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8.伯爵家の呪いの始まり

 アッシュ様が顔を強ばらせた。


 ためらうように口をつぐみ、ややあって深く息をつく。辛抱強く待ち続けていたら、アッシュ様はようやくゆっくりと話し出してくれた。


「……今から、二百年ほど昔の話だ」


 ――それはアッシュ様から遡ること、七代前のフォード伯爵の時代での出来事だという。


 当時の伯爵家当主には息子が一人いた。

 彼は誰からも好かれる朗らかな青年で、身分の差にこだわらず、いつも平民に交じっては額に汗して働いた。彼がフォード伯爵家を継ぐ日を、伯爵領の誰もが心待ちにしていたという。


「……けれどある時、彼は伯爵である父親から勘当された。きっかけは、一人の女だった」


 青年が伴侶として選んだ女性。

 彼女は『(まじな)い師』と呼ばれる職業の人間で、人里から離れた深い森の庵に一人きりで暮らしていた。まっすぐな黒髪の、いつも陰鬱な表情をした女だったという。


「占いで未来を読んだり、災いを避けるための魔除けや雨乞い、それから薬草を使って医者の真似事までこなしていたらしい。村人達は何か困り事がある度、彼女を頼っていたそうだ」


 青年と呪い師は、出会ってたちまち恋に落ちた。

 けれど当時のフォード伯爵は結婚を認めず、二人の仲を引き裂こうとした。何せ相手は平民、まして『呪い』などという得体のしれない術を生業とする女なのだ。貴族の伴侶として相応しくないのは明らかだった。


「女と別れるか伯爵家を出て行くか、どちらかを選べと父親から詰め寄られても、息子は聞き入れなかった。高をくくっていた部分もあったのかもしれない、自分を放逐などできるはずがないと。当時、伯爵家を継げるのは彼一人しかいなかったから……」


 けれど結局、業を煮やしたフォード伯爵は二人を領土から追放してしまった。

 その後自分は若い後妻を迎え、彼女は健康な男の子を産んだ。これで伯爵家は安泰だと、伯爵家に仕える者は皆胸を撫で下ろした。

 領内に平和が戻り、次代の伯爵となるはずだった青年のことなど誰も口にしなくなった。彼のことも呪い師の女のことも、少しずつ人々の記憶から薄れていった――



 そんなある日。


「伯爵家に、黒髪のやつれた女が訪ねてきたそうだ。彼女は真っ青な顔をして、フォード伯爵との面会を願ったという」


 ――どうか、どうかあのひとを助けてください


 ――重い病に侵されているのです。今ではもう、ベッドから起き上がることすらできない。わたしの薬なんかじゃ、治すことが叶わなかった……!


「彼女は遠い地の治療院に夫を入院させて、一人きりで助けを求めに来たのだ。床に額をこすりつけ、必死に嘆願したそうだ。自分はどうなったって構わない、別れろと言うなら別れるし、死ねと言うならば今この場で命を絶ってみせる、とな」


 絞り出すように告げて、アッシュ様が辛そうに顔を歪める。

 彼のその表情を見て、続きは説明されずともわかってしまった。


(フォード伯爵は、彼女の要求を突っぱねたんだ……)


「――息子はほどなくして亡くなった。彼女の寄こした訃報を、伯爵はびりびりに引き裂いて捨て、すぐに忘れてしまった。彼の心の中にはもう、新しい家族――愛する妻と可愛い盛りの幼い息子しかいなかったからだ」


 それから日々は変わらず過ぎていき。


 ある時、フォード伯爵は領民から知らせを受け取った。いつの間にか呪い師の女が領土に戻り、昔と同じ森の庵で暮らしていると。


 けれどそれは、フォード伯爵の胸に何の感慨も呼び起こさなかった。

 放っておけ、と冷たく告げて、彼はまた日常に戻っていく。どの道、息子はもういないのだから。


 アッシュ様はふうっと息を吐くと、疲れたみたいに天を仰いだ。


「それで、話は終わりだ」


「……おわり?」


 息を詰めて聞き入っていた私は、ぽかんと口を開けた。アッシュ様が苦笑して頷く。


「そう、終わりだ。……だってその後どうなったかなど、わかりきったことだろう? お前はその目で見たのだから」


「……あ……」


「あれほど愛していたはずの妻を、ある朝いきなりフォード伯爵は忘れてしまった。幼い息子のことは覚えていても、その母である妻のことは何もわからなくなった。前代未聞の奇病だと、周囲は大騒ぎしたそうだが……」


 アッシュ様が気だるげに立ち上がった。


 じっと湖の方向を眺め、黙り込む。遠くを見る眼差しは、一体何を見つめているのだろう。


「アッシュ様……」


「行ってみるか? 今から」


 思わず手を伸ばしかけた瞬間、アッシュ様が振り返る。驚いて何も言えなくなる私に、いたずらっぽく笑いかけた。


「呪い師の住んでいた森の庵だ。今では当然無人の空き家だが、まだ当時の姿そのままに残っている」


「え……だけど、二百年も昔の話なんですよね?」


「そう。けれど、不思議なことにあの庵は全く朽ちていない」


 低い声で肯定すると、アッシュ様は一転して厳しく表情を引き締めた。

 白金の髪をなびかせて、湖のほとりからゆっくりと離れる。その凛々しい横顔に、私は声を失って見とれてしまった。


「……庵には、時々訪れるようにしているのさ」


 繋いだ馬の背を優しく撫でて、アッシュ様が噛み締めるように告げる。


「呪いを解く鍵が、そこに隠されているのではないかと期待して。……馬鹿みたいだろう、父も祖父も曽祖父も、散々調べて何も見つからなかったというのにな」


「…………」


 自嘲するように笑う彼に、胸がきゅっと苦しくなった。


 立ち尽くす私を置いて、アッシュ様が残った食料をバスケットに詰め込む。慌てて私もしゃがみ込んで手伝おうとしたら、ちょんと二人の指先が触れ合った。


「ひいぃっ!?」


 悲鳴を上げて、脱兎の勢いでアッシュ様が逃げていく。


「…………」


 さっきまでの格好いいアッシュ様は一体どこへ。

 ていうか、私って化け物じゃないんですけども?


 思わず口をひん曲げてむくれる私であった。

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