5.つまり、呪いというのは
「とまあ、ざっとこんな感じだ。さすがのセシリア様も、今のでどんな呪いか理解できたろう?」
デューク様が疲れたみたいに苦笑する。
私はしばし考え込んでから、自信満々に頷いた。
「はい、もちろん。結婚相手を忘れてしまう呪いですね?」
「違うっ!」
デューク様が盛大に突っ込んだ。……あれぇ?
首を傾げる私に、デューク様は「いいか?」と人差し指を突きつける。
「結婚相手ではなく、恋した相手を忘れるんだ。呪いは恋に落ちたその日に発動し、一晩眠れば相手のことを綺麗さっぱり忘れてしまう」
「ええっ?」
えぇと、それはつまり……。
アッシュ様が私に、恋してるってこと?
急に恥ずかしくなって、動揺したままアッシュ様の方を振り返る。
ご自分の部屋だというのに、アッシュ様は片隅にしゃがみ込んでうつむいていた。その手には「虎の巻」と書かれた分厚いノートがあり、一心不乱に読みふけっている。
ためらいながらもアッシュ様に歩み寄ろうとしたら、デューク様が腕を掴んで私を引き止めた。
静かにかぶりを振って、説明を続ける。
「ちなみに、眠らずに徹夜しようとしても無駄なのさ。0時が近づくにつれ、目も開けていられないほど眠くなるらしい。何度試してみても同じなんだ、いつも気を失うように眠ってしまう」
「ああ、それで……」
昨夜も突然倒れてしまわれたのだ。
私は深く納得し、じっと唇を噛んで考え込む。
「……ということは、呪いが発動するのは今回が初めてではないのですね? 以前もアッシュ様は、恋した誰かのことを忘れてしまったことがある、と……」
私は噛み締めるようにして呟いた。
その時のお二人の気持ちを想像するだけで、締めつけられるように胸が痛む。
忘れてしまうアッシュ様も、忘れられてしまったお相手も――どちらもすごく、お可哀そうだった。
(ああ、なんて悲恋なの……!)
思わず目を潤ませる私に、デューク様は「いやいやいやいや」とぶんぶん手を振り回した。
「相手は他でもない君だよ、セシリア様」
「は?」
ぽかんと口を開ければ、「だからぁっ!」とデューク様が声を荒らげた。
「毎回相手はもれなく君なんだって! 惚れては忘れ、忘れてはまたすぐ惚れるを無限に繰り返してるんだよこの二年間っ! むしろ今の今まで全然気づかん君にびっくりだわ!!」
「…………」
えええええっ!?
「で、でもアッシュ様は、私の名前すら呼んでくれたことなくて! てっきり私、アッシュ様は同情心から私を雇ってくれただけで、嫌われてるとばっかり」
「逆! その逆ッ!! 一目惚れして助けることを決めたくせに、いざ領地に連れ帰ったら名前で呼ぶことすらできない極度の照れ屋野郎で、しかも次の日には忘れて『メイドの中に天使が増えている! あの可愛い娘は一体誰なんだ!』とかやかましくて、連れてきたのはアンタだろっていい加減オレも面倒くさくなって、呪い発動の翌日は虎の巻ノートを押しつけて、そんでノートを読んで名前がわかってもまだ呼びやしねぇ! だって恥ずかしいじゃないか、なんて頬を染めるなよアンタいくつだよ!!」
「デュデュデュデューク様、ちょっと落ち着いて!?」
ヒートアップしてどんどん早口になるデューク様を、大慌てでなだめる。というか、虎の巻ノートって?
おろおろと再びアッシュ様に視線を走らせれば、デューク様がふんと息を吐いた。
「セシリア様とのやり取りや、その時の主の心情を記した日記だよ。本人が書く時もあれば、呪いで寝てしまった後にオレが付け足すこともある。……ああ、そうだ」
我に返ったように瞬きすると、デューク様はアッシュ様に歩み寄る。
「主、全部読まずとも構いません。大体同じことの繰り返しですので。最初の出会いと、最新の出来事……結婚に至った経緯だけご確認いただければ」
「そ、そうか。一ページ目から順番にじっくり読んでいた」
ほっとしたように顔を上げ、バチリと私と目が合った。みるみるアッシュ様が赤くなり、私に背を向けてしまう。
「わかりやすい……」
「本当に。それなのにセシリア様は、全然これっぽっちも気づかなかったんだよ」
すみません。
ネチネチと責め立てられ、さすがに反省する。もしかして私って、ちょっぴり鈍いのだろうか?
(いえ、でも……)
同じ屋敷で暮らしているとはいえ、私とアッシュ様にそれほど接点はない。何せ主人と使用人なのだ。お茶を運んだり廊下で行き交ったり、その程度。
「それじゃあ気づかなくっても仕方ないと思うんですよねぇ、あはは」
照れ笑いしてごまかしたら、デューク様が目を吊り上げた。
アッシュ様の手から荒々しくノートを奪い取り、無造作に開く。「あっ!」と声を上げるアッシュ様を無視し、すうっと息を吸った。
「――廊下で窓拭きをする天使を見つけた。ふわふわと柔らかな、亜麻色の髪の天使。冷たい水に指先を真っ赤にして、バケツの上で雑巾を絞っている。ああ、何と健気な……!」
「おいデューク、音読はやめろっ!!」
「ねぎらいの言葉を掛けたかった。それなのに、言えなかった……! 逃げるように彼女の前を早足で通り過ぎる、臆病な俺――……」
「おーーーいっ!!」
アッシュ様が虎の巻を取り返して抱き締める。
しかしデューク様はどこ吹く風と鼻で笑った。
「そして、ここからがオレの付け足しです。――同じく窓拭き中の他のメイドには、『精が出るな』と気楽に声を掛ける主。セシリア嬢のみを無視し、肩を怒らせて通り過ぎていく主。それなのにチラチラ気にして、真っ赤な顔で何度も振り返る主。『ははぁん』と即座に察するメイド達。合掌」
何食わぬ顔で日記の続きを諳んじてみせる。
どうやら全て暗記しているらしい。さすがは有能な領主補佐……。
感心していたら、アッシュ様が目を剥いた。
「なっ、彼女だけを無視しただと!? それでは職場いじめではないか! 俺は伯爵家当主として、なんと相応しくない振る舞いを……!」
膝を突いて大仰に苦悩する。……えっと。
打ちひしがれるアッシュ様にそっと寄り添い、私もひざまずいて彼の顔を覗き込んだ。
「気にされなくて大丈夫ですよ、アッシュ様。窓拭きに夢中で、私なーんにも気づいてませんでしたから!」
「ほ、本当に?」
アッシュ様がすがるように私を見つめる。
私は大きく頷いて、ドンと胸を叩いてみせた。
「ええ、もちろん! 母を早くに亡くしたり父の借金で家が没落したり、こう見えて私ってば苦労の連続でしたから。細かいこといちいち気にしてたら、キリがありませんので!」
「そうか。強いのだな、お前は……」
アッシュ様が顔をほころばせ、尊敬の眼差しを私に向ける。やだ、なんだか照れちゃうなぁ。
はにかむ私達を眺め、「勝手にやってろ」とデューク様が天を仰いだ。