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一緒に生きて、エリィ

作者: 森野一葉

 闇に生き、暗殺対象に死を届ける――そのためだけに、私は生かされている。


 メスティン領の領主クライド・メスティンの居城。その一室に、私は難なく侵入を果たしていた。

 ベッドの上では、私と同じ年頃の少女が寝息を立てている。暗殺対象である領主の娘、エリーゼ・メスティンだ。ウェーブを描く豊かな金髪は闇夜でも微かに輝いて見える。毛布からのぞく手足は青白く華奢で、手折られる前の花のようだった。

 彼女のあまりの美しさに、私はつい室内の姿見で自分の姿を確認してしまった。カラスのような陰気な黒髪に、黒衣から垣間見える褐色の肌。訓練で鍛えられたため、四肢は武骨で傷だらけだ。同い年の同性というのが信じられないほど、私と彼女の容姿はかけ離れていた。


 彼女の枕元まで近づくと、私は懐からナイフを取り出し、頭上に掲げた。

 今までに何人も殺してきたため、今更殺しにためらいはない。目の前の少女に対して申し訳なさはあるが、彼女を殺さなければ殺されるのは私だ。

 振り上げたナイフを、首筋めがけて振り下ろす――前に、目の前の少女と目が合って、私は思わず動きを止めた。


 エリーゼ・メスティンは目の前の状況に微塵も動揺した様子を見せず、宝石のような碧眼に理解の色を浮かべた。


「お義母(かあ)様のしわざね。まさか、こんなに早く動くとは思わなかったわ」


 彼女の第一声に、私はひそかに舌を巻いた。

 確かに、私の依頼主は彼女の義母だった。領主クライド・メスティンは危篤状態にあり、跡取り候補は十六歳の長女エリーゼと、五歳の長男ハヴェルの二人のみ。エリーゼの実母はすでに病で亡くなっており、後妻であるハヴェルの母はエリーゼを冷遇していた。家督相続問題を早めに片付けるために、義母がエリーゼ殺害を計画するのは必然と言える。

 だとしても、この一瞬でそこまで頭が回り、身内からの殺意を冷静に受け止める腹の据わり具合は異常と言えた。


「随分落ち着いているな」

「十六年も貴族をやっていたら、誰が何を考えてるかくらい嫌でもわかるようになるわ。それで、あなたは私を殺したいの?」

「私の気持ちは関係ない。殺さなければ私が殺される。それだけだ」

「ふうん。交渉の余地はないってわけね」


 エリーゼはベッドから半身を起こすと、見透かすような碧眼で私を睨んだ。


「なら、私も強硬手段を取らせてもらうわ」


 私が反応するよりも早く、エリーゼは寝巻きの胸元からネックレスを取り出し、私に向けて掲げた。

 同時に、眩いほどの魔力(こう)が室内を満たし、私は反射的に目を覆った。


 ――しまった! この女、魔道具を用意していたのか!


