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2.何をおっしゃっているのやら?

「なん……っ、なん……っ」


 恐怖に顔をひきつらせ、じりじりと後ずさりするアッシュ様。

 どうやらまだベッドには入っておらず、机で書き物をしていたらしい。


 立ち上がって窓辺まで後退した彼は、助けを求めるように手を泳がせた。すがるように掴んだのはカーテンで、自身の体にぐるぐると巻き付けて身を隠す。うん、ミノムシかな?


「失礼いたします、アッシュ様。先ほど私の部屋に乱入しないとお約束くださいましたが、私が乱入してはいけないとはおっしゃいませんでしたので」


 一礼して、ずかずかと部屋に入り込む。

 カーテンから顔だけ出したアッシュ様が、長身の体を一生懸命に縮こまらせた。


「アッシュ様。一年で離縁されるとおっしゃるのなら、せめてその間だけでも私を妻としてお役立てくださいませ。そうでなければ、手切れ金など到底いただけません」


「お、俺は」


「ほらほら、まずはカーテンから出て。そしてどうぞ教えてください、あなた様にご恩返しするために、私に何ができるかを」


 アッシュ様がごくりと喉仏を上下させる。


 じっと私を見つめたが、私に引く気がないと悟ったのだろう。

 のろのろと回転してカーテンから脱出すると、うなだれたままソファに腰を下ろした。ひと一人分空けて私も隣に腰掛けて、端正な横顔を真摯に見つめる。


 ややあって、アッシュ様はうめくように口を開いた。


「……お前の、その亜麻色の髪」


 ……ん? 髪?


 私は小首を傾げ、自身の長い髪に指を絡める。

 ふわふわと緩くカールした、雨の日には大爆発な困った頭。いつもは髪留めでまとめているものの、今はそのまま下ろしていた。


「……それから、その濃い茶色の瞳……」


 母譲りの焦げ茶の瞳は、とても地味だ。アッシュ様のような綺麗な青の瞳とは大違い。


「愚痴ひとつこぼさず、くるくるとよく働くところ……」


 確かに働くのは好きだけれど、最初の頃はダメダメの役立たずだったと思う。

 待遇が良いものだから、このお屋敷に勤める使用人は誰も辞めたがらない。古株ばかりの同僚達は、おっちょこちょいな新人の私を辛抱強く指導してくれた。


「菓子をほおばる時の、幸せそうな笑顔……」


 アッシュ様は心配りのある主で、使用人へのお菓子の差し入れを欠かさない。いつもみんな大喜びでかぶりつく。


 ……で、これって一体何の話です?


 きょとんとしていたら、アッシュ様はふうーっと深く重苦しいため息をついた。ゆっくりと私に向き直り、暗く陰った目を向ける。


「俺は、そんなお前を――……ずっと以前から、好ましく思っていて。気づけばいつも目で追って、お前に惹かれて焦がれて」


 えええっ!!?


「いたのか?」


 知らないよ!

 なんでいきなり疑問形!?


 息を詰めて聞き入っていた私は、思わず盛大にずっこけた。自然アッシュ様の胸に頭突きするような格好になり、アッシュ様が「うおおっ!?」と悲鳴を上げてカーテンに逃げ込む。


「ああもうっ、カーテンを巻き付けないでくださいったら! 怖くないです、襲いません! というかアッシュ様、武芸大会で優勝するほどの剣の名手と伺っていますけど!?」


「が、学生の頃の話だっ。それに剣の腕など関係なく、お前にだけは勝てる気がしないのだ!」


「ええっ、私は非力でか弱い女ですよ!?」


 カーテンを引っ張り合いっこしていたら、部屋の柱時計がボーンと一回鳴った。アッシュ様がはっとして時計を睨む。


「いけない、あと三十分で0時になってしまう……! 頼む、どうか今夜は部屋に戻ってくれ。事情は必ず明日、説明を――説明を――」


 苦しげに眉根を寄せ、首をひねる。


「……するのか?」


 だから知りませんて!

 どうしていちいち自信無さげなの!!


「明日じゃ駄目ですっ。仮初めだろうが何だろうが、今夜は私達の初夜なのですよ。夜通しだって構いませんから、じっくり腰を据えてお話しましょう!」


 語気を強めて訴えれば、アッシュ様の顔が強ばった。ベッドを振り返り、ゆるゆると力なくかぶりを振る。


「それは無理だ。おそらく俺は、今夜は0時を越えて起きていられないと思う……」


「え?……ご、ごめんなさい! 随分とお疲れだったんですね、私ったら全然気づかなくて」


 申し訳なく眉を下げる私に、アッシュ様は「そうじゃない」と静かに否定した。


「これは、我がフォード伯爵家特有の事情なのだ。お前に話さずに済むものなら、最後まで隠し通そうと思っていたが……。まさか初日からこのような、くっ。己があまりに不甲斐ない!」


 爪が食い込みそうなほどきつく手を握り、アッシュ様が顔を歪める。

 事情がわからずおろおろするばかりの私を、アッシュ様は再度扉へと促した。


「さあ、お前は部屋でゆっくり休……ん?」


 不意に、扉からコツコツとノックの音がした。


 アッシュ様が今度は慎重に「誰だ?」と確かめると、「デュークです」と静かに返答がある。……デューク?


「あ、デューク様……もがっ」


「デューク、生憎俺はもう休むところだ! 用ならば明朝にしてくれ!」


 私の口をふさぎ、アッシュ様が大声で叫ぶ。必死に目で合図してくるので、私もすぐに察して口をつぐんだ。


「……そうでしたか、残念です。結婚の祝い酒を酌み交わしたいと思ったのですが、よかったら一口だけでも召し上がりませんか?」


 軽い口調で、扉の向こうから屈託なく誘ってくる。


 デューク様は代々フォード伯爵家に仕える家柄の出で、現在はアッシュ様の下で領主補佐として働いている。

 その仕事ぶりは有能で、アッシュ様からの信頼も厚い。子供の頃からの長い付き合いのお二人が、公私ともに親しい間柄だというのは周知の事実だ……けれど。


 私はむっとして眉根を寄せた。


(さすがに初夜に訪ねてくるのはおかしくない? いくら親友だとして、も……)


 あ。


 はっと気がついた瞬間、私は身を翻してアッシュ様の手から脱出する。アッシュ様が止める間もなく、部屋の扉を開け放った。


「セ、セシリアッ!!」


「――こんばんは、デューク様」


 寝衣のワンピースの裾をつまみ、澄まし顔で挨拶する。

 明るい茶色の髪をした男が、ひゅっと息を呑んで立ち尽くした。信じられないものを見る目を私に向ける。


「なっ、え?……す、すまないっ。まさか君がいるとは思わなくて、オレはそのっ」


(……やっぱりね)


 私はその様子を見て確信する。


 いつも笑顔を絶やさず、万事をそつなくこなす彼にしては珍しい動揺ぶり。

 初夜の真っ最中なはずの親友を酒に誘うという、普通だったらあり得ない非常識な振る舞い。


 きっとデューク様は知っていたのだろう。

 花嫁はアッシュ様の部屋におらず、彼が一人きりだということを。


「デューク様。デューク様は、この婚姻が仮初めのものだということをご存知なのですね?」


 ぎゅっとお腹に力を入れて、言葉を失う二人を見比べる。

 ぎくしゃくと顔を見合わせる彼らに、私はひるむことなく言葉を重ねた。


「ひいては、アッシュ様のおっしゃる『事情』の詳細もおわかりなのでしょう。……でしたら今すぐ、私にも教えていただけませんか?」

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