第二章 #剣士見習い #獣人メイド #新キャラ祭 ――扉をくぐる新たな来訪者
【06:00 希望の夜明け】
レジを開けた瞬間、俺は思わずガッツポーズをした。諸所の経費を差し引いても確実に50万円以上はある。これさえあれば、まだ店を続けることが出来る。直近の差し押さえ執行は延期になるはずだ。
とはいえ、まだ油断できる状況じゃない。経営を続けるためには、これからもこの売上を維持していかなければいけない。だが、この数字は、リアナという希望がもたらした、確かな成果だった。
昨日の閉店後も、スマホの通知は鳴り止まず、リアナの動画は瞬く間に数百万回再生され、コメント欄は熱狂的な声で埋め尽くされていた。この勢いがあれば乗り越えられるかもしれない。そんな淡い期待が、胸に灯り始めていた。
【06:10 ソファのエルフ】
ホールの隅のソファでは、リアナが丸まって寝息を立てていた。
エプロンを外しきれいに畳み、毛布代わりに俺のフードジャケット。昨夜、10時間ぶっ通しで接客した反動がどっと来たらしい。
穏やかな寝顔と、時おりぴくぴくと動く長い耳。
“異世界”が本当に隣にある証拠が、今ここでスヤスヤ寝てる。それだけで店内の空気が甘くなるんだから、ヒロイン力って恐ろしい。
「住む場所、用意してあげないとな…」
いつまでも店のフロアに寝かせる訳にはいかないし、倉庫にもスペースはあるが、俺が寝るにはまだしも、女性に段ボール山の隣はさすがに可哀想だ。
“店の裏手にあるマンションのワンフロアでも借りられないか”と算段を巡らしつつ、身体から滑り落ちそうになっているジャケットを肩まで掛け直すと、耳がふにゃと嬉しそうに折れた。
「むにゃ……千尋さん……?」
リアナが寝ぼけた声で小さく呟いた。俺の気配に気づいたのだろうか。その可愛らしい寝顔に、思わず頬が緩む。
【06:30 扉点検ミッション】
リアナの寝顔を守る“城主”の責任で、倉庫のドアを点検することにした。
昨日のリアナを追いかけてきた蛮族のような物騒な連中がまた来るかもしれない。予防として、内側に簡易バリケードを仕込んでおこう。
段ボールを避けて銀色のドアへ近づく。取っ手はやはり氷のように冷たい。
「…向こうに誰か待ち受けていないよな?」
扉に耳を当てて、確認する。
「よし、ドアの前に板を立てかけ――」
その瞬間、ドアが勢いよく開き、
ズザァッ!
銀髪の少年と猫獣人が転がりこんできた。二人まとめて俺の胸に激突。
「ぐっ……!」
背中から倒れ込んだ俺の上で、猫獣人がにゃーっと声を上げた。
「この部屋の奥からエルフの匂いがするにゃ! こいつが犯人にゃ!」
【06:32 転がり込んだ来訪者、そして乱闘】
先に起き上がったのは精悍な顔つきの銀髪の少年。
彼は俺の上に倒れ込んだ猫獣人を庇うように立ち上がると、その瞳に鋭い警戒の色を宿し、俺を睨みつけた。
「…貴様ぁ!指名手配されている誘拐犯だな!直々に成敗してくれる!」
少年特有の、中性的だが芯のある声が、怒りに震えている。
その背後で猫獣人が尻尾をぶんぶん振りながら立ち上がり、俺のジャージを掴む。
「にゃー! この犯罪者! 変態! 性癖異常者! 覚悟するにゃ!!」
「いや、言い過ぎだろ! じゃなくて犯罪者って」
俺は二人から距離と取り、慌てて状況を説明しようとするが、二人は聞く耳を持たない。少年は剣を構え、一歩、また一歩と詰め寄ってくる。
「言い訳は聞かない! リアナさんをどこへやった! 観念しろ!」
「リアナならすぐそこの……って、おい!」
ノアの剣が、俺の顔めがけて振り下ろされる。咄嗟に避けるが、足元に重い金属音が響いた。
「ぐっ……!」
猫獣人も、俺の足にまとわりつき、引っ掻いてくる。
「にゃー! 抵抗するにゃ!」
「痛ってぇな! 待て! 話を聞けって!」
倉庫の狭い空間で、俺と二人(一人と一匹?)の間で取っ組み合いの喧嘩が始まった。段ボールが倒れ、埃が舞い上がる。
【06:40 リアナの介入、そして誤解の解消】