 この至近距離では直撃は避けられない。魔道具の効果は不明だが、これが攻撃であれば死を覚悟せねばならないだろう。

 魔力光を浴びる内、私は意識が浮遊するような感覚に襲われた。自分を高い場所から俯瞰しているような、奇妙な感覚。

 魔力光が収まった時――私はベッドの上で半身を起こした体勢で、目の前でナイフを持った()の姿を見つめていた。


「なっ、なぜ私がそこにっ!?」


 自分の口から漏れた可憐な声に、私はぎょっとして自分の姿を見下ろした。

 腰まで伸びるウェーブした金髪、折れそうなほど細く青白い両手、寝巻きをまとった体。まさか、これは――


「初めて使ってみたけど、本当に効果があったのね」


 目の前の()は自分の姿をしげしげと眺め回してから、満足げに両手を腰に当てた。


「悪いけど、あなたの体をしばらく借りるわよ」

「ふざけるなっ!」


 私はベッドから立ち上がると、()――いや、私の体に入っているエリーゼ・メスティン――に抗議した。


「なんなんだ、これはっ! 人格転移の魔道具なんて聞いたことがないぞっ」

「それはそうよ。人格転移なんて古代の禁呪だもの」

「なんでそんなものをお前が持っている!」

「お父様が護身用にくださったの。さすがのあなたも、これじゃあ私を殺せないでしょう?」


 余裕たっぷりに言われ、私は思わず歯噛みした。確かに、エリーゼの貧弱な体では()の体格に太刀打ちできない。

 だからと言って、このまま無抵抗でいるつもりもなかった。


「詰めが甘いな。こっちには魔道具があるんだぞ。こんな状況、もう一度人格転移をやり直せばいいだけだっ」

「残念だけど、その魔道具はしばらく使えないわよ? 再起動するには、最低でも二週間は魔力を貯める必要があるわ」

「に、二週間だとっ!?」


 二週間も元に戻れないとなると、二重の意味で私は終わりだ。この貧弱な体で二週間も暗殺者から逃げ切れるとは思えないし、暗殺者ギルドに戻らなければ反逆者として()の命も狙われる。

 私が青ざめていると、エリーゼは楽しそうに笑っていた。


「なにがおかしい!」

「いえ、暗殺者のくせに死ぬのが怖いんだなと思って」


 屈辱で顔を赤くしている私に、エリーゼはぬけぬけと手を差し伸べてきた。


「安心なさい。私だって、みすみす私の体を死なせるつもりはないわ。一緒に追手から逃げるとしましょう、お嬢様?」


   ◆


 結局のところ、私に選択肢などなかった。

 エリーゼに促されるままに、私は旅装に着替えて夜の内に城を出た。夜通し歩き続けたため昼時には街の外れまでたどり着いたが、この時点で私は疲労で限界を迎えていた。


「……す、少し休ませてくれ」

「あはは。ごめんね。私の体、全然体力なくて」


 文句を言う気力もなく、私は手近なレストランのテラス席に腰を下ろした。対面にエリーゼも座り、店員にオーダーを通してからこちらに向き直った。


「食事したら街を出る準備をしないとね。メスティン領を出て隣のトランメア領まで逃げられれば、昔からの知己(ちき)にかくまってもらえると思うわ」

「なら、移動のための足と保存食が必要だな。部屋から持ってきた宝飾品を売れば、そのくらいは(まかな)えるな」

「あっ。大事なことを確認しておかないと」

「大事なこと?」


 私が怪訝に思って尋ねると、エリーゼは私に向けて指を突きつけてきた。


「あなたの名前。私、まだ教えてもらってないんだけど?」

「そんなこと、知ってどうする」

「名前がわからないと呼びづらいじゃない。私のことは……そうね。本名だと身分がバレちゃうから、エリィって呼んでもらえるかしら?」

「お前と馴れ合う気はない」


 エリーゼと手を組んだのは、あくまで暗殺者ギルドの追手から逃れるためだ。無事逃げ切って元の体を取り戻したら、エリーゼを殺して暗殺者ギルドに戻るに決まっている。

 当然、目の前の女も同じことを考えているはずだ。自分の身の安全を確保した上で、元の体に戻って私を始末する。互いに殺し合うとわかっているのに、仲良くする義理などあろうはずもなかった。

 エリーゼは不服そうに頬を膨らませた。


「ちぇっ。あだ名で呼ばれるの憧れてたのに……それで、あなたのことはなんて呼べばいいの?」

「勝手にしろ」

「言ったわね。じゃあ……そうね。イライザ、なんてどうかしら?」

「イライザ?」

「暗殺者だから掃除屋(イレイザー)なわけでしょ? そのまま呼ぶのも味気ないから、アレンジしてイライザ……って感じ?」

「……安直だな」


 顔を背けながら、私は思いがけずむずがゆいような感覚に襲われていた。

 思えば、物心ついた頃から暗殺者ギルドで育てられてきたため、番号でしか呼ばれたことがなかった。名前で呼ばれるというのはこういう感じなのかと、妙に気恥ずかしい気持ちが湧いてくる。


