#0013_羊の魔族と生き意地の汚い女_01
それは私がまだ若輩と呼ぶに相応しい歳の頃だった。
第四代魔王陛下が引退を表明され、あと数年の後には前国王にあたる五代目魔王様の王位継承が決定した年の事。
私は当時剣の腕を買われ、光栄にも城の近衛騎士の隊長として従事していた。
「報告致します!西部海岸線にて人間の物と思わしき小型の帆船が1隻漂着!船には人間の女と思われる者が乗っている模様です!」
丁度巡回任務に赴こうと王宮を出た私は、突然その様な報告を受けた。
軍勢ならばまだしも、人間がただ1人、それも女だというのであれば捨て置いても良いだろうと、普段ならば切り捨てていた。
しかしこの日だけは何故か、その人間の顔を見てみたいという妙な欲求に駆られてしまったのだ。
日々坦々と繰り返される訓練や任務に少し退屈を感じていたのだろうか。
私は部下を連れ馬を走らせて漂着した船の元へと駆けていた。
「ふむ。衰弱しているが、生きてはいるな」
船には確かに人間の女が1人横たわっている。
息はあるがまさに死に体。このまま数日放置すれば間違いなく息絶えるであろう状態だ。
「いかがなさいますか隊長」
本来ならば魔族として人間など放置すべきである。
彼らは我等の先祖をこの地に追いやり、今も尚侵略を試みる天敵の種族である。
だが私は己が騎士、武人であるからこそ「無関係の個人」までも敵として切り捨てるのには少し迷いがあった。
もしも彼女が刃を手に牙をむいてくるならば容赦なく切り捨てたであろうが、今目の前に居るのは死にかけている只の異種族の女性だ。
「見た所抵抗の意思も無い。人間共の情報が得られる機会かもしれぬな。城に連れ帰り可能な範囲で手当てをしてみよう。王には私から進言する」
「自分は反対であります。相手は人間……この場で始末すべきかと」
「貴公は戦争ならば無抵抗の女子供問わず虐殺すべきだと思うのか?」
「い、いえその様な事は」
「ならばこの者の素性と目的を調べてからでも良かろう。我等の剣は無抵抗の相手切る為にあるのではない。それでは勇者と同類になってしまう」
「はっ!確かに自分が軽率でありました!おい!馬車をこっちへ。藁と毛布など今ある物で柔らかい寝床を整えよ!」
部下の掛け声で他の騎士達が幌付きの馬車を慌しく運んでくる。
元々護送のつもりで持ってきた馬車の為、弱った女性を運ぶには少し準備が必要そうだ。
私はその間に、朦朧とした意識の女性にまず声をかけて、どの程度の自我が残っているかを確認する事にした。
「おい!生きているか?言葉は通じているか?水は飲めるか?」
「…………」
女は相変わらずグッタリとした様子で動く気配はない。
だが、その瞳がわずかに抱き上げる私の方へと向けられたのを見逃さなかった。
何かを言おうとしている。
「なんだ?何か伝えたいことがあるのか?」
「…………ね」
小さくか細い声は、そのままでは私の耳には届かない。
私は彼女の口元へと耳を近づけ、その途切れそうな声を必死に拾おうとした。
「……素敵な……角……ね」
そういい残すと女は今度こそ完全に意識を失った。
「命の瀬戸際で出てきた言葉がそれか……ワケがわからぬ。なんなのだこの女は?」
それが私と彼女の奇妙な出会いであった。
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「ほう……人間の娘とな」
「はっ。何らか情報を得られる可能性を考え、私の独断にて現在城の医師に見せ治療を行っております」
「よかろう。その者の体調が整うまでの滞在を許す。沙汰についてはその者が回復し聴取の後に下すとしよう。それまではお主が責任を持って監督せよ」
「承知致しました。寛大なお言葉に心からの感謝を」
「うむ。下がってよいぞ」
私は王に改めて礼を述べ、謁見の間を後にする。
近衛の隊長という立場故、ある程度の権限を与えられてはいるものの、今回は天敵ともいうべき人間の娘に関する事だ。
内心では王に無断で城へ招いた事が不敬とならぬか、先程まで生きた心地がしなかった。
我が王が寛大なお方で良かったものだと胸をなでおろしている。
謁見の間から城の東に向かって突き進んだ先。
丁度廊下の突き当りに位置する医療室の前で立ち止まる。
軽いため息を零した後、背筋を整え扉を3度ノックした。
「はいはいはーい。どち……これは隊長殿!ど、どうぞ中へ」
「あぁ、失礼するぞ」
迎え出てきた医師の横を通り過ぎ、助けたあの女性が眠る寝台へとまた歩いていく。
その途中、直前までサボっていましたと言わんばかりに茶菓子で溢れかえった医師の机が目に入ったが、今は目を瞑ってやるとしよう。
先ほど妙に落ち着きが無い様子だったのはそういう事か・・・全く。
「まだ意識はもどってはおらぬのだな」
「はい。一命は取り留めましたが油断なら無い状況ではあります。意識の回復には数日、2週間ほどは体力の回復の為安静が必要でしょう」
「そうか……」
医師の説明を聞きながら私はベッドに眠る女性に目を向ける。
その顔は痩せこけてはいるがとても穏やかで、このまま死んでしまうのではないかとすら思えてくる。
妙に儚げなその女性の顔に、長く伸びた前髪がかかっていたのを指でそっと払う。
「戦士でもない女が1人、あの小船で海を渡ってきたわけか」
彼女にどんな事情があるかは判らないが、それでも容易旅ではなかっただろう。
部下に船を調べさせた所、食料も含めて大した物は残っていなかったらしい。
「遭難か……それとも追放か……何かしらの訳アリなのは間違い無さそうだ」
回復したのちにとる調書で、一体どんな面倒事が転がり込んでくるか。
ただ、この者が平和を乱す存在で無ければ良いと心から願うばかりであった。




