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#0016_羊の魔族と生き意地の汚い女_04

「アナタ。お弁当はもった?」


「あぁ」


「忘れ物は無い?」


「大丈夫だ」


「そう言ってこの前大切な書類忘れて慌てて帰ってきてたじゃない」


「今日は……大丈夫だ」


「そう?じゃあ、いってらっしゃい」


「行って来る」


 玄関で私は妻と幼い娘に軽い口付けをして扉を出る。

 今となっては当たり前になった私の日常、当たり前の朝の一幕だ。


 アルメリアが漂流してきて約5年。

 私達は夫婦となっていた。


 出会った頃から私の心を読んだ様な立ち回りをしてきた彼女。

 3年目のある日。いい加減己に嘘をつくのをやめて彼女から向けられる真っ直ぐな好意に答えようと考えていた。

 異種族での婚礼……それも人間と魔族での恋だ。

 反対も多ければ将来にどんな困難が待ち受けているかも判らない。

 生まれてくる子供も人間と魔族のハーフとなるし、そもそも我々の間に子供は出来るのか?

 ハーフの子が多種族たちに虐められたりはしないだろうか?等々。

 1人悶々と悩み、考え、想像してはため息をつく日々を繰り返していた。

 だがそれら全てを背負って、この国有数の剣士の1人として誇りを持って彼女を守るのだと意気込んでいた時の事。


「ねぇトゥアレグ。そろそろ婚約指輪くらいほしいのだけれど?私達の結婚式はいつかしら?花嫁修業は既に終えているのよ?」


 相も変わらず真っ直ぐに、そして人の思惑などお見通しと言わんばかりのプロポーズを先に彼女から受けてしまった。

 女性にプロポーズを先回りされた男の悔しさ。今でも思い出したくない出来事の一つであるが忘れるに忘れられない。


 私はまた情けない顔をしていたのであろう。

 アルメリアはクスクスと笑いながら私の手を引き、その脚で指輪を買いに行かされたのを今でも鮮明に覚えている。

 ただ彼女に送る指輪と石の種類は既に考えてあったので、即座に指定した指輪とその理由を告げた時には珍しく驚いた顔をしていた。

 後にも先にも彼女に読み合いで勝てたのはあの時だけかもしれない。

 初めて彼女の思考を出し抜けた事と、初めて目にした愛する人の万遍の笑みも相成って、この日の事は私の記憶に深く刻み付けられた。


 幸いだったのは、種が異なれど同じ「ヒト」であった事。

 私達の間には結婚から程なくして娘が誕生した。

 人前で涙を流して泣いたのはあの時が初めてだった。

 それほどまでに娘の誕生は喜びに満ちていたし、私のその後の在り方を大きく変える出来事でもあった。


「お主は随分と良い顔をする様になったな」


「妻と娘のおかげでしょう。以前陛下がおっしゃっていたお言葉の意味が今ならば理解できます」


 以前より陛下はおっしゃっていた。

 子が産まれると男は少し弱くなり、そして今まで以上に強くなる、と。

 妻と結ばれる前までは全く判っていなかったこの言葉の意味が、今は確かな実感を持って刻まれている。


 私は妻子を得て独り身の時には無かったある種の「弱み」をその身に備えた。

 例えばどちらかが人質に捕られれば私は一切の抵抗が出来なくなるだろう。

 だがその反面、何があろうと妻子は命をかけて守ろうという強い意志が同時に私の中に芽生えた。

 それは更なる研鑽を自身に課し、結果として私は今、王の側近立場で傍らにお仕えするまでに至った。

 事実上、この国において両陛下と殿下を除いた次に高い権限を持った立場となっている。


 勿論その立場に慢心する事はない。

 常に己を鍛え、王の為、国の為、そして良き夫、良き父である為に日々学び続ける事が私の生き甲斐だ。

 妻に言わせればまだまだ表情が硬いとの事だが、それでも以前よりは遥かに柔らかになったとも言われた。


「妻に言わせれば、素人が見習いになった程度、だそうです」


「ハハハ。相変わらず尻に敷かれている様だ」


「それは陛下もでございましょう」


「妻の尻に敷かれるのも男の甲斐性という事にしておこう」


 国のトップ達が何とも情けない話をしているものだと思うが、その情けなさすらも心地よい。

 こうして冗談交じりに己の不甲斐なさを笑い飛ばせる様になったのも、己が幸せである事を知っているからなのだろう。


 私は本当に弱く、そして強くなれた。

 今は何よりもそれが誇らしい。


「人間と魔族の婚礼。それが先の時代に良い変化をもたらしてくれる事を祈りたいものだ」


「妻には叱られそうですが、せめて私だけでも諍いの歴史に一石を投じられれば幸いでございます」


「いつか―――この大陸の外へ当たり前に我等が行ける日を目指したい物だな」


「はい」


 穏やかな午後の日差しの中。

 王と共に何気なく語ったこの夢を私は忘れてはいない。

 もしも叶うなら、妻と娘を連れて人間の住む大陸を旅するのも良いだろう。

 まだ見ぬ新しい多くの物や景色を目にして、娘には種を問わぬ広い心を持った大人になってほしい。

 それは親としての、至極当然のささやかな願い。



 だが―――世界とは、運命とは時に、そんなささやかな願いすらも踏みにじる。



「へ、陛下はおられますか!!」


「落ち着きなさい。陛下の御前で慌しいですよ」


「もっ……もうしわけ……あ、あありません。しかし!火急の用件につきお許しを!」


 午後の静寂を打ち破ったのは、汗だくになりながら駆け込んできた伝令兵の青年。

 見知った顔の部下は、慌しくも真っ青な顔をしながら言葉を続ける。

 その目には焦りよりも恐怖に近い恐れの様な物が垣間見えた。


「ゆ……勇者が!人間の軍勢を引き連れて勇者が上陸致しました!海岸線の港は民の半数近くが既に……兵を蹴散らし尚も城へと進軍を続けているとの事!」


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