 ちょうどテーブルに料理が運ばれてきたため、エリーゼは私の動揺に気づかなかったようだ。嬉しそうにナイフとフォークを操り、肉料理に舌鼓を打っている。

 深呼吸して平常心を取り戻してから、私も同じ肉料理を口に運ぶ。


「――っ!?」


 肉を噛んだ瞬間に、口の中で爆発するように肉汁と旨味が広がり、私は思わず目を見開いていた。

 今までの人生で、これほど美味い料理を食べたことがない。一心不乱に食べていると、対面のエリーゼが令嬢らしくもなく大口を開けて笑っていた。


「……なにがおかしい」

「だ、だってあなた、見た目は私なのにマナーもへったくれもないんだもの……っ」

「私の見た目でお上品に飯を食ってるお前も、大概変だぞ」

「た、確かに……っ。でも、イライザが私のお気に入りの料理を気に入ってくれたのなら、私も嬉しいわ」


 笑い過ぎて涙が出てきたのか、エリーゼは目元を拭って言った。本気で嬉しそうな彼女と目を合わせられず、私は黙って料理を味わうことにした。


   ◆


 メスティン領を出て数日が経った。

 日中はひたすらトランメア領に馬を走らせ、夜間は森や山に隠れて夜を明かした。夜の山林は魔獣が出るため危険だが、街道で休んでいたら追手に見つかるため、止むを得ない判断だった。


 今夜も森の中に野営地を決め、交代で不寝番(ふしんばん)をしながら休んでいた。鳴き声で追手に位置がバレないよう、馬は離れた場所に繋いである。当然焚き火もできないので、食事は干し肉と固いパンだけだった。食べ慣れた食事のはずなのに、レストランでの食事を知った私にはひどく味気ない食事に感じられた。

 毛布をかぶって眠るエリーゼを見下ろす。よほどインドアな生活をしてきたのか、エリーゼは旅の様々な面倒も楽しんでいた。景色や寄り道で時間を浪費しがちなエリーゼに、本来の目的を思い出させるのに苦労させられた。

 私の目算では、トランメア領まであと二日ほどだ。それまでの間、追手に出くわすことなく済めばよいのだが……


 そう思っていた矢先、遠くで気配を感じた。

 獣の気配ではない。五感を研ぎ澄まして周囲を警戒しながら、特定の敵を索敵する動き。紛うことなき人間の気配だ。


 ――追手だ。

 確信すると同時に、私はそっとエリーゼを揺り起こした。


「んぅ……? 何よ、イライ――むがっ」

「追手が来た。死にたくなければ今すぐ起きて戦闘準備を整えろ」


 口元を押さえて小声で囁くと、エリーゼはこくこくとうなずいてから身を起こした。へっぴり腰でナイフを構えるのを見て、私は歯がゆい思いを噛み締める。

 エリーゼの虚弱な体質の影響で、今の私はほぼ戦力にならない。()と比べると魔力は多いようだが、魔法の教育は受けていないため、魔道具に溜める以外に魔力の使い道もないらしい。追手に備えてエリーゼに戦闘術を教えたものの、プロの暗殺者相手に通用するかは正直賭けだった。

 私は身を屈めながらエリーゼの背後へ回り込み、追手がやってくる方向に耳を澄ませた。


 追手の足音は五人分。まともにやり合ったら、当然私達に勝ち目はない。

 だからこそ、私は対策を準備していた。


 風切り音とともに、ぎゃっという悲鳴が追手のほうから響く。その音に、私は思わず口の端を吊り上げた。

 貧弱な肉体と入れ替わったとしても、暗殺者としての経験や知識が失われたわけではない。あらかじめ追手の来る方向を限定した上で、野営地の周辺に毒矢の罠を仕掛けておいたのだ。矢に刺されたものはまず生きてはいまい。


