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23.祭りの終わり

 0時まであとほんの少し。


 アッシュ様はどうやら虎の巻を書き上げたらしく、ようやく満足げにペンを置いた。私は嬉しくなって、窓辺へと彼を誘う。


「残り時間は夜景を眺めていましょうよ。ろうそくの明かりが揺らめいて、夢みたいに綺麗です」


 どちらからともなく手を伸ばし、自然と手を繋ぐ。

 沈黙が満ち、時計の針の音だけがやけに大きく鳴り響いた。こうして今日もまた終わりが近づいてくる。


「……死者の祭り。呪い師の魂もまた、この世に帰ってきているのだろうか」


 やがて、アッシュ様がぽつりと呟いた。


「以前は、祭りの日に呪い師の庵で一晩過ごしたこともあるんだ。彼女の魂が帰ってくるのを期待して、夜通し祈りを捧げ続けた。俺だけじゃなく、父も祖父も幾度となく試みてみたらしい。……けれど知っての通り、何も変わりはしなかった」


「………」


「この呪いが終わる日は来るのだろうか。俺は……、このままお前に、甘え続けていいのだろうか……」


 苦しげに眉根を寄せるアッシュ様に、私はコツンと額を押し当てた。そんな悲しいことは言わないで。真実の愛があれば呪いは解けるはずだって、デューク様も言っていたんだから。


 指を絡め、私は呼吸を整える。

 ゆっくりとアッシュ様に向かい合い、不安げに揺れる瞳を覗き込んだ。


「アッシュ様。私はずっとあなたのお側にいます」


 だが、と反論しかけたアッシュ様の口を人差し指ですばやく塞ぐ。驚いたように目が見開かれたが、私は決して逸らさず真摯に見つめ続ける。


 ――お願い。どうか思いよ伝わって。


「絶対に離れない。アッシュ様が恩人だからじゃない。デューク様に頼まれたからでもない。――私が、あなたのことを愛しているから」


「……っ」


 勇気を振り絞っての告白に、アッシュ様が息を呑んだ。

 泣き出しそうに顔が歪み、私から逃げるように目を閉じる。荒い呼吸を繰り返す彼を、私はぎゅっと抱き締めた。


「アッシュ様は? 離れないって、約束してください。私のためだとか、私に悪いからだなんて言わないで。私はただ、あなたの正直な気持ちが聞きたいの」


「俺、は……」


 アッシュ様の声が潤む。


 そっと私を引き離し、両手で私の顔を包み込む。視界にはもうアッシュ様しか映らない。


「――愛してる、セシリア。どうか一生、俺の側にいてほしい」


「アッシュ様……!」


 ぶわりと一気に涙があふれた。

 アッシュ様も泣いている。抱き合ったまま二人で床に崩れ落ち、またきつく抱き締め合った。泣き笑いの顔で見つめ合う。


「セシリア……」


 息が掛かるほど顔が近づき、私はそっと目を閉じる。

 苦しいほどに幸せで、胸がどきどきと高鳴った。



 ――ドサッ



「……え?」


 突然、すぐ近くにあったはずのアッシュ様の温もりが消え去った。

 何が起こったのかわからず、私は茫然と目を開ける。傍らにアッシュ様が倒れ込み、青白い顔で深く寝息を立てていた。


(……え……?)


 信じられない思いで彼を見下ろす。


 うそ。

 だって。

 アッシュ様、私を愛してるって。

 私も、アッシュ様を愛してるって言ったのに――……!