「…千尋、何か探しているの…?ってこれは一体何事!?」
騒ぎに気づいたリアナが、慌てた様子で倉庫に駆け込んできた。寝起きのぼんやりした表情は、一瞬で驚きに変わっている。
二人は、リアナの姿を目にするなり、動きを止めた。その瞳には、驚きと困惑の色が浮かんでいる。
「あれ、リアナ…さん……? なぜ、ここに?」
少年が剣の柄を下ろし、呆然と呟く。
「あなたたちは誰? どうしてここに……?」
リアナもまた、二人の姿に目を丸くしている。
呆然とリアナを見つめる二人を押しのけて、なんとか身を起こした。強く掴まれた肩と腕には鈍い痛みがあり、ジャージは猫獣人の爪で何箇所かほつれている。
「はぁ、はぁ……リアナ、こいつら、俺を誘拐犯だって……」
俺が説明しようとすると、リアナは二人の間に割って入った。
「千尋さんは、私を助けてくれた恩人です!それに、このお店で私を守ってくれているのです。誘拐犯などではありません!」
リアナの言葉に、二人の敵意が少しずつ薄れていく。
「恩人……?」少年が訝しげに俺を見る。猫獣人も、俺のジャージを掴んでいた手を離し、尻尾をだらりと垂らした。
――――――
「ごめんなさい。僕たちは、“エルフの女性を誘拐した犯人を探せ!”と命令されて…」
どうやら俺は向こうの世界では犯罪者扱いらしい。大方、リアナを誘拐しようとした商人の仕業だろうか。
少年の手には手配書なるものが握られていた。リアナの似顔絵と名前、そしてそれを攫ったという男の特徴が書いてあった。東方風の顔つきで黒髪、どうやらあの一瞬では詳細な顔までは把握しきれなかったらしい。
「現場近くに、妙な入り口が現れたという報告を受けていて、その周辺を捜索していたんです。ただ、扉はリアナさんが入った途端、消失してしまったとのことで、何も証拠が無い状態で…」
「ルゥの嗅覚で、エルフの匂いを辿っていたにゃ。そうしたら、突然目の前に扉が現れて飛び込んだのにゃ」
あの後、向こうの世界では扉が消えていたということか。扉が現れる条件がよく分かっていないが、とりあえずあの日、蛮族がこちらの世界に追ってこなかった理由が分かった。
「話を聞いて、千尋さんが、本当にリアナさんを守ってくれたと確信しました。恩人に対して、無礼な行為を働いてしまい、申し訳ございません。」
少年が深々と頭を下げる。猫獣人もそれに倣う。
「にゃ……ごめんにゃ…」
「いや、誤解が解けたならもういいんだ」
俺は腕をさすりながら、リアナに手当をしてもらう。彼女の指先の、ほのかに温かい感覚が痛みを和らげていく。
「千尋さん、痛みますか? ごめんなさい、私のせいで……」
リアナが心配そうに俺の顔を覗き込む。その瞳には、罪悪感が滲んでいた。
「大丈夫だ、リアナのせいじゃない。これくらいどうってことない」
彼女の耳がぴくりと動き、少しだけ安心したように見えた。
【06:45 名乗り合い、そしてノアの疑念】
「とりあえず名前を聞いていいか?」
俺は改めて声をかける。
少年は背筋を伸ばし、胸に手を当てた。
「僕はノア=ブラッドフォード。王都英雄学舎の剣士見習いだ。」
剣士“見習い”という謙遜ワードが逆にその強さを引き立てる。
続いて猫獣人がピョンと跳びはねる。
「ルゥナにゃ! ノアの………相棒にゃ!」
ルゥナはノアの隣にぴったりと寄り添い、その瞳はノアだけをまっすぐに見つめている。
リアナは、昨日俺に語った故郷の村が襲われた経緯を、改めて二人に話した。
それを聞いたノアの顔色が変わった。
「リアナさん……この手配書は…リアナさんを追っている商人から、出されたものではありません。……信じられないかもしれませんが、僕らは、近衛隊長の命令で、あなたを捜索しろと言われていたんです」
ノアが苦渋の表情で伝える。リアナはその内容に驚き、顔色を変えた。
「近衛隊長……ということは、王家の誰かが私を探しているということでしょうか……」
リアナの村を襲ったのが蛮族だと聞いていたが、それには王家が関わっていたのか? そして、元締めだと思われていた「悪徳商人」の正体とは一体なんなのか。