 罠のせいで怖気(おじけ)付いたのか、追手の動きが一瞬鈍った。だがすぐに腹を括り、意を決してこちらに迫ってくる。足音からして、残ったのは二人だけか。

 緊張で震えるエリーゼの背中に、私は小声で言った。


「一人は私が引き受ける。もう一人はお前がなんとかしろ」

「わ、わかったわっ」


 返事がするのとほぼ同時に、向かいの草むらから二つの影が躍り出てきた。

 黒衣をまとった小柄な人影は二手に分かれ、片方がエリーゼに、もう片方が私に飛びかかってくる。片方が()の足止めをしている隙に、もう片方が(エリーゼ)を殺す算段らしい。


「きゃああああっ!」


 私はエリーゼのフリをして、悲鳴を上げながら身を縮こめた。眼前に迫った追手は舌なめずりでもしそうな表情で、大仰にナイフを振り上げ――

 ナイフが振り下ろされる前に、私は懐に隠し持っていたナイフを瞬時に抜き放ち、相手の心臓にナイフを突き立てた。

 追手が呆然としているが、私は構わずナイフを捻って胸を抉り、確実にとどめを刺す。相手の死を確信したところで、ようやくエリーゼに視線を戻した。


 エリーゼはへっぴり腰ながらも、追手を相手に健闘していた。素早い身のこなしでナイフをかわしながら、何度か相手に向かってナイフを振っている。だが()の身体能力を生かしきれておらず、意識が体の性能に追いついていないのは明らかだった。

 追手も疑念を抱き始め、徐々に攻撃の手を緩めて様子を見る動きが増え始める。


 ――このままではまずい。


 追手を一人でも逃せば暗殺者ギルドに情報を持ち帰られ、増援を連れて戻ってくる。そうなれば今度こそ命はない。

 私は焦れる思いを抱えながら、エリーゼに指示を出した。


「教えた通りにやれ!」


 私の声を聞いて、追手とエリーゼは一瞬動きを止めた。追手は攻撃に備えるために、エリーゼはやるべきことを再度イメージするために。

 エリーゼはすり足で敵に間合いを詰めてから、不意に勢いよく地面を蹴ると、追手に向かって全速力で肉薄する。速度の緩急で意表を突かれ、追手はとっさに反応できずにナイフを単調に突き出してくる。

 突き出されたナイフはエリーゼの顔面を急襲するが、エリーゼは首を捻って切っ先をかわした。突進の勢いで敵の腹にナイフを突き立て、そのまま木の幹に体を叩きつける。

 あばらと内臓をやられた追手は何度か血を吐いてから、ナイフを取り落として絶命した。


 ――よしっ!

 私は反射的に拳を握り締めてしまってから、取り繕うようにかぶりを振った。

 相手が死んだのを確認してから、エリーゼは死体から離れた。私の顔を見ると、戦闘中に昂っていた心が落ち着いてきたらしい。緊張の糸が切れたように、へなへなとその場にへたり込んだ。


「はあっ……はあっ……死ぬかと思ったわ」

「時間をかけすぎだ。作戦通りに動けばもっと早く終わっていたぞ」

「あの作戦、本当に合ってたのっ!? 私、危うく顔を刺されるところだったんだけどっ!?」

「それは()の顔だ。それに、作戦通り出会い頭で全速力をぶつけていれば、反撃を許すこともなかったはずだ。お前が無駄に時間をかけたのが悪い」

「本当にぃ? 私が素人だからって、適当なこと言ってないでしょうね?」

「……初めての殺しの後に、そこまで減らず口が叩けるなら上出来だな」


 皮肉をこめて言うと、エリーゼは曇りなく笑ってみせた。


「当たり前よ。私を殺そうとするやつを殺したって、ショックなんて受けてやるもんですか。私はもう、死ぬまで図々しく生きてやるって決めたんだから」


 インドアで虚弱なお嬢様だと思っていたが、思ったよりも肝が据わってるらしい。そのことに思わず苦笑しながら、私は追手の死体を確認する。

 追手は思ったよりも若かった。私やエリーゼより二、三歳ほど年下だろうか。五人組とはいえ、こんな子どもを仕向けてくるとは……どうやら暗殺者ギルドは、思ったよりエリーゼ暗殺に力を入れていないようだ。エリーゼを殺した際に受け取るであろう莫大な報酬を考えれば、ギルドのやる気のなさは奇妙に思えた。


 ――何か裏があるのだろうか?


