3.時計の針が0時を指したなら
部屋の中に気まずい沈黙が満ちる。
テーブルを挟んでソファに腰掛けながら、三人全員が明後日の方向を向いていた。
ちなみにテーブルの上にあるのは、水差しとデューク様が差し入れた酒瓶のみ。本当はお茶ぐらい用意したいところだけれど、席を外したら部屋から閉め出されてしまうかもしれない。
それが嫌で、私は梃子でも動くものかと足を踏ん張っていた。
「……セシリア。今夜はもう遅いから休んだらどうだ」
性懲りもなくアッシュ様が私を追い出そうとする。
デューク様も顎を引いて頷き、私に向かって身を乗り出した。
「そうだ、いや、そうですよ奥様。思うところはおありでしょうが、今日のところは自室へお戻りください」
二人からあからさまに追い立てられて、私は思わず目を吊り上げる。
「デューク様、下っ端メイドの私に敬語などおやめください。それに、奥様というのも白々しいです。仮初めの婚姻だってご存知のくせに」
拗ねたように告げれば、デューク様とアッシュ様は同時に首をすくめた。さながらイタズラのばれた悪童のようで、私は半眼で彼らを睨み据える。
デューク様が困ったように視線を逸らした。
「でも君は、いや貴女は、紛れもなく我が主の奥様ですので」
「今まで通りセシリアって名前で呼んでください。さもなくばお屋敷中に言いふらしてやるんだから。デューク様に初夜を邪魔されましたーって」
きっとメイド長達は怒り狂うでしょうねぇ、とわざとらしく呟けば、デューク様が目を剥いた。
「た、頼むからそれだけは勘弁してくれ。気の強い女性陣を敵に回したら厄介だ」
うんうん、わかってるじゃない。
デューク様もまた屋敷に住み込みで、生殺与奪の権は私達使用人の手に握られている。給仕するご飯を減らすのも苦手な食材で埋めつくすのも、洗濯や掃除をボイコットするのも、何だって思いのままなのだ。
悠然と構えていたら、アッシュ様が慌てたように口を挟んだ。
「いや、お前はもうメイドではないだろう。離縁するまでの短い間とはいえ、お前には自由気ままに過ごして欲しいと思っている。宝石やドレスだって、お前が望むならいくらでも」
「いいえ結構です」
即座に拒絶して、ツンとそっぽを向く。
「私、お荷物になる気はありませんので。肩書は妻でも、これまで通りメイドとして働かせていただきます。そして離縁の際には、どうぞ紹介状を書いてくださいませ。それを持って別のお屋敷に雇ってもらいますから」
「セ、セシリア……!」
「身の振り方を考えるのに、一年も必要ないです。私には健康な体とやる気があるんだから、何だってできる。むしろ私が考えるべきは、アッシュ様にご恩返しするための方法です。怠けろだの贅沢しろだの、見当違いにも程があります!」
一息に言い切れば、アッシュ様がまるで叩かれたみたいに痛そうな顔をした。白金の髪を震わせうつむいて、きつく目を閉じる。
「……すまない」
絞り出すような謝罪に、私は何と答えていいのかわからない。
お互い黙りこくっていたら、突然デューク様が「あ、まずい」と小さく呟いた。
「デューク様?」
「ああ、いやその、セシリア……様。うん、どうか『様』だけは付けさせてくれ。君が主の奥様なのは紛れもなく事実だし、これは部下としてのけじめというか。な、頼むよ」
必死になって私に頼み込むと、デューク様は立ち上がった。
その目は隣に座るアッシュ様に向けられていて、私もつられて彼の視線を追う。
……と、アッシュ様がうつらうつらと船をこいでいた。慌てて時計を振り返れば、時刻はもうじき0時を指すところだった。もしや、もう限界だったのかもしれない。
「アッシュ様、眠いのならベッドに入ってください。本当は今お話を聞きたかったけど……、明日の朝まで我慢しますから」
とろんとして今にもつぶれそうな目を覗き込めば、アッシュ様は激しく首を横に振った。
「だ、大丈夫だ。眠ってなるもの、か……。しんじてくれ、セシリア……。おれは、だんじて、まだ、まだ……」
「まだ?」
「おまえに、ほれてなど――……ぐう」
バタンッと脈絡もなくアッシュ様がソファに倒れ込む。ええっ!?
「アッシュ様!? しっかりしてください、もしやどこかお具合が悪いのですか!?」
「大丈夫だ、セシリア様」
糸が切れた人形のように眠るアッシュ様を、デューク様がすばやく助け起こした。おろおろしてアッシュ様の様子を確かめていたら、背後で柱時計がボーンボーンと鳴り響く。
(0時――……)
ちょうど十二回時を刻んで、柱時計は沈黙した。
デューク様が苦心しながらもアッシュ様を担ぎ上げ、突き飛ばすようにしてベッドに放り込む。我に返った私も慌てて駆け寄り、アッシュ様の体に毛布を掛けた。
「……初夜の邪魔をして悪かったな、セシリア様。でも誓って言うが、オレは君達を仲違いさせたかったわけじゃないんだ。オレが今夜わざわざ、祝い酒を持って訪ねてきたのは」
デューク様が深々とため息をつく。
「確かめるつもりだったんだ。主が0時を過ぎても起きていられるようなら、今日はまだセーフということ。でももし、そうじゃないのなら――……」
茶色の癖っ毛を荒々しくかき上げて、きつい眼差しで私を見据えた。
思わずビクリと肩を跳ねさせる私に、デューク様は苦々しく告げる。
「――代々フォード伯爵家を蝕んでいる、悪しき呪いが発動したということさ」