「僕の、あくまでも想像の範疇ではありますが、あなたの言う商人と…王家は繋がっているのかもしれません…。しかし、民間人目当てに村を襲うなんて…王家の人間が、そんな横暴を許したとでも…?」
ノアは愕然とした表情で、剣の柄を握り締める。
”王都”英雄学舎の生徒ならば、王に近しい組織なのかもしれない。きっと、彼にとって、それはあまりにも衝撃的な事実だったのだろう。ルゥナも、落ち込むノアの姿を見て、尻尾をだらりと垂らしていた。
「ノアさん……ルゥナさん……」
リアナが心配そうに二人を見つめる。
「このまま、不信感を抱いたまま、命令に従う訳にはいかない…でも、それに背くことがあれば、僕たちの居場所は、もうあそこには…」
ノアの表情が更に曇る。ルゥナが不安そうにノアを見上げる。
「ノアがいないなら、ルゥも戻りたくないにゃ……」
ルゥナの言葉に、ノアは複雑な表情で彼女を見つめ返した。
――悲しむ様子の二人には申し訳ないが、俺からしたらこれは商機の何物でもない。脳内で「戦士枠」「ケモノ枠」とラベリング完了。そして、まさかの「戦力増強」だ。
リアナ一人で店を回すのは、正直負担が大きいと思っていた。それなら、やることは一つ。
「なぁ、帰るところが本当に無いっていうなら――」
【06:50 急きょスタッフ会議、そしてノアの秘密】
四人でテーブルに向き合う。
「…そういうわけでぜひ店を手伝ってもらいたい。みんなが住む場所は、まだ決まっていないんだが、なんとか探してみる」
それを聞いたノアが胸を張る。
「僕は床でも寝れるぞ」
「やめとけ、どんなに鍛えていても腰は壊れるぞ」
ルゥナがホール内の設備を一つ一つ観察する。
「にゃにゃ! ルゥはあの上で寝るにゃ!」
「そのランプはキャットタワーじゃないんだ……」
リアナがくすくす笑う。
「千尋、楽しそうですね」
やれやれ、リアナと違ってこの二人は騒がしい。だが、ある種賑やかしとして店を盛り上げてくれるのであれば言うことはない。
「お前たちもここで働いてくれるなら、俺が全面的にサポートする。ただし、ここはお前たちの世界とは違う。まずは、ここで生活することに慣れてもらう必要がある」
「はぁい! ルゥ、頑張るにゃ!」
ルゥナは目を輝かせ、尻尾をぶんぶん振る。
「ノアさんも、一緒に頑張りましょうね!」
リアナがノアに優しく声をかける。
しかし、ノアはまだ渋い顔をしている。
「僕は剣術しかやってこなかった人間だ。こんなところで、何ができるというんだ……」
「こんなところって言うな。まぁ、お前にはお前の役割がある。それに、俺はお前たちを守る。だから、安心してくれ」
俺はノアの肩をポンと叩いた。
「丁度裏方が足りてなかったからな、まずは制服だ」
俺は倉庫の奥から、とりあえずノア用にと男性スタッフの制服を取り出した。ノアの背丈だとSサイズでも大きそうだが、後で詰めるとしよう。
「ノア、お前はこっちの男子更衣室で着替えてくれ」
俺の言葉に、ノアは目を丸くした。
「え? 男子…更衣室……男…?」
その言葉に、俺は固まった。
「……え? お前、まさか……」
ノアは、顔を伏せて小さく震えている。
「……僕は、女なんだが」
リアナが驚いたように目を瞬かせた。
「ノアさん、女性だったのですか!?」
「す、すまん! 完全に男だと思ってた! いや、その、ボーイッシュで格好いいから……!」
俺は慌てて謝罪し、顔が真っ赤になる。ルゥナは腹を抱えて笑い転げている。
「にゃははは! 千尋、気づいてなかったにゃ!」
結局、リアナ、ノア、ルゥナの三人で倉庫の衣装を物色することになった。
「ノアさんには、このドレスが似合うと思います!」
リアナが選んだのは、青を基調とした、マントのついた騎士風の衣装だった。ノアが照れくさそうにそれを試着する。凛々しさが加わり、まさに「女勇者」といったところか。リアナとルゥナから「可愛い!」と歓声が上がった。