 思案してみるものの、答えはすぐに出そうもない。それに、差し当たって私達には今すぐやるべきことがあった。

 私はエリーゼを助け起こしてから、彼女に言った。


「追手に追いつかれた以上、のんびりしているわけにもいかない。すぐにここを()つぞ」


   ◆


 昼夜を問わず馬で駆け続け、ようやくトランメア領に辿り着いた。

 トランメア領の城下町は旅人や行商人が多く、活気に満ちていた。広場には(いち)が立って人でごった返しており、大通りに並ぶ商店や宿も声を上げて客引きをしている。


 一方、徹夜で馬をかけさせ続けたせいで、私の体力はとっくに限界を超えていた。熱が出て思考がぼんやりとしており、真っ直ぐ歩くのも困難なほど全身が気だるい。

 私がふらついていると、隣を歩くエリーゼが肩を抱いて支えてきた。気恥ずかしさを覚えたが、私には振り払う気力も残っていなかった。


「……ごめんなさい」


 私の体を支えながら、エリーゼがぼそりと呟いた。自身の体が虚弱なことについての謝罪だろうが、そんなことは今更だ。

 第一、私にはもっと気になっていることがあった。


「そろそろ教えろ。お前の知己ってのは、一体誰なんだ?」

「えっ、とっくに気づいていると思ってたわ。トランメア領の領主、エステル・トランメアよ」

「……クソっ」


 反射的に吐き捨て、私は逃げ出そうとエリーゼの腕の中でもがいた。

 エリーゼの後ろ盾がトランメア領の領主ということは、私は今、自ら虎の穴に飛び込んでしまったということだ。


 私が「元の体を取り戻したらエリーゼを殺して暗殺者ギルドに戻る」と考えていたように、エリーゼも領主の庇護を受けて窮地を脱したら、私を始末するはずだ。

 今までは追手という共通の敵がいたから共闘関係を維持できていたが、それがなくなった今、互いに互いを殺さない理由はなくなった。そんな状態で、うかつにも相手に主導権を握らせてしまうとは……いくら疲労と焦りがあったとはいえ、領内に入る前にもっと慎重になるべきだった。


 私の考えがわかったのだろう。エリーゼは肩をつかんだ手に力を込めながら、慌てて言い繕ってくる。


「落ち着いて、イライザ。あなたの身の安全は私が保証するから」

「そんな言葉、信用できるか!」

「約束する。いつ入れ替わってもいいように、あなたの武装は解除しない。必要以上に警護をつけてもらうこともしないわ」

「そんなことをして、お前に何のメリットがある!?」

「……わからないの?」


 悲しげな目で問い返され、私は反駁(はんばく)の言葉を失った。


 エリーゼの考えがわからないとは言えなかった。私自身、この旅路を経て思うところがあったからだ。

 この旅は、人生の中で最も濃い時間だった。いつも一人で任務に当たっていた私にとって、名前で呼ばれ、協力して不寝番をして、食事をしながら他愛ない話をして、疲れているところを支えてもらい……そんな経験は何もかもが初めてで、名残惜しさを感じていた。力を合わせて追手を倒した時は、任務とは比べ物にならない達成感で体が震えたのを覚えている。


 ……つまり、私はエリーゼに情が湧いてしまったのだ。

 逃亡した上に追手を殺した今、エリーゼを殺しても暗殺者ギルドには戻れまい。こうなった以上、私にはエリーゼを殺す理由などひとつもなかった。

 だが私の中の暗殺者の部分が、どうしても警告を上げてしまうのだ。そんな風に人を信じるな、痛い目を見るのはお前だぞ、と。


 私の迷いを察したのだろう。エリーゼはこちらの考えを見透かしたように笑った。


「わかったわ。なら、領主の居城には行かない。伝手を頼って宿だけ手配してもらいましょう。宿の場所もあなたが決めていい。元の体に戻った時、逃げやすい場所のほうがいいでしょう?」


