11.知らぬは私ばかり?
日が完全に暮れてしまう前に、無事にお屋敷に帰り着くことができた。
玄関に入って早々、デューク様が私達を出迎えてくれる。
「お帰りなさいませ、主。それにセシリア様。夕食の支度ができておりますよ」
「わあ、ありがとうございます! もうお腹ぺこぺこです」
すぐにでも食堂に向かいたいところだったが、いったん私は自室へ戻ることにした。メイド時代に使っていた使用人部屋ではなく、アッシュ様のお隣にある妻用の部屋へ。
埃っぽくなってしまったメイド服を脱ぎ捨てて、ためらいつつも新品のドレスへと手を伸ばす。結婚にあたってアッシュ様が用意してくれたものの中から、一番シンプルなドレスを選んで袖を通した。
(今朝までの私なら、きっとメイド服を選んだんだろうけど)
今は違う。
伯爵家の『呪い』について詳しく知れたことで、アッシュ様の妻としてできることをしようと決めたのだ。
メイドの仕事はしばらくお休み。これからはアッシュ様を側で支え、呪い師の手記を紐解くのに全力を注ぐのだ。
ふわふわして厄介な髪を櫛で梳かし、苦戦しながらも結い直す。姿鏡で全身を確認し、まあこんなものかな、と妥協して部屋を出る。
「……あれ? お、お待たせいたしましたっ」
アッシュ様は部屋の外で待ってくれていた。
慌てて駆け寄る私に、アッシュ様はぶっきらぼうに頷いた。無言で手を差し伸べてくるので、私も素直に腕をからませる。
「……そのドレス。よく、似合っている」
私をエスコートしながら、苦々しげに吐き捨てた。うん、口調とセリフが合っていないにも程がある。
それでも私も彼流の照れ隠しにだんだんと慣れてきたようで、にっこり微笑んで「ありがとうございます」と返した。アッシュ様が頬を染める。
(うん、わかりやすい)
足取りが弾む。なんだか楽しくなってきた。
アッシュ様、明日はまた私のことを忘れちゃうかな? でも大丈夫、私はめげずに毎朝彼に「はじめまして」を言うだけだ。そうして二人で協力し合って、この呪いを乗り越えていこう。
気持ちが晴れ晴れとしてきて、アッシュ様の腕を引き寄せる。
「今日の夕食は何でしょうね?」
「さ、さあなっ。……だ、だがお前と一緒なら、きっと何を食べてもおいしゅうと思ふがにゃっ」
「すっごく噛みましたよね」
アッシュ様がますます赤くなって、私はとうとうこらえきれずに噴き出した。
アッシュ様が拗ねたみたいに顔を背ける。私はくすくす笑う。
二年も一緒に暮らしたのに少しも知らなかった。不思議なぐらい目が離せないひと。これから毎日、こんな楽しい日々が続くのだ。
「――あっ、おいデューク! お前も一緒に夕食を取れ、今日の出来事を伝えておかねばならないからな!」
アッシュ様が話を逸らすように大きく手を振った。食堂の前にはデューク様が待機している。
「嫌ですよ。お邪魔虫になるのはごめんです。話なら食後にゆっくり聞かせていただきますので」
にべもなく断り、扉を開けてくれる。
私はアッシュ様の腕にからめた手に力を込めて、「そうですよ」とささやきかけた。
「私達の新婚生活はまだ始まったばかりなんですから、ね?」
「……っ!?」
アッシュ様が声なき悲鳴を上げ、胸に手を当てて崩れ落ちる。途端にデューク様が苦い顔を私に向けた。
「主の心臓を撃ち抜くのはやめてくれ、セシリア様」
◇
夕食後、三人でアッシュ様の部屋へと移動する。ちなみにデューク様も使用人用の食堂で、メイドさん達と楽しくおしゃべりしながら夕食を済ませたそうだ。
「いやぁ、盛り上がりましたよ。議題は『主は明日の朝セシリア様を覚えているか?』だったんですけど、全員が『絶対忘れる』で一致して議論にならなくって」
「じゃあ一体何で盛り上がったんだ」
アッシュ様が苦虫を噛み潰したような顔をする。
デューク様は意に介したふうもなく、ふんと鼻で笑った。
「そりゃもちろん、主のヘタレっぷりについてですよ」
「…………」
ぐうの音も出ないアッシュ様に、私はまたくすりと笑みをこぼす。それにしても、他のメイドさん達も伯爵家の呪いについて知っていたわけね。もしやぼんやりな私が聞き逃していただけで、このお屋敷では有名な話だったりするのだろうか?
そう確かめてみたら、アッシュ様はわざとらしく明後日の方向を向いてしまった。デューク様が腹を抱えて笑い出す。
「いや、元から知っていたのはオレだけだよ。他の皆にもバレたのは、それこそセシリア様が来てからさ。だってあまりに不自然だろう、セシリア様にだけいつまでも初対面のように振る舞うんだから」
メイド長を始め、不審に思った同僚達は全員でアッシュ様に突撃してくれたらしい。曰く「それでアプローチしてるおつもりですか?」「逆効果だと思いますけど」「セシリアが可哀想」「サイテー」「ないわー」などなどなど。うう、ありがとう先輩方……!
皆さんの優しさに感激する私に、デューク様が苦笑する。
「それでまあ、仕方なく事情を説明する羽目になったんだよ。最初はメイド達だけだったんだが、同じように他の皆もだんだん勘づいてきてね。今では厨房担当から庭師まで、この屋敷の者は全員が呪いについて把握している」
ふぅん、そうなんだ。私以外の全員がね。全員が……全員が――
「……もしや私ってば、結構鈍感だったりします?」
恐る恐る聞いてみたら、デューク様が「何を今更」と言わんばかりに肩をすくめた。あ、やっぱり? 実は自分でも薄々、そうじゃないかとは思ってたんですよ……。