「なんで? どうして……っ」


 嗚咽して私はアッシュ様を揺さぶった。お願い起きて、冗談だと言って笑って。だってそうじゃなきゃ、あなたはまた私を忘れてしまう。

 虎の巻にだって書き残せてない。この告白もあなたの言葉も、全部がなかったことになってしまう。


 涙があとからあとから頬を伝う。さっきまでの幸せな涙とは全然違う、胸が張り裂けそうなほどに痛くて苦しい涙。


 どれだけ泣き叫んで懇願しても、アッシュ様が目を覚ますことはなかった。



 ◇



 ノックの音に、膝に伏せていた顔を上げる。


 私一人ではアッシュ様をベッドに運ぶことはできなくて、仕方なく毛布だけを掛けていた。私は側にうずくまって、眠る彼をぼんやりと眺めるだけ。


 返事をせずにいたら、()れたように再び扉が叩かれた。

 ため息をついて起き上がり、扉を開く。


「セシリア様!……どうした、ひどい顔をしているぞ」


 予想通り、扉の前に立っていたのはデューク様だった。

 説明する気力もなくて、私は黙って彼を部屋に迎え入れる。よかった。これでアッシュ様を、冷たい床から移動させてあげられる……。


「デューク様、アッシュ様をお願いします。私はこれから屋敷に戻りますので」


 淡々と頭を下げて、荷物を手に取った。「はあ!?」と声を上げたデューク様が、慌てたみたいに私の腕を引っつかむ。


「待て待て、こんな深夜に何を言っているんだ!? 乗合馬車だってもうないし、一体何を考えて」


「乗馬はできますから、宿の人に頼んで馬を都合してもらいます」


「行かせるわけがないだろう、夜道は危険なんだぞ! 何なんだ、どうして突然わけのわからんことを――」


 苛々と足踏みする彼を、突き飛ばすように振り払った。デューク様がびっくりしたみたいに目を見開く。


「セ、セシリア様?」


「――だって!!」


 もう我慢の限界だった。

 ひび割れた声が勝手に喉からすべり出す。


「アッシュ様、夜が明けたらまた私を忘れてしまうんです! 私、一生分の勇気を振り絞って告白したのに。愛してるって伝えたのに、それでも呪いは解けなかったの! 真実の愛って何? 私はアッシュ様が好きで、アッシュ様も私を愛してくれているはずなのにっ。それなのに、今夜もやっぱり駄目だった!」


 デューク様が茫然と立ち尽くしている。

 涙があふれ、それでも言葉が止められない。


「呪いを解く方法を探さなきゃ! 一刻も早く屋敷に帰って、呪い師の手記が読みたいの。が、がんばらないと、あ、アッシュ様、何度だって私を忘れちゃう……っ」


「セシリア様……」


 わあわあと声を上げて泣き出した私に、デューク様が痛ましげに手を伸ばした。優しい手つきで何度も背中を撫でてくれる。


「っ、ごめ、なさ……」


「いや。セシリア様、とにかくまずは座って毛布をかぶれ。びっくりするぐらい体が冷えきっている」


 デューク様はソファに私を強制連行すると、毛布でぐるぐる巻きにしてしまった。

 四苦八苦してアッシュ様をベッドに寝かせ、「すぐに戻る」と言い残して部屋を出る。戻ってきた時には湯気の立つティーカップを手にしていた。


「宿の者に頼んだ。安眠効果のあるハーブティーだそうだ」


「ありがとう、ございます……」


 鼻をすすり、毛布の隙間から手を出してカップを受け取る。包み込むように持つだけで、その香りと温かさに張り詰めていた気持ちがゆるんだ。


「セシリア様。せめて夜が明けるのを待ってくれないか」


 カップを抱き締めるようにしてうつむいた私に、デューク様が穏やかに告げる。

 私は泣き腫らした目で彼を見上げた。


「飲み物をもらうついでに、夜明けと共に馬車を手配してもらえるよう頼んできた。オレと主は祭りの後始末があるから、戻るのは明日の午後になるはずだ」


「……私、だけど……」


「頼むから一晩だけ我慢してくれ。主と一緒が辛いなら、オレが部屋を変わるから」


 デューク様もこの隣に部屋を取っていたらしい。

 少しだけ考え、私は小さく首を横に振った。


「部屋はそのままで大丈夫、です……。でも、明日はアッシュ様と顔を合わせないまま出発してもいいですか……?」


「いいよ。主はオレが起こすから、寝かしといてやってくれ」


 デューク様がふっと微笑む。


 それから私がハーブティーを飲み干すまできっちり見張って、とにかく少しでも眠るようにと言い聞かせて出ていった。

 私はため息をつき、毛布をかぶったまま移動する。健やかな寝息を立てるアッシュ様を見つめ、崩折れるようにひざまずいた。


(……お願い。死者の魂がこの世に帰ってきているのなら、どうか私の願いを聞き届けて)


(呪い師さん、お願いです。どうかどうか、アッシュ様をこの呪いから解放してください)


(答えて。お願い。魂の姿で構わないから、どうか私の前に現れて――!)


 夜が明けるまでの数時間、必死になって祈り続けた。

 やがて鳥のさえずりがにぎやかに聞こえてきて、私はようやく目を開ける。かすんだ目で窓の向こうを見れば、空がすっかり明るくなっていた。


 死者の祭りは終わった。

 呪い師の魂は、現れなかった。

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