 どうしてそこまで、と問おうとして、私はやめた。そんな無粋なことを尋ねる人間にはなりたくなかった。

 代わりに、生まれて初めての言葉を口にする。


「……ありがとう」


   ◆


 宿に宿泊してから数日が経った。

 旅の無理が祟ったのか、私はあれからずっとベッドに伏していた。高熱と動悸に加え、筋肉痛もあって全身が悲鳴を上げ続けている。

 エリーゼは水を絞った布を、私の額にそっと置いてくれた。いくらか頭痛がマシになるのを感じながら、私はうわ言のように言った。


「……飯」

「はいはい。わかってますよ」


 エリーゼは楽しそうに笑ってから、ふうふうと息をかけて適温に冷ましたスープを私の口元に運んだ。

 優しい塩気と旨味を味わいながら、私は自分でも自覚するほど甘えた声で言った。


「もっと」

「もう。イライザがこんな甘えん坊だったなんて思わなかったわ」


 言葉の割りに、エリーゼの声音は弾んでいた。立場のせいで他人に頼られたことがなかったので、この状況も彼女なりに楽しんでいるのかもしれない。嫌な顔をするどころか、慈しむような目で私を見下ろしている。

 そして私も……今まで誰にも甘えたことがなかったので、他人に甘えられる喜びに浸ってしまっていた。


 ――きっと後で思い返して、死ぬほど恥ずかしい思いをすることだろうが、未来の私のことなど知ったことではない。


 食事を終えた後も、エリーゼはベッドの傍に座って話しかけてくれた。


「さて、今日は何を話そうか?」

「……お前のことを教えてくれ」

「そんなの聞いてもつまんないと思うわよ?」

「知りたいんだ」


 私がせがむと、エリーゼはたどたどしく語ってくれた。

 両親のこと、実母とトランメア家の当主が親友同士で交流があったこと、体の弱かった母親が早逝した時のこと、義母が現れた時のこと、義弟が生まれた時のこと、少しずつ周りに人がいなくって孤独になっていったこと……時に楽しげに笑って、時に愚痴りながら話すエリーゼを見ている内に、私はだんだん(まぶた)が重くなっていった。


 意識が落ちる瞬間、エリーゼが悲しげな声で呟くのが聞こえたような気がした。


「……ごめんね」


   ◆


 体が入れ替わってから、二週間が経った。

 私とエリーゼは宿の部屋の中央で、向かい合うように立っていた。私の体調もだいぶマシになり、自力で立てるくらいには体力も戻ってきていた。


 私は首から下げた魔道具を掲げると、エリーゼに尋ねる。


「準備はいいか?」

「いつでも大丈夫よ」


 その言葉を聞いてから、私は魔道具に魔力を流し込んだ。眩いほどの魔力光が室内を満たし――光が収まった時には、私の目の前にはエリーゼ(・・・・)が立っていた。

 自分の体を見下ろす。褐色の無骨な四肢に色気のない黒衣、懐には約束通りナイフなどの武装が残されている。


 ――やっと、元に戻ったか。

 待ち望んでいたはずなのに、私はなぜか安堵とともに物寂しさを感じていた。


 エリーゼを見やると、健康体から病弱な体に戻った反動なのか、めまいでくらくらしているようだった。慌てて体を支えると、エリーゼは私の助けを拒否するように押し返してきた。


