥアレグ卿!お気を確かに!」


「お主は……」


 そこに居たのは、勇者の襲撃を知らせに来た伝令兵の青年。

 彼も片目を失い片足を引きずりながら何かを探している様子だった。


「先刻、人間の兵の一部が赤子らしき影を抱えて港方面へと逃げたと部下から情報を得ました!港へ!娘さんの可能性があります!城下の捜索は我々が!」


 些細な可能性、だがそれは心が壊れ始めていた私の自意識を引き戻すには十分な希望にも思えた。


「感謝する!城下の捜索と後始末は貴殿に任せる!私の名を用いても構わん!」


「はっ!この命に代えても!」


 私はただ走った。

 西へ。只管に西へ。

 勇者共が進軍してきたと思われるその道程を遡るように走った。


 どれだけ走ったのか。どれだけの時間走り続けていたのかは判らない。

 だが、港町にたどり着いた私が目にしたのは想像を超えた光景だった。


「なぜだ……なぜそんな事が起こっているのだ!」


 抜け出せるはずの無い海流の嵐を抜けた先。

 もはや親指の爪ほどの大きさに見えるほど遠ざかった、1隻の半壊した船の姿がそこにはあった。

出られるはずが無いのだ。

 この海域から、あの海流から抜けられるはずがないのだ。

 抜けられたとしても、あの船では長き航海に耐えられるわけも無い。


「まて……!待ってくれ!私の娘を返せぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 気がつけば私は飛び出していた。

 港の端に止めてあった小さな手漕ぎの船。

 それにのり、海流の先に飛び出した今にも沈みそうな帆船の後を追った。

 だが私の小船は海流に阻まれて横へ横へと流されていく。


「お願いだ!そこには私の娘が!私達の希望が乗っているかもしれないのだ!」


 縋る様に、泣き叫ぶ様に、己の口から漏れる言葉は遠ざかる船に届く事はなく。

 私は大海に消え行く船の姿を目に焼き付けながら、小船の上で意識を失った。


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