ルゥナは、猫族の耳と尻尾を活かした、動きやすいミニ丈のメイド風衣装を選んだ。フリルとリボンがたっぷりあしらわれたその服は, 彼女の活発な動きによく似合い、可愛らしさを一層引き立てていた。
三人で和気藹々と衣装を着替え、鏡の前でポーズを取る姿は、まるで人気アニメの登場人物がそのまま飛び出してきたかのようだった。
【07:10 接客指南】
「ノア、その武器は接客には必要ない」
ノアはぶつぶつ言いながら、腰に下げていた本物の剣を外した。
「剣は、僕の身体の一部なのに……」
「申し訳ないが、この国には物騒なものを持ち歩いてはいけないという法律があってな。落ち着かないなら、代わりにこれを使え」
俺が差し出したのは、イベント用の模造の剣だった。プラスチック製のおもちゃで、もちろん危険性は無い。ノアは渋々といった様子でそれを受け取った。
「攻撃より防御、まず安全第一だ」
料理が得意というルゥナは早々に厨房を希望した。それに合わせて、ノアが同じ仕事を、と立候補したが、その瞬間、ルゥナはその可愛らしい雰囲気からは想像できない険しい表情を見せた。
「ノアは、ホールにゃ! 厨房に入っちゃダメにゃ!」
「なぜだ、ルゥナ! 僕に接客なんて……」
「ノアは絶対絶対ぜったーーーーーーいホールの方が向いているにゃ!」
ルゥナの真剣な説得により、ノアはリアナと同じく接客に回されることになった。不安げなノアにリアナが優しく微笑んだ。
「ノアさん、きっと大丈夫ですわ。私も一緒に頑張りますから」
「さて、ノア。改めて、ここは『コンカフェ』っていう店だ」
俺は、テーブル越しに説明を始めた。
「こんかふぇ?」
ノアが首を傾げる。ルゥナが厨房から心配そうに見つめている。
「ああ。コンセプトカフェの略だ。ここでは、客は『冒険者』なんだ。だから、挨拶は『ようこそ冒険者さま!』で統一してる」
俺がそう言うと、ノアは腕を組み、真剣な顔で考え込んだ。
「なるほど……。つまり、こんかふぇなる所は、冒険者が集まる酒場という意味か?」
「ま,まぁ似たようなもんだな。ただし、客は本当に冒険者なわけじゃなくて、そういう『設定』なんだ」
俺が付け加えると、ノアは理解しきれないといった表情で、眉間にしわを寄せた。
(こいつ、接客に向いてないんじゃないか……? いや、でも、このたどたどしさが逆にウケたりして)
俺は内心でそう思いつつ、コーヒー3杯をトレイにセットして見せる。ノアは真剣な顔で同じ数を載せると、剣の素振りのような滑らかさでホールを一周して見せた。一滴もこぼれなし。身体能力の高さは本物だ。
リアナが拍手し、ルゥナがノアの周りをグルグル回りながら
「にゃー!流石ノアだにゃ!」と叫び、朝から店内が文化祭ムードだ。
【07:30 猫族の“嗅覚メニュー開発”】
「この袋に入ってるごはん、あんまり美味しくないにゃ」
レトルトカレーを味見したルゥナが率直な感想を述べる。経費削減のため、一番安い業務用の食材しか揃えていない。
ルゥナは、棚のスパイス瓶を片っ端から開けて香りをチェックした。
「シナモン3振り、カルダモン2振り、クローブ1粒……あとは魚粉を少々入れるにゃ!」
リアナが一口味見して「おいしい……!」と耳を跳ね上げる。
ノアも「これは絶品だ!」と大喜び。
脳内 POS は“ルゥナ特製異世界スパイスカレー ¥1,400”を即登録した。
【07:50 開店告知 & 炎上第二波】
「剣士見習い&獣人メイドが本日デビュー!ボーイッシュな女剣士と本物の獣人の女の子が†漆黒の魔城†に参戦!」
SNSに告知したところ、リアナの時と同じように拡散が止まらなかった。
開店時間10分前、列は昨日の1・5倍はあるだろう。暑い中、整列用のコーンを並べ、道路にはみ出さないように注意喚起をした。
汗だくになりながら店の中に戻ると、わくわくが隠せないルゥナと緊張で震えるノアが緊張していた。
そこにリアナが優しく声をかける。
「私もまだまだ初心者ですが、皆さん優しいので問題ないです! ノアさん、ルゥナさん、一緒に頑張りましょう!」