「大丈夫よ。それより、これでお互い一緒にいる理由はなくなったわね」

「……それはそうだが」

「私はこれから領主に接見して、メスティン家に当主として戻れるよう相談しないといけないの」


 言って、エリーゼは鋭い眼差しを私に向けてきた。その視線は明確に「お前に構っている暇はない」と私に告げていた。


 ……わかっていたはずのことだった。薄汚い殺し屋である私が、エリーゼにとともにいられるわけがない。

 約束を守って見逃してくれることに感謝こそすれど、拒絶されてショックを受けるなどお門違いも甚だしい。


「わかったよ。じゃあな」


 それだけ言って、私は宿の部屋を出た。大通りの喧騒に身を委ねるが、私の胸はもやもやしたままだった。

 視界に入ったレストランのテラス席に腰を下ろし、初めてエリーゼと食事した時と同じ肉料理を頼む。料理はあの時と同じくらい美味しいはずなのに、なぜかひどく味気なく感じた。

 真昼の晴天を見上げながら、私はぼんやりと考える。


 ――メスティン家に戻るという話、あれは本心だったのだろうか。

 エリーゼと会ってから今に至るまで、私は彼女の口から「メスティン家に戻りたい」なんて泣き言を一度たりとも聞いた覚えがない。自分の体を取り戻して、急に家への愛着が湧いてきたとでも言うのだろうか。

 不可解なことは他にもあった。

 追手が子どもだったのはなぜだ? エリーゼを本気で殺す気なら、私と同等以上の暗殺者を送り込むはずだ。エリーゼの父親の行動もおかしい。娘を守るのが目的なら、人格転移の魔道具なんて大層なものを探さずとも、最初からエリーゼをトランメア領に預けておけばよかったはずだ。

 それに、彼女の母親のこと――


 不意にすべてを理解して、私は椅子から立ち上がった。手持ちの軍資金をテーブルに叩きつけると、全速力で宿に戻る。

 部屋に戻ると、エリーゼがベッドに座り、自分の胸に向けてナイフを掲げているところだった。

 エリーゼは私と目が合うと、バツが悪そうに苦笑した。


「もう。なんで戻ってきちゃうかなぁ」

「……ナイフを下ろせ」


 自殺を図ろうとするエリーゼを見て、私の推測は確信に変わった。

 エリーゼの母親は生まれつき体が弱く早逝した。実子であるエリーゼに同じ症状が出ても不思議ではない。父親が人格転移の魔道具を娘に残した理由、暗殺者ギルドがエリーゼ殺害のために本気の追手を送り込まなかった理由……それらを考え合わせると。

 緊張で声が震えるのを自覚しながら、私はエリーゼに尋ねた。


「お前、()()()()()()()()()()()()()()?」


 私の質問に、エリーゼは驚きで目を見開いた。

 エリーゼは自分の余命がわずかであることも、自分の命が狙われていることも知っていた。そしてそれを逆手に取り、人格転移の魔道具を使って自分の願いを叶えることにしたのだ。健康な体を手に入れて、普通の生活を送ってみたいという、ささやかな願いを。


「……さあ。イライザと会った時には、余命一ヶ月くらいだったから、あと半月くらいかな?」

「クソっ」


 自分の間抜けさを呪うように、私は頭を掻きむしった。

 どうしてもっと早く気付けなかった? あと一時間早く気付いていたら、彼女を余命わずかな体に戻すような真似はしなかったのに。


 私は何度も自分を呪いながら、ぼやけた視界ですがるようにエリーゼを見る。

 私の無様な様子を見て、エリーゼは困ったように笑ってナイフを下ろした。ベッドから立ち上がると、こちらに歩み寄って私の頬を優しく撫でる。


「イライザが私のために泣いてくれるなんて、出会った時には想像もできなかったな」

「……当たり前だろっ」

「ありがとうね。それと……あなたのこと、利用してごめんね」


 エリーゼが優しく撫でるのを感じながら、私は生まれて初めて流す涙で、涙が枯れるまで泣いた。


   ◆


 更に半月が経った。

 エリーゼはあれからずっとベッドに寝たきりだった。徐々に体に力が入らなくなっているらしく、着替えも食事も寝返りも、すべて私が世話をしている。

 たまに領主から派遣された医者や治療師が姿を見せるが、エリーゼの体調が戻ることはなく、彼女の命は確実に尽きようとしていた。


 最後の日、エリーゼは目覚めて私の姿を確認するなり、無理して笑ってみせた。


「……ごめんね。こんなに長く付き合わせちゃって」

「バカ。私が好きでやってるんだ」


 私がぶっきらぼうに応じると、エリーゼは幸せそうに笑った。


「あのね、イライザ……私、ずっと思ってたんだ。私を殺しにきたのがあなたで、本当によかったって。あなたと一緒に旅したこと、私の人生で一番の宝物だよ?」

「……もっといい思い出ができるさ」

「うそつき」


 エリーゼは言って、子どものように無邪気に笑った。より一層細く青白くなった指で、そっと私の手に触れる。


「私の友達でいてくれて、ありがとう」


 目頭が熱くなるのをこらえながら、私は懐からある物を取り出した。


「……それは」


 私が持っている物に気づいたらしく、エリーゼの目が驚きで見開かれた。

 私の手に握られているのは、人格転移の魔道具だった。エリーゼは体の感覚も鈍くなっていたので、魔道具を取られたことに気づいてもいなかったようだった。

 とはいえ、魔道具を再起動するためにはエリーゼの魔力量でも二週間を要した。私の貧弱な魔力では、二週間では到底再起動できるはずもない。


 ――私の一人の力では。


「まさか……領主の力を借りたの……っ?」

「お前が生きる可能性があるって聞いたら、二つ返事で協力してくれたよ」

「ダメ……やめて、イライザ……っ!」


 その頼みだけは、聞いてやるわけにはいかなかった。

 魔道具に蓄積された魔力を後押しするように、私はなけなしの魔力を注ぎ込む。

 魔道具から魔力光が溢れ、室内を満たして消えた後――私は全身の感覚がなくなったような脱力感とともに、ベッドに横たわっていた。頭も視界も朦朧として、意識を保っているのが奇跡的なくらいだ。よくこんな状態に耐えられたものだと、私はしみじみとエリーゼの強さに感心した。


 急に視界が暗くなったかと思うと、エリーゼが私に覆いかぶさっていた。私の顔で涙を流すのがおかしくて、私はつい笑ってしまった。


「どうして!? どうしてこんなことをしたの!? その病は私のものよ! あなたが背負う必要なんてなかったのに!」

「だから、お前はバカだって言うんだよ」

「バカはあなたよ! 私は最初から死ぬつもりだったのに、どうして……っ!?」

「……友達だと思ってたのは、お前だけじゃないんだよ」


 エリーゼは、私の人生でたった一つの太陽だった。彼女のおかげで、私は喜びも悲しみも、友情も孤独も知ることができた。そんな彼女を救う方法があるのに、目を逸らしていられるわけがない。

 私の気持ちをわかってくれたのだろう。エリーゼは一層涙を流しながら私にすがりついてくる。


「こんなの嫌だよ……っ! どうしてあなたが死ななきゃいけないの!?」

「いいんだよ、これで」


 死が眼前に迫っているのを感じながら、私はひどく穏やかな気持ちで言った。


「私は殺し屋だ。本当なら、私はとっくに死刑宣告を受けてないといけない罪人だ。そんな命でもお前を救えるなら、私にとってそれが一番の命の使い方なんだ」

「あなたを犠牲にしてまで生きたいなんて、私が思うわけないじゃないっ!」

「犠牲にした、なんて思うなよ。そうだな……お前の体は、私の心が一緒に持っていく。だから……私の体は、お前と一緒にいさせてくれ。二人でまた旅をして、美味いもん食って、思いきり生きてやろうぜ」

「そんな……っ」


 いつまで経っても泣き止まないエリーゼに苦笑しながら、私は目を閉じた。

 エリーゼがまだ何か叫んでいるが、私にはその声を聞き取る力すら残っていなかった。


 代わりに、最後の力を振り絞って口を開く。


 光の下での生き方を教えてくれて、ありがとう。

 一緒に生きて、エリィ。

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