「うぅ…リアナさんがそう言うなら…僕、頑張ります」
ノアがリアナの言葉に少しだけ安心したように頷いた。
「ルゥも頑張るにゃ!」
――準備万端だ。
鍵を回し、俺は宣言する。
「†漆黒の魔城†、第二幕スタートだ――!」
真夏の光と歓声と、昨日と比べ物にならない熱量が店内へ雪崩れ込んだ。
【08:00 盛況、ふたたび】
「ようこそ、ぼ、冒険者…さま?剣士見習いノアが…ご、ご案内いたします」
接客に不慣れで、少しぎこちない動きを見せるが、その真面目さと不器用さが逆に可愛らしさを演出している。
ルゥナはカウンターでスパイスカレーの匂いを振り撒きながら、
「冒険者さま、お味はどうにゃ?」
尻尾ハートポーズでオタクの財布が瞬殺。客たちは彼女の猫耳と尻尾の動きに「まるで本物みたい!」と興奮しているが、それが本当に本物だとは夢にも思っていない。
「ノアさん、ルゥナさん、こちらもよろしくです!」
リアナが優雅な身のこなしでホールを回り、二人に指示を出す。彼女はもうすっかり店の雰囲気に馴染んでいる。
【11:20 トラブル発生、ノアの活躍】
開店してしばらく経った時、店内の奥の席から、柄の悪い男の声が響いた。
「おい、そこのエルフ! もっと近くに来いよ! サービスしろってんだ!」
「きゃっ!やめてください!誰か…」
突然腕を引っ張られたリアナが、怯えたように身をすくめる。客の視線が一斉にそちらに集まる。
「そのような行為はおやめください…!」
リアナが震える声で訴える。
「おい、何をしているんだ!」
客に対してつい本音が出てしまった。店の評判は落ちるかもしれないが、あんなに露骨な悪役、一発か二発殴っても問題ないだろう。何よりリアナに手を出すなんて――駆け寄ろうとした、その時。
ノアがいち早く動いていた。トレイをカウンターに置くと、一瞬で柄の悪い男の背後に回り込み、その腕を捻り上げて組み伏せた。男は呻き声を上げ、床にうつ伏せになる。
―攻撃より防御、まず安全第一だ―
俺の言葉を忠実に守った動きだ。ノアは、模造の剣を男の首筋にピタリと当て、冷たい声で言い放った。
「次は容赦しない。二度とこの店に来るな」
男は顔を真っ青にして、震えながら「ひ、ひぃっ!」と悲鳴を上げ、慌てて店を飛び出していった。
店内は一瞬の静寂の後、拍手と歓声に包まれた。客からは「ノア様~!」「かっこいい!」という黄色い声が飛び交う。
「ノア、お前、剣術以外も出来るんだな。いや、感心している場合じゃなかったな。二人とも大丈夫か?」
怖い思いをさせてしまったことに罪悪感でいっぱいだ。
「私は大丈夫です。ちょっとびっくりしちゃいましたけど…。ノアさん、本当にありがとう」
リアナがほほえみ、ノアに御礼を伝える。
「つい身体が動いてしまって…リアナさんを守れて本当によかった」
見習いとは言え、あの身のこなし。本来なら王都の優秀な剣士になれたかもしれない。
「みんなをサポートするって言っておきながら情けない…今後はああいう客が入って来ないように気を付ける。無理はしないようにな」
二人に頭を下げて、仕事に戻ることにした。とりあえず、さっきの客はもう店に立ち入れないよう出禁リストに入れておこう。まぁ、あの仕打ちを受けてわざわざ来ようとするとは思えないが。
その様子を、ルゥナが複雑な表情で見つめていた。ノアの活躍を誇りに思う気持ちと、女性客からの熱い視線に対する、ほんの少しの嫉妬が入り混じっているようだった。
【22:30 倉庫裏の密会】
満員御礼で一日を終えることが出来た。あの後、大きなトラブルは無く、無事に店を閉めることが出来た。あの事件の後、心なしかノアのチェキの売れ行きが増えた気がする。ぎこちない表情で写真に写るノアのギャップがそそると評判だった。
「リアナは二日連続で相当疲れが溜まってるだろう。ゆっくり休んでくれ。」
「ふぁ~…お言葉に甘えて寝かせてもらいます…」
昨日と同じソファに寝そべって3秒後、リアナの寝息がすぅすぅと聞こえた。
「ノアとルゥナも今日はお疲れ様。初日なのにすごい人気だったな」
「………僕、もう限界かも…剣術の修行で、一週間山に籠った時よりも、くたくただ…」
リアナの近くのソファにふらふらと向かうが、そのままソファにたどり着くことなく床に転がって沈黙した。
「さすがに、今日の功労者を、床に寝かせたままには出来ないな…」
そっとノアを抱きかかえてソファに寝かせる。今日見せた力強さからは、想像し難い身体の軽さに少々驚いた。
「千尋も疲れたと思うにゃ。これ、ルゥナの特製野菜ジュースにゃ」
ルゥナも疲れていることには違いないのに、俺の身体を気遣ってくれる。
「ありがとう、ルゥナ。助かるよ」
――――――
「ルゥナも、空いているソファでゆっくり休んでくれ」
「ありがとうにゃ…………千尋、実は、少し、二人きりで話したいことがあるにゃ」
ルゥナの真剣な表情に、俺は少し身構える。
「二人には、内緒にしたいにゃ」
「…分かった。ここじゃ話しづらいのなら、倉庫に行くか」
店内の照明を落として二人で倉庫へと向かった。沈黙が余計に気まずい。何か気に障ることでもしてしまったのか。今日のトラブルが彼女を不安にさせてしまったか。色々な考えが脳内をぐるぐる駆け巡る。
倉庫に着くと、ルゥナは、俺の顔をまっすぐ見上げて、語り始めた。
「千尋。今日の客の中に…一人だけ雰囲気が違っていた者がいたにゃ。あの事件の後、注文を取りに行こうとしたら、姿が消えていたのにゃ」
厨房で注文を捌くのにも手一杯だったはずなのに、よく観察していたものだと感心した。
「分かった、後で監視カメラの録画で確認してみる。一応聞いておきたいんだが、そいつは、どういう奴だったんだ?」
「…注文を取る前だったから、顔はよく分からなかったにゃ。でも、テーブルの方からほんのり火薬の匂いがして…あ、ずっとリアナの方を向いていたにゃ」
ルゥナの鋭い嗅覚が捉えた情報に、俺は背筋が凍る。あの騒動がなければ、もっと大きな事件が起きていたかもしれない。火薬というワードが妙に引っかかる。店に何か仕掛けられていなかったか、念入りに確認しておこう。
「教えてくれてありがとう。ルゥナにしか分からないことだから、これからも気になることがあったらどんどん教えてくれ」
俺がそう言うと、ルゥナは大きく頷いた。
しかし横柄な客に不審者。店が大きくなればトラブルも増えると思ったが、もう少し気を引き締めないといけない。
「不安にさせるようなことを言ってごめんにゃ…。ルゥはこんなに楽しい日を過ごしたのは久しぶりだったにゃ。ノアがあんなに生き生きした姿を見るのも何年振りのことかにゃ…。だからこそ、この平穏を壊されるのは嫌にゃ」
正直いって,ルゥナが、ここまで考えてくれていたとは思わなかった。
「ノアはルゥナにとって大切な人なんだな」
俺がそう言うと、ルゥナは顔を真っ赤にして、慌てて視線を逸らした。
「にゃ、にゃにを言うにゃ!」
その反応に、俺は思わず笑みがこぼれた。
照れくさそうにルゥナが背中を向けたと思うと、誰かに語り掛けるようにそっと呟いた。
「…ノアは,どんな時でも、まっすぐで、強くて……孤児院で一緒になった時から、ルゥにとって、ノアは特別な存在にゃ」
どうやら2人の絆は想像以上に深いものらしい。そして、ノアへの尊敬と、それ以上の、秘めたる感情を滲ませているのが見て取れた。
――――――
一方、秋葉原の雑踏から少し離れた、高層ビルの最上階。
豪華な調度品に囲まれた執務室で、一人の怪しい男が電話を耳に当て、何者かからの報告を受けていた。
「………はい、ご主人様。本日、お店に潜入しました。ただ、流石に警戒はしているようです。私が見た限りは………彼女は"本物"だと思います。指示通り、近いうちに連れてまいります」
男の視線の先には、煌々と輝く秋葉原の夜景が広がっている。どうやら、彼のターゲットは見つかったようだ。
第三章に続く
昨日アップロードするはずが一日遅れてしまいました。校正って大変ですね。これでもまだ粗があるんだろうなぁ…。次回はまた新しいキャラクターが出てきます。